集会の続きと革屋再訪
お茶やお菓子を食べながら王様健康同盟の集会は続く。
「健康になるためには食事と運動と睡眠が大事なので、まずはその質を上げていくことですよね。ひとまずさっき教えてもらった運動やよく眠れるための情報を集めてアルスラン様にお伝えしますね」
「そうですな、我らも他にないか調べてみよう」
「運動したくないという気持ちは我ら騎士にはわからぬから難しいな……」
そのヒシヤトの言葉にカラバッリが頷く。確かに体を動かすのが当たり前の騎士から見れば、アルスラン様がなぜ運動をしないのかさっぱりわからないに違いない。
「なんかこう、目標みたいなものがあればいいかもしれませんね。ほら、おじい様やヒシヤト様は体が大きくて分厚いじゃないですか。こういう逞しい体になりたいとアルスラン様が思えば運動もしてくれるかもしれません」
「確かに私も子どものころ、そういう体に憧れて鍛え始めたな」
自分の体を見下ろしつつそうヒシヤトが言うと、
「……しかしアルスラン様がそういう体になりたいと思いますかねぇ」
と、ヤルギリがぽつりと呟く。それにはみんな「うーむ」と腕を組んで考え込んでしまう。
「アルスラン様って昔はどういうお子様だったのですか? 遊ぶのが好きな男の子なら鍛えるのも面白いと思ってくれるかもしれませんが、病のこともあって大人しい感じの子だったのでしょうか」
「そうですねぇ。確かに静かなお子様でした。感情を乱すと体力が奪われるとわかってからは怒ることも泣くこともしなくなりましたね。外で遊ぶこともお好きではなかったです」
オリム先生の言葉にクシュラサが顎をするりと撫でて言う。
「それにあまり人付き合いもお好きではなかったな」
「人付き合いですか?」
「生まれたころからずっと誰かが側にいて様子を見ておかねばならなかったので、周りに人がいるのが当たり前だったのだが、ある時『本当は誰とも話さず一人でいたいのだ』と仰ったことがあったのだ」
「え……でも王子ですからそういうのは不可能ですよね?」
「ああ、実際には出来ぬことだ。だが王子という立場でなければずっと研究室に篭るタイプの学者になっていたのではないか、と思ったことはある」
ああ……それは簡単に想像できるね。ていうことは、アルスラン様って完全に内向型の引きこもり体質なんだ。
「もしかして今の王の間に一人でいる状況ってアルスラン様にとってはいい環境なのではないですか?」
「いいかは分からぬが、苦には思っておらぬであろうな。人と会う心労がないゆえ」
対人関係はノンストレスってことか。
「……そう思うとそこへ私がずけずけと入っていくのがダメな気がしてきました……」
人付き合いが嫌いなんだったら私が王の間へ入るのだってストレスになるんじゃないだろうか。
「だが王はディアナが入ることを許したのであろう? それなら気にすることもあるまい」
「そうでしょうか」
「ディアナは他の貴族や使用人と雰囲気が違うのでアルスラン様も気にならないのではないか?」
ヤルギリの言葉に私は首を傾げる。
「雰囲気が違うのですか? 私」
「全然違うぞ。ディアナは可愛くて、愛らしくて、人を笑顔にする雰囲気を持っているではないか」
「ああ、そうだな。ディアナは可愛いぞ」
「ああ」
「そうですねぇ」
「……異論はない」
「私の孫だからな、当たり前だ」
なぜか五大老に続いてカラバッリまでその輪に加わった。みんなから一斉に褒められてさすがに顔が熱くなるのがわかる。
これは、人生で初めてのモテ期なんではないだろうか……相手はみんなおじさまだけど。
「あ、ありがとうございます……」
「とにかく王が許したのならそこは気にせずともよいだろう。ディアナは王の間に行く機会が増えるだろうから、今の王の現状を我らに伝えてくれると嬉しい。王の健康になにが必要なのかこれからも一緒に考えようではないか」
「クシュラサ様の言う通りですな。我らはアルスラン様の健康のためならどんなに高いものや珍しいものも手に入れますぞ」
「ああ、もしドラゴンの鱗が必要ならこのヒシヤトが採ってこよう」
「お、いいですな。久しぶりに旅をするのも良さそうだ」
「……王都の情報ならこのアサビに」
「みなさんやる気に満ちてますねぇ」
五大老のやる気表明を受けて苦笑していると、カラバッリが優しい顔で私を見て言った。
「ディアナ、あまり無理はするな。其方ができる範囲のことをやれば良いのだ」
「はい、大丈夫ですおじい様。アルスラン様のことを大事に思っている人がこれだけいると思うと頼もしいです」
「そうか」
