入学式へ
今日は入学式だ。
クィルガー邸の自室で学院用に特別にあつらえた服に着替えさせてもらいながら、私は手に持った資料を読み込んでいた。
ソヤリと王様との面接の日から今日までの間に集めた、アルタカシーク国での旅芸人の活動状況の資料だ。
あの面接で自分の勉強不足を痛感した私は、クィルガーやサモルに頼んでこの国の旅芸人の現状を調べてもらい、それを自分でまとめた。
もう一回これを頭に叩き込んでから学院に乗り込むんだ。
私は面接の時の王様の言葉を思い出して口をむぅ、と突き出す。静かな、少し掠れた低い声で「それでもやるのか?」となんの感情も乗せない声で言われた。
ぐぬぬ……王様め、絶対できないと思ってるんだろうけど、私のエンタメ愛を舐めないで欲しい。絶対に条件をクリアして演劇クラブを立ち上げるんだから!
と、一人で闘志を燃やしていると、いつの間にか着替えが終わっていたようで、イシュラルが「いかがですか?」と鏡を持ってくる。
「わぁ……素敵、ですけど……ちょっと派手じゃないですか?」
「学生用ということで、これでも控えめなデザインですよ」
確かに生地の色はくすんだミントグリーン色で控えめ(?)に見えるけれど、上から下まで細かな刺繍がびっしり入っている。もちろん生地も糸も高級なものを使っているので光沢もすごい。
「これで控えめ……」
「学生はこの上に学院から支給される白いマントを羽織るらしいので、中は少々凝っても良いのだそうです」
「そうなのですか」
アリム家はアルタカシークではかなり高位の貴族のため、これ以上服の質を落とすのも良くないそうだ。家の格にこだわるのはやはり貴族らしい考え方だなと思う。
「ディアナ、支度はできた?」
「ヴァレーリア。はい、終わりました」
学院で必要なものはすでに寮に運び込まれているため、今日は着替えさえ終われば身支度は終了だ。
部屋の扉から入ってきたヴァレーリアは私の姿を見て目を細め、うんうんと頷いている。どうやらこの格好でオーケーらしい。
それからヴァレーリアは自分のトカルからなにか箱のようなものを受け取ると、部屋にいるトカル全員を下がらせた。部屋に私と二人きりになって、彼女はゆっくりと私に歩み寄る。
「ヴァレーリア?」
「ふふ、ディアナにプレゼントがあるのよ」
彼女が手に持っていた箱の蓋を開けると、中には刺繍が施された布が入っていた。
「これは?」
「広げてみて」
そう言われて箱からその布をそっと取り出して広げると、綺麗な白い生地がふわりと広がる。それはスカーフだった。白い生地の端に十センチほどの幅の刺繍が入っていて、その部分は少し厚みがあるのか頑丈そうである。
「この刺繍……もしかしてヴァレーリアが刺したんですか?」
「そうよ。この刺繍の模様はね、悪いものから身を守る魔除けの鷹の模様なの。きっとディアナを守ってくれるわ」
「ヴァレーリア……」
「つけてあげるから後ろを向いて」
そう促されて私が後ろを向いて今までつけていたスカーフを外すと、隠れていたエルフの耳がぴょこんと出る。
「この可愛い耳を見るのもしばらくお預けね」
ヴァレーリアは私の耳を愛おしそうに見ながら新しいスカーフを被せる。彼女が刺繍した部分がおでこから耳の下まで沿うように包み込む。柔らかく、それでもしっかりと耳の部分を保護していて心地がいい。
「これ、すごく安心感がありますね」
「ディアナの耳は意外とよく動くから、少し厚みのある部分を増やしたの。後ろは柔らかい布でふわっとさせているから可愛いでしょう?」
「ふふふ、はい。ありがとうヴァレーリア、私すごく嬉しいです」
「学院にいる間は身支度は自分でしなければいけないから、スカーフは特に気をつけてね」
「はい」
そう答えて、私はヴァレーリアに抱きついた。この温かくて柔らかい感触ともしばらくお別れだ。ヴァレーリアも私の背中に腕を回してお互いにぎゅうぎゅうと抱きしめ合う。
「ここにいるより安全とはいえ、学院内も危険が全くないわけではないのだから、本当に気をつけるのよ、ディアナ」
「はい。冬休みに帰って来れたら帰ってきますね」
「ええ、待ってるわ」
それから本館の正面玄関に行くと、いつもの騎士の格好をしたクィルガーがいて、さらに館の使用人たちが見送りに来てくれていた。その中の一番後ろの方にサモルとコモラの姿を見つけて私はテンションが上がる。
二人に直接会うのは久しぶりで、思わず笑顔で二人にこっそり手を振ると、二人も笑って頷いてくれた。
そこでクィルガーが耳元で私に囁く。
「ディアナ、寮の荷物の方にコモラが作ったお菓子が入ってるらしいから、後で確かめておけ」
「え! そうなんですか?」
なんと、コモラはもうお菓子作らせてもらえるところまできたらしい。慌てて彼を見ると、いつものニコニコした笑顔で少しだけ胸を張った。
