想定外の発見 クィルガー視点
俺はクィルガー。とあるものを調べるために世界中を旅している。二十八歳、独身。幼い頃から騎士として育てられ、どんな戦況でも慌てず周りを見て行動できるように鍛えられてきた。それなりに年齢を重ねて場数も踏み、少々のことでは動揺せずにいられる自信がある。
そんな俺は今、少し動揺している。こんなことは想定外だ。
俺はチラリと自分の前に座って少し緊張しながら馬に揺られてる少女を見下ろす。
まさかエルフなんてもんに出会うとはな……。
小さなころから聞かされてきた魔女と人間の話。二千年前を境に価値観がひっくり返り、それによって起こった人間の取捨選択。
エルフとの対立と滅亡の話は当時は悲惨なものだったと思うが、今では遠い昔の物語としてたくさんの本になっている。俺も昔よく読んだ。
対等な戦いを好む俺としては、魔石術を使えないエルフを一方的に殺した話は好きではない。エルフの数はそもそもそんなに多くなかったと聞く、それなら殺さずに放っておけばよかったのだ。人間に対抗する力などなかったのだから。
エルフが滅亡しなければ、テルヴァのような危険な一族が生まれることもなかった。
あの方も、あれほど苦しまなくて済んだかもしれないのだ……。
そんなことを考えていたら、目の前のディアナが申し訳なさそうに振り返って言った。
「あのぅ……お尻と腰が痛くなってきたんですけど……」
「もうか⁉ いくらなんでも早すぎるぞ。もう少し進んだら休憩するから、それまで我慢してくれ」
「うぅ……はい」
そう答えて体をもぞもぞ動かして前を向くディアナを見ながら、どうしたもんかなと心の中で呟く。
古代の祠の中でこいつを見た瞬間、マズいもんを見てしまったと思った。昔からあまり口にするなと言われていた存在が、目の前にいるという衝撃。
人間にとってエルフは非常に都合の悪い相手だ。大昔の人間がやらかしたことだが、変な罪悪感というかやりにくさがある。
だがこいつは自分がエルフであることもわかってなかった上にまるで緊張感がない。記憶がないことにも驚いたが、それについて不安に思ってる様子もないのが不思議だった。
普通はもっとおどおどしたり、狼狽えるもんじゃないのか?
毒を疑うこともなく美味しそうにご飯を頬張る姿は、一緒についてきた子どものマイヤンとそっくりだ。つまり警戒心というものがひと欠片もない。
それなのに一番のタブーと言ってもいい歌を歌ったと言うし、それが危険だとエルフの立場について説明すればみるみる表情を曇らせて号泣した。
俺は子どもに泣かれるのは苦手なんだ。勘弁してくれ。……まあエルフは長寿だから、こう見えて俺よりかなり年上なのかもしれないが。
それでもそんな姿を見て放ってはおけなくなった。
こいつがどういった経緯で氷漬けにされたのかはわからないが、目覚めたら自分がタブーな存在で仲間は一人もいないという世界になっていたのだ。それはかなり堪えるだろう。
だからこいつが平民の社会で生きられる目処が立つまで面倒を見ようと思ったんだが、テルヴァに見つかってしまった。これも想定外だ。
テルヴァに見つかった以上平民社会では手に負えない。これからもこいつをつけ狙ってくるだろう。なんとか安全なところに連れて行ければいいがそれがまた問題だった。
いっそのこと、あの方に報告して俺の国で保護するか?
とりあえずどう行動するのかはもう少し様子を見てからにするかと思いながらチラッと隣の白馬を見る。
問題はこいつだ。成り行きで関わってしまったが、テルヴァに見られた以上こいつらも今までと同じようにはいかない。エルフと関わった者として奴らに付き纏われるだろうし、万が一捕まったら何をされるかわかったもんじゃない。
と、その紫の目がこちらを捉える。
「クィルガー、そろそろ休憩にしましょう。ディアナが辛そうだわ」
その言葉に俺は思わず眉間に皺を寄せる。まさかこいつからそんな台詞が出てくるとは思わなかった。
……おまえ、子ども苦手じゃなかったか?
