喜劇の脚本と配役
それから数日後、脚本が出来上がったとヤティリが言ってきた。練習室で役者メンバーと基礎練習をしていた私は、途中で切り上げて早速読み始める。その姿を見てヤティリは慌てて離れた小上がりに逃げていった。
相変わらず目の前で読まれるのはダメなんだね……この前の途中の段階では平気だったのに。
ヤティリの行動を不思議に思いながら脚本に目を落とすと、私はあっという間にその物語に引き込まれていった。
『喜劇 ドミニクとパウリーノ』
とある国の中位貴族にドミニクという、うだつの上がらない若い男がいた。彼はこれまでの人生で一度も努力をしたことがないという、なんともダラけた人間だった。その友人に同じくあまり真剣に物事考えない、ちゃらんぽらんな軽率な男パウリーノがいた。二人の家は一応ライバル関係にあったが、二人はあまりそのことを気にしていなかった。どうでもよかったからだ。
しかしそんな二人はある日面白い情報を得る。同じく中位貴族のアンジェラという美しい女性が結婚相手を探しているという。彼女は親の決めた相手が嫌で、「わたくしは結婚したい相手を自分で選びたいのです」と言って結婚相手を公募したのだ。
その公募発表の場に居合わせた二人はたちまちアンジェラの美貌に惚れ込み、そこから二人は生まれて初めてやる気を出し、他の男たちに混じって彼女に次々とアプローチをしていった。アプローチ対決を進行するのはノリの良いウーゴという男だ。彼に乗せられて二人は対決しながら徐々に調子に乗っていく。
そしてすぐにボロがで始めた。生粋のダメ男のドミニクと軽率なパオリーノは諦めるのが早かったり、すぐに人を騙そうとしたり、嘘をついたり、どんどんとダメなことを重ねていく。そんな二人に周りは引くが、アンジェラはドミニクがいいと言ったりパウリーノがいいと言ったりこちらも節操がない。
その後アンジェラが二人を指名して対決して欲しいとお願いする。ここで絶対に勝ちたい二人は生まれて初めて真っ当に努力をして最終対決に臨む。二人の力を振り絞ったアプローチを受けたアンジェラは感動するが、最後の最後に飛び入り参加で素敵な踊りを披露したウーゴに心を奪われてしまう。そしてアンジェラの結婚相手はウーゴに決まったのだった。
突然第三者にアンジェラを奪われた二人は、努力するのが遅かった……とガックリ項垂れ、二人で肩を組んで去っていくのでした。
「ヤティリ、脚本読んだよ」
「ふぇあっ。……ど、どうだった?」
私はヤティリの座っている小上がりに上がって、向かいのヤパンに座る。
「ふふふ、面白かったよ。ねぇ、これってもしかして当て書きで書いてる?」
「デュヒヒ、やっぱりわかった?」
実は脚本の打ち合わせの時にヤティリに当て書きについても説明していたのだ。当て書きとはすでに登場人物を演じる役者が決まっていて、そこから脚本を書くという手法だ。その役者の癖や演技の幅などを知った上で書くので、違和感なく役がハマることが多い。
「だって、これ、どう見たってケヴィン先輩とチャーチ先輩だよね。ダメ男っていうのは違うけど、ドミニクは変なところにプライドがあるし、頑固。パウリーノは適当でチャラい性格。あの二人をダメ男にしたらそのままじゃない?」
「デュヒヒっそのままだなんて酷いなディアナは」
ヤティリはそう言いながら肩を揺らしている。
「今年の役者を見たら、主役ができそうなのってあの二人だけだし、経験者を優先させるんだったら配役はすぐに決まっちゃうでしょ。だから最初からあの二人を想定して書いたんだよ」
「じゃあアンジェラはシャオリー先輩で、ウーゴはラクスってこと?」
「そうだね。本当はディアナもどこかに入れたかったんだけど、アクが強すぎて目立ちすぎちゃうから断念したんだ」
「アクが強いって……あの二人に比べたら普通でしょ私は」
「自分じゃ気づかないんだね……」
私の言った言葉にヤティリが残念な子を見るような顔になる。
……なんでそんな顔になるかな。あとアクが強いのはヤティリもだからね!
