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ジャシュの笑顔と次の演目


 王都の白いアクハク石の道に照りつけるような日差しが降り注ぐ。人々は日中に出歩くことをやめ、日が沈むまで屋内で過ごすようになる。アルタカシークの真夏がやってきた。

 今でも続けている護身術の訓練も朝一と夕方に行うようになったので、昼間は比較的暇になる。三年生の予習を兼ねた勉強と自分の商売の書類仕事を終わらせて、私はいつものように本館の談話室でジャシュと遊んでいた。

 

「ジャシューこっちだよー」

「アウー」

 

 最近、私が呼びかけるとジャシュはハイハイで私の方へバタバタとやってくるようになった。しかもめちゃくちゃ速い超高速ハイハイである。私は赤ちゃんに詳しくないので成長が早いのかどうかわからないけど、このハイハイがすごいことはわかる。

 ズドドドドっと勢いよくやってきたジャシュを「いえーい! 着いたねぇ」と抱き上げると、とても嬉しそうに笑う。私はそれが楽しくてまた少し遠くに移動してはジャシュを呼ぶ。

 

「よし、次は太鼓で遊ぼう」

 

 ぺたりと座った膝の間にジャシュをスポッと入れて、目の前ででんでん太鼓をくるくると回すと、てんてん、てんてんと太鼓が鳴る。ちなみに前にジャシュが力一杯叩いた拍子に、でんでん太鼓のサイドについている木の実は一個取れてしまっていた。

 

「アー」

 

 ジャシュは動いている太鼓に向かってブンブンと腕を振る。私はその手を太鼓の真ん中に当たるように持っていってベシベシと叩かせてみる。ガンガンっという衝撃音の合間にたまに太鼓のいい音が鳴ると、ジャシュがピタリと止まって少し固まる。そしてそのあとまた叩き出す。

 

「そうそう、ここを叩くんだよ。トントン、トントン」

「ウー」

 

 私が見本を見せると、そこからはちゃんと太鼓の真ん中を叩けるようになる。

 

「そうだよ、ジャシュは上手いねぇ」

 

 そうやって遊んでいると、ヴァレーリアが用事を済ませて部屋に戻ってきた。


「おかえりなさいお母様」

「ただいま。ジャシュのこと見ててくれてありがとうディアナ。ジャシュは体温が高いから暑くなったでしょう。冷たい飲み物を用意したわ」

 

 ヴァレーリアのトカルのティンカが部屋に入ってきてローテーブルに飲み物が入ったカップを置いていく。

 

「ディアナが前に教えてくれたハチミツレモンを冷やしたものよ」

「あ、あれ作ってくれたんですか」

 

 ヴァレーリアがジャシュを抱っこしてテーブルの前に座ったので、私もその隣に座りカップに入ったハチミツレモンをクピッと飲んだ。

 

「んんーっ甘くて美味しい」

 

 爽やかな香りと冷たくて甘い味わいに私は顔を緩ませる。そこに開けっぱなしの扉や窓からサァッと風が入ってきた。ジャシュと遊んでいるうちに汗をかいていた肌がその風ですうっと冷やされていく。

 

「外はあんなに暑いのに家の中がこんなに涼しいのが本当に不思議です」

「ふふ、いつも言ってるわね、それ」

 

 私が暮らしていた日本の夏は高温多湿で、しかも家が木造のため屋内にいても夏は暑かった。あそこではクーラーがなかったら生きていけなかったのに、アルタカシークはなくても全然平気なのだ。

 

 魔石装具で扇風機みたいなものを作ったら売れるかなって思ったけど、アルタカシークでは売れないかなぁ。

 

「あ、でも南のジャヌビ国やカリム国はもっと暑くて湿気も多いんですよね?」

「そうみたいね。私は行ったことないけど、でもザガルディの南の方も湿気が多かったから、隣のジャヌビもそうなんじゃないかしら。あとでクィルガーに聞いてみたら?」

「お父様ってこの大陸のほとんどの国に行ったことがあるんですっけ」

「そう言ってたと思うけど」


 じゃあそっちの国で扇風機が売れるかどうか聞いてみようかな。

 

「……そういえばお母様とお父様ってどこで出会ったんですか?」

「どうしたの? 急に」

「いえ、お父様が世界中を旅していたのは聞きましたけど、二人が出会った時の話は聞いたことがないなと思ったので」

 

