舞台の準備
それから三の月の間は学年末テストへ向けて追い込みが始まる授業と、脚本が変更になった演劇クラブの活動でずっと忙しく、透明魔石の研究もしばらく延期してもらうことになった。
王様との予定を延期してもらうとか図々しすぎると思ったが、オリム先生は「あの研究は余裕のない時にはしない方がいいと思うのでそれでいいと思いますよ」と言ってくれた。私はその言葉に甘えてもう少し状況が落ち着く月末に王様に会うことになったのだ。
「今日はみなさんにお知らせがあります」
その日、練習室に集まった演劇クラブのメンバーに私は一つ発表した。
「四の月にある演劇公演会ですが、隣の大教室でやることになりました」
「大教室でか? すげぇな。寮の談話室よりめちゃくちゃ広いぞ」
ラクスの言葉に頷いて私は続ける。
「今年は社交パーティやそのあとのクラブ見学会で演劇公演の宣伝ができたのと、主役がイバン様とレンファイ様であると事前に学生に広まっていることから、去年よりかなり観客が増えると予想しました。それをオリム先生に話したら『ある程度の学生が入れる場所でやる方がいいでしょう』と大教室を使用することを提案してくださいました」
「大教室か……想定しているより天井が高いが、照明はちゃんと使えるのか?」
ハンカルが腕を組んで私を見る。
「その具合も確認したいので、オリム先生に大教室の鍵を借りました。今日はそちらに移動して練習をしましょう。そこで舞台の大きさや音出しの響き具合も見たいと思います」
そうしてイリーナ以外のメンバーは荷物を持って隣の大教室に移った。大教室の天井は大講堂と同じく二階分の高さがあるので練習室と比べると本当に高い。役者の人たちにはそこで基礎練を始めてもらい、私はハンカルと二人で三台のスポットライトを天井に取り付ける。
「『サリク』刷毛をあちらへ」
まずはマギア糊を付けた刷毛を上に飛ばして、天井の照明がない部分に糊を塗る。
「この辺か?」
「うん、とりあえずそこら辺で。点けてみないと微調整はできないし」
スポットライトは舞台の前の方の左右と、真ん中の奥に一つ欲しいので、その上部にあたる天井に糊を付けた。それが乾けば次はスポットライト本体を移動の魔石術で上へあげる。
スポットライトの先っちょに付けたマギアコードと天井のマギア糊がキュッとくっついた。
「ここから見ると、スポットライト本体がずいぶん小さく見えるな」
「あそこにあるミニ魔石に当てられそう? ハンカル」
「ちょっとやってみるよ」
ハンカルはそう言って「『キジル』最小の衝撃を」と上へ向かって魔石術を唱えた。細くて赤い光が真っ直ぐにスポットライトに飛んでいき、スポットライト本体にぶつかった。その瞬間、パッと明かりが点いて下の舞台を丸く照らした。教室自体が明るいのでわかりにくいが、ちゃんと点いてるようだ。
「おお、さすがだねハンカル」
「これくらいはディアナだってできるだろ? 最近は一級の授業でも力の調整が上手くなったって言われてたじゃないか」
特級の魔石で訓練したおかげで私は魔石術の力の調整がかなり細かくできるようになっていた。今まで調整が下手だった私がいきなり上手くなったので、バイヌス先生にはかなり怪しまれたが「レベルが上がるのは問題ない」と片眉を上げながら言われた。これは、褒められたんだと思う。多分。
「私は点けることはできてもタイミングを合わせるのはできないもん。そういう細やかな仕事はハンカルには負けるよ。……あとは角度調整とかしたいけど、これ部屋が明るすぎてやりにくいね。この教室の照明ってどうやって消したりできるんだろ」
「ん? ここの照明は消せないんじゃないか?」
「え⁉」
「だってここの天井って『光虫』が貼ってあるんだろう? 光虫は暗くなると勝手に光を発する生き物だから消したりはできないと思うが」
「ええ⁉ あの天井が光ってるのって虫を貼ってるからなの⁉」
