王様の危機
変更された脚本の部分もなんとか形になり、舞台の準備の目処も立ってようやく少しだけ落ち着けた。
相変わらず授業は大変だけど、演劇クラブの方は大丈夫そうだね。このままいけばちゃんと本番を迎えることができそう。
それにちょっとホッとしながら内密部屋の扉を潜った。今日は約束していた透明魔石術研究の日なのである。部屋の中にはいつもと変わらないソヤリが待っていた。
「なんだかソヤリさんの顔が懐かしく感じます」
「お久しぶりですね。疲れが顔に出ていますよ、ディアナ。そちらも大変だったようですね」
そう答えるソヤリに顔にも疲労の色が浮かんでいた。
「そちらもって……もしかしてアルスラン様になにかあったのですか?」
「……二の月から余裕のない日々が続いてましたからね、体調の優れない日が増えているのですよ」
「えっ大丈夫なのですか?」
「毎年この時期はそうなりますから仕方ないのですが、今年はいつもより疲れが溜まっていらっしゃるようです」
なんと、会わなかった二ヶ月あまりの間に王様の体調はかなり悪化していたらしい。
「私が食事をご一緒できなくても、コモラは度々そちらに行っていたんですよね?」
「ええ、クィルガーと相談して何回かきてもらったのですが、それでも食の量は戻りませんでした。ディアナ、この研究が終わったあとよければ王の間へ来てもらえますか。貴女と一緒に召し上がれば少しはお食べになるかもしれません」
「それはもちろん構いませんけど、時間的に夕食になりますよね? 寮の人たちにはなんて説明しましょう」
「そこはルザに任せるので心配いりません」
コモラのご飯を出しても食が進まないなんて心配だな……透明魔石術の研究を休んでいる間にそんなことになってるなんて思わなかった。
「そう言ってくだされば、忙しくても王の間に行きましたけど」
「アルスラン様が『無理はさせなくてよい』と仰っていたので……」
「私の忙しさなんてアルスラン様のそれに比べたら些細なものではないですか」
全く、王様は自分の体を無下に扱いすぎだよ。アルスラン様はこの国にはなくてはならない人なんだから、もっと自分を大事にしてほしい。
「今日は大丈夫なのですか? 透明魔石術の研究も負担になるのでは?」
「今日は主にオリム様に任せますから、そこまで疲れることはないと思います」
ソヤリとそう言っているうちにオリム先生が到着した。部屋に入ってきた時はご機嫌だったが、ソヤリの顔を見た途端その表情が曇る。
「ソヤリ、アルスラン様の具合はどうですか? 大砂嵐のころよりマシにはなったのでしょうか?」
「そうですね……あのころよりは少しはマシにはなってますが、回復には至っていません」
「なんと……そうですか。今年は長引きますね」
「大砂嵐のころが一番酷かったのですか?」
私が質問すると、ソヤリは少し目を伏せた。代わりにオリム先生が答えてくれる。
「ディアナも今年の大砂嵐のあとの砂を移動させる魔石術を見たでしょう? なにか異変を感じませんでしたか?」
「え? あ、そういえば去年に比べて砂の移動がゆっくりだなと思いました。あ! もしかしてあれってアルスラン様の体調がめちゃくちゃ悪かったからなんですか? 無理して魔石術を使っていたのですか?」
「ええ、おそらくそうでしょう。私はあの日その光景を見てとても心配になったんですよ。ソヤリに聞いても詳しいことは教えてくれませんでしたからね」
「アルスラン様が余計な心配をさせたくないからと仰っていたので、体調が戻られるまでは詳細を伝えるのは控えたのです」
ソヤリの答えに、オリム先生は肩を落としてふるふると頭を振る。