王様健康同盟の集会はそのあと夕方まで続き、思う存分話ができた五大老はご機嫌で帰っていった。本当に面白いおじさまたちである。あとでクィルガーに「五大老とどんな話をしたんだ?」と聞かれたが、「アルスラン様に対する熱い思いを聞きました」と答えておいた。
五の月も進み、招待された結婚式に忙しなく向かっていたクィルガーとヴァレーリアがようやく一息つけたころ、例の革屋に行くことになった。こちらからの使いが何回か革屋へ行ったあと詳しい日時が決まったようだ。
「やはりあそこの主人には話してなかったみたいだな。使いから話を聞いてアイタは腰を抜かしたんだそうだ」
「あらま、そうなんですか」
高位貴族の私を勝手に自分の店に呼び出したんだから、そりゃアイタはびっくりするよね。
私は去年と同じように平民の格好をしてクィルガーとともに館を出た。久しぶりに王都の街へ出るのでちょっとワクワクしてしまう。
「お父様、帰りにちょっと大通りの屋台に寄りませんか?」
「馬鹿、今日は革屋へ行って帰るだけだ。ヴァレーリアと一緒に出かける時まで我慢しろ」
「はぁい」
ちぇ……屋台のシャリク食べたかったな。
いつものように乗合馬車に乗って商業区域へ向かう。アイタの革屋は貴族区域を出てすぐの場所にあるので、比較的早く着けそうだ。最寄りの馬車停で降りると、通りには結構な人がいた。前は真夏の猛暑の中行ったので、昼間の人の多さに戸惑う。
「離れるなよ」
「はい」
今回はクィルガーと二人だけなので私も周りを警戒しながら進む。商業区域は平民の町、どこにテルヴァがいるかわからないからだ。
革屋の近くまでやってくると、その店前にアイタが立っているのが見えた。アイタは私たちの姿を捉えると、すごい勢いで走ってやってきて頭を下げる。
「この度は申し訳ございません! 娘が勝手なことを言ってしまいまして……!」
「え? 娘?」
「あっいえ、違うのです……っその……」
私がパチクリと目を瞬かせていると、クィルガーが「その話は中でな」と言ってアイタに店の中へ入れるように促す。
店の中へ入ると、アイタは入り口の鍵を閉めて奥へ案内し出した。どうやら今日は店を休みにしたらしく、奥の工房に人影はない。
この前案内された通りに店の奥から地下へ進み、その先にある扉を潜ると、そこに先日会ったツァイナが平民の格好をして立っていた。入ってきた私と、後ろのクィルガーを見てキュッと口を結んで跪き、恭順の礼をとる。
「あ……あの、も、申し訳ありませんでした。私、その、夢中になると周りが見えなくなることがあって……」
「本当に申し訳ありませんクィルガー様、ディアナ様」
俯くツァイナの横でアイタが跪いて謝り倒す。
「ツァイナは二年前に急に貴族になったので、まだそちらの常識や礼儀に疎いところがあるのです。どうか許してやってください」
「二年前に貴族に、ですか? あれ、でもツァイナは確か中位貴族なんですよね? 特殊貴族ではなく……」
「はい、あの、それには事情がございまして……」
「ディアナ、ここの事情はあとでいいだろ。まずはその娘の要件を聞いたらどうだ?」
アイタが跪いたまま説明するのを止めてクィルガーがそう提案する。
「そうですね、ええとツァイナは何年生なのかな?」
「一年です……九の月から二年生になります」
「私の一個下なんだね。じゃあもしかしてこの前初めて演劇クラブの劇を観たの?」
「はい……その時に鳴っていた音出しの音が忘れられなくて……」
ツァイナはその特徴的なつり目でチラリと私を見上げると、また口を結んで頷いてしまった。どうやら口下手なタイプのようだ。
「お父様、ツァイナと二人で話していいですか?」
「俺のいない部屋に行くのはダメだ。同じ部屋で離れて話すくらいならいいぞ」
「アイタさん、広めの部屋をお借りしていいですか?」
「はい。それでしたら奥の部屋をお使いください」
アイタとツァイナに案内されて太鼓が並んだ部屋から奥へと入る。そしてさらに奥の扉を潜った。この前ツァイナと会ったあの場所だ。長細い広めの部屋で、奥には太鼓がずらっと並べて置かれていた。
「ちょうどいいから奥の太鼓のところで話そっか」
私がそう言うとツァイナがコクリと頷いてそちらへ向かう。クィルガーには入ってきた扉の方に座っててもらい、私は奥の太鼓の前の椅子に座ってツァイナと向かい合った。
「そういえばここには椅子があるんだね。アルタカシークの家にしては珍しい」
「……太鼓を叩くの、椅子の方がやりやすいので……」
なるほど。確かにこうやってドラムみたいにして叩くんだったら椅子の方がいいよね。
「それで、ツァイナはなんで私にここに来て欲しいって言ったの? あの時は『新しい音を知りたい』って言ってたと思うけど」
「……あの、それは……」
「……?」
