ラクスの才能
「おおー、ここかぁ!」
「明るい教室だね」
ラクスとファリシュタが弾んだ声をあげる。
この日は初めてソヤリに手配してもらった演劇の練習室にやってきた。場所は校舎三階の小教室で、アーチ状の窓から燦々と太陽の光が降り注いでいる。私とファリシュタとラクスは窓際に駆け寄って外を覗く。
「この真下にあるのは先生たちがいる教員棟だね」
「教員棟?」
「先生たちが寝泊まりする館だよ」
ファリシュタに教えてもらって初めて先生たちも学院の敷地内に宿泊していたことを知った。
「アルタカシークの出身じゃない先生もいるからな」
後ろからハンカルが近付いてきて言う。
「そっか……先生の生活とか考えたことなかったなぁ」
教員棟の向こう側には学院の境界を示す城壁のようなものが左右に走っていて、その奥にさらに別の建物があるのが見えた。
「あっちには何があるのかな?」
「確か馬車留めがあったはずだよ。ほら、お城に上がるには馬車や馬が必須だから、登城する貴族の分の馬車を置いておく場所が必要なんだよ」
「あ、そっか……みんな馬車で登ってくるからそういう場所がいるんだね」
「試験の時私は乗合馬車だったけど、ディアナはお家の馬車で来たでしょう? 多分ディアナを降ろしたあとあそこで待機してたんだと思うよ」
「なるほど」
王宮を含む執務館や学院などへ通う貴族の馬車を留めておくのだから、かなりの敷地が必要なことがわかる。
「ほら、いつまでも外見てないで。ここには練習しに来たんだろう?」
「あはは、ごめんハンカル。三階の教室にくるのが初めてだったからつい」
「一年の授業は二階の教室が多いからな」
ラクスと笑いながら教室の真ん中に戻り、私は持ってきた荷物を一番前の机に置いた。仮メンバーの三人も私の周りに集まる。
「はいこれ、新しい台本。一部しかないけどちょっと読んでみて」
「台本できたのか?」
「うん」
台本を開いているファリシュタの左右からハンカルとラクスが覗き込む。ファリシュタはその状況に少し戸惑いながら台本のページを捲る。しばらく読んだあとラクスが口を開いた。
「なあこれ、ほとんど戦いのシーンだけどいいのか?」
「ふっふっふん。いいんです」
「ねぇディアナ、この武術演技ってなに?」
ファリシュタの問いに私は笑顔で答える。
「劇用の武器を持って戦っているように見せる演技だよ。今回は剣を使おうと思ってる」
私はそう言って荷物から長さ五十センチくらいの木の棒を出す。握る部分には滑り止め用の布を巻いている。
「やっぱり話はクィルガーの物語にしようと思って、で、演技をしたことのないラクスでもそれなりに上手く見えて、かつ派手になるシーンはないかなって考えたんだ」
「それがこの戦闘シーンか?」
「そう。言ったよね? 私がしたいのは新しい演劇だって。この武術演技も考えていた一つなんだよ」
武術演技という言葉は私が考えた。これはいわゆる「剣舞」や「殺陣」のことだ。舞や踊りと言うとマズいので「これはあくまで演技ですから」という意味も込めて武術演技という名前にした。
私はミュージカル女優を目指していたころ、演技の勉強になるかもと武術や殺陣を習ったことがある。それをラクスとやってみたらどうかと思ったのだ。
「ちょっとやってみるから見てて」
ラクスとハンカルに教卓を教室の端に動かしてもらって、私は一人教壇の真ん中に立った。木の棒を左手で逆手に持ち腰の位置に固定して、右手を棒の握りに添える。
スゥ——、ハァ——。
深呼吸をして腰を落とし、目を開ける。次の瞬間、右足を斜め右に踏み込んで木の棒を横一閃に振る。ビュンッという音がして木の棒が少ししなる。私は流れを止めずにそのまま木の棒を次々と振って、さらにくるりと回転しドンッと足で床を鳴らしてポーズを決める。
三人の驚いた顔を視界の端に捉えながら、その後も剣舞を続ける。私が習得した剣舞は緩急の差が激しくて、ゆったりとした構えを見せながら次の瞬間に素早い技を連続で繰り出すというものだから、舞台映えするのは間違いない。
でもこれ、練習しててよかった。してなかったら絶対体痛めてる。
剣舞にしようと思いついた時に部屋で思い出しながら体を動かしてみたのだが、足がついていかなくて盛大に転けたのだ。それを見ていたパンムーもびっくりしてベッドから落ちた。
途中回し蹴りを入れながら剣を振り、最後に真上から剣を振り下ろしてフィニッシュ。
「ふぅ……。とまあ、こんな感じ」
私が木の棒を腰の位置に戻して顔を上げると、三人ともポカンと口を開けたまま目を見開いていた。
あ、あれ、ちょっとやりすぎちゃったかな?
