プロローグ
私はファリシュタ。今日からアルタカシークのシェフルタシュ学院に通う新一年生です。
入学式に向かう朝、自室で身支度を整えてもらいながら、ドキドキと跳ねる鼓動を抑えようと何度も深呼吸を繰り返していると、私の髪を結っていたトカルのツルリが苦笑しながら言いました。
「ファリシュタ様、今からそんなに緊張していたら持ちませんよ」
「は、はい……わかっているのですが、やはり不安で……」
「ファリシュタ様、また敬語になってます」
「あ、す、すみません」
「ほらまた」
「ああああっ」
つい出てしまう敬語に私は頭を抱えました。この館に来て半年、ツルリや他の使用人たちに向かって敬語を使わずに喋ることに、まだ慣れないのです。
「この口調は、もう気にしないでください。今さら直らない気がします……」
「ファリシュタ様らしいですね」
「本当は様付けで呼ばれるのもまだ違和感があるのです」
私は眉をハの字に下げて鏡越しにツルリを見ました。ツルリは仕方ない、という表情で顔を横に振りながら髪を結っていきます。
……本当に仕方ないのです。
私は貧しい平民の出身なのですから。
この世は魔石使いである貴族と、魔石使いではない平民という二つの身分に分かれています。
この二つの身分の間には決して超えることのできない大きな溝が開いているようにも見えますが、実はごく稀に、平民から魔石術を使える子どもが生まれるのです。
一昔前まではそんな子どもが生まれても、特に何も変わらず平民として生きるしかなかったそうですが、先の大戦のあと魔石使いの数が大幅に減ってしまったため、そういった平民の子を特別に魔石使い、つまり貴族にする制度ができたそうです。
平民出身の貴族は「特殊貴族」と呼ばれ、国に保護されるようになりました。
そして対象になった子どもは数年かけて貴族になる教育を受け、国が用意した特殊貴族用の館に住み、成人したあとは貴族の仕事に就くことができるのです。
十年前にシェフルタシュ学院ができてからは、特殊貴族となった子どももそこに通えるようになりました。
学院に通うにはお金がかかりますが、なんと創設者のアルスラン様は特殊貴族に対して「奨学金」という制度を作り、在学中は国が代わりに学費を払い、卒業後にそのお金を国に少しずつ返していくという仕組みを作ってくださいました。
これには感謝しかありません。
「私のようなお金のない特殊貴族も学院に通えるようにして下さるなんて、アルスラン様は素晴らしい方ですね」
「そうですね。本当にアルスラン様はこの国の救世主です。ファリシュタ様はその王のお膝元で勉強できるのですから、しっかりお役目を果たしてきてくださいませ」
「うう……プレッシャーをかけないでください……また緊張が戻ってきました」
髪を結い終えたツルリが最後にスカーフを頭に被せます。いつものように、顔以外は見えないようぴっちりと巻いてもらうことにしました。
「ファリシュタ様、学院でもこのようになさるのですか? せっかくお綺麗な水色の髪をなさっているのに……」
「私、目の色がこのように派手でしょう? それなのにこの髪まで見せたら変に目立ってしまうではないですか。私はできるだけひっそりと暮らしたいのです」
「せめて前髪だけでもお見せになりませんか? そのアティルの花のような綺麗なピンク色の目と合わせてとても魅力的になりますのに。そうすれば素敵な殿方からお声がかかるかもしれませんよ」
「殿方……ですか」
「先輩方にも言われたのでしょう? 学院に入って良い結婚相手を見つけるのが特殊貴族が優先すべきことだと」
私はこの館で一緒に住む、同じく平民出身の特殊貴族の先輩方に昨日言われたことを思い出します。
特殊貴族の立場はとても弱いです。それはそうです、この前まで平民区域で暮らしていた者をすんなりと受け入れ、同等に扱ってくれる貴族などほとんどいません。
表向きは他の貴族と同じように扱われますが、小さな仕事しか回してもらえなかったり、管理職に上がるのが難しかったりとそれなりの差別があるのが現状です。
裏では「平民貴族」という蔑称で呼ばれていますしね……。
