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歌の翻訳と運動


 今日は授業が休みの日なので、アルスラン様とお昼ご飯を食べるために王の間にやってきた。少し早めに着いたのでご飯が来るまで本の片付けをする。

 

 ……前に約束した通り、本が増える量は少しマシになってるけど、やっぱり増えてることは増えてるね。

 

 私はもぅ、と口を尖らせながら、王の間の出入り口付近に積まれている読書済みの本の整理から始めた。まずはここから図書館行きの本を選別してさっさと外に持っていってもらおう。

 メモ用紙にタイトルを書いていってそれをアルスラン様に確かめてもらい、木の箱に詰めていく。と、そこにフフッと笑う声が聞こえてきて顔を上げた。王の間の出入り口の前でソヤリが紙の束を持って口元に手をやっている。

 

「ディアナ、脚本の確認が終わりました。なかなか滑稽な話でしたね。これはあとでアルスラン様にお渡ししてください」

 

 そう言ってソヤリが差し出した脚本を私は黄の魔石術を使って王の間に入れる。さっきここへ到着した時にソヤリに今年の喜劇の脚本を渡していたのだ。

 

「ソヤリさんが笑ってくれるとは思いませんでした。これ、学生にもウケると思いますか?」

「そうですね、中位貴族という立場の者は上に向かってへつらい、下に向かって高慢にならなければならない苦労性な部分がありますから、それを思うと哀れで面白いですし学生にもウケるのではないですか?」

「別に高慢にならなくてもいいと思いますけど……。ソヤリさんのような高位貴族の人にはそんなふうにウケるんですね」

「後半の踊りの部分は正直どのようになるのか想像できませんが、昨年の公演も予想できない展開でしたし、面白くなりそうだとは思います」

 

 そういえばソヤリさんは去年の劇を観に来てたんだった。

 

「ふふ、ソヤリさんに好評のようでよかったです。あ、これ図書館へ持っていく用の本がまとまりました。お願いします」

「ありがとうございます。どんどん手際がよくなりますね」

「夏休みの間に何回もしましたからね……」

 

 仕事ぶりを褒められて喜ぶべきか、何回も片付けなければいけないことを嘆くべきか迷うところだ。

 

 でも劇のことも面白いって言ってくれたし、やっぱり嬉しいな。

 

 と、片付け終わった場所に洗浄の魔石術をかけながら私は上機嫌でフンフンフーンと鼻歌を歌う。

 そう、思わず自然と、ナチュラルに、私はなにも気にせずに歌い出した。

 

「ンンーンンー、あのーころのー♪」

「……!」

「きみの、こえが、ききーたいな♪ はるの、そらに、きみがうかぶ♪」

「ディアナ……っ」

「たららん、ららん、ら……」

「ディアナ!」

「は!」

 

 鋭い声に振り向くと、出入り口の外からクィルガーが睨んでいた。隣にいるソヤリは無表情のまま私を見ている。

 

 え⁉ あ、あれ、私もしかして……。

 

「……歌ってました? 今」

 

 バッと口を両手で覆ってそう言うと、クィルガーは眉を寄せて思いっきりため息をつき、王の間の奥に視線を移した。それを見て冷や汗を垂らしながら、私はギギギ、と部屋の中央に顔を向ける。

 アルスラン様は執務の手を止めてこちらをじっと見ていた。

 

「ひぇ! も、申し訳ありませんっその、つい、楽しくなってしまって……!」

 

 私がその場でドシャーッと跪こうとすると、その前にアルスラン様が口を開いた。

 

「今の歌は……こちらの言葉になっていたようだが?」

「へ? あっそうです。実は夏休みの間にあちらの世界にあった歌を、こっちの世界の言葉に翻訳して作り直してみたんです。去年オリム先生に歌を聞きたいと言われた時に困ったので……」

 

 私は慌ててそう説明する。

 

「ふむ、こちらの言葉に変換できるのか……」

 

 アルスラン様はそう言って顎に手をやる。どうやら怒っているわけではなさそうだ。

 

「この前の目覚め唄もできるのか?」

「はい。それもこちらの言葉に直してみましたが……」

「歌ってみよ」

「え!」

「アルスラン様⁉」

 

 アルスラン様の言葉にクィルガーが目を見開く。

 

「透明の魔石と血の契約は解除してあるのだ。危険はなかろう。それともまだ歌うのが怖いのか?」

「……いえ、家でちょこちょこ歌っていたので恐怖心はかなり解消されましたけど、いいのですか?」

 

 私の問いにアルスラン様は無言で目を細める。私はチラリとクィルガーに視線を向けてから、ゆっくりと立ち上がって深呼吸をした。それから声を整えて、歌い始める。

 

 おはよう おはよう 目をあけて

 おはよう おはよう さあおきて

 

 明るいひかり しあわせな風

 君のせかいが ここにあるよ

 

 おはよう おはよう 目をあけて

 おはよう おはよう さあおきて

 