「王の間に行けないこの身をもどかしく感じましたよ」
「オリム様が王の間に入っていると知られると、現役の執務長官たちが黙っていませんからね。『オリム様が入れるのなら私たちも入れろ』と必ず騒ぐでしょう」
「わかっていますよ。それを考えて、王の間の出入りをソヤリとクィルガーだけに限定したのですから」
なるほど、そういう理由で今の体制になったのか。側近ではないオリム先生が王の間に入れるとなると他の人が黙ってないわけね。
「今日はアルスラン様の体調も考えて短めにしようと思っています。ディアナも疲れているでしょうから」
「私は大丈夫ですけど、アルスラン様が心配なのでそれには賛成です。今日はなにをするんですか?」
「ディアナが繋がりの魔石術で一度に何人と繋げられるのか、それを予測できるやり方を思いついたのですよ。繋げる対象を小さな魔石にするので危険性もありません」
「そうなんですか……ありがとうございますオリム先生。私の負担まで考えてくださって」
私がお礼を言うとオリム先生は「いいのですよ、それを考えるのも研究の醍醐味です」とニコニコと笑った。
「それではアルスラン様に繋ぎます」
とソヤリが通信の腕輪に手を触れる。腕輪にはまっているとんがり石がピカッピカッと光って信号を送る。
そのあとの王様からの折り返しを待つが、なぜか反応が返ってこない。
「? 返ってきませんね。アルスラン様、気づいてないんでしょうか」
私がそう言うとソヤリが僅かに眉を寄せた。
「クィルガーに繋いでみます」
とソヤリが反対側の腕にかかっているクィルガーと通信する方の腕輪を触ろうとすると、ちょうどそちらのとんがり石がピカーと光りだした。それを見た途端、ソヤリの顔が険しさを増した。急いでクィルガーとの通信を繋ぐ。
「ソヤリです。なにかあったのですか?」
「ソヤリ! 今どこにいる⁉」
「内密部屋でオリム様とディアナと一緒ですが、アル……」
ソヤリが言葉を続けようとするのを遮るように、クィルガーが腕輪の向こうから叫んだ。
「アルスラン様が急に倒れられた‼ 今すぐディアナに繋がりの魔石術を使うように言ってくれ‼」
「な‼」
「えええ‼」
クィルガーの言葉に一気に血の気が引く。
アルスラン様が倒れた⁉ なんで⁉
「クィルガー詳しい状況を! なぜアルスラン様は倒れられたのです⁉」
オリム先生が腕輪に向かって声を荒げる。
「わかりません! いつも通り執務をしながらソヤリからの通信を待っておられたのですが、突然苦しそうに咳き込み始めたのです。そして一言『毒だと……』と言ってそのまま倒れられました……っ。ディアナ! そこから繋がりの魔石術で解毒をかけられるか⁉」
「わ、わかりました! すぐに……」
「待ちなさい! ここから繋がりの魔石術を使えば学院から王の塔に白い光が飛んでしまいます。そんなことをすれば学院に潜んでいるテルヴァの関係者に怪しまれるでしょう。今から急いでディアナとともにそちらに戻ります! 行きますよディアナ!」
「え⁉ は、はい‼」
「オリム様はこちらで待機してください! 我々の戻りが遅ければ先に……」
「こちらのことはわかっていますから二人は急いでください!」
オリム先生にも急かされ、私は本棚裏にある扉から秘密の通路に入った。後ろから私がいつも入る箱を背負ったソヤリが追いかけてくる。
「台車を押している時間はありません! 全速力で走りますよ!」
「はい‼」
「急いでくれ二人とも! アルスラン様! しっかりしてください!」
ソヤリの腕輪から聞こえるクィルガーの悲痛な声を聞いてバクバクと鼓動が速くなる。
アルスラン様!
