アドリブの練習
三の月に入り魔石装具クラブの発表販売会が行われる日になったが、私がそこに行く余裕は全くなかった。私とヤティリで決めた脚本の追加と修正をみんなに伝え、それに伴って増えたクラブ長としての仕事に追われていたのだ。
魔石装具クラブのフェルズからは「スポットライトも展示するから見にきてくれ」と言われていたのだが仕方ない。
「ディアナ、ここんところの台詞がなくなったってことはこっちの踊りはどうするんだ?」
「ああ、そこの踊りもちょっと変更したいんだ。前より短めにできる?」
「おう、やってみる」
「ディアナ、アドリブのところの音出しはどうするの?」
「そこはなしで大丈夫だよ」
「ディアナ、衣装の色を変えるというのはどういうことですの?」
「ええとね、二人が喧嘩をするシーンになったから、少し活発な色を増やして欲しいんだ」
「しっとりと二人が話し合うという服ではなくなったということですのね」
「そう。ごめんね、今から変更できる?」
「余裕はなくなりましたけど、問題ないですわ!」
私が急に脚本の追加と変更を伝えたら絶対に呆れられて怒られるだろうと思っていたけど、みんな意外とすぐに対応してくれた。それに驚いていると、ハンカルが口の端をあげて私に言う。
「ここ数ヶ月ディアナと一緒に劇を作ってきて、みんなわかったんだと思う。ディアナの思い描くものを形にすれば、絶対面白いものができる、って」
「そうなの?」
「ディアナがどれだけこのクラブのことを考えているのか、大事に思ってるかは見ていればわかるからな。ただ、俺には一言相談して欲しかったが」
ハンカルに半眼で見つめられて私は反射的に「ごめんなさい!」と謝る。
「ヤティリと話していたら思わぬことになっちゃって……」
イバン王子とレンファイ王女のことを考えていたら脚本を変更することになったとは言えないので、ヤティリと話していたらたまたま思いついたということにしている。
「はぁ……ヤティリもすごいよな。これをすぐに思いつくなんて」
「うん、ちょっと変だけどヤティリは天才だよ」
「天才と変人は紙一重っていうしな」
「本当にそれ」
と失礼なことを言っているとイバン王子とレンファイ王女に呼ばれた。今回の変更で一番大変なのはもちろんこの二人だ。
アドリブという仕組みについては説明したが、実際にどうやって作っていけばいいのかすぐには掴めないだろう。私は二人にアドリブの練習の仕方を教える。
「今回は即興と言ってもシャハールとマリカがなぜ対立するのか、そしてどういった結論になるのかは決まっています。その間の台詞や演技を二人で考えて作っていって欲しいんです」
「それは、練習するうちに変わっていってしまってもいいということなの?」
「はい、むしろどんどん変化していく方がいいんです。アドリブは相手の空気感をその時その時に感じて反応していくものなので、自分の役の感情と、相手の感情をよく見る必要があるんです」
「相手をよく見る……」
レンファイ王女はチラリとイバン王子を見る。王子は「うーん」と腕を組みながら首を捻った。
「実際にどういうものか見ないとわからなさそうだな。ディアナ、少し手本を見せてくれないか?」
「いいですよ。では私がマリカの役をやるのでイバン様は私に合わせて台詞を言ってみてください」
「わ、わかった」
物語の流れとしてはこうだ。
マリカは町娘としてシャハールと出会った。貴族の時には隠しているマリカの素直さにシャハールは惹かれていた。しかしお互いが敵対している家同士の後継ぎとわかりさらに婚約者まで現れて、二人は一回引き裂かれる。そのあとマリカはティルバルが怪しいことに気づいたが、誰にも相談できずに結局シャハールの元へこっそりと向かって……そこで思わぬ喧嘩になる、という展開だ。
