裏方三人組のレベルアップ
イバン王子とケヴィンがシムディアクラブに行ってしまってからは、演劇クラブの練習室ではそれ以外のメンバーが集まって自主練をするようになった。役者組は主人公の一人であるイバン王子がいないため、演技ではなく踊りの方を重点的に練習することになり、ラクスを中心に踊りの稽古を始めている。
イリーナは平民の衣装を完成させたあと、貴族服の作成を続けていた。ちなみにヤティリは脚本が出来上がってからそんなに仕事はないのだが、この練習室の雰囲気が気に入ったらしく隅の小上がりの上で自分の小説を執筆している。
「静かな図書館とかの方が執筆ってはかどるものじゃないの?」
「そ、そうとは限らないよ……。適度なざわめきがあった方が僕は集中できるんだ」
ふぅん……そういうものなのか。恵麻時代の昔の文豪は静かな旅館の一室にこもって執筆していたイメージがあるから、ヤティリの答えは意外だね。
今日は裏方三人組に音出しを教える予定だが、その前に壁にくっつくようにして見学しているイシークを呼び出す。私に呼ばれて嬉しいのか満面の笑みを浮かべてイシークが駆け寄ってきた。最近、そんなイシークが柴犬以外に見えなくなってきてちょっと困る。情が移るではないか。
「なにか用があるのか?」
「この前もらったレポートですけど……あれ、やり直しで」
「なっど、どうしてだ?」
わかりやすくショックを受けているイシークに私は理由を話す。
「イシーク先輩のレポートは、レポートの形をしていないからです。今回の課題は『演劇の魅力はどこなのか?』ということについて考えてくるというものですが、イシーク先輩が書いてきたのは『去年観たクィルガー物語の劇の感想文』でした。これはレポートではありません」
私はそう言ってイシークから提出されていたレポートの束を彼の手の上に返す。それを受け取ったイシークは困った顔をして首を傾げた。
「レポートというのはどういうものなのか教えてもらえないだろうか」
「まずレポートというのは一種の『報告書』です。感想文ではなく、初めに議題について問題提起をして、それを検証していく過程を書き、最後に結論をまとめるのがレポートです。今回を例にとれば『演劇の魅力を探るには』『去年観た劇で自分はこう感じだ、それはなぜなのか?』『もしかしたらここに秘密があるのではないか』『検証してみよう』という流れになりますかね」
私が説明を始めると、イシークは慌ててメモを取る。
「先輩が書いた去年の劇の感想はまぁまぁ細かく書けていたので、その中から演劇の魅力について調べられそうなテーマを見つけるといいと思います」
「……なるほど、わかった。もう一度やり直してこよう。ありがとう、ディアナ」
イシークはそう言って壁際に戻り、うんうん唸り出した。
真面目なのはいいことだよね……。
私はそれから裏方三人組とハンカルとファリシュタに集まってもらって、音出しを持って小上がりの上に座る。
ええと、ダニエルとエルノはザガルディ出身で青の寮、同じ部屋の二年生で、ナミクはアルタカシーク出身で緑の寮の一年生だったね。
私は改めて三人の情報を頭の中で整理する。それからハンカルとファリシュタに三人の適性について報告してもらった。
「ダニエルは器用なタイプでどの音出しでもある程度こなすことができるな。覚えも早いから音出しの人数に余裕のある時は照明の方も手伝って欲しいと思ってる」
ダニエルはオールマイティなタイプなんだね。どの音出しもできるのは心強い。
「エルノはファリシュタと同じで人の動きに合わせて音を鳴らすのが得意みたいだ。今のところ陶器の太鼓を練習してもらっているが、ファリシュタと一緒にアクセントになる音出しをやってもらってもいいと思う」
エルノは人の顔色を伺うタイプのようだから、人に合わすのが得意なのはなんとなくわかる。
「ナミクはね、意外と笛が得意なんだよ。ハンカルが男がやった方がいいって言ってた角笛も吹けちゃうんだ」
「え、あの角笛って結構肺活量いるよね?」
「うん、それなのにナミクは軽々吹けちゃうんだよ、すごいよね」
ファリシュタに褒められて、ナミクがオレンジ色の髪を左右に振って「すごくはないです」と恥ずかしがる。
「私……小さいころから変わったことをしたがる性格で……実は昔、家に飾りとして置かれていた角笛を吹いたことがあったんです」
「えっ」
「最初は全然吹けなくて、それが悔しくて躍起になって練習していたら吹けるようになってしまって」
「それ、大丈夫だった? 怒られたんじゃないの?」
「はい、音出しはあくまで飾りですし、実際に吹くなんてはしたない、とすごく怒られました」
そりゃそうだよね……訓練以外で音出しなんて使わないし、角笛って音もでかいから。それを好奇心で吹きたくなるというのは、結構変わってる部類に入るんじゃない?
