基礎魔石術学、赤の章
各魔石術学の合間に歴史や法律や算学という一般教養の授業を受ける。
うう……入試のためにこの大陸の歴史をざっと学んだけど、入学したら次は各地域の詳しい歴史を学んでいくとか聞いてないよ……。オール五点の最大の難関はこの歴史に違いない。
歴史の授業でメンタルを削られ、とぼとぼ歩いてる私にファリシュタが話しかける。
「今日の基礎魔石術学は赤の章だね」
「この前の緑の章は結局音合わせだけで終わっちゃったもんね。今日の授業は赤の魔石術を実際に使ったりするのかな」
「私、まだ音合わせそんなに上手くないから不安だよ」
ファリシュタは居残りでなんとか音合わせができるようになったが、まだ安定してできるまでは至っていないらしい。
「生徒の大半はそうだから大丈夫じゃない?」
「ディアナは赤の魔石術も使ったことあるの?」
「ううん、赤の魔石は初めてだよ」
「赤の魔石術は攻撃的なものが多くて危険だから」と、クィルガーが教えてくれなかったのだ。
確かにクィルガーが覚醒状態で使ったあの爆発も赤の魔石術だもんね。
誰かを傷つける力を持った魔石術は積極的に教えて欲しいとは思わなかったが、今日の授業ではそれを習う。
なんだか少しドキドキしてきた。
小教室で席に着くと、本鈴とともにオリエンテーションでも見たおばさん先生が入ってきた。
「みなさんまた会いましたね。アサスーラです。本日は基礎魔石術学の赤の章について勉強していきます。教科書と赤の魔石を配るので端の人から順番に回していってください」
アサスーラ先生はそう言ってテキパキと本と魔石を配り出す。ヘルミト先生と違って無駄がない。
「赤の魔石術は他のものと違って攻撃力のあるものが多数あります。使い方によっては他人を傷つけてしまう恐れもあるので、不用意に名を呼ばないように」
私は配られた小さな赤い魔石を手に持った。青や緑の魔石と違ってちょっと怖い。
「はじめに赤の魔石の力について説明します。その後実際に使ってみましょう。では教科書を開いて」
生徒たちがパラパラと教科書を捲ると、アサスーラ先生が通りのいい声で語り出す。
「赤の魔石は活力の魔石と呼ばれています。その理由は赤の魔石術には衝撃や熱を発生させる、つまりエネルギーを生む作用があるからです」
ほうほう、エネルギーか。なるほど。
「先の大戦までは赤の魔石術が優先的に研究されていました。攻撃力の高い魔石術を見つけた国が覇権を握る、そういう時代だったからです。ですがその時代は終わり、今は別のところでも活躍する魔石になりました。それがなにかわかりますか?」
先生の問いに、生徒たちが戸惑いながら首を傾げる。
別のところで活躍してる? なんだろ?
「答えは魔石装具です。今まで開発されたものは、赤の魔石と奇石の組み合わせで動く魔石装具がほとんどなのですよ」
「あ、そういえばそうだ」
クィルガーが持っていた携帯灯も、私の胸にかかっている発信機のような魔石装具にも赤の魔石がついていた。
「魔石装具についている赤の魔石は、奇石の力を増幅させる作用があるのです」
「ということは、ついてる魔石の色で魔石装具の作用が変わるってことですか?」
私は手を挙げてアサスーラ先生に質問する。
「そうです。赤の魔石と組み合わせると増幅し、黄の魔石と組み合わせると引き寄せる力が働きます。詳しくは魔石装具学で学ぶのでここではこれ以上言及しませんが、魔石装具が誕生したことで赤の魔石の違う使い道が示されたことは覚えておいてください」
先生がそう言うと、違う生徒がまた質問した。
「では今はあまり攻撃的な赤の魔石術は研究されていないんですか?」
「そうですね、学院では王の意向で赤の魔石術の研究は積極的にはされていません。ただ各国の事情はわかりませんけれど」
先生の言葉に、生徒たちが「それはそうだろうな」という顔をする。
まぁ軍事力に直接関わることだから、研究されてないってことはないよねきっと……。
「今日は衝撃の魔石術についてやっていきます。衝撃、といってもその効果は様々です」
先生が教卓に教科書を立てて「キジル」と赤の魔石の名を呼ぶと、先生のネックレスについている赤い魔石が光った。
「本を倒して」
そう命じると教科書がパタンと倒れる。
「このように小さな衝撃を与えることもできますし……」
先生は続けて教卓の下から小さなボールを取り出して、手に掲げ持って再び命令した。
「『キジル』……ボールを割って」
その瞬間、ボールがバン! という音とともに破裂する。突然の衝撃音に、生徒たちから「うわ!」「ひゃあ!」という声が上がった。
