ファリシュタの悩み
図書館の閉館時間が迫ってきたので、私は本を元に戻そうと本棚に向かう。
「えーっと、これはこの辺にあったよね」
と、なんとなく元の場所へ戻すけれど、戻したところで本棚はぐちゃぐちゃだ。
うう……別に几帳面な方じゃないけど、こんな整理されてない本棚見るとなんか気持ち悪いね。せめて伝記と物語に分けたいよ……。
あと物語の中でも概要本、冒険もの、恋愛ものとかにジャンル分けしたい。
見れば見るほどうずうずしてきて、私はたまらず荷物を持ってカウンターへ行った。
「あのー、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「なにかしら?」
「本棚の整理ってこれ以上はしない感じですか?」
「あら、乱雑に本が積まれてるところがあった?」
「いえ、本の積み方じゃなくて、本の並びのことです」
「本の並び?」
「そのージャンルによって分けるとか、タイトル順に並べるとか……」
「あーそこまではしないわねぇ。しないというか、できないのよ司書の数が少なくて」
まぁ確かに少ない人数でこの膨大な本を管理するのは難しいよね。番号の振り分けも細かくはされてないし。
「せめて十八番の本棚だけでも整理したいんですけど……」
「あ、じゃあ、あなたやってくれない?」
「え? いいんですか?」
「どうせこっちでは手が回らないし、本を傷つけたりしなければいいわよ」
やった! 十八番の本棚はこれからもお世話になるし、自分が整理できるんだったらどんな本があるのか把握しやすくなる。
「じゃあ今度からやってみます!」
「一応どんな並びに整理するのか司書の誰かに伝えてからやってね」
「はい!」
どんな風に整理しようかなー、私以外の人にもわかりやすく印とかつけられるといいんだけど。
本棚の整理の仕方を考えながら図書館の入り口を出て外階段を降りようとしたところで、私は足を止めた。視線の先には学院の中庭の木々が広がっているのだが、その隅の方にファリシュタが座っているのが見えたのだ。
ファリシュタ? 今日は部屋で勉強するって言ってたのに……。
私は階段を下りてそちらに向かう。ファリシュタがいるのは中庭の隅の木々の間にあるベンチで、階段を下りるとその姿はほとんど見えなくなる。
あんなところでなにしてるんだろ……。
近くまで寄ると、ファリシュタがなにかを手に持って俯いてるのがわかった。背の低い木々をガサガサと手で避けながら私は声をかける。
「ファリシュタ?」
「え! ディアナ……」
驚いて顔をあげるファリシュタの目には涙が溜まっていた。それを見て、私はファリシュタの側に駆け寄る。
「どうしたの? ファリシュタ。なにかあったの?」
「あ……ううん……なんでも」
ファリシュタはそう言って眉をハの字に下げて首を振った。
「なんでもないわけないじゃない。こんなに涙溜めて……。なにがあったの?」
「…………」
「私には話せないこと?」
「…………」
「もしかして私が原因とか?」
「ち、違うよ!」
私の言葉にファリシュタはガバッと顔を上げる。そして私の目を見つめたあと、キュッと口を結んで手元に視線を落とした。
ファリシュタの手には一枚のハンカチが握られていて、その縁に美しい刺繍が刺されている。
「それ、いつも持ってるよね。この綺麗な刺繍はファリシュタが刺したの?」
「あ、ううん、これは……」
そう言って大事そうにハンカチを握るファリシュタの姿にピンとくる。
「もしかして、お母様が?」
「……!」
やっぱりそうか。
私は背中まで垂れ下がってる自分のスカーフの先っちょを手繰り寄せて、ファリシュタに見せる。
「私のこのスカーフの刺繍もお母様が刺してくれたんだよ」
「ディアナのお母様って養母様?」
「そう。正式に親子になるのは来年だけどね。ほら、ここ、ファリシュタのハンカチにも同じ模様が入ってる」
「うん……鷹の模様だね」
「鷹の模様には悪いものから身を守る魔除けの意味があるって言ってた」
「うん、そうだね」
