ヤティリのひらめき
大国の王子と王女の気持ちの立て直し方は完璧だった。
二人との話し合いのあと、彼らの演技は元に戻った。ぎこちない感じも、楽しそうじゃない踊りも全部嘘だったのかと思うくらい直っている。むしろ直りすぎている。
元々素の自分を出すことがない二人にとって、物語の役になりきって演技をすることは難しくない。今までよりもさらに完璧にその役になりきってみせた。
……でもすごい壁ができちゃったな。
完璧な演技をする二人に周りのメンバーはホッとしたり、感心したりしているけど、私にはシャハールとマリカという分厚い仮面を被っている二人に見えて悲しくなる。
その演技の最中にイバンとレンファイという彼らの本来の顔が見えることはない。それは、その役になりきるという意味ではいいのだけど、なんとなく無理してそうしているように見えるのだ。
このままでいいのかな……。
完成度が高くなっていく演技とは反対に、私の気分はどんどんと落ち込んでいった。
「今の演技はどうだったかしら? ディアナ」
「ええ、素晴らしいですレンファイ様」
「そう、よかったわ」
「ディアナ、後半のこのシャハールのところなんだけど、まだ少し違和感があるから見てもらってもいいかい?」
「わかりましたイバン様」
二人の雰囲気は、私が一年生の時に会った二人みたいな、完璧で、優秀で、努力しているなんて思わせない余裕のあるものだ。でも、お互いの間に流れていた特別な空気は無くなっている。
練習を重ねながらそんな二人のことを眺めていると、チョンチョン、とファリシュタに袖を引っ張られた。
「ディアナ、大丈夫?」
「え?」
「なんか、元気ないよ。なにか心配事?」
「ああ、ううん、大丈夫だよファリシュタ」
私がそう言って笑うと、ファリシュタは眉をハの字にしてじっと私を見る。ずっとそばで私のことを見てるファリシュタには誤魔化せないようだ。
「……少し引っかかることはあるんだけど、練習は上手くいっているからこのまま行くしかないかなって……そんな感じ」
「そっか……やっぱり上手くいっているように見えてあのお二人の中ではいろいろあるんだね」
「そうだね」
「あ、そういえばヤティリもお二人について言ってたよ。『どうやらあの二人は次の段階へ進んだようだね、デュヒヒ』って」
「え? ヤティリが?」
「うん、なんかお二人のことを見ているだけでヤティリはなんかわかってる風だったよ。本当にわかってるのかはわからないけど」
私はチラリと部屋の隅の小上がりにいるヤティリに目を向ける。彼はいつも通りローテーブルの上に紙を広げてなにかを書いていた。なんとなくさっきの言葉が気になった私は、王子と王女が練習が終わって帰ったあと、ヤティリの方へ足を向けた。
「ねぇヤティリ、ちょっといい?」
「ふぁ⁉ ああ、びっくりした。ど、どうぞ……ってあれ? もう練習時間終わってたのか」
「うん、さっき終わったよ。かなり集中して書いてたみたいだけどそれって次の小説?」
「そ、そう。ちょっと思いついたネタがあって……悲恋物語なんだけど」
「へぇ。どんな話?」
「え、えっと……絶対に結ばれることのない二人が長年いい友人として付き合っていたんだけど、年頃になるにつれて惹かれ合うんだ。でもやはり乗り越えられない壁があって、最後はお互いの気持ちを知りながら別々の道を歩いていくっていう話……て、ああ! 全部言ってしまった!」
「ネタバレが!」と言って頭を抱えるヤティリに私は慌ててツッコむ。
「ちょっと待ってヤティリ、それってもしかしてあの二人が元ネタなんじゃ……」
「え? ん? いやぁなんのことだか……デュヒヒ」
ヤティリはそう言って目を逸らしながら肩を揺らす。
いやいやいや、絶対そうじゃん!
「ねぇ……ヤティリにはあの二人はそう見えてるの? その、二人の間に流れるものがそれって……」
「え?」
私の質問にヤティリがなにを言ってるんだ? という顔をする。
「ま、まさか……ディアナってめちゃくちゃ鈍い?」
「へ?」
「あんなの、どう見たってそうじゃないか。設定からして完璧だよ。絶対に結ばれることのない二人の立場、真面目で努力を惜しまない性格、お互いに行き着く未来は決まっているのにこうして学生最後の思い出を作ろうとしてる。はふぅぅん、もう完璧すぎてこのまま物語にしたいくらいだよ」
ちょっと気持ちの悪い吐息を吐いてヤティリはふるふると静かに興奮している。
え……ちょっと待って、そうだったの?