「このように、物体を破裂させる力を出すこともできます。力の調整は難しいのですが、これができるようにならないと次には進めません。赤の魔石術のコントロールができず、さっきのボールと同じようなことを人にしたらどうなるか、みなさん想像できますね?」
その言葉の意味を思わず想像してしまって私は顔を顰める。他の生徒も同じ顔だ。
「今日はこの本を倒すという魔石術をやっていきましょう。赤の魔石と音合わせをし、小さな力で本を倒すということができたら終了です」
そう言われて私は手元を見る。持ってるのは三級の魔石だ。
私は遠慮がちに手をあげて先生に報告する。
「あのー、先生。私この魔石だと上手く調整できない自信があるんですけど……」
そう言うと、耳ざとく聞きつけた嫌味王女様が今日も絶好調に絡んできた。
「まぁ! やる前からできないことを自慢するなんて変わってるわね」
「ディアナがそう報告する理由はちゃんとあるのですよ、ティエラルダ。ディアナ、あなたは一級でしたね」
「は、はい。あの、アサスーラ先生どうして私の名前を……」
「あら、そんなに驚くことではないですよ。私は受け持つ生徒の名前と顔は全て覚えていますから」
ええ! 全員の顔と名前を覚えてるの⁉ すごい記憶力!
「一級のあなたではこの魔石で調整するのは難しいでしょうから、こちらで様子を見ましょう」
そう言ってアサスーラ先生が最前列の一番端の席を指差したので、私は席を立ってそちらに移動する。
「この教室の中で他に一級は……ああ、いませんね。では他のみなさんは各自で挑戦してください。決して強い力で命じてはいけませんよ」
生徒たちを見回したあと、先生は端に座った私の前にやってきた。
「ディアナはもう音合わせは問題ないと聞いていますが」
「赤の魔石は初めて使うので、すぐできるかわかりませんけど」
「本を立ててやってみましょう」
私は自分の教科書を少し開いて机の上に立てる。赤の魔石を持って「キジル」と呼ぶと魔石からいつものトゥ——という音が聞こえた。
赤の魔石はミの音なんだね。
正面にいるアサスーラ先生がスッと体を横にずらしたのを確認して音合わせをする。ドからミまではすぐだ。魔石がシャンっと鳴って光り出したので、私は力をできるだけ抑えるイメージで命じた。
「本を倒して」
すると本が勢いよく前方に飛んでいき、バァン! と大きな音をたてて白板にぶつかった。
おへぇ……全然抑えられなかった。
「ぶっ飛んでしまいました……」
「気落ちしなくて大丈夫ですよ。これくらいだと予想はしていましたから」
アサスーラ先生はそう言って飛んでいった本を拾いにいってくれた。
ううう……視線が痛い。
派手にぶっ飛ばした私に他の生徒の視線が集まっている。ざわついている生徒に先生が「あなたたちは自分のことに集中しなさい」と言いながら戻ってきた。
「三級の魔石ではこれくらいの調整しかできないでしょう。本が破壊されなかっただけマシです」
「それって破壊した人がいたってことですか?」
「ええ、あなたと違って最初から調整する気がなかった困った双子がいたのですよ」
「え、先生それって……」
「彼らのような生徒がいるから、こういう調整の授業が必要なのですよ」
そう言ってアサスーラ先生は意味ありげな視線を向ける。うちの双子のことを言ってるのは明白だった。
「トグリとチャプは一級だったんですね」
「あら、知らなかったのですか?」
「はい……」
「高位の魔石使いであればあるほど、力のコントロールは必要になります。彼らにそれを教えるのは骨が折れましたが、あなたは大丈夫そうですね」
「これ以上抑えなくていいんですか?」
「自分と合わない大きさの魔石で魔石術を使うのは一年生の間だけですから、問題ありませんよ」
よかった。これはこれでできるまで居残りなのかと思ってた。
「それに何回も試したら教科書がボロボロになってしまいますしね」
「……それもそうですね」
私はそれから自分の席に戻り、ファリシュタの魔石術を見守ったり、アドバイスしたりした。生徒たちは音合わせまではなんとかできても、命じても本がぴくりとも動かなかったり、逆にぶっ飛ばしたりして苦戦していた。
「この私が合格できないなんて……!」
とティエラルダ王女(ようやく名前を覚えた)が後ろの席で憤慨してキッ! と私を睨んでいる。多分私も完璧にできてないのになんで合格してるんだ、と思ってるんだろう。
先生がいいって言ったんだから睨まないでよ!
