意外な来訪者
「今日は寒いな」
ハンカルが腕をさすりながら練習室に入ってきた。
「アルタカシークはこれくらいから急に冷えてくるからね」
とファリシュタがハンカルに答える。
「砂漠の国なのに冬は寒いと聞いた時は不思議に思ったが、本当にそうなんだな」
「砂漠の中と比べると王都の中は比較的マシなんだよ」
「そうなのか。面白いな、砂漠の気候は」
ハンカルはそう言って暖房灯の前で手をかざす。教室にはこのような暖房用の魔石装具がいくつか置いてある。熱石を使った魔石装具でランタンのような形をしていて、底の方に手で持てる柄がついている。
魔石使いが手を触れなくても長時間使える仕組みになっているらしいが、まだ授業で習ってないのでよくわからない。
感覚としては持ち運べる小さなストーブって感じなんだよね。
今の研究ではこれ以上暖かい範囲を大きくすることができないため、各教室には複数個の暖房灯が置いてある。
「ウヤト国には雪が降るって聞いたけど本当?」
ファリシュタがハンカルにそう尋ねる。
「ああ、たくさん降るよ。今頃ウヤトの王都は雪に覆われているだろうな」
「わぁ、そうなんだ。一度は見てみたいなぁ」
「そうか、ファリシュタは雪を見たことがないんだな」
「アルタカシークの人で見たことある人なんてほとんどいないよ」
そう言ってクスクス笑うファリシュタの側で私は声を上げた。
「九十九……百! ああー終わった……」
「お疲れさまディアナ」
「腹筋終わったのか?」
「ハァ……ハァ……あー、お腹がビリビリする」
私は足首を押さえてくれていたファリシュタにお礼を言って上半身を起こす。さっきから座席に敷いてある絨毯の上で腹筋をしていたのだ。
「そのマントで武術演技をするのがそんなに大変だとはな」
「ううー本当にこれは誤算だったよ……」
冬に入り、羽織るマントが冬用になった。これが、思った以上に重かったのだ。初めて冬マントをつけて武術演技を練習した時に私はマントの遠心力に引っ張られてバランスを崩した。
それ以来ラクス以上に私が筋トレ必須になってしまったのだ。
エルフの体は細くて軽いから、簡単に遠心力に負けちゃうんだよね。
演技の時だけマントを外したり夏用のマントにするという手もあったけれど、そうするのがなんとなく悔しくて、冬用のマントでも演じられるように筋トレを始めた。
寮の自分の部屋で筋トレをしているとなぜかパンムーも一緒にするようになって、筋力が増えたからか、いつの間にかアクロバティックな技を身につけていた。
パンムーがもう少し大きければ舞台の上に立てたのにな……。
そんなことを思い出しながら壇上の上に移動する。今日はラクスがいないので、一人で武術演技の練習をするのだ。
そうしてしばらく練習を続けていると、練習室の扉がコンコンとノックされ、ギィと開いた。
「みんな、いるか?」
そう言ってラクスがぴょこっと顔を出した。
「ラクス? どうしたの? 今日はシムディアクラブに行く日なんじゃ……」
「あー……それがさ、実は俺シムディアの方を辞めようと思って先輩に話をしに行ってたんだけど」
「え! ラクス、シムディアクラブ辞めるの?」
なぜか扉から頭だけ出したままラクスが答える。
「おう。あっちはまだ仮入部だったし、こっちの練習の方が楽しくなってきたからさ。で、それを言いに行ったら……」
そこでラクスは扉を大きく開ける。扉の向こう側に爽やかな笑顔のイバン王子が立っていた。
「イバン様⁉」
「やあ、ちょっとお邪魔してもいいかな?」
そう言ってラクスと一緒に部屋の中に入ってくる。後ろから王子のお付きの学生も二人入ってきた。
私とハンカルは一級の授業で会っているので少し驚くくらいで済んでいるが、全く接点のないファリシュタは目を見開いて固まっている。
「ど、どうしたんですか?」
私がそう尋ねるとイバン王子はフッと笑って、
「ラクスが辞めるとうちの副クラブ長に話しているところにたまたま出くわしてね、俺も一緒に理由を聞いたんだ」
と言ってラクスを見る。
「そう、だから俺演劇クラブのことを話したんだ。ディアナが作ろうとしてる今までにないクラブで、そっちの練習を本格的にしたいから辞めたい……って」
「それを聞いて興味が湧いてね。ラクスに内容を聞いてもいまいちよくわからないし、その新しい演劇というものがどういうものかこの目で見たくなったんだ」
王子はそう言ってニコッと笑う。
「ディアナの作ろうとしている劇を見せてもらえるかい?」
「い、今からですか?」
私は予想外の申し出にパチパチと目を瞬かせる。
うーん、どうしようかな。練習は積んできたけどまだ最初のシーンと次の魔獣との戦いのシーンまでしかできてないんだよねぇ。ああでも、ここで初めて観る人の意見を聞けるのはいいかも。
王子の申し出を断るのも失礼だしね。