私は腕を組んで役割分担を考える。ここの五人で音出しと照明を回していかなくてはならない。ラクスと私が考えた踊りを頭の中で浮かべながら、必要な音を決めていく。
「太鼓は二人は欲しいんだよね。一定のリズムを刻む人と、変化のあるリズムを叩く人。あとはアクセントの音を鳴らす人と、効果音を鳴らす笛がいるかな」
「アクセントの音は今回もファリシュタがいいだろう。安定しているし、間違いがない」
ハンカルの言葉に私は頷く。今回の踊りはテンポが思った以上に速いので、ファリシュタでなければついていけない。
「そうだね。で、笛はナミクに吹いてもらうとして、男の子二人には太鼓をやってもらおうかな」
「一定の音なら俺の方が得意だと思う」
ダニエルがチラリとエルノを見ながら手をあげる。エルノはそれを見て「じゃあ僕はもう一つの太鼓で」と小さく手をあげた。
担当が決まったところでそれぞれのレベルを見せてもらう。立候補しただけあって、ダニエルの小太鼓のリズムはとても正確だ。なんの問題もない。彼にはチッチを与えて、ひたすらリズムを刻む練習をしてもらう。
ナミクも笛を吹くことはできるので、私が指づかいのお手本を見せて、いろんな効果音の出し方を練習してもらうことになった。
問題はエルノだ。彼にやってもらうのは様々なパターンのリズムなのでまず覚えるのが大変なのだ。
「エルノ、よく聞いててね」
私は少しテンポを落としたリズムで陶器の太鼓を手で叩く。
トト ン ト トト トト
トト ン ト トト トト
トト ン ト トト トト
トト ン ト トト トト
「はい、今の叩いてみて」
「う、うん」
エルノに太鼓を渡して叩いてもらう。人の動きを見るのが得意なので見よう見まねで叩いている割には感触は掴めているが、やはり私のリズムと一緒にはならない。
「トトのあとに一回休みがあるの。トト、ン、ト」
「トト、ン、ト……」
「そうそう」
私とエルノが一対一で練習する姿を見ながらハンカルが腕を組む。
「一定で刻むのと違って覚えるのが大変だな、それは」
「そうだねぇ……やっぱり楽譜は必要かな」
「楽譜?」
私は隅の小上がりで小説を書いているヤティリにお願いして大きな紙を何枚かもらう。
「な、なにに使うの?」
「楽譜を書くの」
「楽譜?」
紙を持ってみんなの方に戻り、そこで私は楽譜を作成する。興味をそそられたのかヤティリも一緒についてきてローテーブルを覗き込んだ。
「あー……んーっと、太鼓と笛とアクセントと全部の種類書いちゃった方がいいのかな……でもそうすると楽譜が複雑になる? ……うーん」
迷った挙句、今回は二つの太鼓の分だけを楽譜に起こすことにした。私は紙に定規を当てて横線を引いていく。ペン先にインクをつけて引っ張るのでちょっと難しい。
同じような線を下にもう一本。上がダニエルがやる一定のリズムの太鼓で、下がエルノがやる変化のあるリズムの太鼓だ。
楽譜を書くのも久しぶりだね……。
まだミュージカル女優を目指して歌やピアノの習い事をしていた時に、作曲の仕方も教えてもらったことがある。なにも書かれていない五線紙に、音符や拍子記号、音部記号を書いて、オリジナルの曲を作っていくのだ。
とりあえずリズムだけだし、音符と休符の並びだけ書けばいいかな。じゃあ一小節を区切っていって……。
横に引っ張った二本の線に等間隔で縦線を入れて、その間におたまじゃくしのような音符を書いていく。
「ダニエルは一定にタンタンタンタン、タンタンタンタン……その塊が四つ終わったらエルノの太鼓が入る。トト、ン、ト、トト、トト……」
私は頭に描いているリズムをダ——っと紙に書き起こしていく。みんなが不思議そうに紙に描かれていくおたまじゃくしを眺めている。
「ラクス、ちょっと来てもらっていい?」
「おう、なんだ?」
途中で踊りを確かめたくなって、ラクスを呼んで実際に踊ってもらった。
「あ、そっかそこでアクセントが入るから……一回ここで止まって……」
ラクスの踊りを見ながら、そのまま最初の踊りの部分を全部楽譜に起こした。
「できた! ありがとラクス、練習に戻って大丈夫だよ」
「そうなのか? よくわかんねぇけど、じゃあ戻るわ」
