お茶会と新しいメンバー
そろそろ真夏の暑さがやってくる六の月のある日、クィルガー邸の正面玄関のロータリーに三台の馬車がやってきた。今日は例のツァイナのためのお茶会の日である。前二台が中位貴族のナミクとツァイナで、後ろが特殊貴族のファリシュタの馬車だ。学院と違って貴族の館では馬車が停まる順番もきちんと決まっている。
ナミクが馬車の前に控えていたうちのトカルに案内されて階段を上ってきた。続いてツァイナ、そしてファリシュタが同じように続く。
自分と一緒に友達を連れて帰ってくるのと、自分がお茶会に招いた時では作法が違うんだよね……貴族って大変。
そんなことを思いながら、私は正面玄関前でみんなを出迎える。
ナミクもファリシュタも急に招待されてびっくりしただろうし、何か他に予定があったのではないかと心配していたが、二人の顔が思った以上に和やかなのでホッとした。
「今日はお招きに預かり、光栄でございます」
「よく来てくれましたね、ナミク。私も楽しみにしていました」
私との挨拶を終えたナミクはそのままトカルに案内されて本館の左にある客用の館へと向かっていく。そのあとにすぐツァイナが挨拶にやってきた。顔はかなり緊張しているけど、挨拶の礼儀はきちんとできている。私は緊張がほぐれるようにツァイナに微笑むと、トカルに案内を任せた。
「今日はお招きに預かり、大変光栄に存じます」
最後にファリシュタがやってきて、他の二人よりも深々と恭順の礼を取る。特殊貴族の挨拶は他の貴族とはまた違うようだ。
うーん、学院では平等だったけど、こういうところで会うと身分の間できっちりラインが引かれてるってわかるね。
私は普段あまり感じない貴族間のルールを肌で感じながらファリシュタに挨拶を返した。
三人が客用の館へ行くのを確かめてから、私は自分のトカルたちに次の指示を出したりして時間を空ける。三人が用意されたお茶会の席に座って落ち着く時間を作るためだ。
「ディアナ様、そろそろよろしいかと」
「わかった」
イシュラルに言われて客用の館に足を向ける。
お客さんを招く時の作法は習ったけど、やっぱり面倒臭いね、これ。やっているうちに慣れてくるものなのかな。
しかし去年イリーナの考え方に触れて思ったが、こういう貴族の常識というのは演劇をする上で知っておかなければいけないことだ。貴族のことを知らないと、貴族に受け入れてもらえる劇は作れない。
これも、演劇を広げるための課題だと思おう。
今回用意した部屋は客用の館にある大きな掃き出し窓がある談話室だ。冬用の談話室と違って風通しがいいので夏でも涼しいのだ。
私がその部屋に入ると、席に座っていた三人がこちらを見る。夏用の絨毯の上に四角いローテーブルが置かれ、左にナミク、右にツァイナ、手前にファリシュタが座っていた。私は一番奥の席に回り込んでヤパンの上に座る。
「今日は来てくれてありがとう。演劇クラブのメンバーの親睦を深めるためのお茶会、楽しんでいってくださいね」
お茶会の始まりを告げるとイシュラルを始め、他のトカルたちが私たちの前にお茶とお菓子を置いていく。私は今日のお茶とお菓子の説明をしながら、まずは自分でそれを手に取ってみんなに勧めた。
「まぁ、なんて美味しいのでしょう」
「……っ」
「本当に。ディアナ様の料理人の腕は相変わらず素晴らしいのですね」
と、ファリシュタから聞き慣れない言葉を聞いて思わず吹き出しそうになる。実は今日は貴族視点でツァイナを見てもらうというのが裏テーマであると二人に伝えているため、二人ともいつもと違って貴族らしい身分差をわきまえた喋り方になっているのだ。
「どうかされましたか? ディアナ様」
「……いえ、気に入ってくれて嬉しいです」
ファリシュタはそんな私の顔を見て一瞬目を細めた。私がその言葉遣いにソワソワしているのがバレているらしい。
ダメだ。ツァイナより私が先にこのやりとりに参りそう……。
ツァイナは他の二人を見つつ、ボロが出ないようにあまり口を開かずにいる。そこで私は二人にツァイナのことを紹介した。
「まぁ、ツァイナ様は先日の演劇公演会に来てたのですね。どうでしたか?」
「あ、あの、とても素晴らしかったです」
「特に気に入ったところはありまして?」
「私は、あの音出しが……」
ナミクの質問にツァイナがたどたどしく答えると、ファリシュタがふわりと笑う。
「まぁ、私たちが担当したものですね。とても嬉しく思います、ツァイナ様」
「ツァイナに話を聞いたら彼女も音出しを叩いてみたいというので、今日お誘いしたのです。よろしければみなさんから演劇クラブのよさを彼女に伝えてくれませんか」