 私がヴァレーリアの膝の上でウトウトしてるジャシュの手をにぎにぎしながら問いかけると、うーん、と上を向いて昔を思い出すようにヴァレーリアが答える。

 

「確か私が家出して、サモルとコモラと旅をするようになって三年目くらいだったかしら。ザガルディの南にあるとある遺跡で出会ったのよ。魔女時代からある遺跡だって聞いたから、それは貴重な宝が眠ってるんじゃないかと思って心を弾ませていったの」

「え、でも遺跡とかダンジョンとかって魔物とか魔獣が出るんですよね?」

「前情報では魔物の数はそれほど多くないし、そんなに強い魔獣も出ないって言われたのよ。でも中に入ってみたらその情報が嘘だってわかったの。魔物はウヨウヨいたし、強い魔獣の気配もしたわ」

 

 ヴァレーリアたちは身の危険を感じたが、強い魔獣にさえ出会わなければいけると思って遺跡の奥へ進んでいったんだそうだ。

 

「若いって本当に怖いわよねぇ。勢いで行っちゃうんだもの」

「それでどうなったんですか?」

 

 なんとか魔獣に会わずに一番奥まで辿り着いたがそこには目ぼしい宝はなく、代わりに大きなドラゴンがいたんだそうだ。

 

「ええっドラゴンですか? ヤバいじゃないですか!」

「危なかったのよ本当に。そのドラゴンは私たちの強さでは手に負えないやつだったの。青くなった私たちは急いで来た道を走って逃げた。でもドラゴンがそれに気づいて追いかけて来たのよ。本当に死ぬかと思ったわ」

 

 うひぇぇぇっ想像しただけでも怖すぎるっ。

 

 しかも逃げる途中で魔獣にまで気づかれてしまい、二匹に追いかけられ体力も落ちてきて絶体絶命のピンチに陥ったらしい。

 

「もうダメかもって思った時に、いきなり魔獣がぶっ飛んでいったのよ。飛ばされた魔獣がドラゴンに当たって、ドラゴンの足もそこで止まったの。私たちは訳がわからなかったけど、そこに現れたのがクィルガーよ」

 

 なんと大ピンチだったヴァレーリアたちを助けたのはクィルガーだった。クィルガーはそのままドラゴンを覚醒の力を使って倒すと、「自分達の力を過信するな」って言って遺跡の奥に行っちゃったんだって。

 

「うわぁ……お父様、格好いい」

「私は頭に来たけどね。なんなのこいつは! って思ったわよ」

 

 当時冒険者としてそこそこ経験を積んで勢いに乗っていたヴァレーリアは、その鼻をクィルガーに完全に折られて屈辱を感じたんだそうだ。それから年に数回どこかの遺跡で会うたびに喧嘩をふっかけていったらしい。

 

「そんな出会いだったんですね。ふふ、そんな二人がまさか結婚するなんて思いませんよね」

「本当よ。今でもなぜこうなったのか不思議なくらい」

「お父様はいつからお母様のことが好きだったんでしょうね」

「それは……」

 

 私がそう聞いた途端、ヴァレーリアが目元を赤くして横を向く。

 

「あれ、もしかして知ってるんですか? お母様」

「……前にちょっと聞いたのよ。まぁいいじゃない、その話は」

「え! いつからなんですか? 私気になります!」

「気にしなくていいわよディアナ!」

「お母様ぁ、教えてください」

「そんなに可愛い顔で聞いてもダメよ」

「お母様ぁ」

「ダメだったら」

 

 私は顔を逸らして逃げようとするヴァレーリアの胸に飛び込んで、寝てるジャシュに顔をくっつけてヴァレーリアを見上げて言った。

 

「お願い、お母様」

「……うっ、卑怯よディアナ……可愛い……」

 

 ヴァレーリアは私とジャシュの顔を交互に見て、そのあとハァ……と諦めたようにため息を吐いた。

 

 

 そよそよと風が通っていく部屋でジャシュがスヤスヤと寝息を立てている。お昼寝に入ったジャシュを横目で見ながら、私は演劇クラブの予定を書き出していた。

 夏休み中に来年の演目と必要な舞台装置について考えなくてはならない。

 

「まずは緞帳(どんちょう)をどうするかなんだけど……これがいい案が浮かばないんだよねぇ」

 