 歌の魔石術が発動しない用心しつつ、私はゆっくりと目覚め唄を歌った。全力で歌うのは流石に出来なかったので少し音量は下げたが、塔の中に自分の声が静かに響いて気持ちがいい。

 

「……なるほど、そういう意味だったのか。本当に目覚めのための歌なのだな」

 

 私の歌を静かに聞いていたアルスラン様が、少し表情を緩めて感想を口にする。

 

 アルスラン様って本当にこの歌が好きなんだね。声が柔らかくなるもん。

 

 自分の歌を聞いて喜んでくれたと思ったら、少し、ううん、かなり嬉しかった。温かいものがじんわりと胸に広がってきて、私はえへへとだらしなく笑う。そんな私を見てクィルガーはやれやれと首を振って苦笑していた。

 

 その後、昼食の時間になってアルスラン様と一緒にご飯を食べていると、健康の本の話になった。なんとアルスラン様は、この前私がこっそり本タワーに置いていった健康の本を読んでくれたらしい。作戦成功だ!

 

「この独特な運動については初めて知った。運動と言っていいかわからないが」

「ポーズをとって静止するだけですもんね。私もその本を読んで不思議に思いましたが、似たようなものが前の世界にもあったので……」

「む? あちらの世界にも同じものがあったのか?」

「私はやったことがなかったので詳しくわかりませんが、呼吸を使ったりじっとするというところはよく似てると思います。アサビ様の本を見ながらやってみましたが、激しい動きではないのに結構汗をかきましたよ」

 

 高校時代、ヨガをやってる同級生に一度教えてもらったことがあるが、真剣にやったわけではないので効果のほどはよくわからなかった。ただアサビの本の通りに真面目にやってみるとそれなりに疲れたので運動にはなるようだ。

 

「多分ストレッチと似た効果があると思います。こう、筋肉や関節を伸ばして体を柔らかくしてゆっくりと鍛えるといいますか。それに独特な呼吸法を使うので瞑想に近い感じもしました」

「瞑想……か」

「頭のリフレッシュにもなるそうですよ。ヤルギリ様はスッキリして気持ちがよかったと仰ってましたね」

「……其方、五大老と仲がいいのだな」

 

 なにかを探るような目でアルスラン様が私を見る。

 

「アルスラン様の健康を第一に考えるという思想が一致したのです。ふふ、本当に五大老はアルスラン様のことが大切なんですね、話をしてよくわかりました」

「昔から過保護でしたからねぇ、あの方々は」

 

 ソヤリが出入り口前で肩をすくめながらそう言うと、アルスラン様は「五大老とそのように繋がるとは……」と一つため息をついた。

 

「それで? 其方は運動と学習に興味深い繋がりがあると言っていたが、それはなんだ?」

「それを聞いたら運動してくださいますか?」

「それはその情報次第だな」

 

 アルスラン様の言葉に私はニヤリと笑う。久しぶりの交渉だ。ここは負けるわけにはいかない。

 

「前の世界では科学が発達していたとお伝えしましたが、頭の中、つまり脳の機能についても様々な研究が行われていました。そこで、運動をすると集中力や記憶力が向上し、勉強や仕事が良くできるようになるという研究結果が出たんです」

「集中力や記憶力が向上……その根拠は?」

「えーっと、脳の中は神経とそれを繋ぐシナプスというもので構成されていて、それが網目状に広がり、どんどん複雑化することで頭が良くなると言われているんです。こう、蜘蛛の糸がたくさん、細かく張り巡らされてるほどいいって感じです」

 

 私が指を広げて蜘蛛の糸が連結していく動きをしながら説明すると、アルスラン様は興味深そうな顔をして腕を組む。

 

「神経とシナプス……脳とはそのような構造になっているのか、興味深いな。それで、網の目が広がるのと運動になんの関係があるのだ?」

「その網目を広げる動きを促進する物質が、運動をすると出てくるんだそうです。その物質の名前は忘れましたが、まあ脳のための栄養みたいなものですかね。私はそう解釈して覚えました」

 

 私はそこまで理系に強いわけではなかったので細かいことは忘れたが、お芝居の習い事をしている時にどうにか記憶力をアップできないかと思い、親に調べてもらったことがある。

 

「それに運動をするとその物質だけでなく、他にも脳にとっていい物質が出るそうですよ。ドーパミンといってやる気が出てくるものや、セロトニンといってイライラや怒りを抑えてストレスが溜まりにくい状態になるものが出て、それに加えて頭の回転が速くなり、集中力、判断力、創造力などが高まるんです」 

「それを聞くと、運動にはメリットしかありませんね」

「そうなんですソヤリさん。それに、脳にとっては座りっぱなしというのが一番良くないそうですよ」

「……アルスラン様はずっと脳に良くない状態で過ごされているということですか」

 

 ソヤリがそう言うと、アルスラン様はグッと眉を寄せて黙ってしまった。

 

「まぁ私が生きていた時代の研究結果ですから、後々どうなるのかはわかりませんが、少なくとも運動は気分転換にはなりますし、脳にいいことは確かなのではないでしょうか。特にアルスラン様はこの部屋から移動することはないのですから、定期的にリフレッシュするのは必要なことだと思います」

