想定外の展開、ヴァレーリア視点
隣のベッドですやすやと眠るディアナを見て、私はホッと息をつく。
よかった……本当に。
自分のベッドを降り、彼女の方へ移動してその寝顔を覗き込む。起きている時のディアナは丁寧な口調で行動も落ち着いているので少し大人びて見えるが、寝ている時はとても子どもらしい表情になるのだ。
私はその頭をそっと撫でる。
本当にこの子が無事でよかった。
あの祠に突入した時、テルヴァに腕を掴まれて泣いているディアナを見てクィルガーと同様怒りで我を忘れてしまいそうになった。作戦がなかったら真っ直ぐディアナを目指して突進していたに違いない。
……本当に私はどうしてしまったんだろうか。
自分がこんな人間になっていることに自分が一番驚いている。こんなことは想定外なのだ。
私はヴァレーリア、二十四歳、独身。ザガルディの王都で生まれ育った。
家は貴族だが下の中くらいの地位なので貴族区域の中でも比較的平民区域に近い場所に住んでいた。
それでもザガルディ自体が東のリンシャーク国と並ぶ大国で王都の大きさもかなりのものなので、そんな大国の貴族であることが家の誇りでもあった。
一人っ子で少し寂しかったけれど、優しい父としっかりした母に育てられて私は幸せだった。十歳のころに母が亡くなるまでは。
母が亡くなったあと、父はすぐに後妻を連れてきた。これがまた意地の悪い女だった。
うちより下位の家から来たその後妻は自分の立場を強めるために、私より階級の高い魔石使いの子どもを産むんだと息巻いていた。高い階級の子は狙って産めるものではないのに、なにを言ってるんだこの人はと当時は呆れ返っていた。
だがその人は本当に私より階級の高い子を産んだ。そこから私の立場はとても弱いものになった。
魔石使いには階級がある。高い方から一級、二級、三級でそこまでが貴族、それ以下が平民になる。私は三級の魔石使いで、生まれた子は二級だったのだ。
それから毎日のように後妻から嫌がらせを受けるようになった。私の方が階級が低いのだから家督は自分の子に譲るように、そしてその子に付き従うように脅してくる。私は母ゆずりの気の強さだったため毎回それに反発し、その度に父に叱られた。
あの優しかった父は後妻にすっかり心を奪われ別人のようになっていた。それが悲しかった。もうこの家にあの幸せな日々は戻ってこないのだ。
そして数年が経ち、後妻が自分の親戚の能無し男と私を婚約させようとしていることを知って、私は家を出た。
昔からおてんばで勉強よりも社交よりも武術が好きだった私は、貴族に生まれてなかったら冒険者になりたいと思っていたのだ。それを叶えようと、まあ半分勢いもあったが家からありったけの武器や道具を持ち出して夜中に家を出た。
家出したすぐの街でサモルとコモラに出会ったのは本当に幸運だった。私は自分ではしっかりしてる方だと思っていたがやはり貴族だ。生活力が全くなかった。料理だって一度もしたことがない。彼らを仲間にすることで私は冒険者として生きていくことが出来るようになった。
それから九年、色々とあったが比較的無事に冒険者をやってこれたと思う。しがらみの多い貴族社会よりはかなり自由に生きれた。そんな自分をとても誇りに思っているし、強い女になったなとも思う。
それがディアナに出会ってから変わってしまったのだ。
本当に自分でもどうしてしまったんだろうって思うわ……。
ディアナの頭を撫でながら自分の中の変化に戸惑う。
まず第一に私は子どもが大の苦手だ。嫌いと言っていい。そもそも一人っ子で年下の子と触れ合う機会が全くなかった上に、後妻の産んだ子を思い出して嫌な気分になるのがその原因だ。
冒険者になって平民の子どもと話すことはあっても、彼らはわあわあと一斉に騒ぐので真面目に話を聞いているとイライラする。そのため彼らの相手はサモルとコモラにいつも任せていた。
そんな私はディアナを初めて見た時、驚きと警戒でしばらく思考が停止した。昔勉強の時間によく聞かされていた、この大陸の歴史の話にあったあのエルフだ。その時は「へぇ、そんな種族がいたんだ」くらいにしか思ってなかった。