 前の世界であった大きな布を使った緞帳を作ろうかと思ったのだが、私がその仕組みを詳しく知らないのと、アルタカシークでは刺繍の入った飾り布が主流で、無地で大きな生地があまり売っていないので計画が頓挫していたのだ。それなら布地を縫い合わせて作ればと思うのだが、そのためにはミシンが必要だ。

 

 学院は閉まってるし、やっぱりミシンを作ったティキさんのところに頼みに行くしかないかなぁ。

 

 と考えているうちに真夏になってしまった。

 

「そもそも舞台の天井が高すぎるからどこから緞帳を吊るるせばいいのかわかんないんだよね」

 

 今公演で使っている大教室は天井が高い。照明はなんとか付けられたが、緞帳をあの天井から吊るすのはかなりの長さが必要だし、ちょっと格好悪すぎる。前世の舞台と同じような構造にしようとすると、野外のライブ会場にあるような、あの金属製の大きな枠組みを作るしかない。

 

「それじゃ大変すぎるし、多分予算が足りなくなる……」

 

 そんなアナログなやり方じゃなくて、魔石装具なんかでいいものが作れないかな。

 

 せっかくこの世界には便利な魔石術というものがあるのだ。どうせならそっちの方で何か作れないかと考えていたら、ふとあることに気づいた。

 

 あ、あるじゃない、あの大きな板。

 

 私は二月の大砂嵐の時に動かした寮の砂除け窓のことを思い出した。緞帳を作らなきゃという思いからつい布製のカーテンのようなものを想像していたが、観客席との間に目隠しになるものを置くことができたらいいのだから、それは別に木製の板でもいい。

 

 あの砂除け窓みたいに、上と下にレールのようなものを作って黄の魔石術で引っ張れば、簡単に横開きの目隠しができるよね。うんうん、これはいけそうな気がする!

 

 私は簡単な設計図をメモに書いて、あとでクィルガーに見せることにした。

 

「他の舞台装置は……演目が決まってからだね。さて、演目なににしようかな……男女ともに受けるもので、踊りが入れやすくて、みんなが楽しめるもの。うーん、やっぱり友情物語かなぁ」

 

 でも貴族の友情ってどんなテンションなんだろう。あまり熱いものじゃない? いや、でもクィルガー物語の中では兵士との友情が描かれてたよね。シムディアクラブを見ても暑苦しそうな人たちがたくさんいたし。

 

 と、そんなことを考えていると、横にいるジャシュが突然泣き出した。

 

「どうしたの? ジャシュ。起きちゃったの?」

 

 私が乳児用のゆりかごを覗き込むと、ジャシュが赤い顔をして泣いている。

 

「暑くて汗をかいちゃったみたいね」

 

 ジャシュの頭に手を置いたヴァレーリアの言葉に慌ててやってきた世話係の人がすぐに床に布を敷き、ヴァレーリアがジャシュをその上に寝かせて服を脱がし始めた。私はジャシュの体に洗浄をかけて汗を取ってあげると、着替えの間泣かないようにいないいないばぁをする。

 そう、こっちの世界の子にもいないいないばぁは通じるのだ。

 初めてやってジャシュが笑った時は本当にびっくりした。この動きのなにが面白いのかはわからないが、こっちの赤ちゃんにもこの動きは効果的だったのだ。ジャシュが大笑いする様子を見てクィルガーとヴァレーリア、それに世話係の人も驚いていた。

 

「いないいないー、ばぁ!」

 

 別に手で隠さなくてもジャシュの顔に布をハラリとかけてそれをバッと取ってもいいし、私の顔を布で隠してもいい、とにかくなんでも隠して出せばそれだけで爆笑するのだ。

 

 ううーん、いないいないばぁの威力、恐るべし。

 

 泣くのをやめて私の動きを見ていたジャシュはばぁっと布をとるだけで声を上げて笑っている。それに加えて横からパンムーが出てきて同じようにいないいないばぁを始めたのでジャシュの笑い声が止まらない。

 

 うへへ、本当にかわいいなぁジャシュは。

 

 可愛い弟の笑顔にこちらまで釣られて笑ってしまう。

 

 やっぱり笑ってる顔っていいよね。人は笑うと免疫力が上がるとか幸せホルモンが出てくるとか言われてたもんね。いつも澄ました顔でいる貴族の人だってもっと笑ったらいいのに……て、ん? 笑い?

