寮長のあいさつ
個室を出て廊下を戻ると、すでにファリシュタが自分の相部屋の扉の前で待っていた。
「お待たせ」
「あ、ううん……大丈夫」
そう答えるファリシュタの顔が、心なしかさっきより暗くなっていることに気付いて、私は首を傾げる。
「ファリシュタ、なにかあった?」
「え?」
「声がさっきと違うよ」
「声……?」
「もしかして私の貴族の身分についてまだ気にしてる?」
「あ……ううん、それは……大丈夫。なんでもないよ」
彼女はそう言ったあと気遣うように眉を下げて笑う。
それは、か……なんだろね?
「新入生は荷物を置いたら速やかに談話室に向かってください」
二人で廊下に突っ立ってると、この階の監督生らしき女生徒が声をかけてきたので、私たちは慌てて階段で一階へ降りる。
談話室は階段を降りて右手、つまり正面玄関から入って左手側にある。他の生徒の後について中に入ると、そこには映画でよく見るお城の大広間のような空間が広がっていた。
天井はさっき部屋で見た光る天井と同じでホワッと全体的に光っていて、ベージュ色の壁全面にはずらりと色鮮やかな織物が飾ってある。
寮の外と繋がっている大きな掃き出し窓もあって、個人の部屋と違ってとても明るい。
一番変わっていたのは部屋にいくつも設置してある短い脚のついた四角い台だ。
大きさの違う長方形や正方形の台が、人が通れる隙間を開けて部屋にずらっと置かれていて、入ってきた生徒がその台の上に上がって座っている。
ここでは床には座らず、この小上がりのような台の上で寛ぐようになってるんだね。
新入生は前に来るように、と言われたので台と台の間の通路を通って、まだ誰も座ってないこじんまりとした大きさの台に乗る。
台の高さはベッドと同じくらいなのですんなり乗れるが、手をついて奥に移動しようとするとマントが邪魔だった。
台の上には絨毯が敷いてあり、真ん中にある小さなローテーブルを挟んで両側にヤパンが二つ並んで置いてある。
ここは四人席ってことかな。
奥の席に私が移動すると、ファリシュタがその隣に座る。
上がり口以外の台の端は木の手すりのようなものでぐるっと囲われているので、後ろにひっくり返ることはない。
周りを見ると、こういう小上がりの席に座るのが初めてな生徒が多いのか「椅子はないのね」「足伸ばしていいのか?」「あっマント踏んづけた」と戸惑いの声があがっている。
そんな声を聞いていると、上がり口の方から声をかけられた。
「ここ、座っていいか?」
見ると二人組の男子生徒がこちらを見て立っていた。声をかけてきたのは褐色肌に人懐っこい顔立ちをした男の子だ。クセのある赤い髪にオレンジの目という、一回見たら絶対覚える派手な見た目の子だった。
「ラクス、女性がいる席に俺たちが入るのは失礼ではないのか?」
と眉を寄せてラクスと呼ばれた男の子を止めたのは、黒い短髪に琥珀色の目をした真面目そうな男の子だった。二人とも刺繍の入った高さ五センチくらいの円柱型の帽子をかぶっている。
「え? そうなのか? 俺の国ではみんな一緒に座るのが普通だったけど」
「ジャヌビ国ではそうなのか」
二人はそう言ってお互い顔を見合わせたあと、こちらを向く。
私たちの国ではどうなんだ? ってことだよね。
私の答えは「わからない!」だ。数ヶ月前にアルタカシークに来たばかりだもの。同年代の貴族の男女が一緒の席につくのが普通かどうかなんて知らないので、私は答えを求めてファリシュタを見た。
「えっえっ。私ですか⁉」
男性に話しかけられて緊張したのか口調が戻っている。
「あの、ええと……大丈夫だとは思うんですけど……」
ファリシュタも自信がないのか口をもごもごさせてまごついてると、
「べっつに席なんてどこでもいいわよ。適当に座りなさい」
と男子生徒の後ろから一人の女性が顔を出してはっきりと言い放った。
真紅の髪を無造作に後ろで束ね、シンプルなバンダナをつけた五十代くらいの女性で、鋭い黄色の目をこちらに向けて私の姿を上から下まで眺めたあと、なにも言わずに広間の奥にさっさと歩いていった。
私たち四人は呆気に取られてその人を目で追う。
な、なんなんだろうあの人……。
「座っていいんだってさ」
「いいのか?」
二人の男子生徒が気を取り直してこちらに聞いてくる。
「私はいいけど……」
「あ、はい……どうぞ」
私が隣を見ると、ファリシュタが戸惑いがちに席を勧めた。
男性が苦手そうだけど、大丈夫かな?
