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エピローグ


 塔の先端から入ってくる日の光に夏の強さが混じるようになった。いつものように紫色に光る魔法陣の上で私は執務机に向かう。

 

「アルタカシークの学生の退出が終わり、使用人たちも移動し、寮長によって寮の施錠も完了したと報告がありました」

「そうか」

 

 ソヤリの報告を聞きながら私は手元の書類を捲る。そこには各国へ帰る学生の名簿と使用人の数が書かれてあった。使用人である平民は貴族と違い扱いが軽いので、その役職と人数しか書かれていない。

 

「……使用人の名簿も作らせた方がよいのかもしれぬ」

「……名簿を作らせても奴らは名をよく変えます。こちらが把握するのは難しいのではないですか?」

「名前だけでなく他の情報から得られることもある。なにより使用人の名簿の提出を義務付ければ、私が使用人の入国にまで注意を向けていることが奴らにも伝わるであろう」

「それを知った奴らが入国を渋るようになる、と?」

「実際にどこまで抑止力が働くかはわからぬが、少しでも効果があるのならばやった方がよかろう」

「では各国に通達を出しますか」

「そうだな。ああ、例のアルタカシークに残りたい学生に対しての特例についても知らせておいてくれ」

「かしこまりました……」

 

 私の言葉にそう答えたソヤリが、なにかに気づいたような顔をしてこちらを見る。

 

「アルスラン様、夏休みの間にここへ残る学生が出てきますと、どこかの館にテルヴァが残ることが可能になるのでは?」

「館に残る学生と使用人の名簿は必ず提出すること、ということにすればよい。そこにテルヴァがいれば逆に奴らのことを私が把握しやすくなる。そのような危険を奴らが犯すとは考えにくいがな」

「なるほど……。わかりました。すぐにそのように手配いたしましょう」

 

 ソヤリは恭順の礼をとって私の部屋の出入り口から下がる。それを目で追ったあと、再び視線を手元の書類に戻した。

 

 約十年、あの日から奴らの動きはアルタカシークの中では止まっていたはずだ。国境を越えて入国する者は全てチェックして怪しい者は弾いてある。特に平民については厳しく見ていたつもりだが、学生の使用人として紛れて入ってきていたとは……。

 

「いや、奴らならば十年もあればどこぞの国の有力な貴族に取り入ることはできる。それか王族という可能性も……」

 

 学生に付随してくる使用人の数は高位であればあるほど人数を増やせる。おそらく入ってきているテルヴァは少人数ではない。毎年複数人連れてきて、どこかの国の館に潜ませているのかもしれない。

 昨年ディアナを攫おうと計画して動いていたのも複数人だった。

 

 ……もしかしたらディアナが現れる前から、少しずつアルタカシークに入ってきていたのかもしれぬ。

 

 音も立てず静かに忍び寄ってくるテルヴァの手口を思い出して、私は眉間に力を入れた。あの頃のようにじわじわと胸の中に毒が広がっていく感じがして、その不快感に思わず胸元に手が伸びる。

 

 あの時と同じようなことはさせぬ。

 

 苦い思いを吐き出すように、目を瞑ってゆっくりと息をついた。

 

 どちらにせよ、この二年の奴らの動きを察知できなかった責任は私にある。これ以上奴らが好き勝手できぬように策を打たねばならない。

 

 気持ちを落ち着かせていると、廊下からこちらへ近づく足音が聞こえてきた。私は服から手を離して顔を上げる。

 

「アルスラン様、ただいま戻りました」

 

 クィルガーがディアナを家へ送り届けて戻ってきたようだ。

 

「ディアナは無事に戻ったか」

「はっ」

「カラバッリの方にも寄ってきたのであったな。息災であったか」

「あの父は衰えるということを知りませんから」

「フッ……そうであろうな」

 

 その会話にソヤリも入ってくる。

 

「しかしあのカタルーゴの学生をカラバッリ様に任せるとは、大胆なことをしますね。本当に彼をディアナの側近にさせるのですか?」

「あくまで父上のしごきに耐えれたら、の話だ。あいつのディアナに仕えたいという思いは本物だからな」

「……過去の自分を思い出しましたか?」

「フンッその言葉はそっくりおまえに返す。おまえだってイシークの気持ちはわかるはずだ」

「さて、どうでしょうね。それに思いだけではどうにもならないこともあります」

「それを見極めるための課題だ。カタルーゴ人を育てるのは父上の方が向いているからな」

「……彼が死なないことを祈りますよ」

 

 ソヤリはそう言って警備をクィルガーに任せ、執務館の方へと向かった。

 それからその日の執務をこなし、全て終わったところで夕食を食べる。今日はいつもの料理人の料理だが、以前とは違い薄味のものだけではなくなっていた。クィルガーの料理人から教えてもらい、そのレシピを取り入れているようだ。

