王様の好きな味はどれだ
「アルスラン様の好きな味はどれだ?」
「選手権?」
ソヤリとクィルガーが揃って首を傾げるのを見ながら、私はテーブルに並べられた小鉢の蓋を開ける。
「アルタカシークで食べられている、いろんな種類のラグメンを用意したんです。この中からアルスラン様がお好きな味はどれか教えていただこうと思いまして。ソヤリさん、解毒をお願いします」
ソヤリはその小鉢の中身を確かめながら解毒の魔石術をかけた。
「スープの味が違うということですか?」
「そうです。麺の種類は今回は同じにしてます。その方が比較しやすいと思うので」
私はそう言って小鉢に蓋をする。もちろんラグメンの他にもおかずやパンを用意してあるが、今日のメインはこれである。
執務中のアルスラン様に声をかけ、昼食の乗ったローテーブルを中に入れてもらい、私もそれに続いて中へ入る。前に入った時より部屋の中が明るい気がして思わず上を見上げた。塔の先端は遥か彼方だが、その先から夏の日差しが入ってきているのがわかる。
塔の中は基本的に一定の温度だけど、意外と明るさは変化するんだね。
アルスラン様は食事のテーブルが目の前にあるというのに、まだ手に持った書類を読んでいた。
「アルスラン様、昼食のお時間ですよ」
「……ああ」
返事はするが視線は書類から離れない。
もぅ。
私は少し口を尖らせて並んでいる小鉢の蓋を順番に開けていった。さまざまな種類のラグメンのスープの香りがフワッと漂うと、それに反応するようにアルスラン様が顔を上げた。
「なんだ? それは」
やっとこちらを見てくれたアルスラン様に、今日のメニューの説明をする。
「……味の比較、か」
「こちらから、チキンスープ、トマトスープ、魚のスープ、ミルクスープ、辛口スープになってます。辛口スープは辛さ控えめにしてますが、あとで辛味を足すこともできますので」
「ふむ……」
興味をそそられたのか、アルスラン様は書類を横の執務机に置いてスプーンを手に取った。一口ずつスープを口に運ぶ様子を見ながら私はお茶を入れる。
スープの味は基本的に街で食べられているものと同じだが、コモラと相談しながらアルスラン様が好きそうな香辛料をプラスしている。順番にスープを飲んでいたアルスラン様の手がミルクスープを飲んだところでピタリと止まった。
「これは……美味だな」
おお、いきなり悪くないの上位言葉が出たよ。
乳製品が好きなアルスラン様はやはりミルク入りのスープが気に入ったらしい。そしてそのあとの辛口スープも意外と気に入っていた。
「ほどよい辛さでよいな。体が温まる」
「辛味を足さなくてもいいですか?」
「ああ、これくらいでよい」
私としてはもっと辛さを足したいくらいなのだが、辛味に慣れていないアルスラン様にとっては薄いくらいでちょうどいいらしい。
それから麺とスープを一緒に食べ出したアルスラン様を見ながら、私は自分の丼鉢の蓋を開ける。こっちは鶏ガラスープのお肉たっぷりラグメンだ。私の大好物である。
「……其方のラグメンはまた違う味なのか?」
「へ?」
そのスープを飲もうとしたところで声をかけられた。
「はい、こちらは鶏ガラがベースになってまして、そちらのチキンスープと似た味です。こちらの方はグツグツと強火で煮出すので味が濃いのですが、少し雑味があるのが特徴です」
「ほぅ」
なぜかアルスラン様の視線が私の鉢から外れない。
「……アルスラン様には濃い味かと思いますが、一口召し上がりますか?」
「……そうだな」
「ええと、これがなくなると私の昼食がなくなってしまうので半分こ、ということになりますが」
「半分ことはなんだ?」
「一つの料理を分けて食べるということです」
貴族の間でも半分こにするのはご法度なのだが、ここでこのラグメンを取られると私の食べるメインがなくなってしまうので、思い切って半分こを提案する。
「別に構わぬ」
「アルスラン様?」
その返答にソヤリが驚いた声を上げた。
「他の者と食べ物を共有するなど……」
「今日は料理の比較をするのが目的なのであろう? その一つだと思えばよい」
「ではこちらのラグメンは六つ目の比較用スープということにしましょう。一人前の量があるので、余ったものを私に下げ渡すという形にすればいいのではないのですか?」
「ああ、それでよい」
「……王が他の者に食べ物を下げ渡すことはありませんよディアナ」
「あ、そうなんですか?」
「はぁ……アルスラン様がお許しになるのでしたらいいのですが」
ソヤリがそう言って頭を振る。王としての振る舞いとアルスラン様の健康を天秤にかけて健康の方を取ったようだ。
私はそれを見て予備に置いてあった小鉢に私のラグメンを取り分け、アルスラン様の前にスッと出した。ソヤリには悪いが私は内心ホッとしていた。この鶏ガラスープは作るのにかなり時間がかかるため、滅多に食卓に出てこないのだ。今回を逃せばまたしばらくお預けになるところだった。
よかった……全部取られなくて。
いただきます、と心の中で言ってスープを口につける。
んんー、やっぱりこれが一番美味しい!