私はファリシュタとの距離を詰め、向かいの席に男子二人を誘導する。すると席に座った赤い髪の男の子がニカっと笑って自己紹介を始めた。
「俺はラクス。ジャヌビ国から来た。十二歳だ」
「ラクス、ここにいるのはみんな十二歳だ」
「あ、そっか。ハンカルは頭がいいな」
「いやこれくらいで頭がいいと言われても……はぁ、ジャヌビ国の人間はみんなこうなのか?」
「俺の国はみんな楽しければいいって人間ばっかだからな」
あはははは、とラクスが笑う。
彼は本当に屈託のない陽気な男の子のようだ。
「俺はハンカル。ウヤトという国出身だ。よろしく」
「よろしく。二人は元から友達、ってわけではなくて?」
私が質問すると、ハンカルの方がため息まじりで答える。
「違う。さっき部屋で初めて会ったんだ」
「俺たち同室の友ってわけ」
「いつ友になったんだ……」
「まぁ、細かいことは気にすんな!」
な! と言ってラクスがハンカルの肩に腕を置くが、ハンカルはさっさとその腕をどかした。
どうやら真面目なハンカルに、マイペースなラクスが一方的に絡んでるという関係性らしい。
この状態で八ヶ月間暮らすのか……ちょっとハンカルに同情しちゃうね。
「私はディアナ。家はアルタカシークだよ」
「あ……ファリシュタです。私もアルタカシーク出身です」
「二人ともここの国の人なんだな」
「この国の暮らしをまだよく知らないから困った時は教えてくれ」
ラクスとハンカルがそう言ってくるが、私に答えられることは少ないと思う。なにか聞かれたらファリシュタに任せよう、などと考えながら、私は二人と会話を続けた。
それからしばらくすると談話室全体に聞こえる音量で声が響いた。
「大体揃ったようだから始めるよ。一年生はこっちに注目」
談話室の奥の台の上にさっきの真紅の髪の女性が立っていて、マイクの魔石装具を持って一年生を見回している。彼女の言葉に反応するように一年生はお喋りをやめてそちらを向いた。
「私はこの黄の寮の寮長のガラーブだ。一応この寮の責任者だから、なにか問題があったときは相談するように。ああでも、大したことない問題だったらそこの監督生たちに相談しなさい。面倒くさいし」
その、あまりにもぶっきらぼうな言い方に生徒たちがざわつく。
あの人寮長さんだったんだ……なんか変わってる人だなぁ。貴族だよね? その割にめちゃくちゃ口悪いし、面倒くさいとか言っちゃったよ。
「この寮内でやってはいけないことは二つ。『対等ではない行為』と『私を怒らせる行為』だ。この学院では王が全ての生徒は平等であると宣言しているってのは聞いたね? 私はその宣言を支持してる。どこの国の王子であろうが王女であろうが下位貴族であろうが特殊貴族であろうが、私は全ての生徒を平等に見る。それだけは覚えておくように」
その言葉に談話室がシンっと静まり返った。私としては結構大胆なこと言う人だなという感想しかないが、生粋の貴族たちにとってはかなり衝撃な言葉だったようで、え? という感じでお互いに顔を見合わせている。
……ていうか、特殊貴族ってなに?
「はい、寮長さん質問です」
その空気を打ち破るように目の前のラクスがガラーブに向かって手を挙げた。ラクス、いい度胸してる。
「なんだ?」
「『寮長さんを怒らせる行為』っていうのは具体的にどんなことですか?」
「やってはいけないことをやった時だ。つまり『対等でない行為』をしでかした時には自動的に二つ目もやったことになる。そうなったらどうなるかわかるね?」
「寮長さんを怒らせたら……この寮にはいられなくなる?」
「寮にいられなくなる、そして、退学だ」
「ええ!」
それに生徒たちが一斉にどよめく。
寮長を怒らせたら退学だなんて聞いてないよ。この人そんなに大きな力持ってるの?