「やー、しかし当て書きっていうのを初めてやってみたけど、面白かったよ。特に台詞とか、なにも考えなくても出てくるんだもん。その辺はすごく楽だった」
面白い書き方を教えてくれてありがとう、と言ってヤティリはニヤリと笑う。彼の創作の役に立ったのなら嬉しいけど、言ってすぐに実践できるなんて、ヤティリはやっぱり天才だと思う。
私は脚本をトントンと纏めて机の上に置く。
「脚本の大筋はこれでいいと思うから、あとは二人のダメさをどう面白く表現するのかと、対決のところの踊りだね」
「踊りのところは僕にはわからないから、そこはディアナとラクスに任せるよ」
「わかった。ありがとうヤティリ。今年も面白いものが出来そうだよ」
「そう? ただ細かいところを詰められてないシーンがあるから、僕も練習を見ながら追加で書いていくよ」
私は頷いて、この脚本を印刷してもらうようにヤティリに頼んだ。
翌日、脚本が出来上がったのでメンバー全員に配る。みんなが目を通している間に私は白板に登場人物の名前を書いていった。
・ドミニク(グダグダ男)
・パウリーノ(ちゃらんぽらん男)
・アンジェラ(よく心変わりする美女)
・ウーゴ(対決の進行役)
・ドミニクの仲間四人(踊り手)
・パウリーノの仲間四人(踊り手)
・アンジェラのお付き二人(使用人)
今回はほぼ配役は決まっているのでその名前に下に役者の名前を書いていく。ケヴィン、チャーチ、シャオリー、ラクス、そしてアンジェラのお付きにチェシルとマーラ。
脚本に前もって目を通していたハンカルがそれを見て首を傾げる。
「踊り手が八人いるが……役者の人数が足りないんじゃないか?」
「私が二役やるから大丈夫だよ。ドミニクの仲間の一人と、パウリーノの仲間一人」
「その二役が一緒に出てくるところはないのか?」
「最後全員で踊るシーンがあるけど、そこに一人いなくたって大丈夫だよ。台詞もないし、後ろで踊ってるだけだから」
踊り手というのはバックダンサーのことだ。ドミニクやパウリーノがアンジェラにアプローチするときに踊りを踊るシーンがいくつかあるのだが、その後ろで盛り上げるために踊る役なのだ。
全員が脚本に目を通し終えたら、新メンバーをどちらのバックダンサーをするか決めようと思って顔を向けると、みんな脚本を読みながら面白い顔をしていた。
思わず吹き出してしまう人、ニヤニヤと笑いながら見てる人、呆れている人、そしてケヴィンは苦虫を噛み潰したような顔になっていた。
まるでケヴィン先輩だけ違う物語読んでるみたいだね。
「だははは! なんだこれ、ドミニクって最低だな」
ラクスがそう言って爆笑する度にケヴィンの顔が険しくなっていく。そしてみんなが最後のオチあたりまで読んだところで「えー!」「そうなるの?」「あはははは!」とそれぞれ声を上げる。
「すげえ! めちゃくちゃ面白かったぞコレ! ヤティリって本当に天才だな!」
ラクスが脚本を閉じて後ろにいるヤティリに声をかける。言われた本人は突然大声で褒められて驚いたのか、「ほゎ⁉」と叫んで小上がりの陰に隠れてしまった。
概ね好評だったのだが、ただ一人ケヴィンだけは目を閉じてプルプルとなにかに耐えるように小刻みに震えている。
「あの……ケヴィン先輩? 大丈夫ですか?」
「……ディアナ、一つ聞きたいが、もしかしなくてもこのドミニクというふざけた男を僕がやるのか?」
「ええ、そうですよ。ケヴィン先輩に合うように書いてもらいましたから、めちゃくちゃハマるはずです」
「こいつのどこが僕と一緒なんだ! こんな努力をしたこともないダラけたペラペラの男なんて絶対にやらないからな!」
「先輩と一緒とは言ってないですよ。やりやすいってだけで。先輩がダラけた人間だなんて思ってませんから安心してください」
「安心できるか! 全く! 嫌な予感がしたんだ。こんな情けない男を学生たちの前で演じるなんて、絶対にごめんだ! 他のメンバーに変えてくれ!」