「私、あの二人の間に流れてるのはそういうものじゃないと思ってた……もっと、深いところで繋がってるというか、それを超えた感情なのかと」
「それはそれで合ってると思うよ」
「え?」
「え? だってあの二人は昨日今日知り合った仲じゃないでしょ? 元々惹かれ合っていたと思うけど、もうそんな段階じゃないんだよ、あの二人は」
「へ? そんな段階じゃないないならどんな段階なの?」
私がそう言うと、ヤティリは金色の目を見開いて「信じられない……ディアナって本当にその辺に疎すぎでしょ」と盛大にため息を吐き、ビシッと私に羽ペンを突きつけて言った。
「『恋』のあとにあるものなんて『愛』しかないじゃないか」
「ええええええ!」
私はあまりの衝撃に両頬に手をやって口を開けてまま固まった。
マジで⁉ あの二人ってそこまで行ってたの⁉
「ディアナ? どうしたのですか?」
私が大声をあげたので、扉の前に立っていたルザが私の方にやってこようとする。
「あ、いいのルザ、大丈夫。ちょっとびっくりしただけ」
大国の二人の話は他の人には迂闊に聞かせられない。私は手をブンブンと上下に振ってルザに大丈夫アピールをする。
「……ディアナ、あれほどの演技ができるのになんでそんなこともわかんないの」
「うぐ……。わ、私がそっち関係に疎いのは今わかったけど、ヤティリこそなんでそんなことがわかるの? ヤティリって実は恋愛マスター?」
「そそそそそんなわけないじゃないかっ。こんな暗くて気持ち悪くて一人でニヤニヤしてる僕が恋愛とかできるわけないでしょっっっっっ」
自分が気持ち悪い自覚はあるんだ……。
ヤティリによると、あの二人の立場や性格を踏まえて観察していると自然とわかるんだそうだ。
「二人を見ながら心の中ではこう言ってるんだろうな、こう思ってるんだろうなって想像するんだよ。よく見てればそれが合ってるかなんてすぐにわかるよ」
「それは想像力が豊かなヤティリにしかできないと思う」
「そうかな? ……僕は一年のころからあの二人は怪しいなと思ってんだ。張り合っているように見えて敵対している感じなんて微塵もなかったから。今年になって同じクラブであの二人を間近で観察できるようになって、その疑いは確信に変わったよ。ネタになるかなと思って見ていたのもあるけど、純粋にどうなるのかなって思ってずっと見てたんだ」
「そうなんだ……。あ、そういえば二人は次の段階に進んだって言ってたのは?」
「ディアナがこの前呼び出してなんか決着がついたんでしょ? 二人ともお互いの気持ちに折り合いをつけて、次の関係性に進もうって決めたんじゃないの?」
「なんでわかるの⁉ 怖いよヤティリ!」
「物語ではよくあることだよ」
私は少しだけこの前の話し合いの内容を他には漏らさないという約束付きでヤティリに話した。あの二人の関係性をここまで見抜いている彼に、これからどうすればいいのか聞きたかったのだ。
「なるほどね。二人がなにを心配しているのかはわかった。ふぅん……そっか、ということは二人とももしかして自覚がないのかな?」
「え?」
「ディアナ、イバン様はレンファイ様の相手について思うところがあったんでしょ? それって完璧に嫉妬じゃない。そんな男と結婚することになる君が心配だ、って言ってるけど本音は『そんな男に君を渡したくない』ってことでしょ?」
「え……あ、え?」
「それにレンファイ様がイバン様の怪我をした姿を見てショックを受けたのは、イバン様に対して特別な感情を抱いていたからでしょ。そんな自分の気持ちに気づいて王女は思い悩んだ。それでこれ以上イバン様が傷つくのを見たくないから二人の関係を終わらせる、って発言をしたんじゃないかな。イバン様に特別な感情を抱いている自分を認めたくなかったのかも……。まぁ、二人は卒業したら離れる運命だからそう思うのも仕方ないか」
ヤティリはそこまで一気に言うと、「ふぅ、これ物語にしたら売れそうなのになぁ」と残念そうに言った。私はといえばヤティリに言われたことで頭の中が混乱していた。
待って、一気に言われすぎて整理が追いつかない。
「ヤティリの推測が当たってるとすれば……じゃあ、あの二人は自覚なしにお互いのことを想い合ってるってこと? しかも恋を通り越して愛までいってるんだよね?」
「そうかもね、って話だよ。真実は二人にしかわからないから。でも二人の演技がぎこちなくなった理由ってそれじゃない? お互いに意識しぎてどうすればいいかわからなかったからでしょ?」
「あ……そっか」
そういえばなぜ自然な演技ができなくなったのかまで考えられてなかった。お互いのことが気になりすぎて頭がいっぱいだったってことか。
「おおぅ……ヤティリって人の心情の変化を推測する天才だね。なんかスッキリしたよ」
「ディアナは意外とその辺の想像力がないんだね」
そう言ってヤティリがメモ帳になにか書き込んでいる。