ツァイナはなにかを喋ろうとするがチラチラとこちらを見ては口を閉じてしまう。
「なにか気になることがあるの?」
「……私、まだ貴族の言葉に慣れなくて……ちゃんと喋ろうとすると……緊張するんです。間違えるのが、怖くて」
「ああ、そうなんだ。いいよその辺は気にしなくて。平民の時の喋り方の方がいいんだったらそれでもいいし」
「え⁉︎」
「私エルフだしねぇ。私も元々貴族じゃないし」
私が肩をすくませて緩んだ笑顔を見せると、ツァイナは目をパチパチとさせたあと、ホッと肩の力を抜いた。
「私、去年のオリエンテーションのクラブ紹介の時にあなたがあの時の女の子だって気づいたんです。そしてその時の演技と音出しの音にびっくりして……頭から離れなくなったんです」
ツァイナは学院に入学してから、ここに来たのが噂のエルフである私であることに気づき、私が演劇クラブという新しいクラブを作ったことを知った。正直気になったけど勉強と寮生活についていくのがやっとで余裕がなく、さらに演劇クラブには王族もいたため恐れ多すぎて覗きに行くことができなかったらしい。
まぁ確かに大国の王子と王女がいるクラブには行きにくいよね。
社交パーティのあとのクラブ見学会にもこっそり一人で見にきたんだそうだ。
「あの時も来てたんだ。一人で?」
「……友達いないので」
「え」
貴族教育を一年しか受けてないツァイナにとって生粋の貴族と話すのはかなりの負担らしい。すぐにボロが出るかもしれないと恐れて周りの学生とはほとんど喋らなかったんだそうだ。
「じゃあ相部屋の人たちともあまり喋ってないの?」
「……はい。いいんです、元々一人が好きだから」
そうやってたった一人で学院生活を過ごしたツァイナは最後に演劇公演会を観に行った。そして音出し隊が叩くリズムに度肝を抜かれたんだそうだ。
「あんな音は初めて聞いたし、たくさんの音出しの音が重なっているのも凄かった。私も、こんな音が出したい、一緒に叩いてみたいって……思って」
感動したツァイナは私ともっと話がしたいと思ったがどうやって声をかけたらいいかわからなかった。そして悶々と悩んだ挙句、私に会う最後のチャンスである学院からの帰宅日に、あのメモを持って待ち構えることにしたんだそうだ。
それが貴族的にはアウトだったことにはあとで気づいたそうで、アイタや母親からかなり怒られたらしい。
「本当にごめんなさい。あなたと話すにはここに来て貰うしかないと思って……」
「私はいいよ。でもうちじゃなかったらかなり大変なことになってたと思うから、他の人にはしちゃダメだよ?」
「はい……」
高位貴族を中位貴族が呼び出すなんて本当は大問題だ。高位貴族が憤慨してその中位貴族に制裁を加えても仕方ない所業なのだ。クィルガーもきっとツァイナの事情を知らなかったら怒ってたんじゃないだろうか。
「なんにせよ、ツァイナは演劇クラブの音出しに興味を持ってくれたってことだよね」
「はい。……私、音出しを叩くのは本当はいけないことだって教えられて育ったから、びっくりしたんです。あんなに堂々と、しかも貴族がたくさんいるところで叩けるなんて信じられなくて……」
「ああ、だから初めてあった時に私が褒めたらびっくりしてたんだね」
私がそう言うとツァイナは気まずそうに頷く。
「ごめんね、驚かせちゃって。私本当に感動したんだよ。あんなに音出しのリズムを叩ける人がいるなんて思ってなかったから」
「リズム?」
「ツァイナが叩いていたパターンだよ。えっと確かこんな風に叩いてたよね」
私は目の前に並んでいる太鼓の一つを叩く。
トントントントン、トコトコトコトコ。
トントン、ポコポコ。
トンタントンタン、トントンポコポコ。
「! 覚えてるんですか?」
「覚えてるよ。めちゃくちゃ衝撃だったもん」
扉の方でクィルガーがアイタからお茶をもらいながら目を見開いてこちらを見ているが、私は気にせずに叩く。
「あ、こっちの太鼓はまた違う音なんだね」
その場に並んでいる太鼓の音を確かめながら私が適当にポコポコ叩いていると、ツァイナの顔が輝き出した。
「やっぱり、あなたはいろんな音を知ってるんですね。あの……あなたが知っている叩き方、教えてくれませんか?」
私は太鼓を叩きながらツァイナを見てニヤリと笑う。
「ツァイナ、人から何かを貰うときは交渉をしなきゃ」
「え?」
「ツァイナは私から新しいリズムを知りたい。じゃあツァイナは私になにをくれる?」
私の言葉を聞いてツァイナは目を大きく見開いた。
思う存分アルスランの話ができた五大老はご機嫌で帰って行きました。
そして革屋へ。なにやら訳ありそうなツァイナという女の子。
彼女の要望を聞いてディアナは交渉を始めます。
次は 太鼓のセッション、です。