誓いの布
思わぬ事態に私は自分の頬を手で覆う。
ええええっなにこれ! どんな少女漫画展開⁉
いきなりのクィルガーの求婚にヴァレーリアが顔を赤くして固まっている。さっきの養子の話より何倍もびっくりした私はサモルとコモラと顔を見合わせたあと、ドキドキしながら二人を見守る。
「俺と結婚するのは嫌か?」
「い、いいいい嫌、とかでは……や、ちょっと待って」
自分の手の平をクィルガーにビシッと出してフリーズしているヴァレーリアの動揺がすごい。いや気持ちはわかる……こんなさらっと、しかもみんなの前で求婚されるとは思わなかっただろう。
「なんで急にそんな……」
「ディアナを養子にしようと決めた時に、おまえのことをどうするか考えたんだ。貴族のおまえが俺の養子の世話係っていうのも変だろ。じゃあ俺と結婚してディアナの養母になるのが一番収まりがいいと思ったんだ」
「ディアナの養母……」
そのフレーズにピクリとヴァレーリアが反応する。
そっか、クィルガーのお嫁さんになるということは私の養母になるということなんだ。
「だがおまえがどれくらいディアナのことを面倒見たいと思っているのかわからなかったから、さっきあの質問をしたんだよ」
「あ……あれ、そういうことだったの……」
そういえばさっきテラスで二人で喋ってたが、そんな話をしていたとは思わなかった。
「……ンンッ。話はわかったわ。そりゃディアナの養母になれるんだったら私は嬉しいけど、その……あなたはそれでいいの? 私は見ての通り貴族といっても下位貴族の家出娘だし、あなたの家ってかなり高位なのでしょう? 家族の方はいい顔しないんじゃない?」
ヴァレーリアが心配そうな顔でそう言う。
同じ貴族でも身分の差ってあるのか……そういう結婚ってやっぱり難しいのかな。
だがヴァレーリアの問いにクィルガーは軽く肩を竦ませた。
「うちの家は放任主義というか、よくいえば実力主義だ。家のことより自分の目的のために生きることを推奨してる変わった家なんだ。だから俺も長男なのにこの歳まで結婚もせずにフラフラしててもなにも言われないんだよ」
「……それはたしかにかなり変わったおうちね」
この歳までという言葉が気になって「この辺の結婚適齢期って何歳くらいなんですか?」と小声でサモルに聞くと、この世界では十五歳で婚約が可能になり、十八で成人になって結婚できるようになるので、結婚適齢期は十八から二十五歳くらいらしい。クィルガーは二十八歳なのでまあまあ過ぎている。
「俺が堂々と『この人を嫁にする』と宣言すれば問題ないさ」
「そ、そうなの……」
なんとなくこの流れのまま結婚が決まりそうだが、私には少し罪悪感が生まれてきた。なぜならこの二人は私がいなければこんなことになってはいなかったからだ。私のせいで二人の人生が狂っていく気がして、なんだかモヤモヤする。
結婚って人生では大きな出来事だ。きっとこの世界でもそうだろう。自分の置かれる立場によってやりたいことが出来なくなったりするんじゃないだろうか。
私のために、二人が望んでない未来に行こうとしてるんだったら嫌だな……。
そう思って私は二人に質問した。
「あの、待ってください。その……二人は私のために結婚を決めていいんですか? そのぅ、お互いのこと、す、好きで結婚するわけじゃないですよね?」
「ディアナ、そんなこと気にしなくてもいいわよ。こういう政略結婚なんて貴族ならいくらでも……」
「俺は好きだぞ」
「え?」
「は?」
クィルガーの一言にみんながそっちを向き、シンとしたところでサモルが思わず声を上げた。
「えっ、クィルガーさんは姐さんのこと好きなんですか?」
「そうだが?」
その質問にクィルガー普通に頷く。するとコモラが目を輝かせてその話に乗っかった。
「わぁそうだったんですか! クィルガーさんは姐さんのどんなところが好きなんですか?」
「気が強いのに笑うと可愛いところだな」
「さすがクィルガーさん! わかってるぅ」
そう言ってコモラが手を叩いて喜ぶ。チラリと横を見ると、ヴァレーリアが首まで真っ赤にしていた。そりゃそうなるだろう。しかし私も顔のニヤニヤが止められない。
そうか、そうだったんだ。クィルガーは全然態度に出さないからわからなかったよ。
「あ、な……なに言ってるのよっ」
「おまえは俺が嫌いか?」
「き、嫌いじゃないってば……」
「姐さん、ここは素直になりましょう! 前にクィルガーさんのこと『強い男はいいわね』って言ってたじゃないですか」
「単純に強さを褒めただけよ!」
「姐さん! ぶっちゃけ好きか嫌いかでいうとクィルガーさんのことは?」
「………………………………っ」
ヴァレーリアはそこでハッとなって、
