演劇公演会 迫真のアドリブ
お互いの気持ちを確かめ合ったシャハールとマリカはその後もデートを重ね、二人は幸せの踊りを踊る。だが、二人が幸せだったのはわずかな間だけだった。シャハールは平民街から貴族街へ帰る道すがら悩む。
「私は彼女に本当は貴族であることを言っていない。……彼女は平民だ。気持ちが通じ合ったとしても今後一緒にいることはできない。ああ、でも私はもう彼女なしでは生きられなくなってしまった……どうすればいいんだ」
マリカも同じ様に悩む。
「ダメだとわかっていても自分の気持ちを抑えることができなかった……彼は平民だというのに。ああ、私は一体これからどうすればいいの……!」
「……マリカ様、だから言ったではありませんか。深入りしてはならないと。これ以上彼といてもマリカ様が傷つくだけですよ」
「……アンドレア……」
それからシャハールとの関係を思い悩んで食事も喉を通らなくなったマリカを心配して、アンドレアが街で評判の予言者を連れてきた。ちなみにこれは予言者に化けたティルバルだ。
マリカがどうすれば幸福な未来になるのかと聞くと、予言者は「困難を乗り越えた先に幸せが待っている」と言った。
「困難を乗り越えた先に……」
その助言を聞いたマリカは、シャハールに貴族であることを話し、二人で困難を乗り越えたいと告げようと決意する。
そして街へ出かけようとした前の日、マリカの家で大きなパーティが開かれた。両親とともにそのパーティに出席したマリカは、そこで貴族服に身を包んだシャハールとばったり会ってしまう。
「シャハール……なぜ貴方が……」
「マリカ……まさか君はここの?」
お互いの正体を知って言葉を失う二人。同じくお付きのアンドレアとモリスも驚いている。
お互いが同じ貴族であるということは良かったが、まさかライバル家の跡取り同士だったとは。あまりにも無情な事実を知って、マリカはシャハールに背を向けて走り去ってしまう。
「そんな……こんなのってあんまりよ。シャハールがあの家の息子だなんて……! 私、どうすればいいの」
予言者が言っていた困難とはこのことだったのだろうか。ショックを受けながらもシャハールのことで頭がいっぱいのマリカは、なんとかこの困難を乗り越えられないかと考え始める。
しかしそこでマリカは壇上にいる親に呼ばれた。マリカが怪訝に思いながら壇上へ上ると、親がいきなりマリカの婚約者が決まったと発表した。
「お父様⁉ その様な話は聞いていませんわ!」
「そろそろ考える時期だと言っていたではないか。ちょうどお前にピッタリな方が現れたのでな。今日発表しようと思っていたのだ」
「本当に良い方なのよ。これでマリカも安心してこの家を継げるわね」
「お父様……お母様……!」
婚約の発表を聞いたパーティの参加者たちが続々と祝いの挨拶にやってくる。そしてそこにシャハールとその親たちもやってきた。シャハールの顔は明らかに曇っている。
「おめでとうございますチャイルズ様。お嬢様の婚約が決まって安心ですな」
「ええ、ありがとうございますドレル様。これからもうちのマリカをよろしくお願いしますよ」
「もちろんです。うちのシャハールにも婚約者が決まりましたし、我々が世代交代する日も近いですな」
「おお、そちらもでしたか、それはそれは」
シャハールに婚約者がいると聞いてマリカは思わずシャハールの方を向いて目を見開く。シャハールは「父上⁉ その様な話は初耳ですが⁉」とドレルに詰め寄るが、「今夜お前に話そうと思っていたのだ。少々前後したが問題なかろう」と返した。
しばらく呆然としていた二人だったが、マリカがフッと表情を緩めて前へ進み出た。
「おめでとうございますドレル様。シャハール様のお幸せをわたくし願っております」
「おお、これはご丁寧にマリカ様。マリカ様も婚約者様とどうぞお幸せに」
「ありがとうございます」
マリカは諦めたように笑い、その場から去ってしまった。シャハールはそんなマリカの姿を呆然と眺めた。
「……う、なんというお別れなんですの」
「二人の関係が難しいことはわかっていたけれど、急に婚約者が現れるだなんて……悲しすぎますわ」
観客たちが二人の別れに辛そうな顔をする。
その後、パーティ会場ではドレルとチャイルズが喧嘩を始め、シャハールは怒ったドレルとともに帰っていった。
舞台が暗転し、パッと一筋のスポットライトが当たる。そこに私、予言者の格好をしたティルバルが進み出る。ティルバルは舞台の前まで来ると、予言者のマントをバサリと脱いだ。
「ふふふ、上手くいったわ。あの親たちは予言者の私の言葉をすっかり信じて、架空の者を婚約者に決めたのよ。うふふ、人を騙すってなんて楽しいのかしら。さて、あの二人の仲は完全に離れてしまったけれど、これからどうするのかしらね。うふふふふ」
そこで不気味な太鼓のリズムが鳴り出す。私はそのリズムに乗ってふわり舞う。シャハールやマリカが踊る明るい舞ではなく、不思議で怪しい動きを取り入れた独特な舞だ。