「ヤティリ、それ、私のこともネタにしようとしてるでしょ」
「デュヒヒ……さぁ、なんのことだか」
私はジトっとした目でヤティリを睨んで、ふぅっとため息をつく。
「じゃあ仮にそうとして、ヤティリはこれからどうしたらいいと思う? あの二人はそのままでいいのかな」
「そうだね。二人の将来は変えることはできないんだから、王女の提案も間違ってはないと思うよ。いつかは終わりが来るものだったんだから。……そうだなぁ、二人はもう割り切っているんだろうし、ここからはディアナが伝えたいことを伝えたらいいんじゃない?」
「伝えたいこと?」
「演劇はあの二人に与えられた唯一の自由だと思う。お互いに穏やかな気持ちで卒業できるように、その時間を楽しいものにしてあげたらいいんじゃないのかな。ディアナが演劇を通じて伝えられることはたくさんあるでしょ?」
演劇を通じて伝えられること……か。
「そうだね。……それならあるかも」
これから先、二人が演劇クラブのことを思い出す時に辛い気持ちになってほしくはない。どうせなら「演劇クラブは楽しかった。あの経験はしてよかった」って思ってもらいたい。
演劇は、エンタメは、楽しいものなのだ。
私が伝えられることといえばそれしかない。
ヤティリの言葉を受けて私ができることがなんとなく見えてきた。
「ありがとうヤティリ、なんか元気出てきた」
「そ、そう?」
「うん。……あ、そうだ、じゃあアドリブを入れてみようかな」
私は自分の手をポンと打ってそう呟く。
「? アドリブってなに?」
「台詞を決めないで即興で演技することなんだけど、劇のどこかで二人がアドリブで演技するシーンを入れてもいいかなって思ったの。ほら、あの二人って割り切ってから演技が完璧で隙がないでしょ? 私としてはもう少し不安定さが欲しいんだよね。物語のアクセントというか」
「ほほぅ……アドリブっていうのがあるのか。それは面白いね」
ヤティリは私の説明を聞いてピタリと動きを止め考え込む。そして突然「おおお……!」と声を出してその辺にあった紙をかき集めてダーッとなにかを書き出した。
突然の動きに私はびっくりする。
なになに?
「なにか閃いたの? ヤティリ」
「こ、これはいい……これを入れることで……デュヒヒヒヒヒ。面白い、面白いぞ!」
気持ちの悪い笑みを浮かべてヤティリが一心不乱に文字を書き綴っていく。こうなったらヤティリは止められない。私はわけがわからないまま、その動きを眺めた。
しばらくしてペンの動きを止めると、ヤティリはその紙を私に差し出した。インクがまだ乾いていないので、私は紙の端っこを持ちながらそれを読む。
「これって……もしかして脚本の追加?」
「そう、物語の終盤、二人が協力してティルバルに立ち向かう前に、喧嘩のシーンを入れるんだ。お互いの正体がわかって婚約者まで出てきて引き裂かれた二人が、ティルバルという共通の敵に立ち向かうにはもっと強いきっかけがあってもいいなって思ってたんだ。二人が劇中で喧嘩をするシーンってないでしょ?」
「そういえばないね」
「好きな気持ちだけで物語が動くより、そういう衝突があってお互いにさらに理解を深めて、ティルバルとの決戦に臨むっていう方が面白いと思わない?」
「うん、確かにその方が面白いかも……あれ、でもここからの台詞はないの?」
「だからそこからディアナがいうアドリブってやつにするんだよ」
「喧嘩のシーンをアドリブにするの⁉ ちょっと難易度が高くない?」
「そんなこと言ったらどんなアドリブだって難易度が高いよ。みんな初心者なんだから」
それはそうだけど……。うう、なんてことだ。ちょっと無茶な変更だから止めたいけど、めちゃくちゃ面白そうではないか。こんな展開をすぐに思いつくなんてやっぱりヤティリは天才脚本家だよ。
でもこのシーンを入れるなら他のシーンにも修正を入れなければ辻褄が合わないし、今さら終盤を大幅に変更するのは大変だ。衣装も音出しも照明も変えなければならない。
「ぐぬぬ……」
「どうする? ディアナ。これ追加する? しない?」
「こんな面白いの、したいに決まってる。でも、できるかな」
「ちなみにあの二人って難しい課題を提示したら燃えるタイプだと思うよ」
「ヤティリ、他人を唆すのが上手すぎるよ……!」
今より劇が面白くなるとわかってて、私が止められるわけがないのだ。みんなが困惑する顔を頭に思い浮かべながら、私はヤティリにゴーサインを出した。
「これ……清書して印刷してくれる?」
「デュヒヒ、かしこまりましたクラブ長」
ヤティリは戯けるように恭順の礼をとってニヤリと笑った。
想像力が豊かなヤティリによって王子と王女の関係を把握できたディアナ。
二人に対して自分の中で整理がつきました。
アドリブのアイデアにヤティリがひらめきます。
次は アドリブの練習、です。