「……美味だな」
同じように鶏ガラスープのラグメンを食べていたアルスラン様が素直な感想を口にする。
「お口に合いましたか」
「他のスープと違う感じがするのはなぜだ?」
「これは鶏の骨や足と野菜などを強火で長時間煮て作るので、具材の全てが溶けてドロドロになるんです。旨味が全部溶け出すので濃厚な味わいにはなるんですが、雑味やとろみも出るので他の澄んでいるスープとは違った味になるのだと思います」
「ふむ……なるほど」
実はこのスープ、平民たちに人気の味なのでアルスラン様に出すのはやめておいたのだが、どうやらこれも気に入ったらしい。
まぁ高貴な人だからって高貴な味が気にいるとは限らないもんね。
もしアルスラン様があの屋台街に行けたら、結構テンションが上がるのかもしれない。もちろんそんなことは出来ないけど。
と、屋台街をアルスラン様が散歩している姿を想像しながら私はラグメンに入ってる肉を食べた。
はうぅ! 口の中でほろほろに解ける! 美味しい!
その美味しさに思わず目を瞑って感動していると、フッと息が漏れるような音が聞こえた。
「其方のその顔を見ていると気が抜けるな」
ん? と思って目を向けた時には普通の顔に戻っていたが、どうやらアルスラン様が笑っていたようだ。
わ、貴重な笑い顔見逃した。ていうか、アルスラン様って普通に笑うんだね……。
結局食べ終わってみると、ミルクスープ、辛味スープ、鶏ガラスープが完食だった。ミルクスープは予想通りだったが、他の二つは予想外だ。早速コモラに結果を知らせて、次からメニューに加えてもらおう。
昼食が終わると私は本の整理に取り掛かった。掃除をしようにも運動をしようにも、とにかくこの本をどかさないと何もできないのだ。
ソヤリに聞くと王の間の出入り口の内側付近にある本はもう用済みで、学院の図書館に持っていてもいいものらしいので、まずはその辺の本から整理していく。
積み上がっている本のタイトルを紙に書き出して、ある程度溜まったらアルスラン様に確認してもらい、持っていってもいいと言われたものを箱に詰めていく。
あ、この本面白そう。
私は時折演劇の役に立ちそうな本を見つけては、そのタイトルをメモ用紙に書きつけていった。
この本図書館に入ったら借りて読もうっと。
「アルスラン様、こちらをご確認ください」
「騎士棟の方へ行ってまいります」
私が片付けている間、王の間ではいつもの執務の時間が流れている。アルスラン様と執務館で働く貴族たちとの間を繋いでいるソヤリは結構頻繁に王の塔を出たり入ったりしているが、クィルガーもたまにソヤリと交代で出ていったりしている。クィルガーは護衛騎士なので出入り口前で立ってるだけなのかと思ったら、意外と書類仕事もやっているようだ。
思ってた以上にバタバタしてるんだね。まぁ、二人しかいないんだからそうなるか……。
アルスラン様の机の上の書類が減ってきたと思ったらまたソヤリから新しく渡されていくので、こちらの方も大変そうだった。
アルスラン様のサインするペンの音や紙を捲る音が聞こえる中、私は黙々と整理を続けた。
「ふぅ……ちょっとスッキリしたかな」
数時間後、王の間の出入り口付近に積んであった本タワーがなくなり、少し開けた床が現れたのを見て私は一息ついた。
「ソヤリさん、この部分だけ洗浄をかけていいですか?」
「ええ。お願いします。本にはかからないように気をつけてください」
「わかってますよ」
洗浄の魔石術は本にかけると中のインクが全部消えてしまうので注意が必要なのだ。
「『マビー』洗浄を」
力の調整を慎重にしながら、私は本がなくなった床に洗浄をかけていく。
うわっ色が全然違う……。
洗浄したあとに現れたのはピカピカに磨かれた綺麗な石床だった。これが本来の床の色らしい。心なしか床に張り巡らされている魔法陣の紫色も澄んだ色になっている気がする。
「……懐かしい色ですね」
「これを見たらこの塔全部に洗浄をかけたくなっちゃいますね」
「本棚は洗浄できませんから、全部は無理でしょうね」
ソヤリと話しながら壁に備え付けられた本棚を見る。流石にこの中の本を全部出して洗浄をかけるのは無理そうだ。
「でも洗浄の魔石術があるだけ楽ですよねぇ。拭き掃除とかしなくていいし、手の届かないところもすぐに綺麗にできるし」
「……貴女がいた以前の世界には魔石術のような力はないのでしたね。すると掃除も平民と同じようなやり方をしていたのですか?」
「いえ、向こうは機械が発達していたので、掃除や洗濯はその機械を使ってやってましたよ。まぁ拭き掃除はこっちの平民とあまり変わりませんけど」
「機械……というものはそういうところにも使われていたのですか」