 

 ……思えば私は普通の料理というものがどういうものなのか知らずに育ったのだな。

 

 料理というのは薄味で味があまりないものだと思っていたので、本などに出てくる料理の描写も実はよくわからないまま読んでいた。

 私が本当の料理の味を知ったのは最近のことだ。

 そんなことを考えながら夕食をとっていると、ふと目の前の空間が気になった。そこで一緒に食事を取るようになったエルフの姿が浮かぶ。

 

 美味しそうに食べる、というのはああいう顔のことを言うのだな。

 

 昔読んだ小説の中に出てきていた表現の答えがわかって、私はその顔を見ながら心の中でフッと笑っていた。新たな知見を得た時と同じ気持ちだった。

 そのエルフはよく食べた。あのような小さい体のどこに入っていくのかと不思議に思うくらい、次から次へと料理を平らげていく。それに釣られて自分の食べる量も増えてしまったくらい、見事な食べっぷりだったのだ。

 

「クィルガー」

「はっ」

「ディアナは其方と出会ったころからあのようによく食べていたのか?」

「は? はい……そうですね。初めて会った日からコモラの作る食事を気に入っていましたし、美味しそうに食べていました。そういえば以前はそこまで胃が強くない体だったのでこんなに食べられなかった、と言っていたことがあります」

 

 以前というのはあちらの世界にいた時のことか。

 

「……エルフというのは繊麗で神秘的な存在だという記述は残っているが、よく食べるという情報はなかったな」

「アルスラン様、ディアナだけが変わっているという可能性もあるので……」

 

 クィルガーがなんとも言えない顔で答える。確かにディアナに関しては変わったところしかないのでそう思うのも不思議ではないが、中身がどうであれ体についてはこの世界のエルフなのだ。もしかしたら人間より強い体を持っていた種族なのかもしれない。

 彼女が発見した透明魔石についての研究も進めていきたいが、そのエルフの体がどういう成り立ちなのかも純粋に気になる。人間とは違う姿でありながらマギアコアを持っていたのだ。

 

 あれは元々そうなのか? エルフも人間と同じようにマギアコアを持つ生命体だった?

 

 それにあのよく動く耳もどういう仕組みで動いているのか興味がある。本人は無意識のようだが、あの耳は本当に感情をよく表す。ディアナの顔を見なくても耳を見ていれば喜んでいるのか悲しんでいるのかすぐにわかるのだ。

 むくむくと研究者的な思考が湧き上がってくるが、その思いにはすぐに蓋をする。生物学的な興味とはいえ、彼女も一応女性だ。その体について考えるのは風紀上よくはない。

 夕食がひと段落すると、最後にこれだけ、と言ってソヤリが一枚の紙を持ってきた。そこにはこれからこの部屋でディアナがやるであろう特別補佐の項目が書いてある。

 部屋の片付け、掃除、その他の雑務、食事の準備、それと……。

 

「……私の着付けまでさせるつもりか」

「それは私の希望です。お二人がお嫌でなければ、という前提ですよ。その部屋の片付けと同じくらい、その服装をどうにかしてほしいと常々思っていましたから」

 

 私は自分の着ている服を見下ろす。最低限の服は着ているが、確かにこの十年でかなり着崩して着るようになった自覚はある。正直面倒なのだ。誰にも会わないのにきちんと着る必要性も感じない。そんな時間があれば一冊でも多く本を読む。

 私はチラリとクィルガーを見る。

 

「其方は自分の娘にそこまでさせていいと思っているのか?」

「正直に申しますと抵抗はあります。大事な娘なので。妻に言えば絶対に反対されることでしょうが、ディアナがいいと言うのなら任せるつもりです」

「……そんなにこの着方がまずいのか」

 

 そこまでして二人がこの服装をどうにかしたいと思っていたとは思わなかった。

 

「それ以上酷くなりますと、その王の布もディアナに整えてもらうことになりますよ」

「! ちょっと待てソヤリ! それは聞いてないぞ!」

 

 ソヤリの一言にクィルガーが焦った声を出す。王の布は私が被っている装身具のことで、寝る時以外は常に頭に被っているものだ。これに触れられるのは本人と家族、それに世話をする同性の使用人だけである。つまりディアナのように家族でも同性でもない者が触っていいものではない。

 ただこれも面倒なので適当に被っている自覚はある。

 

「……はぁ、わかった。それについては其方らに任せる。決して無理強いはしないように」

「わかっております。……それにしてもアルスラン様がディアナをそちらへ置くことを許してくださるとは思いませんでしたよ。おかげで私の懸念事項が解消されそうで助かります」

「……ディアナには裏というものがないからな」

「そうですね。あのように気の抜けた状態で生きられるほど、前の世界が平和だったということなのでしょう」

「それだけ平和な世の中というのは想像できないがな……」

 