「知らなかったのかディアナ」
私は口を開いたまま天井を見上げて固まる。
「天井が光ってるのは照明の魔石装具を使ってるからだと思ってた……む、虫だったなんて」
「校舎の天井も寮の天井もみんなそうだぞ?」
「あれ? でも寮の部屋の明かりは消灯時間になったら消えるけど」
「あの時間が虫の就寝時間なんだよ」
「ウソでしょ……」
毎日消灯時間に消えるのでどこかに消すスイッチがあるんだと思ってたよ。しかし光る虫を天井に貼ってるなんて……どうやって生きてるんだろうかその虫。死んじゃったりしないのかな。
「オリム先生に相談してみたらどうだ? 校舎の設備の話だし先生は生物学の教師でもあるし」
「そうだね」
と言っていたところへちょうどオリム先生が演劇クラブの様子を見に現れた。私は早速照明の問題を先生に相談する。
「この部屋の明かりを消したいということですか? ふーむ……できないことはないですが」
「本当ですか?」
「光虫は比較的簡単に取り外しが可能なので、必要な部分だけ剥がしてしまえばいいのです」
「へ?」
「ちょっとやってみましょうか」
先生はそう言うと天井に向かって「『サリク』光虫をこちらへ」と魔石術を唱える。オリム先生から飛んでいった黄色の光が天井の一部にぶつかり、一メートル四方の薄い膜のようなものがベリッと剥がれた。薄っぺらい光るスライムみたいなものがふわふわと浮かんで私たちのいる方へ移動してくる。
まさか四角い虫だとは……想像とは違った形だったね。
「これが一匹の光虫です。薄い膜状になっていて洞窟の壁なんかにくっついてるんですよ」
「この虫ってなにを食べて生きてるんですか」
「主に空気中に漂っている埃やゴミ、光っていると虫も寄っていきますからそれも食べたりします。彼らがいると部屋の空気が綺麗になるのでとても重宝されるのですよ」
なんとこの虫、空気清浄機にもなるのか。なんて便利な虫なんだ。
光虫は大教室の机の上にぺちょっと張り付き、そこでぼんやりと光りだす。上を見ると、光虫が剥がれた部分だけ四角く切り取られたようにベージュ色になっている。校舎の本来の色だ。
「これ、戻すのも簡単ですか?」
「ええ、この光虫を天井に飛ばすだけでくっつきますよ。ディアナが想定している暗さになるように隙間を開けながら剥がしてみてはどうでしょう」
私はオリム先生の言った通りに天井の光虫を剥がし始めた。まずは一列横にバーッと剥がし、その隣は一列開けて、次の一列を剥がしていく。
「舞台周りは暗めで、観客席の方はほんのり暗いくらいにしたいです。舞台を照らすスポットライトが一番明るく見えるように」
私の希望を伝えつつ、ハンカルやオリム先生に手伝ってもらってかなりの量の光虫を剥がした。大教室の中はいい感じに暗くなったけど、光虫を積み上げている一角だけものすごく光り輝いている。「公演当日は向かいの大講堂に置いておけばいいですよ」とオリム先生が笑顔で頷いた。
スポットライトの明かりがくっきり見えるようになったので、ハンカルに角度を微調整してもらう。スポットライトを点けたり消したりする時にハンカルが使う魔石術の光が目立たないか心配だったが、大教室の一番後ろ、階段状になっている席の一番上から唱えればそんなに気にならないことがわかった。
公演当日のハンカルの位置はそこに決まりだね。
「おお、なんかすげぇいい感じになってるな。舞台から見ると観客席が暗いから緊張しなくていいかも」
と、舞台となる教壇の上からラクスがキョロキョロと周りを見渡す。
「あとは舞台をもう少し高くしたいですね。それからその左右にみんなが控えられる場所が欲しいので、あっちとこっちに壁が欲しいです」
恵麻時代の舞台を思い浮かべながら私は次々と要望を伝える。本当は舞台と観客席を分ける緞帳も欲しいけど、設置する場所がないのでそれは諦めた。