結局本を倒すという課題ができたのは数人だけだった。本当に魔石術は基礎が一番難しい。
教室を出る前にアサスーラ先生に「社交クラブに来てみませんか?」と誘われたが、丁重にお断りした。理由はもちろん演劇クラブがあるからだが、「高貴な私は社交クラブが似合いますわ」と言っているティエラルダ王女やその姉がいるクラブに入りたくないという気持ちも大きかった。
先生は「残念ですねぇ。アリム家のお嬢様に興味のある生徒もたくさんいますのに」と言っていた。
その後の昼休み、学院の中庭で石造りの四角いベンチに座ってファリシュタと昼食をとっていたら、さっきの先生との会話をファリシュタが持ち出してきた。
「本当に社交クラブに入らなくていいの? ディアナ。私高位貴族の人はみんな社交を積極的にするものだと思ってたけど……」
「アリム家の養子になったばかりの私がいろんな貴族と社交をするなんて無理だよ。それに急に高位貴族になった私のことを変な目で見てる人も多いだろうし」
「そっか……。そうだよね」
先生は「興味のある」なんて言っていたけど、どういう意味の「興味」なのかは推して知るべし、だ。
そんな話をしていると、中庭の歩道からラクスとハンカルが手を振っているのが見えた。手を振り返すと二人ともこっちに向かって歩いてくる。
「なんだかんだあの二人いつも一緒だね」
「仲良しなんだね」
仲良し……なのかな。
「よう、二人とも。俺たちも今から昼食なんだ」
「二人はいつも一緒にいるな」
「その言葉そのままそっくり返すよ、ハンカル」
「寮も同室で、受ける授業も一緒だから仕方ないんだ」
「仕方ないってなんだよ!」
ハンカルの言葉にラクスが不満の声をあげる。二人は私たちの向かいにあるベンチに座って昼食の紙袋を広げた。
「そういえばディアナは魔石術の授業で大活躍らしいな」
「ええ? なにそれ」
「音合わせを一瞬でできるとか、先生の腰痛を魔石術で治したとか噂になってるぞ」
「腰じゃないよ! 足だよ!」
ハンカルの話を聞いて驚く。
「なんでそんな噂に……」
「特に音合わせは基礎の中でもみんな苦戦するからな。それを難なくこなせばかなり目立つだろう」
「そうなの! あのね、ディアナは本当にすごいよ!」
そこでなぜかファリシュタが目をキラキラ輝かせて、二人に授業であったことを話し始めた。人見知りのはずのファリシュタがこんなに積極的に話すのは初めて見る。
彼女の話を聞いてラクスが目を見開いた。
「へぇ! 本当にすぐに音合わせができるんだな。すげぇ」
「別にすごくないよ。ハンカルだって一級だから音は良く聞こえるでしょ?」
「他人と比べられないからどれくらい大きいかはわからないが、普通には聞こえるな。俺は国で音合わせの練習をしたけど、最初は自分の音と魔石の音を合わせるのは難しかったぞ」
そうなんだ。やっぱり音階を知ってるのと知らないのとでは違うんだな。
「ディアナ、速く音を合わせるコツとかあるのか?」
ラクスが楽しげに聞いてくる。
「ううーん、あるっちゃあるけどちょっと説明しづらいというか……」
「あまり一般的じゃないやり方なのか?」
「一般的……ではないだろうねぇ」
ん? 待てよ?
「ラクス、音合わせが速く出来るコツって誰もが知りたい『情報』かな?」
「そりゃそうだろ」
「お金出してでも欲しい?」
「金取るのか⁉」
「取らないよ。それくらい欲しいものかってこと」
「欲しい欲しい!」
ラクスが喜んで顔を輝かせる姿を見て私は内心ほくそ笑んだ。喜ぶラクスには悪いが、この「情報」を教える相手は彼ではない。
<私が欲しいものは『情報』だ>
頭の中で掠れた低い声が響く。
「音合わせが速く出来るコツ」って、王様と取引できるレベルの「情報」なんじゃない⁉
初めて赤の魔石を使いました。
そして当たり前に使っていた知識が
重要な情報になることに気付きます。
次は 初めての図書館、です。