「ダメです」
ケヴィンの剣幕に周りのメンバーが引く中、私は笑顔でズバリと言い切った。
「絶対にダメです。この役はケヴィン先輩にしか出来ないんです。いいですか、ケヴィン先輩には観てる人を笑顔にできる力が備わっているんです。その才能を放ったらかしにしておくなんて神に対する冒涜ですよ。今回は絶対にケヴィン先輩にドミニクをやってもらいます」
笑顔を貼り付けたままケヴィンの方へズンズン迫っていくと、ケヴィンが顔を引き攣らせて後ろに手をつく。
「か、神様ってなんのだ?」
「笑いの神様に決まってるじゃないですか。ドミニクのことが嫌いでもなんでも、この役を生き生きと演じられるのは先輩しかいないんですから、やってください。お願いします。ね?」
さらに笑顔を深めて顔を近づけていくと、「笑いながら怒るのはやめろ!」とケヴィンが後ずさる。
「嫌だなぁ怒ってませんよ。お願いしているだけです」
「それがお願いしている人の顔か! おい、チャーチだってそんなペラペラな適当男をやるなんて嫌だろう?」
「僕は全然嫌じゃないよ」
「はぁ⁉」
「確かにパウリーノは僕と違って軽くて節操がないけど、人間味があって魅力的な人物じゃないか。それにやっと主役の一人を演じられるんだ。こんなに嬉しいことはないよ」
「軽くて節操がないのはまんまじゃないか……」
というケヴィンの呟きを無視してチャーチは脚本をうっとりと眺める。
「それにこの対決の中で踊りを踊るっていうのも面白いじゃないか。僕は昨年踊りらしい踊りはしなかったからね、それも楽しみだよ」
「確かにここ楽しそうだよな! 俺想像しただけでワクワクしてきたぞ」
チャーチの言葉にラクスがそう乗れば、
「なあ、この踊りのところ俺たちがやるんだよな? すげぇ目立つんじゃないか?」
「嬉しそうだねイッキ兄上」
「そりゃ目立つのはいいことだろ!」
とイッキと弟のウギルが話し出す。
「お、おい……」
「こんなに踊りの場面があるんだ……楽しみ」
「チェシル! 私たち、このお付きの役だって!」
「台詞もあるのね。すごい……頑張って覚えなきゃね」
戸惑うケヴィンを置いて個性的なエガーリクや仲良しコンビのチェシルとマーラも盛り上がっている。
「先輩、こんなにみんなこの劇の役を演じるのを楽しみにしてるんですよ? お願いします、ドミニクをやってください」
楽しそうなメンバーを見ながら、私は続けて小さな声でケヴィンに囁く。
「それに正直言うと、この劇が盛り上がらないとまずいんです」
「む? まずい、とは?」
「去年はイバン様とレンファイ様がいらっしゃったのでお客さんもたくさん入りましたし、劇も大好評でした。でも今年はお二人がいません。その中で去年より受けない劇を披露したら、来年から演劇クラブの人気はガタ落ちです。期待してくれてた人はがっかりするでしょうし、公演を観にきくれる人は大幅に減ってしまうでしょう」
「……!」
「せっかくイバン様とレンファイ様が上げてくださったこの演劇クラブの評判を、私は落としたくないんです」
さっきとは変わって真剣な顔で私がそう言うと、ケヴィンは眉を少し寄せる。
「……あのお二人が残したものを守りたい、ということか……」
「はい。もちろん演劇クラブは私がやりたくて作ったものですが、あのお二人がいなければこんなにスムーズにスタートを切れていなかったと思います。ですからこの環境を、私は守っていきたいんです」
「……」
私の言葉にケヴィンは腕を組んでさらに皺を深めた。
「……本当に僕じゃないと出来ないのか? ドミニクは」
「はい、他の誰にも出来ません」
「……」
それ以上寄せたら眉間に皺がくっきり入っちゃうんじゃない? というくらい眉を寄せて、ケヴィンは深くため息をついた。
「……わかった。ドミニクをやろう」
「本当ですか⁉」
「演劇クラブの人気が落ちたら、イバン様が悲しまれる。僕はそれが嫌なだけだ」