「対等でない行為、というのは高位の貴族がその身分を利用して下の貴族たちを押さえつけたり、難癖つけて面倒事を押し付けたりするという行為も含むから気をつけるように」
そう言ってガラーブは鋭い目つきで生徒たちを見回す。その時、彼女に向かって一人の女生徒が声を荒げた。
「寮長の機嫌を損ねたら退学ですって⁉ そんなふざけたこと許されませんわ!」
黄緑色の髪にヴェールのようなものを被った女生徒がテーブルに手をついて腰を浮かせて抗議している。ガラーブは彼女の言葉を受けて片眉を上げた。
「この決まりにご不満でも? サマリーの第二王女様」
「当然ですわ! そんなことで退学になるなんてあり得ません!」
「ではあなたはこの決まりを守ることはできないと?」
「王女であるこの私が、なぜあなたのご機嫌を取らなくてはならないのです?」
「この決まりは学院長である王も認めている」
「な……っ」
「文句があるのなら、うちの王に直接なさい」
そう言うとガラーブに噛み付いていたその王女様は黙ってしまった。
「私はなにも寮長の力を振りかざしたいわけではない。学院の精神に則ってみなが平等に、互いに協力しあってこの集団生活を成り立たせていってほしいだけだ。難しいことではない」
そして「では健闘を祈る」と言ってガラーブは横にいる男子生徒にマイクを渡して台を下り、早足で通路を突っ切ってそのまま談話室を出て行ってしまった。
な、なんというか、強烈な人だ……。
その後はマイクを渡された男子生徒がため息を吐きながら台に上がり、
「うちの寮長はあの通り変わった人だから驚いたと思うが、普通に過ごしていれば問題なく暮らしていけるので心配しないでいい」
と新入生に言った後、食堂の使い方、談話室の空いている時間、寮の消灯時間など寮の施設について説明を始めた。
それから二階の担当の監督生が紹介される。監督生は各階の上級生の中から一人ずつ選ばれるので、来年は私たちの学年の中から誰かがすることになるらしい。
一通りの説明が終わると、最後は談話室らしくみんなで歓談の時間になり、そこからは談話室に上級生たちも入ってきて一年生に混じってお喋りを始めた。
それと同時にこの寮の使用人らしき人たちも入ってきて、各テーブルにお茶とお菓子を配り始める。
おお、これが社交の時間というやつなのかな。
その様子を眺めつつ、私はさっきの寮長を思い出して口を開いた。
「なんだか変わった寮長だったねぇ」
「ああ、正直あのような貴族女性を見たのは初めてだったから俺は少し驚いた」
私の言葉にハンカルがそう言って頷く。
「そうか? 言いたいことをはっきり言ってくれてわかりやすいな、とは思ったけど」
「ラクス……君は本当に」
ハンカルが呆れた顔でラクスを見るが、彼はそれを全く気にせずに、笑いながら私たちに向かって問いかけた。
「ていうかアルタカシークの女性はああいう人が多いのか?」
「そんなわけないでしょ。ね? ファリシュタ」
「え、あっはい。私もああいう貴族女性は初めて見ました……」
「ファリシュタ、俺たちは同級生なんだから、敬語でなくていいぞ?」
ハンカルが困ったように笑って言うと、
「ハンカルが怖いんじゃないか?」
とラクスがカラカラと笑ってハンカルを指差す。するとハンカルはぐっと眉間にしわを寄せ真剣な目でファリシュタを見た。
「すまない、俺は昔から難しい顔をしてるとよく言われるんだが、別に不機嫌なわけじゃないから気にしないでくれ」
わお、ハンカルって真面目!
しかしそう言われたファリシュタはさらに縮こまってしまう。
「あ、あの、すみません……」
「あの寮長も言っていただろう? この寮内ではみんなが平等だ。だから俺たちにも普通に接してくれ」
緊張しているファリシュタを和ませようとハンカルが優しい口調で彼女にそう声をかけるが、そこにいきなり高い声が響いた。
「まぁ! あんな寮長の言うことを聞くつもりですの? この学院に通う各国の貴族の質もたかが知れていますわね」
その聞き覚えのある声にスカーフの中の耳が勝手にピクリと動く。
驚いて後ろを振り返ると、さっきガラーブとやり合ったどこかの王女様が立っていた。
同級生の男子二人と
強烈な寮長の登場でした。
そして王女に絡まれます。
次はディアナの事情、です。