 クィルガーがそう言って肩をすくめた。

 夕食が終わり二人が王の間から下がると、私は黄の魔石術を使って自分の体を浮かせ、塔の吹き抜けを上へと飛ぶ。これはまだ学生には教えていない黄の魔石術のひとつだ。

 塔の先端まで辿り着くと、ふわりと吹き抜け穴のふちに着地する。塔の先端は少し尖ったドーム型の天井に覆われ、そこから伸びたいくつもの柱の間に大きなガラス窓がついている。そこから王都の様子がぐるりと見渡せた。

 満点の星空が照らす王都を見下ろしながら、私はこの間のことを思い出す。

 

「あの温かいものはなんだったのであろうな……」

 

 テルヴァの時間差の毒にやられ私の意識は暗闇の中へ落ちていっていた。どこまでも続く暗い空間を下へ下へと落ちていく。体に力は入らず、魔石術を使うこともできず、ただただ落ちていった。

 その落下がとあるところで急に止まった。ふわりと暗闇に浮いたまま、私は目線だけを動かした。止まりはしたが、体が動かないのでこれ以上どうしようもない。

 そこは完全な闇だった。なんの音も光も届かない、深淵の闇。ああ、ここにずっといるのは不味い。きっと二度と浮上できなくなる。と、そう思っている間に意識が曖昧になっていく。

 

 駄目だ、しっかりしろ。このまま闇に飲まれるわけにはいかない。

 

 そうやって目に力を入れるが、手足にするりと闇が巻きついて下へと引っ張ろうとする。

 

 く……このままでは……。

 

 首元にまで闇が迫ってきて、その力に屈しかけたその時、真上から一筋の光が差し込んできた。

 

「⁉」

 

 その光に当たって体に巻き付いていた闇がザァッと一斉に逃げる。

 

「これは……」

 

 白い光に包まれた私は呆然としながら自分の体を見つめる。冷えていた体に温かいものが流れ込み、トク……トク……と心臓が動き出すのがわかった。そこで初めて自分の意識が死にかけていたことを知る。

 その温かさにホッとしながら上を見上げると、今度は声が聞こえてきた。喋る声ではない。

 

「これは……歌、か?」

 

 その歌に耳を澄ますと、体が勝手に浮き始めた。その声に導かれるように上へ上へと昇っていく。

 そのうちなにを歌っているかも聞こえるようになった。

 

 おはよう おはよう 目をあけて

 おはよう おはよう さあおきて

 

「……目覚め唄、か」

 

 以前聞いた歌に吸い寄せられていくように、私の意識はぐんぐん昇っていった。そのうち、この体に流れてくる温かなものを、以前にも感じたことがあるということに気がついた。

 

 私は、この温かさを知っている? なぜだ? 一体どこで……。

 

 そう考えているうちに意識が戻った。目を開けると目の前にディアナがいて、やはり彼女が歌っていたのかと納得する。

 そのあと自分の部屋にディアナがいたことに驚いて思わず不快感を示してしまったが、私から慌てて離れ謝る彼女を見て、すぐに追い出そうという気にはならなかった。

 自分でもなぜそう思ったのかはわからないが、その後私の補佐をさせたいとソヤリが言ってきた時も特に嫌だとは思わなかったのだ。

 

「考えれば考えるほど不思議な存在だな……」

 

 彼女を保護したのは私の中にとある打算的な考えがあったからではあるが、こちらが考えている予想の範囲外のことをしてくる。しかも今年は自分の命を繋げてくれたのだ。

 

 この魔法陣の中にいる私を助けられる者がいたとは……。

 

 自分の体に流れてきた温かなものを思い出しながら、私は腰袋から一つの透明魔石を取り出した。

 それを摘んで夜空にかざす。

 

 ディアナのようにこれが語りかけているようには思えぬが、それでも不思議な心持ちになるな……この魔石が母上の遺品だからだろうか。

 

 透明魔石は星の光を受けてキラリと輝いている。

 

 なんにせよ、ディアナはこれからも我々にとって必要な人物であることに変わりはない。

 

「テルヴァの手に渡ることだけは、防がねばならぬ……」

 

 私はクィルガーの館がある方向を見つめ、グッと透明魔石を握りしめた。

 

 

 

 

二年生の章エピローグはアルスラン視点でした。

少し近づき難いイメージのアルスランですが、心の中では様々なことを考えてます。

さて二年生の章が終わりました。

来週から月、水、金に夏休みⅡの章を更新していきます。

その次の三年生の章は週五の通常更新に戻ります。

初めて活動報告を書いてみたのでぜひ読んでください。


ここまで読んで「続きが気になる」「面白そう」と少しでも思っていただけたなら、

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