相変わらずいいお腹をしている。
「じゃあ行くか」
「はい! みなさん見送りありがとうございます。いってきます」
「いってらっしゃいませ、ディアナ様」
私はヴァレーリアやイシュラルに手を振って玄関前の階段を下り、馬車に乗り込んだ。
今日も護衛のためにジャスルに乗ったクィルガーが馬車の横について出発する。彼は私を送ったあと、そのまま王宮に出勤だ。
「クィルガーはいつもどの辺で働いてるんですか?」
「学院へは山を登って右に曲がっていくだろう? そこを逆に左に曲がっていくと大きな執務館がある。その館の屋上部分に王宮があるから、そこの警護についてるぞ」
「学院を警護している学院騎士団とは全く違う部署なんですよね?」
「いや、王宮騎士団の中で若手の奴が選ばれて学院騎士団所属になるから、全く違う部署というわけじゃない」
「そうなんですか。え……若手ってことはもしかして……」
「トグリとチャプも今は研修中だがそのうち配置されるかもな」
「……」
学院であの二人に会った時のことを想像してなんともいえない気持ちになってると、クィルガーが難しい顔をして言った。
「そんなことよりディアナ、あれ、本当にやるのか?」
「演劇クラブのことですか? やりますよ、もちろん」
「はぁ……頼むからあまり目立つようなことはするなよ。突然アリム家の養子になったってだけで、アルタカシークの貴族からは注目されているんだから」
「まぁ……善処はします」
「オイ」
クィルガーにじとっとした目つきで睨まれるが私は顔を逸らす。全く目立たずに演劇クラブの勧誘をするのはちょっと難しい気がするからだ。
「はあ……ソヤリの代わりに俺が面会に行きたい」
「それはダメだってソヤリさんが言ってたじゃないですか」
そんなことを話していると、馬車は山の頂上まで来て右に曲がっていく。
「学院騎士団の団長にも、寮を管理する寮長にもおまえのことは話してあるから、なにかあったらその二人か学院の先生に相談しろ」
「どう話してあるんですか?」
「突然高位の貴族の養子になったディアナに恨みを持つ者が現れるかもしれないから気をつけてくれという感じで言ってある」
「わかりました」
そうして馬車が学院の正門前に到着する。ここでクィルガーともお別れだ。
「じゃあ、演劇クラブについては置いといて勉強は頑張れよ」
「はい、勉学に励みつつ演劇クラブの勧誘をするので安心してください」
「全然安心できねぇぞ!」
「クィルガーは心配性ですねぇ」
「おまえじゃなかったらこんなに心配してない」
口をヘの字にしてそう言うクィルガーを見て、私は思わず笑ってしまう。
「笑ってる場合か!」
「あはははっ……だって、心配してくれることが嬉しいんですもん」
そう言うと彼はますます口を曲げて黙ってしまった。この顔は、照れてる顔だ。
「その顔になると、おじい様とそっくりですよ、クィルガー」
「うるさい! 早く行け!」
「ふふふっ。はい、では行ってきます。お父様!」
「んな……っ」
不意打ちされたクィルガーが口をパクパクしている間に、私は馬車の中に体を引っ込めて窓を閉めた。
実際に面と向かって言うと結構照れるね、コレ。
今さら恥ずかしくなってきて顔をぽりぽり掻いていると、スカーフからパンムーが出てきて「パム?」と私を見上げた。「なんでもないよ」と私はパンムーの頭を撫でる。
そう、実はパンムーも一緒に学院に通うのだ。
本当はヴァレーリアに預けるつもりだったが、パンムーがそれを嫌がって私の頭の上でイヤイヤとしがみついて離れなくなったのである。
「パンムー、学院内では出てきちゃダメだからね。見つかったら家に戻されるから」
そう言うとパンムーはうんうん頷いてスカーフの中へ戻っていく。
学院のロータリーに着いて馬車を降りると、他の馬車からたくさんの学生が降りて正面玄関に向かって歩いているのが見えた。
今日は新入生だけがここにいるはずだから、この子たちはみんな同級生なんだね。
この前の試験の時と違って様々な国の子たちがいるのが、着ている服装でわかる。
派手な色の刺繍が入ってるもの、レースがたっぷり使われているもの、着物の柄のような織り方をしているもの、生地も綿のようなものから光沢のある絹のようなものまで本当に多種多様だ。
それでも頭にみんなスカーフやバンダナ、帽子を着用している。この髪の毛を全部見せないという文化はこの大陸共通のものらしい。
ほうほうと生徒たちを観察しながら正面玄関に向かうと、校舎の中から長い列が四つほど伸びていて、みんなその列に並んでいくのが見えた。「新入生はこの列の後ろに並ぶように」と案内の人が声をかけている。
中で受付でもしてるのかな?