「もちろんです」
ちなみに敬称というのも身分によって変わる。中位以下の貴族は基本的に全ての貴族に様を付ける。呼び捨てにするのは家族や親しい友人だけだ。どこで自分より身分の高い人に出会うかわからないので、敬称をつけ忘れるという事故を防ぐために誰にでも様をつけることになっているらしい。
まぁその気持ちはわかる……人によって敬称を考えなくちゃいけないのって疲れるもん。
高位貴族は自分より年上の人には様を付けるが、年下や親しい人は呼び捨てにしていい。でもこれ、結構ややこしい。みんなが様をつけてる人を自分は呼び捨てにするという場合があって、たまにわからなくなるのだ。
学院だと年上は先輩をつければいいし、年下は呼び捨てにすればいいから実は楽なんだよね。
そしてこの世界で敬称を全く気にしなくていい人物は国王だけである。
と、そんなことを考えながら会話をしていると、どんどんツァイナの顔色が悪くなっていることに気づいた。私たちの言葉に頑張って返しているが、そろそろ限界のようだ。
私がイシュラルに合図を送ると、テーブルの上のお茶が入れ替えられ、お菓子も新しいものに替わる。そしてイシュラルの他に数人だけ残して、あとのトカルたちが部屋から出ていった。
「ふぅ、まあ今日はこれくらいでいいかな。よく頑張ったねツァイナ、もぅ力抜いていいよ」
「え?」
「ふふふ、ホッとしているのはディアナもなんじゃない?」
「やっぱりバレてた?」
ファリシュタに突っ込まれて私は眉を下げる。ナミクが「本当にいいのですか?」とおずおずと聞いてくるので、私は肩をすくめて笑う。
「今日は普通のお茶会をしたいわけじゃないから、いいよ。学院にいる時と同じ感じで大丈夫だから」
「……そう言われましても、学院外なので難しいですね」
そう戸惑うナミクを見てファリシュタがクスクスと笑う。
「私は逆にディアナとこんな風に話したの初めてだったからどうしようかと思ったよ」
「ファリシュタに様付けされたら悲しくなっちゃったよ」
「でも本当はこれが普通なんだからね? ディアナ様」
「はうっファリシュタが遠く感じるっ」
「本当にお二人は仲がいいですね。ふふふ」
私はそこで改めて二人のことをツァイナに紹介した。ツァイナの家庭の事情は既に二人には手紙で軽く説明してある。先ほどと違って気安く挨拶をする二人にツァイナが動揺しながら返事をしている。
「二人とも今日はありがとね」
「ディアナ先輩のお役に立てるのなら喜んで」
「平民から貴族になった気持ちは私にもわかるから……でも、急にアリム家の印が押された手紙が届いた時はびっくりしたよ。特にうちのトカルが大慌てだったの」
いきなり特殊貴族の館に高位貴族からの招待状が届いたということで、館の中は大騒ぎだったそうだ。学院でファリシュタが私と仲がいいことを知っている学生たちは比較的落ち着いていたそうだが、招待されたファリシュタの準備に走り回るトカルたちは大変だったらしい。
そういえば今日のファリシュタの服は今まで見たことがないくらい気合いが入っている。
「ナミクの家は大丈夫だった? 音出しを堂々と使う演劇クラブに入ったことはあまりよく思われてないんだよね?」
「正直に言いますと夏休みに入ってから親とは会うたびに言い合いになってしまってうんざりしていたのです。けれど、ディアナ先輩からの手紙を見た途端、親の態度が急に変わったのですよ。『あの高位貴族のアリム家からうちのナミクが招待されるなんて……! 絶対に行きなさい。そしてうちの家をこれからも贔屓にしてもらえるように頼むのだ』って……」
「そうなんだ」
「中位貴族の立場は不安定ですから、こうしてすぐに態度が変わってしまうのです。私はそういうところが少し恥ずかしいのですけど」
「家を守るためにはいろいろと苦労があるんだろうね」
中位貴族の話に顔を上げたツァイナに私は話を振る。
「ツァイナもよく来てくれたね。ちゃんとお父様に話すことはできたの?」
「あ……はい。その……ディアナ先輩からの手紙と一緒に演劇クラブに興味があることを話したら、『行ってきなさい』って……『ツァイナが自分から行きたいと言ったのは初めてだから私は嬉しい』って……」
「……ツァイナのお父様は優しい人なんだね」
「……そう、みたいです」
その返答を聞く限り、ツァイナを自分の意のままにしたいと思っている人ではないようだ。太鼓を叩くことを許してくれたことといい、どちらかというとツァイナに対して愛情を持ってるように見える。