「まだ半分くらいしかできてませんけど、それでもよければ」
「ディアナ⁉」
私の答えにハンカルが驚いた声をあげる。
「大丈夫だよハンカル、練習してきた通りにできればちゃんと観れるものになると思うよ」
「だが太鼓はまだ用意できてないぞ?」
「太鼓? 太鼓を使うのかい?」
イバン王子が首を傾げて私に聞いてくる。
「はい。本当は低い音の鳴る太鼓を使いたいんですが、それはまだないので今日は机を叩く音になります」
「ラクスが音出しを使うと言っていたが本当なんだな」
王子の後ろでラクスがうんうんと頷いている。
「シムディアクラブの方は大丈夫なんですか?」
「副クラブ長に任せてきたから大丈夫だよ」
その言葉とは裏腹にお付きの学生の顔が顰めっ面になる。どうやら大丈夫ではないらしい。
これは……さっさと披露して早めに帰ってもらった方が良さそうだね。
一番上の席に王子とお付きの人に座ってもらい、私たちは打ち合わせをする。
「とりあえず冒頭から途中の魔獣との戦いのシーンまでやろう」
「わかった」
「大丈夫か? ファリシュタ」
「……だ、だ、だだダメかも……」
急に大国の王子の前で披露することになってファリシュタが今にも泣きそうな顔になっている。私たちとはリラックスして話せるようになったけれど、ファリシュタの人見知りが治ったわけではないのだ。
「ファリシュタ、あれやろう。あれ」
「え?」
「私が試験の時に教えてあげた、あれだよ」
「あ」
私はそう言ってファリシュタに悪戯っぽく笑う。怪訝な顔をするハンカルとラクスにも同じ動きをしてもらうようにお願いして、私は本番前にやるルーティーンを始めた。
首をゆっくりと左右に倒して首の筋肉を伸ばし、次に肩をギュッと上げてそこから一気に脱力する。最後に深呼吸を数回して終わりだ。
「肩の力抜けた?」
「うん……少し抜けたかも」
「おお、なんか体が熱くなってきたぞ」
「面白い動きだな、これ」
ラクスとハンカルも気に入ったみたいだ。
これ、毎回やってもいいかもね。
ファリシュタとハンカルが一番前の席に座ってそれぞれの音出しを持つ。ちなみに柄付きのカスタネットは試作品ができたところで、まだ音の鳴り方が弱いのでこれから改良するつもりだ。
私とラクスは壇上の端にしゃがんで控える。
劇の始まりは私のナレーションからだ。物語の冒頭の村が魔獣に襲われる描写を真剣なトーンで話していく。
「む! これは……クィルガー様の話では?」
イバン王子のお付きの人がそこにすぐに気付いた。
さすがシムディアクラブの人たちだね。クィルガーの話ってすぐわかるんだ。
「あの本を題材にするのか。それはいい」
クィルガーの物語はやはり騎士志望の人には刺さるらしい。王子と他の二人は興味を持った顔で舞台を見つめる。
私のナレーションが終わり、クィルガーと兵士が言い合う場面になった。
ラクスがお腹に力を入れてクィルガーの台詞を喋る。最初のころに比べてとても演劇らしい喋り方になっている。
対する私の声は頑張って低く出しても男兵士のものには聞こえないが、そこはなんとか演技力でカバーだ。そして二人が力比べをするシーンになった。
私とラクスは模造剣を持って対峙する。さぁ、ここからが本番だ。私とラクスは視線を合わせると、コクリと頷く。それを合図にハンカルがバチで机を叩き出した。少し早いリズムで音に合わせてまずは私から攻撃を仕掛ける。
私の振りかぶった剣をラクスの剣が受け止める。その瞬間ファリシュタのカスタネットがカン! と鳴った。
そこから私が連続で剣を振る。たまにくるりと剣を回しながら派手な動きでラクスを追い詰めていく。剣と剣がぶつかるたびにカスタネットの音が響く。
ラクスが反撃に転じ、私はその攻撃をバク転で避ける。その瞬間客席の三人から「おおっ」と声が上がった。
その後もラクスが足元への攻撃をジャンプして避けたり、剣だけでなく蹴りでの攻撃を入れたりしながら戦闘は続く。ハンカルの叩く音がその緊迫した空気を表すように少しずつ大きくなってきた。
私は徐々にラクスに追い詰められて、そして最後にカスタネットの大きな音とともに派手に後方へ吹っ飛んだ。もちろんこれは自分で後ろに飛んでいる。
倒れた私に剣を突きつけ、ラクスが「これでお前は俺の仲間だ」と決め台詞を言ってそのシーンが終わった。
再び壇上の隅にはけながらチラリと見ると、客席の三人は目を見開いて固まっている。どうやら驚かすことには成功したらしい。
よしよし、インパクトは与えられたみたいだね。
次は村で暴れている魔獣を追い払うシーンだ。私は用意していた黒い布を被って壇上に上がる。私が足を大きくあげて踏み込む度にファリシュタとハンカルの二つの音が響く。ここは太鼓で鳴らせば魔獣がズンズンと歩いているように見えるはずだ。