「舞台は、組み立て式の小上がりを持ってきて繋げればできるでしょう。左右の壁はそうですね……作って貰うしかなさそうですが」
「壁を作ってくれる人って学院にいますか? 先生」
「ふふ、ディアナには強力な味方がいるではありませんか。彼らに頼めばいいのですよ」
とオリム先生はパチンとウインクした。
「……おまえ、俺のこと都合よく使いすぎじゃないか?」
「今回は先輩だけじゃなくて他のみなさんも一緒なので正確には違いますよ」
クドラトの後ろにいる何人かのシムディアクラブのメンバーに目をやりながら私はニンマリと答える。シムディアクラブに演劇クラブのヘルプをお願いすると、シムディア大会が終わって暇を持て余していた六年生の人たちが来てくれたのだ。
「で? なにをすればいいんだ?」
「舞台の左右に部屋を作って欲しいんです。演技しているときに小道具や役者たちが待機する場所が必要なので」
「だったらアクハク石でも積みあげりゃいいじゃねぇか」
「あれじゃちょっと場所を取りすぎるんです。中を広く取りたいので薄い壁が欲しいんですよ」
「薄い石もあるぞ」
「え? そうなんですか?」
私がそう言って首を傾げると、クドラトは近くにいたシムディアのメンバーに石を持ってくるように言う。
「実はシムディア・アインでアクハク石の種類を増やした方が面白いんじゃないかって話になってな、最近になって作ったんだよ。いろんな形の石があれば変わったステージも作れるだろ」
「なるほど。確かにそれだったら多種多様な形が作れそうですね」
「頭いいだろ。はっはっは」
「それ考えたのってユラクル様ではないですか?」
「なんでわかった⁉」
クドラト先輩が思いつくわけないから、とは言えない。
私たちが話していると、シムディアのメンバーがいくつかの石を黄の魔石術を使って持ってきてくれた。いつもの半分くらいの厚みになったアクハク石を縦にズンズンと積んでいく。
「そんなに細くなってないから上に積み上げても十分安定する。天井は板を持ってきて置けばいいだろ」
「そうですね。素晴らしいです先輩! 木の板で全部作るしかないと思っていたので助かりました」
私が素直にそう言って微笑むと、クドラトは少し目元を緩めたあと「んんっ」と言って咳払いする。
「あの、もう一つみなさんにお願いがあるんですけど」
「まだあるのか」
「公演当日、劇が終わったあとに、大講堂に置いてある光虫をこちらに急いで戻して欲しいんです。私たちは舞台上で最後の挨拶をしているので手が空きませんし、光虫を入れないとお客さんが退場する時に危ないので」
「じゃあ当日の開演前にこの石を持ってきて設置して、閉演後に光虫を天井に戻すってことだな」
「そうです」
「じゃあ俺たちの席も用意しとけよ」
「え! 劇を観てくれるんですか⁉」
「……その間どうせ暇なんだ。仕方ねぇから観てやるよ。イバンも出てるしな」
あれだけ演劇のことを馬鹿にしていたクドラトが劇を観てくれるとは思わなかった。
「ありがとうございます! でも恋愛物語ですけど、先輩たち観れます?」
「う……っ」
「恋愛物語か……」
私が聞くと、何人かのメンバーは恥ずかしそうに顔を逸らす。シムディアクラブの人たちは男臭い人が多いので、恋愛ものに慣れてないメンバーが多そうだ。
「ふふ、では後ろの方の席をご用意しますね。きっと前列は女生徒でいっぱいだと思いますし」
「お、おう」
そこへ演技の練習が一区切りついたイバン王子がやってきた。
「みんなきてくれたのか」
「ああ。俺たちも観ることになったから楽しみにしてるぞイバン」
「イバン様、頑張ってください」
「後ろの方で観てます」
「ありがとうみんな。頑張るよ」
私は彼らのやりとりを聞きながら舞台の方を見やる。段々と理想の舞台に近づいているようで、自然と口角が上がってしまう。
うふふ、いろんな人のおかげでいい舞台が作れそう。これは、絶対に面白くなるよ。今年の公演は伝説になっちゃうんじゃない?
