青の授業 除去の魔石術
三年生の各魔石術学の授業が始まった。基礎魔石術学は今年から応用魔石術学となり、内容も少しずつ難しくなるらしい。
校舎の廊下を歩きながら、ファリシュタが不安そうな顔をする。
「基礎魔石術学でも難しかったのに、大丈夫かな……」
「どうなんだろうねぇ」
応用なんて言われても全然想像がつかない。すると後ろを歩いていたルザがファリシュタに声をかけた。
「ファリシュタは炎の扱いや解除など得意な魔石術もあるのですから、きっと大丈夫ですよ」
「そうだったらいいけど……」
教室までやってくると、イシークは「では行ってまいります」と自分の授業の教室へと向かっていく。そして授業終わりに急いでこっちに戻ってくるらしい。
教室に入って席に座り、授業の開始を待っていると周りの席の子たちが話しかけてきた。
「あの、今年の公演ってなにするかもう決まってるの?」
「去年のような恋愛物語はやりますの?」
「あ、それ私も聞きたかったのよ」
どうやらみんな去年の王子と王女の恋愛劇を観て演劇クラブに興味を持ってくれたようだ。
「恋愛物語ではないけど、すごく面白い演目にしようと思ってるよ。よかったら観にきてね。今まで観たことがないものを見せるから」
「そうなの?」
「どんなものなのかしら」
「それって男でも楽しめるものかい?」
「興味はあるんだが、そこが気になってな……」
女子に続いて男子生徒からも質問がくる。
「今年は男性にも楽しんでもらえる演目にするから、大丈夫だと思う」
「そうか、じゃあ考えておくよ」
「楽しみだな」
こんなに演劇クラブの活動に注目してくれてる人たちがいるんだ……嬉しいな。
と、周りの反応に喜んでいると遠くの席から甲高い声が聞こえた。
「まぁ、あのような者が作る珍妙な出し物を観に行くなんて物好きだこと。ここの貴族たちは本当に程度が低いようね。そう思わなくて?」
「ティエラルダ様の言う通りです」
その声に周りにいた同級生たちが黙り込む。
久しぶりに絡まれて私は思わずティエラルダ王女の方を向いた。
「あら、なにか言いたいことでもあって?」
「……いえ、なんでもありませんティエラルダ様」
私はにこりと笑って前を向く。
去年は教室で会っても絡んで来なかったのに、今年は最初から絡んできたよ。なんでだろう?
不思議に思って首を捻っていると、教室の扉が開いて一人の女性が入ってきた。腰まで伸びたストレートの髪は表が黒色、インナーが緑色という独特の配色で、紫の目をしている。まるで鼻歌でも歌いそうなくらい上機嫌な若い女性だ。
弾むような足取りで歩く度にその豊かな胸がゆさゆさと揺れるので、教室にいる男子生徒だけでなく女生徒までその胸に釘付けになっていた。
女性は教卓に荷物を置くと、教室中を見渡してふふふんと笑った。
「おはようございます! 今年から応用魔石術学の青と緑を担当するレネーアです。レネーア先生って呼んでね!」
どうやらこのキャピっとした女性が先生らしい。今までいなかったタイプの先生が現れてみんなザワザワと騒ぎ出した。
去年までのヘルミト先生とは大違いだね……。
見たところ二十台半ばくらいかなと思うのだが、応用魔石術の先生をするということは優秀な人なんだろうか。そう思ってると、「あ! やだ! 教科書のワゴン忘れてきちゃった。ちょっと待ってて!」とレネーア先生が叫んで教室を飛び出して行ってしまった。
「……なんか、変わった先生だね」
「なんというか……すごく若い……ね」
「……私が得た情報とは違っていて驚きました……」