私はイバン王子の前に立つと、くるりと背を向けて拳を握った。
「どうして正体を隠していたの? 貴方がドレル様の息子だったなんて……私を、ただの町娘だと思って言わなかったの?」
「マリカ……君を騙すつもりはなかったんだ、次に君に会った時に言おうと思ってたんだよ。君こそ、チャイルズ様の娘であることをなぜ黙っていたんだ?」
ここまでは今までの脚本通りだ。私は次の瞬間、イバン王子の方を振り返ってキッと睨みつける。
「貴方が言ったんじゃない。『私は明るくて屈託のない君がいいんだ』って……私が貴族だと知ったら、貴方は離れていくと思ったのよ! 貴族の私はこんなに素直じゃない、だから……」
「マリカ……」
私の台詞にイバン王子が答えるが、そのあとピタッと固まってしまった。次に何を言ったらいいかわからないようだ。私はそれを見て、王子から顔を逸らし、地面を見つめながら呟く。
「やっぱり、貴方は貴族の私は嫌なのね」
そこでイバン王子はハッとして私に一歩詰め寄る。
「マリカ、それは違うっ」
「いいのよ、私たちにはもう婚約者がいるんですもの。シャハール、私たちが会うのはこれで終わりにしましょう」
「待ってくれマリカ! 私は……その……」
そこでまた王子の台詞が止まってしまった。しばらく考えてもその先が出てこないようだ。
私はそれを見てクスリと笑う。
「ふふ、大丈夫ですよイバン様。初めはみんなこうなりますから」
「思った以上に難しいな……シャハールのことは自分なりにわかっていると思っていたが、いざとなるとなにも言葉が思い浮かばない」
「焦らなくてもいいですよ。ぶっつけ本番でやるわけではないですし、これからお二人で固めていけばいいんですから」
レンファイ王女も私たちの演技を見ながら顎に手を当てた。
「これは相当マリカという人物になりきらないとできなさそうね」
「そうですね」
「ディアナ、ここにきてこんな課題を出すなんて」
「ふふ、すみません。でも私、お二人なら絶対にできると信じています」
私がそう言ってニコッと笑うと、
「ディアナったら……」
「全く、君には負けるよ」
と二人とも仕方なさそうに笑った。
「ねぇディアナ、台詞を言い合って全部を決めるのはさすがに難しいと思うから、要所要所の台詞は二人で決めてもいいかしら? 順序立てて考えないと落ち着かない性格なの」
「もちろんいいですよ」
「イバン、そっちで話しましょう」
「わかった」
二人は近くの小上がりに上がってマリカとシャハールの即興部分を作り始めた。こう見ると、以前と変わらず仲がいいように見えるが、やはり前のような特別な空気はない。
この前ヤティリに言われてから、私も「これが二人が望んだ形なら」と思うことにした。遅かれ早かれこうなっていたのだから、これ以上どうしようもないし、それについて私ができることはなにもない。
この一緒にアドリブを作るという行程が二人にとっていい思い出になればいいな……。
私は二人が楽しんでアドリブを作れるようにちょこちょこ様子を見てはアドバイスをしていった。
「マリカがこっそりとシャハールに会いにいく時には『彼の本当の気持ちが知りたい』『彼がまだ自分を思っているのならティルバルのことを話そう』という目的で行くのよね。でもシャハールとは言い合いになってしまう。いろいろ言いたいことを言ったあと、二人は気持ちを確かめ合ってともにティルバルを倒そうと誓うという結果になる……。なぜここで言い合いになるのかしら? マリカの性格なら率直にシャハールの気持ちを聞いてしまう気がするけど」
「マリカはシャハールが自分と同じ貴族と知って素直な部分が引っ込んでしまったとは考えられませんか?」
「ああ、町娘の時はできたけど、貴族という自分になると途端に隠してしまうのね。とすると、さっきディアナはシャハールに詰め寄っていたけど、もしかしたらそれもできないんじゃないかしら」