「ファリシュタのお母様も心配して刺してくれたんだね、きっと」
そう言うと、ファリシュタの目からほたほたと涙がこぼれ落ちた。
「ディアナ……うー……」
涙が止まらないファリシュタを私は横から抱きしめる。ヴァレーリアがいつもやってくれるみたいに。すると、今まで我慢していたものを吐き出すように、ファリシュタは腕の中で肩を振るわせた。
しばらくして落ち着いたファリシュタが、ぽつぽつと自分のことを話してくれた。
自分は「特殊貴族」で貧しい平民の出身であること、家族のために貴族になったけれど、その代わり家族とは会えなくなったこと。
学院内は平等だというが、実際は特殊貴族に対して当たりが厳しいらしく、寮の同室の子たちに初日でそれがバレて仲間外れにされていること。
ああ、初日でファリシュタの声が元気なくなったの、それが原因だったのか。
それでも夜はよく眠れているし、勉強を一生懸命やっていれば気にならなくなるだろうと思って過ごしていたけれど、その勉強もついていくのがやっとで焦りが出てきたこと。
「そんな時に同室の子にちょっときついこと言われて、それで気持ちが抑えられなくなって、ここまで逃げてきたの」
「そうだったんだ……辛かったね、ファリシュタ」
「わ、私っ自分のことを言われるのはいいの。平民出身なのは本当のことだし、成績もいい方じゃないし。でも……」
「うん」
「ディ、ディアナのこと『高位貴族で一級だからって目立ってるけど、本当は没落した貴族なんでしょう? 何様のつもりなのかしら』って言われて私それが許せなくて……っ」
おおぅ、私ってそんな風に言われてるんだ。ていうか、その情報ってもうそんなに広まってるの? 早いね。
「ディアナは記憶を失くして大変なのに、本人と話したこともないくせにそんなこと言うなんて酷い! って。……でも私には言い返すこともできなくて、それが悔しくて……」
そう言ってファリシュタはまた涙を流す。
ファリシュタは本当に優しいなぁ。
私は記憶を失くしてるのは事実だが、没落貴族ではないし、実はエルフだ。それを友達に隠してることに胸がチクリと痛んだ。
「ありがとうファリシュタ、話してくれて。特殊貴族ってことも言いにくかったよね」
「あの、わ、私が特殊貴族でも……ディアナは友達でいてくれる?」
「当たり前でしょ。友達になるのに身分なんて関係ないよ。ファリシュタこそいいの? 元没落貴族の私と一緒にいたら、これからも色々言われると思うよ?」
「私、ディアナといると元気が出るの。なぜか自分も頑張ろうって思えるんだ。そんな友達はディアナしかいないよ」
あー! 可愛い! なにそれ!
私はファリシュタを思わず抱きしめる。ぎゅうぎゅうと腕に力を入れると「痛いよディアナ」と言ってファリシュタが笑い出した。
「あ、そうだ。ファリシュタにいいものあげる」
「え?」
「ふっふっふん。絶対元気が出るいいもの、だよ」
私はそう言ってファリシュタの手を引っ張って寮の方に向かった。
寮の自分の部屋の中に入るとファリシュタがきょときょとしながらついてきた。
「個室ってこんな感じなんだね……」
戸惑いがちに入ってくるファリシュタをヤパンの上に座らせて、私は棚に置いてるコモラの箱を手に取った。それをテーブルの上に乗せて蓋を開ける。
「じゃじゃーん!」
「わぁ! すごい! これ全部クッキー?」
「そうだよ。私の大好きな料理人さんが作ってくれた特製クッキーなんだ。ファリシュタ、食べてみて」
「いいの?」
「自慢のクッキーだから食べて欲しいの!」
そう言うとファリシュタは箱からそっとクッキーをつまみ上げて一口かじりついた。ザクザクといい音が聞こえる。
「わ! 美味しい!」
「でしょでしょ!」
私も一枚取って口に入れる。クッキー生地の中に歯応えのいいナッツの食感が広がった。
「んんー! やっぱりコモラのクッキーは美味しい。最高」
「コモラさんって言うの? このクッキーを作った人」
「うん。コモラの作る料理はなんでも美味しいんだよ」