「言えるわけないでしょ馬鹿‼」
とさらに顔を真っ赤にして叫んだ。
ヴァレーリア、それはもう言ってるのと同じだよ……。
するとそれを聞いたサモルとコモラが喜びを爆発させる。
「やった————! 姐さんがついに結婚!」
「あの男運が悪かった姐さんが結婚なんて……! 嬉し過ぎますぅ」
そう叫び、二人は抱き合って泣き始めた。私もそれを見て嬉しくなる。二人が想い合って結婚するんだったらいいのだ。
「そうと決まれば、早速婚約の儀式の準備ですね!」
「あ? 今からするのか?」
「当たり前じゃないですかクィルガーさん! 国境を越えるときに姐さんは婚約者として申請するんでしょう? でしたら『誓いの布』の交換は済ませておかないと!」
「あー、そうか。そうだった」
「僕、これから買い出しに行ってきます! ごちそうたくさん作りますね!」
二人はそう言って勢いよく玄関を飛び出していく。私はそれに呆気にとられながらクィルガーに聞いた。
「『誓いの布』ってなんですか?」
「あー、婚約するときにお互いに交換する布があるんだ。まあ、あとで見せる」
「じゃあ今日もここにお泊まりですか?」
「そうなるな……早く出るつもりだったが、こればっかりはしょうがない」
「じゃあ今からパーティですね。ふふ、楽しみです」
私は笑って横のヴァレーリアを見る。この状況についていけてないようで、彼女はさっきから完全に固まってしまっていた。私が彼女の顔の前で手を振っても呆然としたまま動かない。
「ヴァレーリア、『誓いの布』持ってるか?」
「え? ああ、そりゃあるわよ、もちろん……」
「急なことだから儀式は簡単なものになるが、うちに帰ったら盛大にやるから許してくれ」
「い、いいわよ、それは……」
そう答えながらヴァレーリアは目元を朱に染めて俯く。その顔が可愛過ぎて私は盛大ににやけてしまう。
クィルガーじゃなくても惚れちゃうね、これは。
それから連泊の連絡をし、コモラが祝いの料理を準備してサモルが居間に花を飾り付けていく。その間にクィルガーとヴァレーリアは順番にお風呂に入って身を清めた。私もなにか二人にしてあげたくて、サモルから花をいくつかもらって髪飾りを作る。
それが終わったらお風呂から上がったヴァレーリアに香油をつけてあげた。
ふふふ、まさか初めて香油をつけてあげる日が婚約の日になるなんて。
そうして髪を乾かして身なりを整えたあと、私が作った髪飾りを左耳の上のバンダナに留めると、鏡でそれを確かめたヴァレーリアが目を潤ませて感激してくれた。
昔ミュージカル部で衣装につける花飾りを作った経験がこんなところで役に立つとは思わなかったね。
大体の身支度が整うとヴァレーリアが服の下からネックレスを取り出した。長い紐の先に幅一センチ、長さ五センチくらいの薄いガラスの板のようなものがついている。よく見ると、板の中にひと回り小さい紫色の布が入っていた。
「これが『誓いの布』よ。婚約が可能になる十五歳の年に親から贈られるもので、自分の目と同じ色で染めた布が入ってるの。このネックレスはよほどのことがない限り身につけているものなのよ。こんなふうに、急に婚約が決まったりするからね」
そう言ってヴァレーリアは肩をすくめて笑う。
聞けばこの世界では、結婚した時にお互いの目の色の染料を染み込ませた布を特殊な方法で透明の石に移し、その二色が入った石を指輪やネックレスにして身につけるのが決まりなんだそうだ。それが夫婦になった証らしい。
そのため、前段階の婚約時には互いの目の色の染料を染み込ませた「誓いの布」を交換する。結婚式まで相手の色のものを持つことで、結婚に対する心の準備をするという意味があるんだとか。
そして結婚式の日、誓いの布を使って石を染める儀式をするんだそうだ。
わぁなんかこっちの結婚はロマンチックだね……。
それから居間にいくと宴のセッティングは全て終わっていた。
クィルガーも白いマントを羽織っていていつもより立派に見える。ちなみにマントはサモルが急いで買ってきた。
見るとクィルガーの胸元にも誓いの布のネックレスがかけられていて、綺麗な赤い色がガラスの中で煌めいている。
それを眺めつつ私は用意してた花飾りをクィルガーの胸元に留めた。
「俺のもあるのか」
「ふふふ、ヴァレーリアとお揃いのを作ったんです」
私はこちらの婚約の儀式の装いがどんなのか知らないが、これくらいはあっていいだろう。
うんうん、二人とも花がよく似合ってる。さすが美男美女。
準備が整うと居間の真ん中に作った即席の儀式場所で二人が向かい合う。私はサモルとコモラと一緒に一歩下がってそれを眺めた。
なんか、ドキドキしてきた!
