目覚め唄
「いだっ」
「な……⁉」
「⁉」
右肩に衝撃が走って私は目を開ける。目の前には魔法陣が光る床があった。
「! え⁉」
慌てて顔を上げると、右手からパンムーが出てきて「パム!」と鳴く。床に手をついたまま後ろを振り向くと、私の膝から上が完全に王の間の中に入っていた。魔法陣の紫の光の壁の向こうでクィルガーとソヤリが目を見開いている。
え⁉ なんで⁉ 魔法陣に弾かれなかったよ⁉
「ど、どういう……」
「パムー‼」
突然の事態に混乱していると、パンムーが私のマントを力一杯引っ張った。ぐいぐいと引っ張りながらパンムーは王様の方を指差している。
そうだ! アルスラン様を助けなきゃ!
私は急いで起き上がると、本タワーを避けながら王の間の中央へ走った。
「ディアナ⁉」
「直に解毒をかけます!」
クィルガーにそう言いながら走る。と、その時バチン! と魔法陣が作動する音がした。振り返ると、クィルガーとソヤリが手を押さえてうずくまっている。
「くっ……」
「我々は弾かれるのになぜ……」
どうやら私が入れたのを見て二人も魔法陣を越えようとしたらしい。
自分だけここに入れたことに戸惑いつつ、私は王様へ近づく。
と、その時だった、私は自分の体に異変を感じて胸を押さえた。「これ以上近づいてはいけない」と体が警鐘を鳴らしている。
「⁉」
「ディアナ? どうした⁉」
私がピタリと動きを止めたのを見てクィルガーが出入り口の方から叫ぶ。
なんか、嫌な感じがする。
「これ……多分毒です」
「なに⁉」
テルヴァの毒に何度かやられた私は咄嗟にそう判断した。あの毒のように強力なものではないが、体のあちこちがピリピリと反応している。私の肩にいるパンムーが自分の口を両手で押さえているのを見て、私はすぐに解毒の魔石術をかけた。
「『マビー』部屋に解毒を!」
私がそう命じると、一級の青の魔石から光が飛び出し、王の間全体が青い光に包まれた。どこに毒があるのか分からないから、全範囲に解毒をかけたのだ。青い光が収まると、自分の体から違和感がスッと消えた。部屋にあった毒は消えたようだ。
「アルスラン様!」
私はヤパンから床に崩れ落ちている王様のそばまできて膝をつく。眉を顰め、苦しそうな顔で気を失っている王様を間近で見て手が震えてくる。
ダメだよ、しっかりしなきゃ。今この状況をどうにかできるのは私だけなんだから……!
私はもう一度王様に直に解毒と癒しの魔石術をかけた。それだけで、自分の手足が少し冷える感じがする。さっき解毒の魔石術をずっとかけていた影響が出ているみたいだ。体は思った以上に疲弊しているらしい。
パンムーは私が魔石術をかけている間に、なにかに気づいたように執務机の方へ飛び降りていった。
毒と癒しが効いて王様の顔色は少し戻り、それからしばらく待っても顔色が悪くなることはなくなった。
「毒の症状は治ったみたいです」
私が外の二人に向かっていうと、二人とも少しだけホッと息をついた。
でもいくら待っても王様が目覚めない。
どうしよう、このまま待ってていいのかな。少しでも楽な姿勢にしたほうがいい?