「へぇ。コモラさんの作るシャリクとか食べてみたいね」
「あー! いいね! 絶対美味しいよ。あ、そういえば前にファリシュタが屋台のシャリク食べたことあるって言ってたのって……」
「うん。小さいころに家族で食べたことあったから」
「そうだったんだ」
もうすぐ夕食の時間になるが、美味しいクッキーの感動を分かち合えるのが嬉しくて二人で夢中で食べてしまった。食べてるうちにファリシュタも元気が出てきたようで、雰囲気がいつもの柔らかい彼女に戻っている。美味しいものの力はやっぱり偉大だ。
「ごめんねディアナ、クッキー結構なくなっちゃった」
「いいよ。こういう時のためのクッキーなんだから」
私はそう言ってニカっと笑う。するとファリシュタが不思議そうな顔をして聞いてきた。
「ディアナはなんでそんなに明るくいられるの? 周りの噂話とかもあまり気にしてないよね」
「うーん……そうだねぇ。自分のやりたいことに必死で、そっちに目がいかないからかな」
「やりたいこと……ってこの前言ってたこと?」
「うん」
まだ準備は整ってないけど、ファリシュタには言っちゃっていいか。
私は自分が演劇クラブを作ろうとしていること、その条件としてオール五点の成績を取ることと、部員を集めることを学院側から提示されていることを告げる。
「え、演劇クラブ?」
「そう、演劇クラブ。ファリシュタは演劇って観たことある?」
「小さいころに街に来てた旅芸人の劇だったら観たことあるよ」
おお、こんなところに経験者が!
「どんなだった?」
「子ども向けの昔話を題材にした劇だったよ。結構身振り手振りが大袈裟でみんなで笑って観てた」
そう言ってファリシュタは懐かしそうに微笑む。
身振り手振りが大袈裟ってことはコメディだったのかな、その劇。
「その劇をこの学院でするの?」
「うん。したいんだけど、でも貴族の子どもで劇を観たことがある人は少ないからどうしようかなって」
「そうだよねぇ。劇って平民が観るものって感じだし」
「でもね、題材を貴族向けにして、演出をもっと凝ったものにすれば学生にもウケるものが作れると思うんだよ」
「ディアナにはその劇のイメージがはっきり見えてるんだね」
「見えてるよ! 絶対面白いものができるって」
そう言って握り拳を作りフーン! と鼻息荒くしてる私を見て、ファリシュタが笑いだした。
「ディアナ、すごく楽しそう」
「楽しいよ、本当にやりたいことだもん。だから周りの噂とか気にしてる暇がないの。演劇クラブを作るためにいい成績取らなきゃいけないし、部員の勧誘だってしなくちゃいけないんだから」
「そうだね、大忙しだねディアナは」
「そ! 本当は誰かに手伝ってもらいたいくらい忙し……あ」
私はそこではたと気づき、目の前のファリシュタの顔を覗き込む。
「ディアナ?」
「ねぇファリシュタ、私のこと助けてくれない?」
「え?」
「今日ね、図書館で劇の題材になる物語がないか探してたんだけど、本棚がぐちゃぐちゃで効率的に探せなくて、司書さんに話したら私が整理していいって言われたから、今度から本棚の整理しつつ物語を探す予定なんだ」
「それは結構大変そうだね」
「うん、だからファリシュタが整理のお手伝いしてくれるとすごく助かるんだけど」
「本の整理か……うん、いいよ」
「ほんと⁉」
「そういう雑用っぽいことは得意なんだ。人前に出なくていいならディアナの演劇クラブのお手伝いしたいな」
「やった! ありがとうファリシュタ!」
私はファリシュタの手を握ってブンブン振って喜んだ。こんなに早く演劇クラブの仲間ができるとは思わなかったので、めちゃくちゃ嬉しい。
私たちはその後、本の整理の仕方についてあれこれ意見を言い合いながら食堂に向かった。
しかし特殊貴族かぁ……貴族の中にも色々とあるんだね。私本当に知らないことが多いなぁ。もっと周りのことちゃんと見なきゃ……。
ファリシュタの悩みを聞くことで
彼女との距離が縮まりました。
コモラのクッキーは偉大です。
次は基礎魔石術学 青の章、です。