ルザがそう言って眉を寄せるのでどんな情報だったのか聞くと、「かなり優秀な成績で学院を卒業し、最年少で教師になった一級の力を持つ先生」ということらしい。学院が出来た時すでに十四歳だったので四年生から学生をスタートしたんだって。
学院に三年しか通っていないのに教師になるんだからすごい優秀だと思うけど……。
その後ワゴンを押して急いで帰ってきた先生は息切れすることなくみんなに教科書を配り出す。
「私興奮すると他のことをすぐ忘れちゃうんだよね。えへへ」
先生は照れながらそう言うと、教卓の上に一つの布袋を置いて学生たちの顔を順番に見つめた。
「うんうん、今日の三年生はこんな感じね。顔覚えたよ。応用魔石術は基礎魔石術学に比べると少し難易度が上がるけど、落ち着いてやればみんなできるようになるから、頑張ろうね!」
その言い方は高校の時の新人教師のようだった。貴族としてはあり得ないくらい軽い口調だけど、仕草も表情も可愛いので、不思議とこっちも頑張ろうという気になってくる。特に男子には効果抜群のようだ。
「今日は青の魔石術で『除去』っていうのをやっていくね。これは洗浄や解除みたいに日常的には使われないけど、いざという時に知っていないと大変なことになるやつだから、しっかり覚えていこう」
レネーア先生がそう言うとみんな教科書を開き始める。
「人体に悪影響を及ぼすものの代表といえば毒があるよね。これは植物や魔物が元々持っていたり、今では人工的に作られたりしてる。他にも毒までいかなくても人体に影響を与える物質はたくさんあるわけだけど、それらは解毒の魔石術で治すことができる場合が多いの」
私は教科書に書いてある毒という文字を見て眉をひそめる。私にとって毒はテルヴァとイコールだ。苦い思いが胸の中でどうしても広がってしまう。
「で、これとは別に毒と同じくらい危険なものがこの世にはあるの。それが『マギア寄生体』。これはマギアコアを持っている魔石使いに強い影響を及ぼす寄生虫みたいなものなんだけど、知ってる人っているかな?」
レネーア先生が顔を上げると、生徒たちはお互いに顔を見合わす。そこにスッとルザだけが手を上げた。
「ルザ、知ってるの?」
「ええ、危険物質については一通り学んでますので」
「へぇ、なかなか物知りだね、君。素晴らしい!」
先生はルザに笑顔を向けて拍手をする。
「このマギア寄生体っていうのは滅多に出てこないものだから、知ってる貴族も今までほとんどいなかったんだよ。でも学院長であるアルスラン様が魔石使いは絶対に知っておかなければならない知識だからって仰って、授業で扱うことになったの。なんせこのマギア寄生体は魔石使いのマギアコアに向かって突き進んでくる生物だからね」
え……マギアコアに向かってくる?
「それは……魔石使いに狙いを定めてくるってことですか?」
他の生徒の質問に、先生はうーん、と腕を組む。
「狙いを定めるというか、狙いそのものというか。マギア寄生体はね、マギアコアが大好物なの。しかも大きければ大きいほど勢いを増して進んでくるから、一級の人とかは本当に気をつけなきゃいけないものなんだよ」
レネーア先生の言葉にみんながチラチラと私を見る。この教室で一級なのは私だけだ。
え……大きければ大きいほどって……私、特級なんだけど……。
「あの、そのマギア寄生体に侵されたらどうなるんですか?」
「どういう状態になるのかはその寄生体の種類によるんだけど、状態異常を起こすことが多いわね。パニック状態に陥ったり、深い眠りについたり、一番嫌なのは体を操られるってやつかな」
「えっ操られる⁉︎」
「自分の意志で体を動かせなくなって、寄生体に操られた状態になるの」
ひえええ! なにそれ!