「ありがとうございます! 嬉しいです先輩!」
私が手を叩いて喜ぶと、ケヴィンは再び長いため息をついた。
その後、決まっていなかった踊り手の配役を決めた。
ドミニクのバックダンサーにはジャヌビ四兄弟の次男イッキ、四男タルティン、侍のクベストと私。
パウリーノのバックダンサーにはジャヌビ四兄弟の長男カッタ、三男ウギル、個性的なエガーリクと私がそれぞれ担当することになった。踊り手たちは踊りだけでなく、たまに台詞もあったりする。
「それでは次の練習から読み合わせを行なっていきましょう。みなさんそれまでに自分の役の台詞を覚えたり、新しく入ってきた人は基礎練習をしっかりやるようにしてください」
「はい!」
私の言葉に新メンバーが元気のいい返事をして、早速自分たちの台詞をチェックしていく。私はその様子を見ながらイリーナと衣装の打ち合わせを始めた。
「今回は中位貴族の衣装と、踊り手の衣装、あとお付きの女の子の衣装が必要だね。結構多いけど出来そう? イリーナ」
「もちろんですわ。ディアナは二役ですけど、衣装も二パターン必要ですの?」
「ああ、どうしようかな。多分途中で着替えを繰り返す余裕はないかも……」
「でしたらすぐに変えられる物だけ変化させましょうか。上着を着たり脱いだり、スカーフを二重にしたり……って、この踊り子は男性の衣装ですの? ディアナの耳はどうします?」
「踊り手は男性って設定だから他の人たちと同じ男物の衣装でいいよ。耳は隠そうかな。目立っちゃうし」
「わかりましたわ。それならスカーフよりターバンや帽子と組み合わせた方が良さそうですわね」
私の要望を聞いてイリーナがテキパキとやることを決めていく。その手際の良さを見てメイユウが目を丸くしていた。
衣装の打ち合わせが終わったら次は音出し隊の方へ向かう。
「ディアナ、今回のメインってこの踊りの対決のところだよね? どうやって音を作るの?」
「メインのところは踊りがある程度決まってからかな……今回は集団の踊りが多いし。先にそれまでの前半の部分の音を決めちゃおう。ドミニクとパウリーノが情けない人物だから、結構気の抜けた音が多いと思う」
ファリシュタの質問にそう答えると、ナミクがパッと顔を上げる。
「気の抜けた音、ということはもしかして角笛も使いますか?」
「あ、そうだね。使ったら面白そう。あと去年は出番がなかったラクスが持ってきた金属の棒のやつとか」
「笛も使えそうだね。ナミクと私は前半の方が忙しいかも」
音出し隊はいつの間にかダニエルとエルノが太鼓、ファリシュタとナミクがその他の楽器という役割分担になっているので、確かに前半はその二人が忙しそうだ。
太鼓はツァイナもいるからこれ以上いらないしね。
「ツァイナ、気の抜けたというか、ひょうきんなリズムって作れる?」
「ひょうきんなリズム……ですか?」
突然話を振られたツァイナが目を見開いて固まる。しかしすぐに復活して太鼓を見つめながら考え出した。
「こんなリズム、とか?」
そしてポンポコポン、ポンポコポンと太鼓を叩く。
「いいね。そういう変なリズムをみんなと一緒に考えてほしいな。使えそうなやつは使うから」
「わかりました。やってみます」
「! 僕たちも一緒に作るの?」
「ディアナが作るのではなく?」
エルノとダニエルの驚く声に私はクスリと笑う。
「別に誰が作ってもいいんだよ。去年一年やってみて、なんとなくリズムってどういうものかわかったでしょ? リズムを作るのもいろいろ勉強になるから、挑戦してみて」
「……できるかわからないけど」
「そうですね。やってみます」
戸惑いながらも頷く二人に、私はにこりと微笑んだ。
さて、脚本と配役が決まったし、これから忙しくなるぞ!
脚本が完成しました。ドミニク役を嫌がっていたケヴィンもイバンのことを持ち出されるとやるしかありません。
頑張れケヴィン。
次は 歌の翻訳と運動、です。