怪しまれないよう素人っぽく見えるように舞ったつもりだったんだけど、三人の反応を見ているとそうでもないっぽい……。
私が密かに冷や汗をかいていると、ラクスがぷるぷると体を揺らして言った。
「すっっっっっっっげぇ‼ なんだ今の! あれなんの剣の型だ? 見たことないぞ!」
と興奮して私に迫ってくる。よかった、ラクスは素直に感動してくれたみたいだ。
「自分で考えた演技だからなんの型とかはないよ。私本物の剣術とか知らないし」
「そうなのか⁉ あんなの作れるなんてディアナはすごいな!」
「そ、そうかな」
「俺も今のやつやってみたい! 教えてくれディアナ!」
ラクスはそう言って私の手を握りブンブンと上下に振る。
「も、もちろん。ラクスにやってもらいたいから作ったものだし。今のは一人の演技だったけど、ラクスと私で合わせ技みたいにしたいなと思ってるんだ」
「合わせ技か。面白そうだな」
そこで私は他の二人にも話を振る。
「ファリシュタとハンカルにも音出しで参加してもらいたいんだけど」
「……この武術演技に音を入れるの?」
ファリシュタが目を瞬きながら首を傾げる。ハンカルはまだ驚きから立ち直れてないみたいだ。
「そう。できれば一定の間隔で太鼓を叩く人と、二人の剣が合わさった時に高い音を鳴らす人が欲しいんだ」
とりあえず高い音は拍子木でいけるだろう。太鼓はまたソヤリさんに相談かな。
私は荷物からバチのような棒二本と拍子木を取り出して二人の前に出す。そこでようやく驚きから回復したらしいハンカルが口を開いた。
「……この細い棒やさっきの木の棒はどうしたんだ?」
「……実は寮の前庭に落ちてる枝を拾って自分で削って作った」
「自分で……」
「だって私騎士の訓練受けてるわけじゃないから剣とか持ってないし、ていうか本物の剣は重いだろうからあんなに動けないし」
通常学生は武器を身につけていないが、中には護身用の短剣を懐に入れていたり、訓練用に武器を貸してもらう人もいるしい。ちなみに私もクィルガーから護身用のナイフを渡されている。
私は自作の棒を触りながらハンカルに説明する。
「本当はもっとしなりのある模造剣がいいんだけどね。しなりがある方が音が出るから」
「しなりか……バンブクの木があれば作れるかもしれないな」
「バンブク?」
「俺の国やリンシャークなんかでよく見る木だ。節のある木で中が空洞になってるんだ。水筒として使う人もよくいるよ」
それって竹じゃない? わぁ! こっちにも竹があるんだ!
「その木ってここの中庭には植えられてないかな?」
「どうだったかな。比較的丈夫な木だから、もしかしたらアルタカシークでも育ってるかもしれない。今度探してみるよ」
それからファリシュタとハンカルはバチのような棒で一定の間隔で叩く練習を始めた。ここにはメトロノームみたいに一定のリズムを刻むものはないので、穴の空いたメダルで簡単な振り子装置を作った。
この世界には振り子時計が存在しているので怪しまれることはない。振り子があるんだったらメトロノームもいつか作れるかもしれない。
音出しの練習は二人に任せて、私はラクスと剣舞の練習をする。ラクスは口で言うより実際にやって見せた方が覚えが早いので、私の動きを真似してもらって基本の形を教えていく。
「どの動きでもそうなんだけど、一番大事なのは重心をちゃんと意識すること」
「重心ってなんだ?」
「体の質量の中心ってこと。おへその下あたりに力を入れろとか言われたことない?」
「ああ、シムディアの練習の時に言われたな。この辺に力を入れて剣を振れって」
そう言ってラクスは腰の下あたりに手をやる。
「そう、そこをブレないように意識することで、剣を振り回したり回転したりしてもぐらつかないようになるんだよ」
こんなふうに、と私はラクスの前でくるりとターンする。このターンはバレエで習ったものだ。「頭のてっぺんから足先まで一本の糸で刺されてると思って。その軸をブラさずに上に引き上げるように回るのよ」とバレエの先生からよく言われた。
最初はぎこちない動きで回っていたラクスは私が意識するところを指摘していくと「ああ、こういうことか」とすぐに修正してくる。
ラクスはスポンジみたいだね。素直に吸収するから上達が早い。