 

 私がそう勧めると、アルスラン様は腕を組んだままボソリと呟いた。

 

「それは一回につきどれくらいの運動量が必要なのだ?」

「そこははっきりとはしてませんでしたね。二十分以上歩いた方がいいとか、短時間の筋肉トレーニングがいいとか、いろんな説がありましたけど、今まで運動がゼロなのでしたら軽いものでも全然いいと思います。アサビ様の本にあった運動をしたり、この部屋をぐるぐる歩いたり」

「……」

 

 食事の終わったテーブルを眺めながらアルスラン様が考え込む。どうやら興味はかなり湧いたようだ。

 

 ふっふっふん。頭にいいって言われたらやりたくなるよね。知識欲の塊なんだし。

 

「初めは実験と思ってやってみてはいかがでしょう? 本当に脳に効くのかアルスラン様が実際に試してみられるといいと思います」

「……そうだな」

 

 おお、アルスラン様からイエスの返事が!

 

「早速今日からやってみますか? ストレッチやアサビ様の本の運動ならお教えできますよ」

「……」

 

 私が前のめりで誘うと、アルスラン様はしばらく無の顔になったあと「そうだな」と諦めたように呟いた。

 

 やった! 交渉成立! 運動ミッション成功だよ!

 

 それから私は早速アルスラン様と一緒に運動をした。柔軟体操から始まり、ヨガのようなポーズを数個実践して、本が減った王の間を一緒に少し歩く。ソヤリやクィルガーはそんな王の姿を感動しながらも優しく見守っていた。

 

「アルスラン様は体が硬すぎますね。まずはたくさん体を伸ばして、ゆっくり歩くくらいからでいいかもしれません」

「其方はなぜそんなに柔らかいのだ」

「毎日寝る前にストレッチしてるからです。アルスラン様にもお勧めしますよ。体がほぐれるとよく眠れますし」

「ほう、そうなのか」

 

 私が触れていいのならアルスラン様の背中を押してあげられるけど、それはできないので一人でできるストレッチのやり方を教える。

 ついでに筋肉の流れやリンパの話もしておいた。これも交渉に使えそうな情報だけど、もう運動してくれるんだったらなんでもいい。

 

 しかし、運動のイメージが全くない人が柔軟をしている姿はなんだか可愛いね。

 

 私は肩をほぐしているアルスラン様を見ながらふふ、と微笑む。

 

「私がいなくてもできれば毎日続けてくださいね。その方が実験結果もわかりやすく出ると思いますし」

「……」

「私が一日の予定の中に入れますから、大丈夫ですよ」

「お願いしますソヤリさん」

 

 私とソヤリさんの会話を聞いてアルスラン様は諦めたような顔になって首を振った。

 それから一通りの運動を教えて寮に戻る時間になったのだが、そこでアルスラン様に引き止められた。

 

「一つだけ知らせておくことがある。これは其方に教える必要はないのだが、気になっている事柄だと思ったので教えておく。リンシャークのレンファイの王位継承の儀式が来年に延期されたそうだ」

「え⁉ レンファイ様のですか?」

 

 レンファイ様は卒業してすぐ、今年の夏に王位に就く予定だったはずだ。

 

「去年レンファイを傷つけようとした犯人の一族にかなり重い処罰が下ったらしい。その余波で国の中がざわついているようだな。その状態で王位を継がせるのは忍びないと思った現王が一年の延期を決めたようだ」

「そうなんですか……」

「私は、この延期は王ではなくレンファイが提案したのではないかと思っているが」

「え?」

「確か継承の儀式と同時にレンファイの婚約者が発表される予定だったはずだ。それが一年延期ということは、婚約者の発表も一年猶予ができたということになる」

「あ、ではその間にイバン様を婚約者として認めてもらおうと?」

「ただの推測だがな。だがあの優秀な二人のことだ、確実に目的を達成させるために様々な策を練っているのであろう」

「そうなんですね……」

 

 ソヤリの話からあの二人の結婚はかなり難しいことだと思っていたけど、本人たちは必ず叶えるという前提で動いているようだ。きっと私には思いつかないようなやり方で目的を達成するに違いない。

 

「教えてくださってありがとうございます、アルスラン様。私少しホッとしました」

 

 私が眉を下げてにこりと笑うと、アルスラン様は執務に戻りながらこちらをチラリと見る。

 

「これは極秘の情報でもないからな、いずれリンシャークの者から知らされたであろう。大したことではない」

「それでも、私は早めに知ることができて嬉しかったです」

 

 私があの二人のことを気にしていると思ったから、アルスラン様は私に教えてくれたのだろう。その気持ちが嬉しかった。

 

「また来ますね」

「ああ、ご苦労であった」

 

 少し運動したからか、体も心も軽くなって私は王の間をあとにした。

 

 

 

 

交渉をして王様に運動をさせることができました。

これが運動と言えるかわかりませんが大きな一歩です。


次は 大国の第二王女と第二王子、です。

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