「そうですね。本当の気持ちが知りたいと思いつつもなにも言えなくなるという展開もいいかもしれません」
私の言葉にイバン王子が思案顔になる。
「じゃあシャハールはそんなマリカに戸惑うだろうね。いつもの素直さが消えているんだから。シャハールは真面目で不器用な男だから、そんなマリカの変化に戸惑って黙ってしまう気がする」
「でも二人とももじもじしていたら会話が進まないわよ?」
「いつも会話を盛り上げていたのはマリカですからね、マリカが黙っちゃうとそうなりますね」
「あ、じゃあそこにマリカは苛立ちを感じたらいいんじゃない? 『いつも話のきっかけを作るのは私だった。シャハールはいつも受け身よね』って」
レンファイ王女のアイデアに私はポンと手を打つ。
「いいですね、それ。お互いに平民の姿の時には見えてなかった部分が、貴族として会った時にわかってしまうという感じで。その台詞、言ってみてくださいレンファイ様」
私がそう言うと、レンファイ王女は少し考えてから口を開いた。
「……シャハールっていつもそうよね。私から動かないと答えてくれない。今日だって私がここに来なければもう二度と会うこともなかったってことよね」
レンファイ王女がマリカの台詞をアドリブで言うと、イバン王子は少し間を開けてそれに答える。
「それはそうかもしれないけど、私はいつだって君の望みを叶えてきたじゃないか。君が喜ぶ顔が見たくて……」
「じゃあ今はそう思ってないの? そう思っていたら私のところへ会いにきてくれたはずでしょう?」
「君が貴族で……しかもチャイルズ様の娘だと知ってどうすればいいのかわからなかったんだ。……君には婚約者もいるようだし」
「貴方にもいるじゃない」
「あれは私も知らなかったんだ。いつの間にか親が勝手に決めていて……。それに私が君の元へ行って君が喜ぶのかわからなかった」
「そんなこと、やってみなければわからないでしょう? 貴方は確信がなければ動き出せないの?」
「私は君とは違う、そんな簡単に自分の思うままにはいけないよ」
「そんなことを言って踏み出す勇気が持てないだけでしょう? 私は貴方に会いたくて、本当のことを知りたくてここまでやっていたというのに……!」
おお、すごい、いい感じだ。二人とも考えながらではあるけど言葉が出てきてる!
「平民の姿をしている時とは違うんだ……貴族の身分もなにもかも捨てて君の元へ行って、もし君が婚約者の方を選ぶと言ったらどうする? 私は立ち直れない……っ」
「私があんな婚約者を選ぶわけがないでしょう!」
その言葉にイバン王子がピタリと固まった。そして少し沈黙したあと「マリカ……」と呟いた。
「私が選ぶのはこの世でたった一人よ。そんなこともわからないの、貴方は……っ」
「! マリカ……!」
二人はそのまま見つめ合って、チラリと私を見た。
「……どうかしら、ディアナ」
「素晴らしいです! さすがですね! とてもいいと思います」
私が思わず拍手をしながら褒め称えると、二人はほっと息をついた。
「今のをベースにして、もう少し会話を伸ばしましょう。二人が言い合うネタを二、三個増やす感じで」
「なるほど、そうね……」
レンファイ王女はそう言うと紙にさっきの流れを書き出した。
「ふふ、やればできるものね」
「面白いでしょう? アドリブって」
「頭の中がフル回転で大変だけど、確かに面白い体験だね」
イバン王子がお茶を飲みながらレンファイ王女の手元を見る。
「このアドリブというのは喜劇なんかではよく使われるんですよ」
「喜劇というのは?」
「人を笑わせることを主体とした劇です。もちろん脚本はありますが、人を笑わせようと即興で演じたりもするんです」
「人を笑わせる……そんなものがあるのか」