ヤパンに座った状態から横に倒れた王様の体は少し窮屈そうだ。ヤパンを中心に円形の絨毯が敷かれているが、そんなに柔らかいわけじゃない。でも王様の体に触れていいのか戸惑ってしまう。
「あの、アルスラン様を仰向けにしたいのですが、私が触れてもいいですか?」
私が外の二人に相談すると、二人とも一瞬困惑したが、「今は非常時なので構いません。少しでも楽な姿勢をとったほうがいいでしょう」とソヤリが言った。
私は分厚いヤパンを横にずらしてスペースを開け、左肩を下にしてくの字になっている王様の右肩に手を置いて、仰向けになるようにそっと押した。力が入っていない右腕がだらりと床に伸びる。そして膝の方へ周り、足も揃えて真っ直ぐにする。王様は痩せているとはいえ背が高い成人男性なので結構重い。
キョロキョロと周りを見回すと執務机の下に防寒用の上着のようなものが置いてあったので、それを引っ張り出して王様の体にふわりとかけた。
それから、王様の襟元に手を伸ばす。
「ディアナ? なにを⁉」
「襟元を開けて呼吸をしやすくするんです」
王様の服に手をかけるのを見てクィルガーが焦った声を出すが、私はそれを無視して襟の一番上のホックを外した。少し喉元が開いて、王様の呼吸が少しだけ深くなる。
もうここまで触っちゃったらこっちもいいか。
と、私は次に王様の右手首を持ってそこに自分の指を当てた。
……脈、わかるかな。
「脈の測り方を知っているのですか?」
「はい、昔応急救護の講習を受けたことがあるんです」
ソヤリにそう応えて指先に集中する。指先に僅かにピクッピクッという反応が伝わってきた。
「脈は安定していますけど……とても弱いですね」
「……そうですか……」
私は王様の右手を掛けた上着の中に入れて、その横にペタリと座り込む。じっと観察していても王様の様子は変わらない。苦しそうな表情は少し緩んだが、気持ちよく寝ているという感じでもない。
どうすればいいんだろう。このまま寝かせておけば自然と目覚めるんだろうか。
そう考えるけど、なんとなくそれではダメな気がしてくる。
「なにか、目覚める手立てはないでしょうか。なんとなく嫌な予感がするんです」
「嫌な予感だと?」
「はい。アルスラン様の意識がすごく深いところにまで潜ってしまっているような、遠いところにいるようなそんな感じがするんです。……勘みたいなものですけど」
「……」
ソヤリがそれを聞いて腕を組んで眉を寄せる。
「目覚めに効く薬とか、ハーブとかってないですか? 飲み薬ならなんとか飲ませることもできると思います」
「飲み薬ですか……それなら……」
「パム、パムパム」
と、ソヤリの言葉を遮ってパンムーが私のマントをクイっと引っ張った。
「なに? パンムー」
「パム」
パンムーは私の肩に登ってきて首にかかっている透明魔石を持ち上げ、「パムーパムー」と鳴き出した。これは前にも見たことがある、パンムーの「歌え」という意思表示である。
「歌うの? なんで?」
「パムー」
パンムーは王様の方を指差してもう一度歌ったあと両手を目に当ててクワッと見開いた。
私が歌ったら王様の目が覚める……?
「あ! 目覚め唄を歌えってこと⁉」
「パム!」
パンムーが正解! と手で丸を作った。
「なるほど、目覚め唄ですか。確かにあれなら……」
「おい、正気か? 歌の魔石術をアルスラン様に使うなんてそんなこと……っ」
「ディアナ、使えますか?」
「……」
私は透明の魔石を握ってそれを見つめる。
歌の魔石術を使うのは正直怖い。ソヤリは体が傷つくようなものではないと言っていたけど、私の力が無理矢理体に入っていく感じがするって言ってた。そんなものをアルスラン様に使うなんて、考えただけで冷や汗が流れる。
私が返事ができないでいると、パンムーが王様の胸に飛び乗って、そこに耳を当てた。王様に対して不敬すぎるけど、私はその様子をじっと見る。パンムーはしばらくして顔を上げると、私に向かってポロポロと泣き出した。
「パンムー? なに? どうしたの⁉」
「パムゥ……グス……」
パンムーはポロポロ泣きながら王様の胸を撫でた。それがまるで王様の状態が思っている以上に悪いと言っているようで、私はヒュッと息を呑む。
もしかしてアルスラン様の体の中は一刻を争う事態になっているのかもしれない。
「わ、わかった、歌ってみるから泣かないでパンムー」
「ディアナ⁉」
「お父様、今すぐ目覚め唄を歌わないとまずいのかもしれません」
「なんだと⁉」
私は透明魔石を握りしめて、スゥ——ハァ——と深呼吸をする。
大丈夫、パンムーは今までだって私を助けてくれた。パンムーを信じよう。
「『シャファフ』アルスラン様に繋いで」
私が命じると、手の中の透明魔石から白い光が出て王様の体に繋がる。この状態で歌えば、歌の影響はアルスラン様だけに限定できるはずだ。多分。
私は少しだけ目を開けて、静かに歌い出した。
おはよう おはよう 目をあけて
おはよう おはよう さあおきて
私が歌い出すと、透明魔石がポワポワと温かくなって、その温もりが繋がっているアルスラン様の方へ流れていく。
明るいひかり しあわせな風
君のせかいが ここにあるよ
おはよう おはよう 目をあけて
おはよう おはよう さあおきて
アルスラン様に届くように、目が覚めるようにと願いを込めて私は歌い続ける。王の間に、私の歌声が響き渡った。
「! これは……」
「白い光が」
二人の声に周りを見ると、白くて丸い光がポワポワと私とアルスラン様の体から湧き上がって上へ上がっていっている。その光を追いかけて天井を見上げると、丸い壁がはるか上まで伸びているのが見えた。どうやらこの先は塔の先端まで吹き抜けになっているらしい。
私は白い光に包まれながら、目覚め唄を歌い続けた。
そして歌の三番まで歌い切った時、アルスラン様のまぶたがピクリと動いた。
意識が浮上してる? もう少しかもしれない……!