たが実際見てみると、警戒より好奇心が勝ってしまった。
だってエルフは……驚くほどに美しいんだもの。
透き通るような金の髪は陽の光を浴びてキラキラと輝いていて、大きな青い目は紺碧の空のように深くて澄んでいる。そして人間とは違う長い耳。ディアナは気付いてないようだが、その長い耳はなにかに反応した時にピクリと動く。それが動物みたいでとても可愛い。
それに話してみると落ち着いて受け答えが出来るし、なにより私のことを真っ直ぐ見て話をしてくれる。実は私はもうここでかなりグッときていた。
可愛い、可愛すぎる。
自分に小さい子を可愛がる気持ちがあったことにも驚き、それからディアナと過ごすうちにすっかり心を許すまでになっていた。エルフであってもこの世界でなんとか暮らしていけるようにと、本人も自分で考えて動こうとしている。だから私もそんな彼女を守ってあげたいと本気で思ったのだ。
ディアナが攫われたあの日、彼女が私の側からどんどん離れていってしまう感覚に全身がヒヤリとして、彼女を失うかも知れないという状況に目の前が真っ暗になった。
冒険者になってからあんなに焦ったことはないわ……。
そして今、すやすやと安心して眠っている彼女を見て心底ホッとしている自分がいる。いつの間にか私にとってディアナは、家族のような存在になっていたのだ。
家を捨てて冒険者になったこの私が家族とはね……自分でも驚いたけど、きっとこれも私なのよね。
「これからもあなたを守るからね」
私は眠るディアナにそう誓って部屋の明かりを消した。
翌朝、寝たのが真夜中だったのもあってかなり遅い時間にみんな起きた。身支度をしてディアナとともに居間に行くと、朝食と昼食を兼ねたご飯をコモラが作っていた。ディアナは目を輝かせてコモラの作る過程を見にいく。
「本当にディアナは食べるのが好きなのね」
「なにかを作る過程を見るのが好きなんです!」
そう言ってディアナが笑顔で振り向く。
う……可愛い。
その笑顔にズキュンとやられて胸を押さえていると、居間から続くテラスの椅子にクィルガーが座って地図を広げているのが見えた。私はコモラからお茶の入ったグラスを受け取ると、そちらへ向かう。
「今日はどこまで進むの?」
そう声をかけながら向かいの椅子に座ると、クィルガーはこちらをチラリと見たあと地図を指差して答えた。
「なるべく早くこの前の街まで行きたい。あの宿に置きっぱなしの荷物を早めに回収したいし、早便で手紙も出したいからな」
「手紙?」
「アルタカシークに先に知らせておきたいことがある。ディアナやおまえたちのことを国境の関所で申請するまでにいろいろと根回ししておいた方があとが楽だから」
「それはそうね」
ディアナはおそらくクィルガーの家で暮らすことになる。家の者からすればいきなり彼から「保護する子どもとその親代わりの者を連れてきた」と言われて帰ってこられても困るだろう。受け入れる側にも準備が必要だ。
……まあ、この人がどの程度の階級の貴族かわからないから準備する規模もよくわからないけど。
そんなことを考えていると、クィルガーがじっと自分を見ているのに気づいた。
「ん? なによ」
首を傾げて聞くと、今までになく真剣な顔でクィルガーが口を開く。
「おまえ、ディアナのことをどう思ってる?」
「どう……って?」
「どれくらいの気持ちであいつの世話係として関わっていこうと思ってる?」
彼の思わぬ質問に一瞬目を瞠るが、その答えはもう出ている。私は部屋の中に視線を移し、コモラの調理を見学してるディアナを見てくすりと笑う。
「……私にとってディアナは、もう家族と同じような存在なの。許されるならこれからもずっと一緒にいたいと思ってる」
そう答えるとクィルガーが虚を衝かれたような顔になった。私がそこまでディアナのことを思ってたことに驚いたらしい。
それはそうよね、私が子どもが苦手なことはこの人も知ってたから。
「……そうか」
そう言ってクィルガーもフッと笑う。今まで見たことのない穏やかな顔に少しだけドキッとしてしまった。
……少しだけね!