私は前を走るソヤリに置いていかれないように全力で走った。周りの様子を確かめる余裕もなく、必死になって暗い通路を進む。
しばらく走ると、どこまでも続くと思われた通路が突然終わった。どうやら執務館の方に着いたらしい。ソヤリが執務館への扉を開ける前に床に箱を下ろして、私に中へ入るように言う。
ハァハァ、と息を整えながら私は箱に入って身を縮める。蓋を閉めた箱を背負い、ソヤリは執務館に入って音を立てずに早足で歩き出した。さっきの通路の時とは違って派手に走ることはしない。
他の人に怪しまれないようにかな。
こんな時にも冷静に行動するソヤリに感心しつつ、私は王様のことが心配になる。
なんでアルスラン様が倒れたの? 毒って言ってたけどまさか毒湧き病が再発したの?
もしかしたら体調を崩しすぎて持病が出てきてしまったのかもしれない。ソヤリやクィルガーの様子を見るに初めての事態のようだが、大丈夫なのだろうか。
すぐに魔石術をかけられない状況をもどかしく思いながら私は箱の中で王様の無事を祈る。誰もいない階段を上りながらソヤリが小声で「王の塔に入ったらすぐに魔石術を」と囁いた。
「ソヤリ様、早いお帰りですね」
「ええ、アルスラン様にお渡しするものが届いたので」
「お疲れ様です」
塔の前で警備をしている騎士にそう言ってソヤリが扉の鍵を解除し、素早く中へ入って扉を締める。箱が床に下ろされるのを待って私は座った姿勢のまますぐに透明の魔石術を使った。
「『シャファフ』アルスラン様に繋げてっ」
首から下げた透明魔石を握り締めながらそう命じると、魔石から白い光が真上に飛んでいく。そしてはるか上にある天井を突き抜けていった。
先は見えないけど、ファンッと誰かに繋がる感触がする。私は箱から出ながら青の魔石の名を呼ぶ。
「『マビー』アルスラン様に解毒を」
そう命じた瞬間ネックレスの青の魔石から光が放たれ、白い光の上を滑るように上っていった。
「クィルガー、ディアナが解毒をかけました。状況は?」
「アルスラン様の体が青の光に包まれている。だが目覚められない……っ」
「ディアナ、続けて癒しを」
「はいっ」
ソヤリとともに浮石に乗って上へ上りながら、私は緑の魔石で癒しをかけた。さっきと同じように緑の光が白い光に乗って飛んでいく。
アルスラン様……!
癒しをかけながら王の間の階に着いた。私は一旦魔石術を止め、ソヤリと走って王の間の出入り口へ向かう。
「お父様!」
「アルスラン様は?」
「まだ反応はない!」
クィルガーは王の間のギリギリのところまで近づいて中を覗き込んでいた。険しいクィルガーの顔が魔法陣の紫の光に照らされている。
私もクィルガーの横に並んで中を覗く。
「アルスラン様!」
王の間の真ん中、いつもの執務机の上に頭を預けるようにして王様が倒れているのが見えた。実際に意識を失っている王様を目の当たりにしてヒュッと息を呑む。
「どうしましょう? もう一度魔石術をかけますか?」
「そうだな……」
「待ってください、今少し指に反応が」
ソヤリの声によく王様を見てみると、だらんと机の下に力なく下がっていた手がピクリと動き出した。
「アルスラン様! 目を覚ましてください! アルスラン様!」
「……う……」
クィルガーの呼びかけに王様が反応して上半身がゴソリと動く。
よかった! 起きた!