前へ跳んでくるりと回りキュッと止まり、また跳ぶ、という動きを何度も繰り返す。バレエを観たことがある人には見慣れた踊りだが、ここにはバレエを知っている人はいない。私は時に激しく時に緩やかに、全身を使ってティルバルの踊りを怪しい笑みを湛えたまま踊った。
「やはり何度見てもディアナの踊りはすごいね。見惚れてしまうよ」
舞台袖から私の踊りを観ていたチャーチの声が聞こえた。
私は踊りながら「ああ、これが私の楽しみ、私の人生、誰も私を止めることはできない。うふふふふ」とティルバルの言葉を紡ぐ。
太鼓の音が盛り上がりを見せてタ——ンッと大きくジャンプをし、そのままポーズを取って着地した。
「…………」
「……っ」
会場は私の踊りが終わったあとシーンと静まり返った。私はそれを見て怪しく笑い、舞台袖に軽やかにはけていく。
再び暗闇になった舞台に入れ替わるようにしてシャハールとマリカが端に座ってスタンバイした。ここからは交互に失恋した二人の様子を見せるのだ。最初にシャハールにスポットライトが当たる。
「彼女があの家の娘で……しかも婚約者も決まったなんて……ああ、なんということだ。私は彼女を諦めるしかないのか……!」
次はマリカにスポットライトが当たる。
「シャハールにも婚約者がいるなんて。ああ、もう……どうすることもできないのね。私たちは出会ってはいけない運命だったのだわ」
そこで二人は同時に立ち上がり、舞台の端と端で別々に踊りを踊り出した。二つの太鼓の音がゆっくりとした静かなリズムを刻む。
今までとは違い、悲しく、切ない踊りに観客は同じように悲しい顔になっている。どうやらすっかり二人に感情移入しているらしい。
「ああ、これが絶望というのか」
「うう……私、もう……なにもしたくない」
失恋の踊りを踊り終えて、舞台は再び暗闇に包まれた。
そこで観客席の方から鼻を啜る音がちらほらと聞こえ出す。観てる人たちはみんな二人が完全に失恋したのだろうと思っているようだ。しかし物語はこのままでは終わらない。
マリカが泣いて暮らしていると、またアンドレアが予言者を連れてきた。マリカは彼女に迷わず相談する。すると予言者は「二人が困難を乗り越えるには親が邪魔なだけだ」「二人が家の主人になれば自分の結婚相手も自分で決めることができる」とマリカを唆す。
予言者の意外な言葉に驚いたマリカはその言葉に乗せられそうになるが、予言者がマリカの相手がシャハールであることをなぜ知っているのかを不審に思う。そして予言者を帰したあと、両親に自分の婚約者をどうやって決めたのかと聞いた。
「え、ではあの予言者の言うままに決めたのですか?」
「ああ、あの者はうちの抱えている問題がそれで全て解決できると言ってきたのだ。安心しなさいマリカ、あの婚約者と一緒になればお前も幸せになれる」
そしてシャハールのお付きのモリスに話を聞きに行っていたアンドレアが、シャハールの婚約者もその予言者が決めたらしいという情報を持って帰ってきた。
「あの予言者……おかしいわ。もしかして私たち、あの者に振り回されているのでは……?」
真相に気づきつつあったマリカはシャハールに会いに行きたくなった。だが今までは平民のフリをしていたから素直な自分を出せたが、お互いに貴族と知った今、素直に話せるのかマリカにはわからない。
そんなマリカにアンドレアが言葉をかける。
「お嬢様、まずはお二人の今のお気持ちを確かめ合ってはどうです? お互いに貴族であると知っても相手への気持ちは少しも揺るがないのか、それが一番大事なことなのではと私は思います」
「アンドレア……私を応援してくれるの? あなたは普通の貴族なら親が決めた相手と結婚した方がいいと言うと思っていたわ」
「いつもならそう言いますが、今回は私が連れてきた予言者がなにか企んでいるとわかったので……。私は、お嬢様が一番幸せになれる道を選びとってほしいと、そう思っています」
アンドレアの真剣な眼差しを受けてマリカが少しの間動きを止める。そして「わかったわ。私、シャハールに会いにいく」と決意を固めた。
アンドレアはモリスと連絡を取り合い、こっそりシャハールの部屋へマリカを連れていくことに成功する。突然マリカが現れて驚くシャハール。
さあ、ここからがアドリブだ。
私は舞台袖から二人の演技を見守る。
「マリカ……なぜここに?」
「貴方にどうしても聞きたいことがあって来たの……」
「だからといって男性の部屋に来るなんて」
「……貴族女性には考えられないことよね。でも私……」
貴族としてのマリカはなかなか素直に思ったことが言えない。そんなマリカにシャハールは戸惑う。
「マリカ……君にはもう婚約者がいるんだろう? こんなところに来てはいけない」
「! シャハールは……もう私には会いたくなかったの?」