「自分の言うことを聞かない体に最初は驚くんだけど、そのうち意識も寄生体に乗っ取られるらしいよ。そうなるともう自分ではないものになっちゃうよね」
「……ひっ」
「そんなものが……」
先生の話に生徒たちから悲鳴が上がる。私も思わず想像してしまってうえっと気持ち悪くなった。
なんか恵麻時代にもそういう寄生虫がいたよね。アメーバみたいな。人間の脳まで侵食していって人格を壊してしまうって感じの……あれの魔石使い版ってことか。
「そうそう、そんなのに乗っ取られたら嫌だよね。で、今回はそんな状態になった人を助けるための除去の魔石術ってのをやるの。マギア寄生体自体ほとんど見ないものだから使う機会はないかもしれないけど、これは絶対知ってた方がいい魔石術だから、みんなで覚えようね」
先生がそう言って握り拳を作ると、さっきの説明で気持ち悪い顔をしていた生徒たちが真剣な顔でうんうんと頷いた。
先生は教卓の上の布袋から一つの瓶を取り出してみんなに見せる。
「ここには前もってマギア寄生体に侵食された魔石が入ってるの。魔石の中に黒い塊が漂っているのがよく見るとわかるんだけど、これに除去の魔石術をかけて取り除いてもらうよ。除去が上手くいくと寄生体は消滅するから安心して」
今さっき聞いた気持ちの悪い生物が目の前にあるとわかって思わずゴクリと喉が鳴る。
「ああ、この瓶の中にいる限り広がらないから大丈夫だよ。あとこの寄生体は魔石使いの体を眠らせるだけだからもし侵入されても危険はないし」
先生はあっけらかんと言うが、そんな寄生虫みたいなものが入ってくると思っただけで全身が粟立つ。
……これは、かなり真剣に取り組まないと……!
「じゃあやり方を先に説明するね。除去の魔石術は解毒のように体全体にかけることはできないの。一点集中して、じわじわと対象物から異物を取り除くイメージをするんだよ。この時かなり集中しないと効かないから頑張ってね」
レネーア先生はそう言うと目の前に掲げた魔石入りの瓶に向かって魔石術を唱えた。
「『マビー』寄生体を取り除いて」
キャピっとした雰囲気を消した先生がスッと目を細めてそう命じると、青のキラキラが飛んでいって瓶を包み込む。ぐっと目元に力を入れると魔石の中から黒いものが少しずつ出てきて、そのままパチンッと弾けるように跡形もなく消えていった。
青い光が消えると、先生はフゥッと息をついた。
一級の先生でもあれだけ集中しないと成功しないんだ……これは難しそう。
「こんな感じ。別に魔石術が成功しなくてもみんなに害はないから何回でも挑戦してみて」
先生はそう言って魔石の入った瓶を一段目の生徒に配り出した。危険はないと言っても注意が必要なものなので一段目、二段目、三段目に分けてトライしていくようだ。
配られた生徒たちは顔を引き攣らせてその瓶を凝視している。私はその様子を見ながらルザとコソコソと喋り出した。
「ルザは除去の魔石術は使えるの?」
「一応は。少ない量ならば除去できるのですが、全てとなると無理ですね。地味な魔石術ですがかなりマギアを消費するのです」
「そうなんだ」
「私、絶対できない気がする……」
私たちの話を聞いて三級のファリシュタが眉を下げる。確かに使えるマギアの量が少ない人にとってはかなり難しいものかもしれない。
一段目の生徒たちは緊張しながらも真面目に挑戦していたが、やはり一回でできる人はいなかった。
「魔石の中から不純物を取り出して握り潰す感じでやってみて。こう、ぐしゃっと。ぶちぶちっと」
可愛い顔と口調でえげつないことを言いながら、レネーア先生が笑顔でみんなを励ます。そのうち、何回か挑戦していた一人の男子生徒が「あ、できた! 少しだけですけど」と瓶を掲げた。
「うん、黒い部分がちょっと減ったね。いいよいいよ、その調子!」