基本的な動きを練習したあとは剣に見立てた木の棒を持って動いてみる。なにも持っていない時と比べてさらにバランスを取るのが難しくなるが、ラクスは本物の剣を持ってシムディアクラブで練習してるだけあって、剣の動きに振り回されることはない。
私は木の棒を振り回すラクスと見てうーんと腕を組む。
ラクスに剣舞に足りないものはしなやかさかな。
実際の剣の訓練で培われた速さと力強さが勝ってしまって悪い意味でたくましい。これでは私の舞と綺麗に合わない。
でも舞うっていう意味をどう伝えたらいいんだろう。
歌も踊りも禁忌のこの世界では、それに関する言葉にも気をつけないといけない。
舞う……舞う……あ、そうだ。
私は帯に巻いてる予備のスカーフをシュルシュルと解いてそれをラクスの木の棒の先端にくくりつける。
「なんだこれ?」
「ラクス、棒を振ったときにこの布が優雅に舞うように動いてみて」
「優雅に?」
怪訝な顔をしながらラクスが木の棒を振る。力のままに振るとスカーフはバタバタっという音を立てて急激に萎む。ラクスがそれを見てムムッと眉を寄せる。
「もっと体のバネを意識して、しなるように動いてみて」
ラクスがもう一度棒を振る。今度は振り切らずに途中で手首のスナップを効かせる。するとスカーフがふわりと舞った。
「そうそう、いい感じ」
「なるほど。そういうことか」
ラクスが口の端を上げて目を輝かせる。そこから驚くような集中力で次々と動きを覚えていく。
すごい……! 普通の人なら何ヶ月もかかる動きを全部覚えていってる。
しかしラクスの才能に驚いたのはそのあとだった。
ファリシュタとハンカルが一定のリズムで叩けるようになったのでその音に合わせてみることになったのだ。
コツコツコツコツ、と二人に叩いてもらう。速度は多分六十くらい。一秒に一回の間隔だ。少し遅いが最初なのでこれくらいからでいいだろう。
ラクスは私が舞った剣舞の三分の二を覚えていた。それを音に合わせて動いてもらう。
「まずは私が見本を見せるね」
私はそう言ってその音に合わせて剣舞を舞う。さっきみんなに見せたものよりゆっくりした動きになってるが、音がある分とてもメリハリがある。音に合わせて踏み込んで、音に合わせて回転する。
ああ、リズムがある。これだけで十分に音楽だよ。
私は舞いながら少し感動していた。これは演劇だって言い張るつもりだけれど、私にとっては立派な踊りだ。音に合わせて踊る、それだけで溜め込んでいた音楽欲がぐんぐん膨らんでいく。
ああ、音楽を鳴らしたいな。歌って踊りたいな。
私は膨らんだその欲を胸の奥に押さえ込んで舞を終えた。ラクスはそんな私の動きをじっと見つめたあと「よし、覚えたぞ」と言って壇上に上がってきた。私はラクスと入れ替わって前の席に座る。
そしてラクスの武術演技が始まった。
「え……」
私は驚いて目を見開く。ラクスが私の舞の通りに動いている。木の棒を振る動きに少しのズレはあるが、足の動きが完璧なのだ。音に合わせるとなると上半身と下半身がバラバラになることがよくある。だがラクスは足元の動きに自然に上半身がついていってるように見える。
ちょっと待って……ラクス、リズムに乗ってない?
注意深くみていると、音に合わせて足を踏み込むときにだけ足音が大きくなっている。拍子を体が覚えている証拠だ。
いくら覚えが早いと言ってもリズムに乗るってすぐにできる?
私が唖然としている間にラクスの演技が終わった。それを見てファリシュタが感動した声をあげる。
「すごいよラクス! ディアナの動きとほとんど変わらなかったよ」
「へへへ、そうか?」
「ああ、正直驚いたよ」
ハンカルも感心した顔になる。
「どうだった? ディアナ」
「うん、すごいよかったよ。ラクスには音に乗れる才能があるんだね」
「音に乗れる?」
「ねぇラクス、今までに音に合わせてこういう動きってしたことある?」
「え? いや、な、ないけど」
私がそう質問すると、わかりやすいくらいラクスの目が泳いだ。
これは、多分なんかあるね……。
私はその場ではそれ以上聞かずに練習を続けた。今度は私とラクスの演技を合わせないといけない。やることはたくさんあるのだ。
普通の演技だけではなく、動きのある剣舞のようなものを
取り入れることにしたディアナ。
ラクスに予想外の才能がありました。
次は武術演技と音出しの起源、です。