「なら決まりだな」
「え?」
「いや、朝食を食べたあとにこれからについて話がある。前に決めたことから少し変更したいことがあるんだ」
それから遅い朝食をとったあと、食後の紅茶を飲みながらみんなでテーブルを囲む。二人掛けのソファに私とディアナ、反対側のソファにクィルガーが座り、サモルとコモラは台所のカウンターの椅子を持ってきてディアナの近くに座った。
「それで、変更ってなんなの?」
私がそう言って促すと、クィルガーは膝の上で両手を組んでディアナを見た。
「ディアナを俺の養子にしようと思う」
「へ⁉」
「養子ですって⁉」
その突然の宣言に驚いていると、クィルガーが真剣な顔でその理由を語った。
「ディアナが発見した透明の魔石の魔石術はこの世界を変える可能性を秘めている。少なくともアルタカシークには透明の魔石しか採れなくなって魔石交易が途絶えた歴史がある。透明の魔石が使えるものとわかればその値段は跳ね上がり、魔石の採掘も再開されるかもしれない」
「……確かに、国の経済に根本から関わる展開になるわね」
「俺は王と直接関わっている立場にいる。だからこの情報を王に話さないという選択肢はない。王はそんな情報を持っているディアナをきちんと保護するようにと言ってくださると思う」
「逆にかなり警戒されて監禁される可能性は?」
私の発言にディアナがビクッと肩を揺らす。
「うちの王は賢く聡い方だ。厳しいところはあるが自国に役に立つ情報を持っている子どもを監禁するようなことはしない」
「じゃあなぜ養子に?」
そう問うとクィルガーはディアナを見る。
「ディアナはアルタカシークにとって重要な情報を持つエルフとなる。その存在は厳重に隠されるだろうが、万が一どこかから情報が漏れた場合、俺だけの力だけだと守れない可能性がある」
その言葉にディアナが眉を下げて彼を見た。
「……なんでですか?」
「透明の魔石を使えたことでおまえの敵はテルヴァだけじゃなくなった。その情報欲しさに国中の貴族もおまえを欲しがろうとするだろう。特に俺より階級が上のやつに手を出されると守りきれない」
ディアナがそれを聞いて「ええー」と情けない声をあげる。
「だから俺の養子にして、ディアナに貴族の身分を与えて学院に入れようと思う」
「え! 学院に入れるんですか⁉」
「学院に入れば、ディアナの立場は学院長——つまり王の保護下に入ることになる」
「王の保護下?」
「誰かが学院の学生になにかちょっかいをかけることがあれば、王が直々に手を下すってことだ」
「王に守られるってことですか?」
「そういうことだ」
ディアナはそれを聞いてほうほうと感心している。
「王に守られるってなんか格好いいですね」
「馬鹿! 格好いい悪いの問題じゃない。自分の立場の危うさを自覚しろ!」
「だって貴族に狙われるとか言われてもピンとこないですし、学院には入りたかったので私は嬉しいです」
ディアナはそう言ってニコニコしている。クィルガーはそれを見て盛大にため息をついた。
「言っておくが入学するには試験と面接があるからな。特別措置なんかないぞ」
「は! そうでした。私勉強しなきゃマズいです!」
「じゃあ俺の養子になるってことでいいんだな?」
「はい! ちょっとびっくりしましたが、よろしくお願いします!」
ディアナがクィルガーの養子になる……か。たしかに貴族の身分になって学院に入って王に守られた方がいいことはわかる。
でも、じゃあ私の立場はどうなる? 貴族で冒険者の私がクィルガーの子どもの世話係ってなんか変じゃない?
そう思ってるとクィルガーが私の方を見てさらりと言った。
「そういうことだから、ヴァレーリアは俺の嫁になれ」
…………。
…………は?
「…………は?」
「へ?」
「え?」
「えぇ?」
一瞬でクィルガー以外の全員がポカンと固まる。
え? 今この人なんて言った?
「クィルガー? なにを……」
「だから、俺の嫁になって欲しい」
「誰が?」
「おまえが」
はぁ————————⁉
「なに言ってるの⁉」
「結婚の申し込みだが?」
しれっとそんなことを言われて一気に体の中がカッと熱くなる。
待って待って、ちょっと待って‼
こんな展開、想定外すぎるんだけど⁉
ヴァレーリアの心境の変化。
ディアナに特別な愛情を抱くようになった彼女に想定外の告白が投下されました。
次は 誓いの布、です。