私はお茶を一口飲んで本題に入った。
「というわけで、ツァイナが普通に貴族の中で過ごせるようにアドバイスできたらなと思うんだけど、二人から見てツァイナはどう見えた?」
「そうですね……最初の挨拶もそのあとの会話もきちんと中位貴族としての振る舞いができていたと思います」
ナミクが顎に手をやりながらそう言うと、ツァイナがパッと顔を上げた。
「本当ですか?」
「ええ、貴族教育を二年しか受けていないようには見えませんでした。大丈夫ですよツァイナ」
その言葉にツァイナが心の底から安心したようにホッと息をつく。
「本当にツァイナはすごいと思う。私は貴族教育を受けて合格をもらうまでに三年かかったんだよ。やっぱり元々裕福なお家だったから基礎が違うんだろうね」
貧しい農家に生まれたファリシュタは文字の書き方から話し方、立ち振る舞いまで全てを一から覚えなくてはいけなかったようだが、ツァイナは裕福な家の娘だったため、基本的なことは最初からできていたんだそうだ。
「平民にも差があるのですね……」
「それはあるよナミク。でもいきなり中位貴族の教育を受けるのは大変だったと思う。よく頑張ったねツァイナ」
ファリシュタが眉を下げて労うと、ツァイナは瞳を潤ませてグッと唇をきつく結んだ。自分と同じ平民だったファリシュタからの言葉に胸が一杯になっているようだ。ツァイナは目の端を拭うと、ポツリポツリと今の悩みを話し出した。
「わ、私……元々そんなに人付き合いが得意な方じゃなくて……太鼓叩いてると周りが見えなくなっちゃうから友達も少なかったんです。そんな状態で貴族になってしまったから、周りの人とどう付き合って行けばいいか全くわからなくて……」
「貴族の人付き合いはまた違ったものだもんねぇ。回りくどい言い方するし」
「そうなんです。それにどこまで踏み込んでいいのかわからないから、同室の子たちとも打ち解けることができなくて……」
「でも案外こっちが緩い態度になると相手もそうなるよね? ザリナとかそうだったし」
「……あれだけ緩められるのはディアナだけだと思うよ」
「え? そうなの?」
私がそう答えるとファリシュタがクスクスと笑う。
「でも本当に部屋にいる時のディアナは緩いよね。ザリナが怒るくらい」
「だってずっと気を張ってたら疲れるでしょ。ナミクはどう?」
「私もそれほど自分に厳しい人間ではないので、同部屋にいる人たちには気安い態度を取ってるかもしれません。去年はみんな一年目だったので最後まで緊張はしていましたけど」
「それは……どれくらい気安く?」
ツァイナの質問にナミクが答える。
「今こうやって喋ってる感じと同じくらいです。ディアナ先輩のように雰囲気を明るくしてくれる方がいるとこちらも解れやすくなるので助かりますよね」
「ああ、確かにそれはあるかも」
ナミクとファリシュタがそう言って私に微笑みかけてくる。
アルスラン様にも気が抜けるって言われるくらいだからそうなんだろうけど、私ってそんなに空気を緩ませる顔してるのかな……。
私が自分の顔をペチペチと触っていたらツァイナが少しだけ肩の力を抜いて言った。
「……私、貴族ってずっときちんとして過ごさないといけないと思ってたから全然気が抜けなかったんです……少しは抜いてもいいんですね」
「ツァイナは元々崩れた言葉遣いをする地域で育ってないから大丈夫なんじゃないかな。多分しんどいのは精神的なものだよね。周りに自分が元平民だってバレるのが怖いっていう……」
ファリシュタの言葉にツァイナはコクリと頷く。ファリシュタが一年生の時に感じていた不安を、ツァイナも抱えているということなんだろう。
「でもそれっていつかはバレるものではないですか? ツァイナの家の事情は私の家にはまだ入ってきていませんでしたが、いずれ中位貴族の間ではわかることだと思いますよ」
「そうなの? ナミク」
「その家のご当主以外の方が亡くなったという話はなかなか聞きませんし、そこへ聞いたこともない娘を連れてきて養子にしたのでしたら、間違いなく噂にはなると思います」
まぁ、確かにそうだよね。
「……」
「だったら最初から自分が平民だったって開き直ったらいいんじゃないかな」
「え?」
「ファリシュタ?」
私たちが驚くと、ファリシュタはクスリと微笑む。
「いつかバレるかもしれないって思いながら過ごすのは思った以上にしんどいんだよね。私は入学してすぐに同部屋の子たちにはバレてしまったけど、でもそれでよかったなって今では思うんだ。その方が自分らしく生きられるから」