いつだったか迷子の子どもに泣きつかれて困り果てたヴァレーリアを見たことがある。明らかに子どもの扱いに慣れていない様子で俺にまで助けを求めてきたのだ。それなのに今はディアナのことを本気で心配してるように見える。その変化に正直困惑する。
まぁ確かにディアナは普通の子どもと違っていきなり騒がないし、頭がいいのかこちらの話も理解するのが早いし、守ってやりたいなと思……。
「んんっ。ああ、そうだな。休憩にするか」
その俺の言葉に「はぁ、助かったぁ」とディアナがホッと息を吐いた。
それからテルヴァに不意打ちされないよう見晴らしのいい丘に馬を留めるとコモラがお茶の用意をし始め、馬の上では言葉も少なく沈んだ顔をしていたディアナも、体をあちこち伸ばして表情を緩めた。
全員が座りコモラのお茶とお菓子の準備が整ったのを見て、それをもらおうと俺が手を伸ばすと、サモルが笑顔で「八十ラシルになります」とすかさず金を要求してくる。
「見逃さなかったか」
「商売人ですから」
ディアナがいるからか、たっぷりミルクの入った紅茶と果物のジャムが挟まったクッキーが用意されていて、クッキーを一口で食べるとザクザクとした歯応えとともに生地のバターの風味とジャムの甘酸っぱさが絡まって口に広がった。
うむ、やっぱコイツの作るもんはなんでも美味いな。
ディアナを見るとクッキーを食べて思いっきり相好を崩している。顔全体から「美味しいぃぃぃ」という気持ちが溢れ出ていて、コモラだけでなく俺たちも笑ってしまう。
「これもコモラさんが作ったんですか? コモラさんは天才料理人ですね!」
「そんなに喜んでもらえると、作りがいがあるねぇ。ディアナちゃんのためだったらなんでも作ってあげたくなっちゃうよ」
「確かにこんなに美味しそうに食べる子は久しぶりに見たね」
そう言ってコモラとサモルもニコニコしてディアナの相手をしている。この二人は元々エルフに忌避感がないからかすっかり気を許しているようだ。
すると美味しいものを食べて幸せそうな顔をしていたディアナがお茶を一口飲んだあと、なにかを考えるようにして俺たちを見た。
「あの……みなさんは私と一緒にいて大丈夫なんですか? その、私と関わるとあまり良くない気がするんですが……」
そう尋ねる瞳は不安そうに揺れている。
「わ、私としては一人で生きていける気がしないのでとてもありがたいんですが、その、みなさんが大変なことに巻き込まれるかもしれないと思うと申し訳なくて……」
さっきの襲撃を思い出したのだろう。顔を伏せて地面を見つめるその顔には申し訳なさと心細さが浮かんでいた。
それを見て俺は思わずフンッと息を吐いてディアナの頭に手を乗せる。
「心配するな。あれくらいの戦闘は俺にとってはどうってことない。これから先もっと強いやつが現れても問題ないさ。俺が全員蹴散らしてやる」
そう言って頭をぽんぽんすると、ディアナが目を丸くした。
「なんでそこまでよくしてくれるんですか? 私は人間にとっては都合の悪い存在なんですよね? ……私なにも返せるものがないのに」
「別になにも返さなくていい。お前をそのままにしておいたら危険なことに巻き込まれる可能性が高い。そんな子どもをこのまま放っておけないだけだ」
自分の本音を伝えるとディアナが眉を下げてこちらを見る。ありがたいと申し訳ないが混ざったような顔で、俺はもう一度ぽんぽんして手を戻した。
「私も同じ気持ちよ。ディアナをこのまま放ってはおけない。あなたが安全に暮らせる場所にいけるまで側にいるわ」
俺に続いてヴァレーリアがそう言うとサモルとコモラがうんうんと頷く。
「そうですね。俺もそれに賛成です。それにこんな面倒見のいい姐さんが見れるのも貴重なので、ディアナちゃんはもっと姐さんに甘えるといいですよ」