私はその様子を見守りながら四番を歌い始める。すると今度は眉が一度ギュッと寄り、服の下に置いた右手がゴソリと動いた。
それからゆっくりとアルスラン様が目を開けた。少し眩しそうにしたあと、歌っている私を見る。
「……やはり……其方が……」
「アルスラン様……よかった」
私は歌を止めてアルスラン様を覗き込む。ゆっくりと瞬きをする様子を見てホッとすると同時に、じわっと涙が浮かんだ。
よかった……うう、やっと目を覚ましてくれた。よかったよぉぉぉ。
「アルスラン様!」
「ご無事ですか?」
部屋の外からクィルガーとソヤリの声が届いて、王様はピクリと体を揺らしたあと、ハッと私の方を見てガバッと起き上がろうとした。だが毒で弱っていたからかぐらりと倒れそうになり、すぐ横の執務机に肘をついた。
「アルスラン様! 大丈夫ですか⁉ 急に動いてはダメです!」
そう言って体を支えようとした私の手をアルスラン様はガシッと掴んだ。
「なぜ……其方がここにいる?」
アルスラン様の目に映っていたものは驚きと戸惑いと、拒絶だった。
うわぁぁぁそうだった! 私って今、王の間の中に勝手に入ってる状態なんだった!
「もももも申し訳ありません! アルスラン様を助けるのに夢中でこんなところにまで……! すぐに出て行きます!」
私がそう言って後ずさって土下座し、アルスラン様のそばから離れようとすると、今度はソヤリに止められた。
「まだそこにいてくださいディアナ! アルスラン様の体の具合を知りたいので」
「え? ええ⁉」
明らかに私がここにいることに不快感を抱いているアルスラン様とソヤリの指示の間で戸惑っていると、自分の状態を確かめていたアルスラン様が自分の襟元に手をやってフリーズしていた。
うわおぉぉぉ、ごめんなさい! 勝手に触られるの嫌でしたよね⁉
「すすすすみませんアルスラン様! それは少しでも呼吸を楽にするためにやったことでして、その、昔応急救護を習ったことがあったので、あの医療行為みたいなもので、私も必死で……!」
と、支離滅裂なことを言いながら私はアルスラン様からさらに距離を空けて頭を下げた。
どうしよう! 不敬だって言って処分なんてされないよね⁉
私の焦りとは裏腹に、部屋の外からソヤリが「アルスラン様、体の具合はどうですか? 毒状態で倒れられたのですよ」といつもの調子で聞いている。
しばらく沈黙が流れたあと、アルスラン様のかすれた低い声が響いた。
「体力は奪われているが、毒の症状はない。……一体なにがあった? なぜディアナがこの中にいるのだ?」
「それは私から説明しますので、アルスラン様は楽な姿勢をお取りください。今癒し茶を用意します」
「俺が入れよう」
ソヤリの言葉にクィルガーが廊下に設置してある棚に向かう。
え、あの……私はどうしたらいいの?
結局出て行けとも言われないので私は中途半端な位置で跪いたままソヤリの説明を聞くことになった。円形の絨毯がない位置まで下がったので、地味に膝が痛い。パンムーは私の肩に乗ってじっと執務机の上を見ている。
「魔法陣に弾かれなかった……だと?」
「はい。なぜかはわかりませんがディアナは魔法陣に弾かれることなく、そのまま王の間へ倒れ込みました」
ソヤリの説明を聞いてアルスラン様が私に視線を向ける。私は跪いたまま動けない。ソヤリは部屋に毒があったこと、それらを取り除いてもアルスラン様が目覚めなかったこと、そしてパンムーの指示で私が目覚め唄を歌ったことを告げる。
「……」
アルスラン様がそれを聞いて深い思考に入った。
「ディアナ、これをそちらに入れてください」
ソヤリに言われて振り返ると、クィルガーの入れたお茶が乗ったお盆をソヤリが持っている。
「え? 私の魔石術でですか?」
「今のアルスラン様の体に負担はかけられませんから」
ああ、それもそっか。
私は黄の魔石術を使ってソヤリの持っているお盆を王の間へ入れた。私の魔石術の光に包まれたものも魔法陣を超えることができるようだ。私の手に収まったお盆には二種類の取っ手のないカップが置かれている。
「二つありますけど……」
「小さい方は貴方の分です。その癒し茶にはマギアを回復させる効果もあるので飲んでください。さきほどかなり消費したのでしょう?」
「いいのですか?」
「大きい方をアルスラン様へお出ししてください」
私はお盆を持ってそろそろと王の間の中心へ歩いていく。アルスラン様は私がずらしたヤパンを元の位置に戻してその上に座っていた。
うう……緊張する。アルスラン様、怒ってないよね?