「自分らしく……?」
「そうだよツァイナ。私たちは今は貴族でも生まれた時は平民だった。それは誤魔化しようのない事実だよね。それを隠して生きるより、昔は平民だったけど今は貴族です、って開き直った方が心も体も健康的に過ごせると思う。今の私がそうだもん」
「ファリシュタは確かに強くなったよね。言いたいことを言えるようになってるし、他の学生とも仲良くできるし」
私の言葉にナミクが頷く。
「私途中から演劇クラブに入ったので緊張していたのですけど、ファリシュタ先輩がとても優しくしてくださったので、ずいぶん安心したんですよ」
「そうなの? ふふ、よかった」
音出し隊の新メンバー三人はファリシュタやハンカルが当たりの優しい人だったのでみんなホッとしてたんだそうだ。
その話を聞いたツァイナはそれでも不安げに眉を下げる。
「でも私が元平民だと知られたら周りの学生から嫌なことを言われそうです……」
「んー、それもすぐに収まると思うんだよね」
そう答えたファリシュタにツァイナがパチパチと目を瞬く。
「え?」
「だってツァイナは演劇クラブに入ってくれるんでしょう? 演劇クラブに入るということは、ディアナと親しくなるということだから……」
「そうですね、ツァイナは高位貴族の庇護を受けるということですから、直接なにかをされることはあまりないかと思います」
「え! 演劇クラブに入ったら私が庇護したことになるの?」
なんと、それは初耳だ。
私が驚いてそう言うと、逆にみんながそれに驚く。
「自覚してなかったの? ディアナ」
「だって……クラブ長なんていつか誰かに変わるものだし……それに私、庇護ってあんまりよくわからないから」
「ディアナ、もし演劇クラブのメンバーが他の学生からいじめられてたらどうする?」
「え? そんなの、こっちに喧嘩を売ってるのと同じなんだから買うし、守るし、なんならシムディア・アインで対決してあげるけど?」
「ふふふ、それが庇護してるってことだよ」
「あ、そっか……」
演劇クラブに関して外から攻撃があると、私が怒ってやり返すのはクドラトの一件でみんな知っている。だから演劇クラブに入ってしまえば大丈夫、ということらしい。
……そう思うと、私って結構激しいことやってるね。お父様やみんなが呆れるわけだ。
「本当に、大丈夫なんでしょうか」
「大丈夫ですよ。ディアナ先輩はとても頼りになるクラブ長ですから」
「そういえばツァイナは太鼓が叩けるんでしょう? 演劇クラブに入ったら私たちと同じ音出し隊だね」
「そうそう! 本当にツァイナはすごいんだから! 早くみんなに聴いてもらいたいよ」
「あ、あの……」
すでにツァイナが入ったあとの音出し隊のことを考えて興奮している私に本人が戸惑った声をあげるが、私はこの前見たツァイナの腕前を身振り手振りで二人に語る。
「へぇ、そんなにすごいんだね。私も早く聴きたいな」
「私、ついていけるかちょっと不安です」
「大丈夫だよナミク。楽譜は書くし、練習すればすごいいいものができると思うよ」
さらに興奮する私にイシュラルがスッと近づいてきてお茶を入れ替えた。これは、ちょっと落ち着いて、という合図だ。
「コホン、まぁそんなわけで私は是非ともツァイナに演劇クラブに入って欲しいと思ってるんだけど、どう?」
私はお茶を一口飲んで一呼吸置いたあと、引き気味のツァイナに尋ねた。
「……その、まだ不安はありますけど、ファリシュタ先輩やナミクがいるなら安心……します」
……ん? 二人がいるなら?
ツァイナは少し姿勢を正して二人の方を向く。
「あの、これからも私と仲良くしていただけますか?」
「もちろんだよツァイナ」
「同じ中位貴族としてよろしくね」
二人の答えにホッとした顔を見せたツァイナは次に私の方を向く。
「私、演劇クラブに入ります。よろしくお願いします、ディアナ先輩」
「あ……うん、え? 本当に?」
「はい」
「やった! ありがとうツァイナ! 嬉しい!」
なぜか自分が安心材料になってないのが気になったが、それよりツァイナが入会してくれることが嬉しくて私はガッツポーズをした。
それから四人で演劇クラブのメンバーの話をしたり、年頃の女の子らしい話をしたり、挨拶に来たヴァレーリアをみんなに紹介したりしてお茶会の時間を楽しんだ。
兎にも角にも無事に新メンバーゲットだよ! やったね。
ナミクとファリシュタに大丈夫だと言われてかなり安心したツァイナ。
演劇クラブに入ってくれることになりました。
次は ジャシュの笑顔と次の演目、です。