緊張する空気が漂う中、一度だけクィルガーが深呼吸してヴァレーリアに手を差し出す。
「これから二人の間に何度苦難が来ようとも、その都度全力でそれを取り払うと誓う。俺の伴侶になってくれ、ヴァレーリア」
「……あなたの誓いを受け取ります。二人に訪れる苦難を私も隣で蹴散らしましょう。私をあなたの伴侶に、クィルガー」
そう言ってクィルガーの手にヴァレーリアの手が重なる。これで誓いの宣誓が完了したらしい。
うわぁ聞いてるこっちが照れてしまう。……でもヴァレーリア、今蹴散らすって言わなかった?
「『誓いの布』の交換を」
サモルの言葉に二人とも首からネックレスを外す。先にクィルガーが自分のネックレスをヴァレーリアにかけ、続いてヴァレーリアがクィルガーにネックレスをかけた。その一つ一つの所作がとても様になっている。
二人ともさすがお貴族様だ……。
誓いの布の交換が終わると二人がほっと息を吐いて笑い合う。これで儀式は終了だ。あとは祝杯とごちそうの時間である。この世界ではお祝いの席ならお酒は子どもも飲んでいいそうだ。もちろん少しだけ。私はサモルに注がれたお酒を一口だけ口に含んでみたが、果物のジュースのようで甘くて美味しかった。
そのあとはコモラのごちそうをたくさん食べた。コモラ渾身の料理はどれも美味しくてほっぺたが落ちそうになりながら次々と口に放り込んでいく。コモラは本当はコース料理にしたかったらしいが、急拵えだったので大皿料理しかできなかったのだそうだ。それでも素晴らしく美味しかった。
サモルとコモラは本当に嬉しかったのだろう、二人で盛り上げるだけ盛り上げて泣いて笑って二人同時に潰れてしまった。時間はまだ夜になったばかりなのに二人ともソファと床で寝転がっている。
私はサモルとコモラのことは見てるから、二人でどこか散歩でもしてきたら? と提案したのだが、私を一人になんてできないと即却下されてしまった。
あうう……なんか申し訳ない。今日くらい二人きりの時間をと思ったんだけど、私がその邪魔をしてしまっている。でも宴が始まってから二人は一緒のソファにくっついて座っているし……まあいいか。
そう思い直して私はヴァレーリアとソファの端の間にむぎゅっと座ってその腕にしがみつく。
「ディアナ?」
「ふふふ。まだ先の話ですけどクィルガーとヴァレーリアは私の親になるんですよね」
「そうね」
「私嬉しいです。二人とも大好きだから」
「ディアナ……」
ヴァレーリアが眉を下げて優しく微笑む。
「正式に親子になったら、二人のことは『お父様』『お母様』って呼べばいいですか?」
「その呼び方はやめろ!」
「お、お母様……!」
私の言葉にクィルガーは即座に顔を顰め、ヴァレーリアは目を輝かせて感激していた。
大好きな二人がこれからもいてくれるという安心感に、私は口が緩むのを抑えられなかった。
突然ですが婚約が決まりました。
三人は親子になります。
お父様呼びは断固拒否のクィルガー。
次は 国境の関所、です。