「そうだねぇ。姐さんはいつも子どもに怖がられるか憧れられるかの二択だったから、ディアナちゃんみたいに普通に接してくれるのが嬉しいんだと思うよ」
「なななななななに言ってんのあんたたち!」
二人の言葉に顔を赤くしてヴァレーリアが慌てる。なるほど、そう言う理由でディアナを気に入ってたのかと思っていたら、どうやらそれだけではなかったらしい。
「べべべべ別にそれだけじゃないわよ! ディアナみたいに可愛い子は見たことがないからっ。ほら、この透き通るような金の髪に、夏の空と同じ青い目は宝石みたいに綺麗でしょう? こんなお人形さんみたいな子にまっすぐ見つめられたら守ってあげたい! って思うでしょう⁉」
「姐さんは綺麗なものに目がないですけど、まさかディアナちゃんもその対象に入るなんて……!」
「姐さんの母性本能が目覚めたんですねぇ。これは嬉しい発見」
サモルとコモラは二人ともそう言ってニマニマしながら相手をしている。完全にからかってるなこれは、と半目で見ていると、
「今までそんなふうに言われたことなかったので嬉しいです」
とディアナが照れたようににへらっと笑った。その屈託のない笑顔にヴァレーリアが撃ち抜かれたような顔になる。
「私もヴァレーリアさんのような綺麗で優しいお姉さんは大好きです」
とさらに爆弾を落としたため、ヴァレーリアが感極まってディアナを抱き締めた。「ヴァレーリアでいいよ」とか言いながら泣いている。
……なにを見せられてるんだ俺は。
と複雑な気持ちになりながら、とりあえず「俺のこともクィルガーでいい」とだけ言っておいた。
その後、休憩を終わりにして立ち上がろうとするとディアナがいたたと腰を押さえる。まだ痛みが残ってるようだ。乗馬の練習は必須だなと呆れていると、心配したヴァレーリアが癒しの魔石術を使った。
「『ヤシル』……ディアナに癒しを」
そう命じるとブレスレットの緑の魔石が光ってディアナの腰を癒す。それくらいの痛みに魔石術を使う必要はないと思うが、すっかり過保護になってるようだ。
「すごい……腰の痛みがなくなりました! これが魔石術ですか?」
「そうよ」
ディアナは目を輝かせて感動し、それからハッとなにかに気付いて少し考え込んだあと、とんでもないことを俺たちに聞いてきた。
「あの、その魔石術って私にも使えますか?」
「は? 魔石術を使いたいのか? エルフが?」
「ダメですか?」
「ダメというか……エルフは魔石術を使わないってのが常識だったからな。そもそもエルフが魔石術を使えるかどうかもわからないぞ」
「もし使えたら今度危険な目にあった時に助かるかなと思ったんですけど……」
まあ確かに、使えたらかなり助かるだろうが……。
エルフが魔石術を使うことに違和感がありすぎて困惑していると、ヴァレーリアが予備の魔石の指輪を取り出してディアナに渡した。
「とりあえず使えるかどうか調べてみたらいいんじゃない? ディアナ、この指輪にはまっている青い魔石に指を当てて」
「はい」
「魔石の名前を唱えるの。それ以外は言っちゃダメよ? 魔石の名前は『マビー』」
「『マビー』」
そう唱えたディアナが次の瞬間ビクッとなる。
「音が聞こえます! なんですかこれ?」
「聞こえるのか⁉」
「はい、はっきりと」
魔石術を使える者には、魔石の音が聞こえる。しかも高位の魔石使いになるほど、その音ははっきり大きく聞こえるのだ。
魔石術を使えるエルフだと⁉
……本当に……こいつは想定外だ。
クィルガーから見たディアナ。
想定外のことばかり起こりますが
それでもディアナを守ろうとしてくれます。
次は 魔石術、です。