「そんなことは……しかし私にも君にも家のことがある。それを全て捨てて君に会いに行って、それでその先はどうなる? 私たちも周りも苦しむだけだ」
「……シャハールはいつもそう。周りのことを考えすぎて自分から動こうとはしないわよね。今日だって私がここに来なければもう二度と会うこともなかったってことでしょう?」
「それは……私は君のことを考えて」
「嘘よ。貴方が今考えているのは私のことより自分の保身でしょう?」
「違うよマリカ」
二人はそこまで言い合って、お互いに顔を逸らす。
おお、すでに今までの練習とは台詞が違ってきてる。アドリブだからか二人の演技も真剣味が溢れていて私まで手に汗握ってきた。
次に言葉を発したのはシャハールだった。
「マリカ、君は私の気持ちが知りたくてここまで来たのかい?」
「! ええ、そうよ」
「わかった、じゃあ私の本当の気持ちを君に話そう。本当は、情けなくて格好悪いから、君には隠しておきたかったんだが」
「……え?」
うわ、こんな台詞今まで一度も出たことないよ? すごい冒険するねイバン王子。
シャハールは声のトーンを落として、ゆっくりと語り出した。
「私は今まで堅苦しい貴族社会の中で自分を律することを強く求められてきた。だから私は自分の本当の心には蓋をして、周りが望むように、立派で完璧な跡取り息子を演じてきたんだ」
「……演じて、きた?」
「そうだよ。そのおかげでシャハールという人間は、真面目で誠実で、賢くてなんでもできる人だと周りから思われるようになった。でもそれは本当の私ではない。素の自分を誰にも出すことができなくて、私の心はずっと満たされないままだった。……君に会うまでは」
シャハールはそう言ってマリカを見つめる。マリカは戸惑って動けずにいる。
「君は私が今まで会ったことがない人だった。明るくて、素直で……我慢強い。君と出会えて私の世界は一変したんだ。そしてずっと蓋をしていた扉が少しずつ開いていくのがわかった」
「シャハー……ル」
「私は君に惹かれていた、だがそれ以上は踏み込めなかった、そういう……立場だったから」
……ん? ああ、貴族と平民だったからってことか。
「君と想いを通わせることができても、私は苦しかった。そんな時は夜空を見上げて、君も同じ空を見ているだろうか、同じ月を見ているだろうかと考えていたりしたんだ」
「……‼」
「そうやって自分の気持ちを慰めていたんだよ。……君にもそんな時間はなかったかい?」
「……」
シャハールに問われてマリカがギュッと眉を寄せた。口は固く結ばれて目が潤んでいる。
レンファイ様、すごい演技だ……。
二人の迫真のアドリブに私は見入る。
「……そう……ね。私にもあったわ。とても悩んで辛かった時は月を見上げて、いつも貴方を想ってた……」
それを聞いてシャハールがふわりと笑う。
「嬉しいよ、マリカ。でも私はそれ以上どうすることもできなかった。君が貴族とわかったら余計に。自分が歩いてきた跡取りとしての道を外れるのも怖かったし、全てを捨てて君の元へ行っても、君は私より婚約者を選ぶかもしれないと思って、動けなかったんだ……」
そう言ってシャハールはマリカに一歩近づく。彼の言葉に目を見張ったマリカは徐々に表情を崩し、絞り出すような声で言った。
「……あんな婚約者を、私が選ぶわけがないじゃない……っ」
マリカの目から一筋の涙がつっと流れた。
シャハールは眉を下げ、マリカの涙を優しく拭う。
「今まで情けない私ですまなかったマリカ。だけどこれからは君のように素直で自分らしくあろうと思う。君には私の本当の心を知っていてほしい。私が選ぶのはこの世でたった一人……君しかいない」
「……っシャハール……」
マリカはそのまま自分の顔を両手で覆って肩を震わせた。シャハールにしか聞こえない声で「ダメよ……そんな……」と囁いているのが私の耳に聞こえた。
シャハールはそんなマリカの肩に手を置こうとして……ガターン! という大きな音が響いてピタリと止まった。同時に観客席の方から悲鳴が上がる。
「どうしたの⁉」
「予想通り観客の女性が倒れたようですわ」
私が聞くと観客席の様子を見ていたイリーナが答えてくれた。
「ハンカルに暗転するように伝えて!」
私が舞台袖の壁の穴から指示を出すと、ダニエルがさっとハンカルのいる元へ走っていく。バタバタと救護班が動く音がして、舞台上のスポットライトがフッと消えた。
「倒れた人を運び出せたらすぐに再開するから」
私はみんなに指示を出しながら、ふと舞台にいる二人を見た。
さっきのレンファイ様の言葉は、台詞じゃないよね? なんか変なことが起こってる?
暗い舞台の上でじっとしている二人を見ながら私は首を捻った。
例のアドリブシーンでの二人の迫真の演技にディアナも思わず見入ってしまいました。
興奮したお客さんが倒れて一時中断。
ただディアナは違和感を感じてさらに首を捻ります。
次は 演劇公演会 驚きと閉演、です。