言われた通りに端っこの列に並んでいると、そんなに待たされることなくするすると列が進んでいく。
開け放たれた正面玄関の扉のところまで来たので中を覗くと、広い玄関ホールに受付の机がずらっと並んでいるのが見えた。
机の前面には国名の書かれた大きな紙が貼ってあって、それぞれに大人の係の人が名簿のようなものを広げて座っている。受付の机のさらに先には三つの受付場所がまたあって、そこで係の人がマントを新入生に手渡していた。
「すみません、この先がどうなってるかわかりますか?」
と、その時後ろから声をかけられて振り返ると、そこに可愛らしい清楚な銀髪の女の子が佇んでいた。
「あ、この先が受付になってるみたいです。受付で名前を言って、その先でマントを受け取るみたいですね」
「そうなのですね。ありがとう」
女の子がそう言ってふわりと笑う。明るい銀髪に赤紫の目という存在感のある顔立ちなのに、全身からふんわりとした雰囲気が漂っている、いかにもお嬢様って感じの女の子だ。
スカーフを被ってるから余計そう思うだけかもしれないけど、なんとなくシスターとか聖女っぽいね。
そんなことを思っているうちに順番が来たので、私はアルタカシークと書かれた受付の方に向かう。
受付の人に名前を言うと、すぐに「あちらの黄の印の方へ」と言われた。アルタカシークの新入生の数は大国と比べるとかなり少ないので確認も時間がかからなかったようだ。
マントの受付の方を見ると、それぞれ黄色、青色、緑色の目印が書いてあった。
それから黄色の受付に行って係の人に声をかけると、その人は私の全身を上から下まで見たあと、「貴女はこのサイズですね」と二種類のマントを渡す。
「こちらが今着る夏用のマントで、こちらが冬用です。マントの縁に入っている刺繍の色が貴女が入る寮の色ですから覚えておくように」
「私は黄色の寮ってことですか?」
「そうです。卒業するまでに身長が伸びてマントの丈が合わなくなったら大きいサイズと交換できるので、その時は申請するように」
「はい」
マントを持ってその場を離れると、その先で新入生たちがみんなマントを羽織っているのが見えた。私もその子たちを参考にしつつ自分のマントを羽織る。
あまり見たことない形のマントだなぁ。
似てるものとしてパッと思い浮かぶのはケープコートだ。ストンと肩から脛まで長さがあって、腕が出るところからスパッと切れ目が入っている。
少し変わってるのは肩から肘にかけてポンチョのような形の布がその上に重ねられているところだ。
マントの色は白色で、縁に黄色の綺麗な刺繍が入っている。
胸の高さの部分に左右を止める綺麗な金具がついていたので見よう見まねでそれを留めていると、
「あ、ああ、あのっ」
と聞き覚えのある声が聞こえた。振り返ると、試験の時に出会った女の子が貰ったばかりのマントを抱えて早足で駆け寄ってきていた。
「あ、あの時の……」
「はぁはぁ、ああ、よかった。こんなにすぐに会えると思ってませんでした」
「もしかして私を見つけて急いで来てくれたんですか?」
「は、はい! あ、その、私嬉しくて、つい」
そう言って女の子は恥ずかしそうに顔を赤らめて視線を下げる。また会えたことをこんなに喜んでもらえるなんて思っていなかったので、私も心が弾んだ。
「私はディアナ。あなたは?」
「あ、私はファリシュタといいます」
「ふふ、私たち同級生だから敬語はなしでいいんじゃない?」
「はい、あ、えーっと……はいは、うん?」
「うん」
「う、うん」
私とファリシュタとそう言って笑い合う。私も敬語を使わない会話は久しぶりで慣れない。
「ファリシュタ、マントの色は?」
「黄色です……だよ」
「同じだね! じゃあ一緒に行こっか」
「はい! あ、うん」
ファリシュタがマントを羽織るのを待って、私たちは入学式が行われる大講堂に向かった。
入学式へ向かうディアナ。
昨日のファリシュタとの違いを感じていただければと思います。
さて、無事に二人は再会しました。
次は入学式と入寮、です。