「アルスラン様!」
私が声をかけると、王様は少し顔を上げようとしたが、
「ぐ⁉ ゴホッゴホッ」
と急に咳き込み始め、「ゴホッゴホッ……なぜ……だ」と呟いて今度は床にドサリと倒れた。苦しそうな表情のまま横たわる王様の顔は真っ青になっている。
「アルスラン様⁉ なんで⁉」
「ディアナ! もう一度解毒をかけてください!」
今まで見たことがないくらい余裕のないソヤリに言われて私は慌てて繋がりの魔石術を唱える。白い光が真っ直ぐに王様まで飛んでいき、その体が白い光に包まれる。
「『マビー』アルスラン様に解毒を!」
さっきよりも強い威力で王様に解毒をかける。そして続けて癒しの魔石術も使った。
だがそのあとしばらくしても王様が目覚める気配がない。その様子に私の心臓がキュッと嫌な音を立てる。
「わ、私の魔石術が効いていないのでしょうか」
「いえ、顔色に変化があるのでそういうわけではないと思いますが……」
「クソっどうすればいいんだ……!」
私たちは王の間の出入り口で、倒れたままの王様を見ながら焦燥に駆られていた。さっきは一度目覚めたのになぜ今は倒れたままなのか。
「さっきの症状は毒湧き病のものですか?」
「毒状態になって倒れられるというのはそうですが、あのように短時間に倒れられたことはないです。今までとはなにか違う気がします」
毒湧き病じゃなかったとしたらどういう可能性があるのか。どうすればアルスラン様は目覚めるのか。
「この中に毒物が入ってるなんてことはないですよね?」
「王の間に入れるものは全て事前に解毒をかけますから」
「ですよね……」
けれどもみるみるうちに王様の顔色はどんどんと悪くなる。私が解毒の魔石術をかけるとマシになるのだが、時間が経つと同じようになるのだ。意識を失っていても、その体が毒に侵され続けているのは明白だった。
どうしよう! どうすればいい⁉ このままだとアルスラン様の体力がもたないよ!
「繋がりの魔石術でずっと解毒をかけ続けてみましょうか」
「できるのか?」
「やってみないとわかりませんが、毒がどこからきてるかわからない状態ではそうするしかないと思います……!」
私はそう言ってまた繋がりの魔石術を使い、王様に解毒をかけた。今度は止めずに、ずっと解毒をかけっぱなしにする。
うわ……思ってた以上に魔石術を使い続けるのってしんどいな。
繋がりの魔石術の方はそんなに意識していなくても出し続けることができるのだが、それに乗せる青の魔石術は使い続けるのにものすごい集中力を要する。少しでも集中が切れるとすぐに消えそうになるのだ。
私は王様を見据えながらひたすら解毒をかけ続ける。
アルスラン様、頑張って。お願いだから目を覚まして!
そう願いながら集中していると、汗がポトリと頬を流れ落ちた。
「ディアナ、大丈夫か?」
「……」
クィルガーに応えられる余裕もない。
うう、このままずっとかけ続けるのは無理かもしれない……でもこのままじゃ……!
手足から体が冷えていく感覚がして、私はさらに焦る。こんな状態になるまで魔石術を使ったことはない。
どうしよう……!
「パム?」
とその時、スカーフの中からパンムーが出てきて私の肩に乗り、王の間の中を覗き込んだ。パンムーを内密部屋に置いておくのを忘れたことに気づいて集中が途切れそうになる。
パンムー、危ないから出てきちゃダメ!
すぐそこには全てを弾く魔法陣があるのだ。パンムーのような小さな動物が触れたら無事では済まない。
しかしパンムーはなにを思ったのか、しばらく王の間を見ていたかと思うと、
「パム! パムー!」
と叫んで私の肩から王の間へ向かって飛び込んだ。
「ダメッ! パンムー‼」
私は思わず魔石術を止めてパンムーに手を伸ばす。しかし冷え切った体は思ったように動かず、パンムーを掴んだのはいいが足がもつれてそのまま魔法陣に向かって倒れ込んだ。
「ディアナ!」
クィルガーの叫び声を聞きながら、私は咄嗟に目を閉じる。
魔法陣にぶつかる‼
来るべき衝撃に備えて身構えると、私の体はそのまま床の上にベシャッと落ちた。
演劇クラブのことが落ち着いた矢先、
王様が倒れました。
パンムーの突然の行動に焦ったディアナは
魔法陣に向かって倒れ込んでしまいます。
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目覚め唄、です。