私の背丈でやるから全然迫力はないけどね。
そこへラクスがやってきて魔獣に向かって「そこまでだ!」と叫ぶ。私はラクスに気付いたそぶりを見せて黒い布からにゅっと剣を二本突き出した。一応これは魔獣の爪という設定だ。
「今度は二刀流か」
イバン王子が楽しそうな声を出す。
今度はラクスから攻撃を仕掛け、私が二本の剣でそれを受けていく。魔獣の方が大きいことを表すためにラクスは腰をかがめた姿勢で剣を振る。
私は爪先立ちになりながらラクスの攻撃をくるりとかわした。黒い布がぶわりと舞う。
三本の剣で打ち合うと、二本の時より剣のぶつかる音が多いのでファリシュタは大変だ。でもなんとかついてきてくれている。
ハンカルの叩く一定の音も切迫した雰囲気をよく伝えていた。
さっきの兵士とクィルガーの戦いの時にはなかった、魔獣らしいトリッキーな動きをこっちでは入れてみた。四つ足でジャンプしてみたり、ゴロリと床を転がってみたり。
ラクスはそれに翻弄されながらも魔獣を追い詰めていく。
そしてラクスの剣が私の頭の上に振り下ろされようとした瞬間、私は隠し持っていた黒い布をラクスにバサッと被せた。これは魔獣が目眩しに使う黒いブレスを表したものだ。
布を被せられてラクスがもがいているうちに、私は場外へと逃げていった。
「くそ! 逃したか!」
ラクスが周りを見回しながら叫んでいる間に、私は布を取り魔獣が逃げた反対側からまた登場する。
「クィルガー様! 魔獣が村の娘を攫って逃げていったという報告がありました!」
「なんだと!」
「村長は娘一人くらいは仕方ないと言ってますが……」
「仕方ないわけないだろう! 娘を助けるためにすぐに魔獣を追うぞ!」
「は!」
今できてるシーンはここまでだ。
私は舞台中央まで進み、客席に向かってこちらの世界のお辞儀をする。ラクスもそれを見て同じようにお辞儀をした。
ファリシュタとハンカルもほっと息を吐いている。
「今練習できているのはここまでです。いかがでしたか?」
私は顔をあげてイバン王子に問いかける。王子は組んでいた腕をほどき、感心したような声を出した。
「いや、予想外でとても楽しめた。私の知っている劇とは違っていたので驚いたぞ」
「イバン様は劇をご覧になったことがあるのですか?」
「ああ、国の代表としてジャヌビ国に行った時にな」
「ええ! うちの国でですか⁉」
「そういえばラクスはジャヌビの者だったな。確か国王の在位何周年かを祝う祭典に招待された時だったと思う。街で評判の旅芸人が国王の前で劇を披露したのだ」
「ああ、数年前にあった祭りですね」
うわぁ……王様の前で劇なんて平民の旅芸人にとってはかなりの重圧だっただろうな。
「どんな演目だったんですか?」
「ジャヌビ国を作った初代王を讃える劇だったな。だが今見たような派手な動きはないし、音出しを使ってもなかった」
「それが一般的な平民の劇ですからね」
「そうなのか」
「私はそれとは違う新しい劇を作りたいんです」
私がそう言うとイバン王子はうむ、と頷く。
「確かに、新しいとは感じた。ディアナはこういう劇をやるクラブを作りたいのか」
「はい」
私は学院側から言われている条件と、年明けに寮の談話室で勧誘するために劇を披露する予定だと王子に伝える。
「そうか……確かにこの劇を見たらやりたいと思う者もいるかもしれないな」
「本当ですか?」
「ああ。いや、今日は思いがけずいいものを見せてもらった。礼を言うぞ、ディアナ」
「いえ、こちらこそ貴重なご意見を頂けて嬉しかったです」
イバン王子は笑顔でそれに応えると、ラクスに「お前のやりたいことはわかった。シムディアクラブを辞めるのは残念だが、応援してるぞラクス」と声をかけて教室を出ていく。
お付きの人のうち背の低い方の男子がチラチラとこちらを振り返るようにして出ていった。
王子の姿が見えなくなって、私たちは「はぁぁぁぁ——……」と長い息を吐く。
「つ、疲れたぞー」
「お疲れラクス。ファリシュタとハンカルも。初めてのお披露目にしては上手くいったと思うよ」
「まだ胸がドキドキしてるよ……」
「俺も」
いきなりの本番、しかも大国の王子の前で披露したのだ。その緊張はよくわかる。
私も緊張したけど、この感覚が懐かしくて途中から楽しくなっちゃったな。
「でも披露したおかげで手応えは感じられたし、よかったんじゃないかな」
「確かに…イバン様に楽しかったって言われたのは自信になるよな!」
私の言葉にラクスが笑顔で頷く。それにつられてファリシュタとハンカルも笑顔になる。そんな三人を見回して私は気合を入れようと拳を突き上げた。
「この調子でこれからも頑張ろう」
「おー!」
「うん」
「ああ」
バラバラだね!
突然の王子訪問でした。
劇の評価をもらえてほっと一安心です。
次は中間テスト、です。