けれどその男子生徒はそれ以上は続けられないようで、「もう無理です……」と肩を落とした。その他にも少しだけ除去できた生徒はいたが、全部は無理なようだった。そして次に二段目の私たちに瓶が配られる。
これがマギア寄生体か……。
恐る恐る瓶を持って中の魔石を覗き込むと、黒いアメーバのようなものがうにょうにょと漂っていた。
うへぇ……気持ち悪い。
「じゃあ二段目の子たち、始めていいよ」
先生の合図に私たちは瓶に向かって「『マビー』寄生体を取り除いて」と命じる。青の魔石から光が出て瓶をキラキラと包む。私は目を細めて魔石を凝視し、その黒いアメーバに集中する。
この黒いのを魔石から取り出すイメージだよね……じゃあ魔石に針を通してそこに吸い込ませる感じでどうかな。
頭の中に恵麻時代のテレビで見た顕微鏡の映像が浮かぶ。なんの映像だったかは忘れたけど、シャーレの中に細い針を入れてそこに漂っていた細胞みたいなものを取り出していた。
私がそのイメージで魔石の中の黒いものを引っ張ると、にゅっと黒い物体が動いた。まるで細い針に吸い込まれていくようにギュッと長細くなって魔石の中から出てくる。
うわ、本当にマギアを使うんだねこれ。
いつもだったら全く感じないマギアが消費されていくような感覚がする。去年アルスラン様に解毒をかけ続けた時みたいに酷くはないけど、それでも今までの魔石術とは全然違う。
ギューっと吸い出されるように出てきた黒いものを次は消すイメージをする。
先生がぐしゃっと握りつぶすようにって言ってたから、圧搾機みたいに鉄の塊で潰すイメージで……。
私はその黒い物体を上下から挟む想像をして、「フン!」と心の中で叫んでそれを勢いよく潰した。その瞬間、マギア寄生体がバチン! と消え去った。
ふぅ……できたかな。
魔石の中を覗き込むと黒いうにょうにょは無くなっているように見える。
「先生、できたと思います」
「本当? 見せて見せて」
機嫌よく近づいてきた先生に瓶を手渡す。
「おお! うんうん、すごい! 全部消えてるね。一回目でこれができるなんて、すごいね君……て、ああ! 君って例の子か。やだ、間近で見たらさらに可愛い!」
先生は感動したり驚いたり照れたり落ち着かない素振りで私のことをじろじろと見る。
なんか、反応の仕方がミーハーだなぁ。っていうか、私がエルフってこと今気づいたんだ。
優秀なようで天然なのだろうか。不思議な先生だ。
「一級の子はマギアに余裕があるから成功率は高いんだけど、それでもこんなに早くできないよ。ねぇ、これどんなイメージでやったの?」
「ええと……細い針を刺して、黒いものを吸い出すイメージをしました」
「細い針ね、なるほど。力のかけ具合は? 結構ドバッと使った?」
「いえ、どちらかというと安定して細く長くかける感じでした」
「うんうん、やっぱりそういう使い方の方がいいよね。私も同じだもん」
レネーア先生はそう言うと、周りの生徒たちに声をかける。
「今この子が言ったみたいに、力の強さより安定してかけ続けるっていうのが大事だから、みんなもそれを意識してやってみて」
「安定してかけ続ける……か。それなら私にもできるかな」
ファリシュタがそれを聞いて再度挑戦を始める。私はそんなファリシュタの応援をしたり、周りの子にアドバイスしたりして過ごした。
結局黒いものを少し出して除去することに成功する生徒はいたが、全部出せた人は私以外いなかった。ルザだけが結構惜しいところまでいっていた。
「解毒や除去に関してはこれからもっと精度を高めたいですね。側近としては」
テルヴァに狙われていて魔石使いとして力が強い私を守るためには必要な魔石術だということで、ルザは真剣にそう言って頷いた。
確かに、私には必要なものかもね……使う時が来ないことを祈るけど。
応用魔石術学になって先生が変わりました。
レネーアは今までにいなかった若くてミーハーな先生です。
こんな先生がいたら授業も楽しそう。
次は クラブ活動初日と新メンバー、です。