「なんてね」
と一人でニヤニヤしていると、イバン王子に「どうしたんだい?」と声をかけられた。
「いえ、いい舞台になりそうだなって思ったら楽しくなってしまって」
「はは、本当に楽しそうだよディアナは」
「はっそんなに顔に出てますか?」
「いや、耳に出てる」
そう言われて耳を押さえると、耳が勝手にピコピコ動いていた。
私、楽しい気分になると耳がピコピコするんだ。
恥ずかしすぎる。
「うう……恥ずかしいです」
「ふふ、そうかい? 可愛らしいと思うよ」
「おいイバン、ここで口説くな」
「そんなつもりはないよクドラト。ディアナは演劇のこととなると本当に楽しそうにするからね、その耳の反応も含めて素直でいいなと思っているだけだ」
「口説いてるじゃねぇか……」
クドラトの言葉は無視してイバン王子が私に問いかける。
「ディアナ、一つ聞いてもいいかい?」
「なんでしょうか?」
「なぜ君はエルフの身でありながら、禁忌とされている踊りや音を使って劇をやろうと思ったんだい?」
「それは踊りや音や劇が好きだからですよ」
私が即答すると、イバン王子はフッと笑う。
「好き、か……それだけが理由なのか?」
「んー……そうですねぇ。好きだから、というより自分にとってなくてはならないものだから、と言った方がわかりやすいかもしれません。私はもうそれなしでは生きられない体になってるんですよ。今一番大事なのは家族ですけど、それと同じくらい私には必要なものなんです。それがないと生きていけないし、生きている意味がないんです」
「生きている意味がない……」
「今私から家族とそれを取ってしまったらきっとなにも残りません。それをなくしちゃダメだよって本能が言うんです。だから演劇クラブを作りました」
私の答えをイバン王子はゆっくり受け取るように頷く。そしてふわりと笑った。
「やはり面白いなディアナは」
「そうでしょうか? これでも普通に生きてるつもりなんですけど」
「おまえは普通じゃないだろ、どうみても」
クドラトが横からツッコミを入れる。
「クドラト先輩に言われたくないです」
「なんだとっ」
「二人とも俺から見ればどちらも面白いよ」
ははは、と王子が軽快に笑う。クドラトはそれをムスッとした顔で見ながら、ふと周りを見回して言ってきた。
「そういやイシークの姿が見えないようだがどうしたんだ? おまえの周りをウロチョロするのを諦めたのか?」
「いえ、イシーク先輩には新しい課題を与えたのでそちらに集中してもらってます」
「新しい課題?」
先日、イシークは「演劇の魅力はどこなのか?」というレポートを改めて持ってきた。かなり時間がかかったなと思って見てみると、それはそれはかなり苦労して作ったなと思わせる出来になっていた。おそらく友達や先生なんかにレポートの書き方を教わりながら書いたのだろう。とても真面目に、細かいところまで分析を重ねた渾身のレポートになっていたのだ。
内容はともかく、これだけ真面目に作ったのは今までのイシーク先輩のことを思うと奇跡みたいなものだよね。
それに感心した私はその課題に合格を出した。その結果を伝えた時のイシークの喜びようといったらなかった。まるで飼い主に褒められた犬のように目をキラキラさせて「そうか! よかった」と尻尾をブンブン振っていたのである。いや、尻尾は想像だけど。
そして「次の課題はなんだ?」と言うので、私は「学年末テストが近づいてきてますから、次はそこでいい成績を取れるようにしましょうか」と提案したのだ。勉強が苦手なイシークは一瞬凍りついたが、私に仕えるには頭の良さも必要だと思ったらしい、「わかった!」と言ってすぐに先生たちに相談しに行った。
「あいつがいい成績なんて取れるのか? 特殊貴族だぞ?」
「特殊貴族でもきちんとした教育を受ければいい成績は取れますよ。カタルーゴではそういう援助があまりないそうですが、アルタカシークの特殊貴族の人たちは貴族になる前にちゃんと教育されるんですから」
「そうなのか」
「イシークがいい成績を取ったらどうするんだい? ディアナ。彼を臣下として迎えるのか?」
「え? さぁ……それはどうでしょう。私はお父様から頼まれたのでイシーク先輩に課題を与えてますけど、この先どうするのかはわかりません。私は王に保護されている立場なので自分でどうこうできませんし」
「確かに君の護衛に関してはそうだろうな……すると、イシークがディアナに仕えるにはアルスラン様の許可がいるということか。それは大変そうだ」
と、イバン王子がイシークのことを心配しながら頬を掻く。
「あそこまで努力してるんだから彼の望みは叶って欲しいけどね」
「フンッ! 特殊貴族がディアナの臣下になんてなれるか。ディアナの周りをウロチョロするくらいなら、少しでも強くなってカタルーゴに役立つ人間になればいいんだ」
「クドラト、イシークがディアナのために頑張っていることが面白くないのはわかるが、そう妬くな」
「別にそんなんじゃねぇ」
「はは、素直じゃないね」
私は二人のやりとりを聞きながらイシークのことを考えた。
本当に、この先イシーク先輩のことはどうしたらいいんだろ? 月末の透明魔石研究の日にお父様に聞こうかな……。
公演会は大教室で行われることになりました。
天井で光っていたのは実は虫でした。
シムディアクラブにサポートを頼んで本番はなんとかなりそうです。
次は 王様の危機、です。