「旅芸人たちの舞台でも手品をしながらたまにコミカルな動きをして観ている人を笑わせたりするんですが、それの劇版という感じでしょうか」
「どうやって笑わせるんだい?」
「それはいろいろありますよ。変な一発芸を見せたり、会話でボケとツッコミをしたり……ああ、ここにもそれができそうな人がいますけどやってみます?」
「? 今できるのかい?」
「それは見てみたいわ」
イバン王子とレンファイ王女が興味深そうにこちらを見るので、私は座っている小上がりにケヴィンを呼んだ。「む? なんだ」と眉を寄せながらケヴィンがやってくる。どうやら嫌な予感がしているらしい。
鋭いね、ケヴィン先輩。
私は小上がりから降りてケヴィンの横に並び立つ。
「ケヴィン先輩、今日は寒いですね」
「は? ああ、まだ春になったばかりだからな」
「春といえば別れの季節ですけども、ケヴィン先輩は『これは別れ難い』と思うものってあります?」
「? なんだそれは?」
戸惑うケヴィンに私は笑顔で圧をかける。
「別れ難いものってありませんか?」
「う、そうだな……イバン様が卒業されるのでそれが寂しいな、とは思っているが」
「え! それだけですか? 他にもあるでしょう?」
「は? 他には特にないが」
「ケヴィン先輩は夏休みの間に演劇クラブから離れるのが辛くないのですか⁉」
「別に、辛くはない」
「嘘! こんなに演劇クラブのことが好きなのに⁉」
「べべべ別に好きなわけじゃない!」
「またまたぁ、素直じゃないですねぇ先輩は。本当は大好きでしょ? 演劇」
「好きではないと言ってるだろう! あと貴族女性が何度もそういう言葉を言うんじゃない!」
「私は好きですよ」
「ふぇあ⁉」
「演劇が」
「ややこしい言い方をするな!」
「先輩」
「なんだ!」
「顔が真っ赤です」
「うるさい‼」
ケヴィンが真っ赤になった顔を両手で覆ったところで、私は「これがボケとツッコミです」と小上がりにいる王子と王女に言った。レンファイ王女は口に手を当てて耐えているが、イバン王子はお腹を押さえて肩を揺らしていた。
「あははははは! なんだ今の! ディアナ、すげぇ! あははははは」
「笑いすぎだぞラクス!」
「ケヴィンこっち向くな! その顔見たらあはははははっ」
私たちの近くで話を聞いていたらしいラクスが爆笑してる。それに釣られて、イバン王子も声を出して笑い始めた。よく見ると、小上がりの近くに立っていたアードルフも吹き出している。
「イバン様! アードルフ! 笑いすぎですよもう!」
「だってケヴィン……! ふふ、これは……予想外すぎるよ。ははは」
「聞きたかった言葉がまさかここで聞けるとは思いませんでしたね、ククッ」
あれ? なんか違うところで受けてる?
「とまぁ、これがアドリブのボケとツッコミという笑いです。参考になったでしょうか?」
「ディアナ! 其方は最初からこういうことをさせるために僕を呼んだのか!」
「そうですよ、さすがですケヴィン先輩。最高のパフォーマンスでした。先輩は絶対ツッコミの才能がありますよ」
「そんな才能はいらないぞ!」
「ぜひその能力を伸ばしてくださいね。私、期待してますから」
「人の話を聞け!」
「ま、待って……もうそれ以上はやめてちょうだいディアナ……っ」
普通にケヴィンと話しているだけで、レンファイ王女に止められてしまった。どうやらケヴィンのツッコミにハマってしまったようだ。周りの人たちも肩を揺らして笑っている光景を見て、私は隣のケヴィンをついっと見上げた。
「先輩……本気で芸人デビューしませんか?」
「其方はもう黙ってくれ……」
ここへ来て急な脚本変更。
王子と王女と他のメンバーもついてきてくれました。
そしてケヴィンとの即興漫才。
ケヴィンは本当に才能のある男です。
次は 舞台の準備、です。