 

 私はそこで突然あることを閃いてガバッと顔を上げた。

 

「そうだ! 喜劇だ!」

 

 次にやる劇に喜劇というのはどうだろう? お客さんが貴族だから下世話な笑いはダメだろうけど、ブラックジョークとか、すれ違いコメディとか、インテリっぽい笑いならいけるんじゃない?

 それに、うちには芸人にしたい男ナンバーワンのケヴィン先輩がいる!

 

「どうしよう! これめちゃくちゃいいアイデアかもしれない!」

「ディアナ?」

「お母様、私三年生の演劇クラブもいける気がしてきました!」

「そう、それはなによりね。ふふ」

 

 それに太鼓の神様ツァイナが入ってくれることになったし、踊りだって去年よりすごいものができるはずだ。喜劇の中に踊りの対決を入れても盛り上がるし、舞台自体が派手になる。

 私は思いつくままメモ用紙にアイデアをババーっと書いていく。

 

 ああ、このアイデアをすぐにヤティリに伝えたいよ。今から手紙送っても間に合うかな? 向こうに着くくらいにはもう新学期に向けて出発しちゃってる?

 

 私がうんうん唸っていると、着替えを終えたジャシュが私の膝に登ってきた。私はジャシュを抱き上げてぶちゅーっとほっぺにキスをする。

 

「ありがとう! ジャシュのおかげでいい案が浮かんだよ! お姉様は嬉しいよ!」

 

 そう言ってぎゅーっと抱きしめると、ジャシュはでへへーと声を出して笑った。

 

 

 

 その日の夕食時にクィルガーに扇風機のアイデアと緞帳の代わりの大きな板の話をすると、「扇風機というのは確かに南の国でなら需要がありそうだが、もうすでに魔石装具クラブの方で作られているんじゃないか?」と言われた。

 

 確かに送風筒があるんだから、それを応用したものがすでにあってもおかしくないよね。

 

 緞帳代わりの板については学院を作った時に木の扉や窓枠を作った専属の木工房があるらしく、まずはアルスラン様に相談してからその工房に話を持っていった方がいいということだった。

 

 ふむふむ、王族御用達の工房っていうのがやっぱりあるのか。

 

「……それにしてもその顔はどうにかならんのか」

「へ?」

「演劇クラブに関することでいいことを思いついたみたいよ。それからずっとそんな顔なの」

 

 笑いながらそう説明するヴァレーリアに、クィルガーの片眉がピクリと動いた。

 

「そんなニヤニヤするほどいいことを思いついたのか? なんだ? 今のうちに言っとけ」

「そんなにニヤニヤしてますかね? ただ来年の演目を思いついただけですよ」

「演目? まさかまた俺の……」

「違いますよ。喜劇にしようと思ったんです」

「喜劇?」

「んんー一言で言うと笑いのある劇なんですが、説明が難しいですね」

「ちゃんとアルスラン様に説明しろよ」

「わかってますよ。あと私の機嫌がいいのはそれだけが理由じゃありません。今日はとってもいいことを聞いたんです」

「あ?」

 

 パンをちぎって食べているクィルガーに向かって私はニヤリと笑う。

 

「お父様がお母様のことを初めて会った時から好きだったんだって教えてもらったんです。うふふふふ」

「…………は?」

 

 パンをポロリと落としてフリーズしたクィルガーと、天を仰いで目を瞑ったヴァレーリアを見ながら、私は一層ニヤつく。

 そのあとすぐに再起動したクィルガーが顔を赤くして、バッと隣のヴァレーリアを睨んで口をパクパクとさせた。

 

「ヴァレーリア……っ」

「だって……あんな風にお願いされたら断れなくて……」

「別にいいじゃないですかお父様。減るもんじゃないし」

「…………っ」

 

 かなり動揺しているのか、私やヴァレーリアになにかを言いかけてはぐっと言葉を飲み込んで、結局クィルガーは頭を抱えて「その話は忘れろ……」と苦々しく呟いた。

 

 こんな面白い話、忘れられるわけないよ、お父様。

 

 私は脳内に「クィルガーの初恋相手はヴァレーリア」という事実をしっかりと刻み込んだ。

 

 

 

 

平和な夏休みの一日、ジャシュと遊んでいるうちに来年の演目を思いついたディアナ。

初めて聞いたクィルガーとヴァレーリアの出会いの話は頭にしっかり刻み込みました。

クィルガーは結構一途な男です。


次は 王の間の日常、です。

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