「あ、そういえば魔石術の授業の時に送風筒に黄色のミニ魔石をつけたら『掃除機』になるのになぁと思ったことがあります」
私はソヤリに掃除機の仕組みを教える。ゴミを吸い込んで綺麗にするという発想にソヤリが感心していた。
「でも掃除機を使いたい人って平民でしょうし、ここで掃除機の魔石装具を作っても意味がないなと思って」
「そうですね。魔石装具を使う貴族には掃除機というのは不要のものですから。発想は面白いですが」
本の片付けが少し進んだので、そのあとは王の間から出て着付けの練習をする。王の間の前の廊下には、私が本の片付けをしている間にソヤリが持ってきた着せ替え用の首無しの人形と、ラックにズラッと掛けられたアルスラン様の服が用意されてあった。
「いつの間にこんなに……」
「さすがに女性に下着を扱わせるのは気が引けるので、そこまではアルスラン様に自分で着てもらいます。その上から着る服をこちらに並べてありますので」
「わかりました」
私はさっき読んだ王族の服の着方を思い出しながらラックにかかっている服を一枚一枚確かめていく。そこには今までアルスラン様が着てなかった飾りの多い上着もあった。
「飾り上着には赤や金色が多いんですね」
「王の色といえばこの色ですからね。この上着に合わせて中に着る立襟服を合わせてみてください」
「いきなり難しいことを言いますね……」
私はラックに掛かっている中で一番形がシンプルな立襟服を選んで、それに合いそうな飾り上着をチョイスして人形に掛けていく。人形はアルスラン様の身長に合わせた高さなので、服をかける時は椅子を借りてそれに登った。
「えっと、ここを閉じて……あ、ここから隠ボタンなんだ。で、下まで閉めたら一度腰を締める、と。結び方は……女性と同じなんだね」
横に服の着方の本を広げながら練習していく。
「意外とできてますね」
「演劇クラブでイリーナが衣装を作っている過程を見ていたのでなんとなくわかるんです。イバン様や他の男性メンバーの衣装と基本的な作りは同じのようですから」
「なるほど。なんでも役に立つものですね」
飾りの多い上着も着せて派手な帯を締め、その上に王様専用のマントを掛けてみると、ものすごく威厳のある格好いい仕上がりになった。
「うわぁ、いいですね。王様って感じがします」
私が素直に感動していると、近くでそれを見ていたソヤリとクィルガーが少し感傷的な顔になった。
「……ジャヒード様を思い出すな」
「懐かしいですね」
どうやら先代の王はこれに似た格好をしていたらしい。二人の声の雰囲気から、なんとなく悲しみのようなものが伝わってくる。
そういえばオリム先生から先代の話は少し聞いたけど、亡くなった時の話は聞いたことなかったな……。先代が急に亡くなって、わずか十歳だったアルスラン様が後を継いだんだよね、確か。
五大老と話した時も先代が亡くなった当時の話は出てこなかった。あまりいい思い出ではないのだろうか。
「……違う組み合わせにした方がいいですか?」
「いえ、大丈夫です。服自体はアルスラン様のために新しくあつらえたものですから」
そこからソヤリに細かいところを修正されて、そのあとも何着か練習した。中には構造が複雑な服があって試行錯誤したのもあったが、概ね問題なくいけそうだった。
「今日はもう遅いので、次来た時から実際に着付けをお願いします」
「わかりました」
私のその日の特別補佐の仕事は終わりだ。最後に王の間へ入ってアルスラン様に退出の挨拶をする。
「ご苦労であった」
「お言葉、ありがとう存じます」
「……無理はしていないか?」
「? はい、大丈夫です」
なんとなくこちらを気遣うような視線に私は首を傾げる。そこで五大老が言っていた「人付き合いが苦手」という言葉が頭に浮かんだ。
……もしかして私が無理して補佐をしてるんじゃないかって心配してくれてるのかな?
久しぶりに自分の身の回りの世話をする人が現れて、戸惑っているのかもしれない。
私はその不安を打ち消すようににこりと笑って言った。
「アルスラン様が健やかに過ごされているのか、この目で確かめることができるので私は嬉しいです」
「……そうか」
「私の後ろには五大老もいますし」
「……は?」
「なんでもありません。それでは失礼いたします」
私はもう一度にこりと笑って王の間をあとにした。
いつかアルスラン様に五大老の愛の重さをどーんと伝えてあげたいね。
アルスランの気に入ったラグメンスープは鶏白湯をイメージしています。
食事の後は片付けと王様の着付けの練習をしました。
体を動かして働くことは好きなディアナ。
次は ヴァレーリアとお買い物、です。
更新曜日を少し変えております。