「学院内は高位と下位の差はなく、特殊貴族も含めてみな平等であると王が定めていらっしゃいますが、本当のところは違うようですね……」
「そうですね……。ファリシュタ様の先輩方のお話を聞く限り、やはり平等とは言えないようです」
「そうですよね……」
学院には世界各国から様々な身分の子どもがやってきます。それこそ王子、王女もたくさんいらっしゃるのです。その中で平等でいられる貴族はいないでしょう。
そして特殊貴族の立場は一番下です。変に目をつけられると何かしらの無理難題を押し付けられるのは想像に難くないのです。
平穏無事に学生生活を送るために先輩方が言っていたのは、まず自分を守ってくれる高位の庇護者を見つけること、ということでした。
立場が強い人の側にいれば他の方に嫌なことを言われてもその方が退けてくださるそうです。
その仕組みはなんとなくわかるのですが、人付き合いが苦手な私にそのようなことができるでしょうか……。
そして特殊貴族であることをあまり気にしない殿方を見つけ、結婚の約束をすることが最優先であるとも言われました。
卒業後、普通の貴族と結婚すると特殊貴族から抜けることできるので、役職の差別もマシになるそうです。
確かに出世できるチャンスが増えるのなら、結婚もちゃんと考えなくてはいけないのかもしれませんね……。
入学式へ向かう支度が終わって館の玄関へ向かう廊下を歩きながら、私は家族のことを思いました。
私は貴族となってお金を稼いで、家族の暮らしを良くしたいと思い、貴族になりました。私が貴族になると決めた時から平民の家には戻れなくなり、それから家族とは一度も会っていません。
それでもいいのです。みんながお腹いっぱい食べられて、笑っていてくれれば。
私が卒業して働けるようになるまでまだ六年ありますが、ちゃんとした役職に就けるよう頑張って勉学に励まなくてはと、私は改めて気合を入れました。
館の玄関ホールには先輩方の使用人たちが見送りに来てくれていました。先輩方は昨日のうちに一足先に学院の寮に入っています。今日城に向かうのは新一年生だけなのです。
「いってらっしゃいませ、ファリシュタ様」
「いってまいります」
そう挨拶を交わして館を出発し、ツルリとともに乗合馬車の停留所まで歩いて向かっていると、彼女が心配そうな声で言いました。
「ファリシュタ様はご自分から話しかけられるタイプではありませんから、お友達ができるか心配です」
「それは……私も心配です。周りは貴族しかいませんし……」
「気軽に話しかけてくださる方とお会いできればいいですね」
「そうですね。ふふ、そうだ、あの時のあの女の子にまた会えればいいのですけど」
ツルリと話しながら私はふと思い出します。
「あの時の? ああ、試験の時のですか?」
「ええ。私、あの日は本当に緊張してしまって、どうしようかと思っていたのです。あの子が声をかけてくれなかったら、試験中に倒れていたかもしれません」
「お名前を聞いていればよかったですねぇ」
「とても綺麗な顔立ちの子でしたから、遠目でもわかるかもしれません。私、入学式の間探してみます」
「いいですね、その意気ですよファリシュタ様」
私は頭の中でその女の子の顔を思い浮かべます。透き通るような綺麗な金髪にキラキラした紺碧の瞳。試験のお昼休憩の時にも少し話しましたが、可愛らしい声でコロコロと笑うので、私の緊張はそれですっかりとれてしまいました。
あの子がお友達になってくれたら、不安な学院生活も少しは楽しいものになるかもしれません。
庇護者というのも結婚相手というのも今の自分にはあまりピンとは来ないけれど、お友達は欲しいのです。
「見るからに高位の貴族の装いでしたが……特殊貴族の私とお友達になってくれるでしょうか」
そんな風に不安と期待で一杯になりながら、私は停留所に到着した乗合馬車に乗り込みました。
一年生の章が始まりました。
プロローグは試験の日に出会った女の子視点です。
ディアナの知らない貴族の事情でした。
次は入学式へ、です。
ディアナの学院生活が始まります。
(序章最終話の後書きに書いた
サモルとコモラのSSは本編とは
外れた話なのでいつか別のところで
載せたいと思います)