私はドキドキしながら執務机の前で膝をつき、大きなカップの方をそっとその上へ乗せた。アルスラン様はそれをチラリと見て口を開く。
「かなりの量のマギアを使ったのか」
「え? あ、はい……解毒の魔石術をかけ続けた時に思った以上に使ってしまったようです」
「……そうか」
アルスラン様はそう言うと、カップに手を伸ばしてそれに口をつける。顔色はだいぶ落ち着いたけど、カップを持つ手に力がない気がした。
私はそろそろとお盆を持ったままさっきいたところまで下がり、正座をしてお茶を飲んだ。
う……にがっ! なにこれ。
強烈な苦味にギュッと顔を顰める。
うええ、苦い。喉の奥にずっと苦味が残るよぉ。
柑橘の皮に含まれている苦味やえぐみの成分がギュッと凝縮されたような味だった。なんとなく昔飲んだ漢方に似ている気がした。その苦味に耐えながらちびちび飲んでいると、だんだんと体が温かくなってきたので、一応効能はありそうだ。
アルスラン様はそのお茶を顔色ひとつ変えずに飲み干すと、ふぅ……とひとつ息を吐いた。
「話はわかった。……心配をかけたな。ディアナがいなければ危なかったようだ……礼を言う」
「! いえ、そんな……っ」
アルスラン様にお礼を言われるとは思わなかったので、私はカップを置いて慌てて恭順の礼をとった。
「其方がここへ入れた理由も気になるが、まずは毒についてだな」
「体に起こった症状は『毒湧き病』とは違うものでしたか?」
ソヤリの質問に、アルスラン様が顎に手を当てる。
「……症状の出方は似ているが、あのように連続で毒状態になることはない。おそらく違うものだとは思うが。しかしなぜこの部屋に毒物があったのだ? 外から入れるものには全て解毒をかけていたな?」
「はい。私が全てのものにかけております。外から毒が入り込むことはまずないかと」
「ふむ……ではこの部屋で発生したのか? どうやって?」
アルスラン様は眉間に皺を寄せると、私の方を見て問いかける。
「ディアナ、其方はどの辺で毒を感じたのだ?」
「えっと……確かこの辺りだったと思います。なんか違和感を感じて、体のあちこちがピリピリと反応したんです」
私は今いる辺りの少し手前を指さしてそう答える。
「アルスラン様は倒れたのにディアナはそれくらいで済んだのはなぜだ?」
「毒の量自体は少ないものだったのかもしれませんね。健康で体力のあるディアナは軽症で済んだものでも、体調の優れないアルスラン様には致命傷だったのかもしれません」
クィルガーとソヤリが冷静に分析しているが、私に比べて体力がないとはっきり言われて本人よりなぜか私が居た堪れない気持ちになる。
「弱い毒が発生するものがこの部屋にあったのか? 一体どこから……」
自分の体の弱さについては触れず、アルスラン様がそう言って周りを見回す。私がアルスラン様の近くで毒を感じたことから、毒物は王の間の中心付近で発生したと考えられる。
すると、それまで私の肩でじっとしていたパンムーが突然飛び降りて、アルスラン様の方へタタタッと駆け出した。
「わ、パンムー、ダメだよ!」
私は慌ててパンムーを追いかける。アルスラン様に失礼なことをするのではと焦るが、パンムーはそのまま執務机に上り、正面ではなく左側に置いてある机の書類の束に乗った。
「パムーパムー」
パンムーはその書類の一番上の紙を指差して鳴いている。
「その紙になにかあるの?」
「……む?」
パンムーの乗った書類を見ていたアルスラン様がその紙に手を伸ばした。パンムーは横に降りて「パムゥ」と頷いている。
「これは……」
「なにかありましたか?」
「倒れる前に確認していた書類だが……さっき見た時にはなかった文字が浮かんでいる」
「な……!」
「ええっ?」
「なんの書類ですか?」
「王宮内の設備の交換の確認書だ……新たに浮かんだところには新しく設置する魔石装具の注意書きが書かれてあるが、特に記述の必要はない項目だ」
「ではあとで浮かんだところで、誰かの利益になるものではないのですね」
「契約書でもないからな……この文字自体に意味はない」
「とすると、目的は別にある……と」
アルスラン様とソヤリの話を聞きながら私は考える。
最初見た時にはなにも書かれていなくて、時間差で文字が浮かんでくる……その仕掛けでできることって……。
「……もしかして、毒も時間差で発生したとは考えられませんか?」
私がそう言うと、その場にいるみんながハッと息を呑んだ。
なぜか魔法陣に弾かれなかったディアナ。
部屋の中には毒が。
目覚め唄を歌って王様を助けることができました。
次は 敵の考察と夕食、です。