私は出来上がった楽譜をみんなに見せる。
「これが楽譜か?」
「そうだよ。まぁ私のオリジナルだけど」
ハンカルに頷きながら私は楽譜の見方をみんなに教える。なぜかヤティリまで混ざって聞いている。
「上が俺で、下がエルノなんだな。なるほど、この縦に区切られている線までが一塊と捉えていいのか」
「そうそう。ダニエルは本当に察しがいいね。ダニエルは基本的にずっと一定に叩いているだけだけど、途中で何度か止まる場所があるからそれを覚えてね」
「わかった。エルノの方は二種類の丸があるんだな」
「この黒い丸いのは音符っていうんだけど、エルノの方は黒い音符と白い音符があるの。黒い方が真ん中を叩く音で、白いのは太鼓の端を叩く音ね」
「あ、なるほど。うん、わかった」
「こっちの黒くてくねくねした記号は休符っていってお休みする記号だよ」
私は楽譜に書かれているリズムをなぞりながら、実際に太鼓を叩く。エルノは一生懸命私の手元を見ながら楽譜に書かれているのがどういうリズムなのか覚えていった。
「うん。難しいけど、楽譜で確かめられるから覚えやすいかも……」
「そうでしょ? よかった。最初の踊りは基本的なリズムは崩れないし、一度覚えたらすぐにできると思うから」
「うん。頑張ります」
エルノは真面目そうに返事をして、太鼓の練習を始めた。
それからファリシュタとナミクに最初の踊りで二人が音を鳴らす部分を説明する。ナミクの笛はそんなに出番はないのですぐにできるが、ファリシュタのカスタネットは大変だ。去年と比べても鳴らす数も速さも段違いなのだ。
「いけそう? ファリシュタ」
「さっきのラクスの踊りを見たから大体わかるよ。あの足のリズムに合わせたらいいんだよね?」
「そう! さすがよく見てるね」
「ふふふ、実は前からラクスが踊ってるところを見ながらこんな感じかな? って叩いてたんだよね」
「ええっすごい! 自分でリズム取ってたの?」
「リズムが取れているのかはわからないけど、この音出しは一年の時からずっと使ってるから、結構慣れてきたのかもしれない」
おお、すごい。ファリシュタのカスタネットレベルがめちゃくちゃ上がっている。これならファリシュタは問題なくいけそうだ。
私はにんまりと笑ってそのあとも三人組の指導を続けた。
一の月はそうやって進んでいき、今回の劇の踊りの部分がだいぶ固まってきたころ、私はルザからとある情報を伝えられた。
「え? リンシャークの学生が?」
「ええ、最近異様な空気になっているようです」
寮の部屋で二人きりになったタイミングでルザがこっそり言ってきたのは、リンシャーク国の学生たちの間でどうやら諍いが起こっているという情報だった。
「今まで表には出ていませんでしたが、今は他国の学生が気づくくらいピリピリしているらしいです」
「それは、もちろんレンファイ様も知ってるよね?」
「ええ。どうやら冬休みの間に一度衝突があり、それをレンファイ様が収められたようですが、最近になってまたぶり返しているようだと聞きました」
「衝突って……なんの?」
「おそらく、レンファイ様の婚約者に関することかと。今までお相手のことは伏せられていたのに、最近リンシャークの学生が『レンファイ様のお相手はうちのファウェイ様と決まっているのに、アト族たちめ』と喋っているところが度々目撃されているようになったので」
「……ルザってそんな情報どこから手に入れてるの?」
毎日私と一緒にいるのに……。
「ふふ、情報源はいろいろとありますから」
とルザは悪戯っぽく笑う。
「レンファイ様のお相手のことで内輪揉めしてるってことかな? ていうか、レンファイ様のお相手って自国の人なんだね」
「まだ噂の段階ですが。しかし他国の学生にまで広がってきましたから、レンファイ様にとっては頭の痛い問題なのではないでしょうか」
「演劇クラブにいる時には普通に振る舞ってるけど、実は困った状況になってるのかな……そういえばホンファが心配そうにする回数も増えてきてる気がする。……でもこれって、私から『大丈夫ですか?』とは言えないものだよね?」
「他国の問題ですからね……。ディアナにも火が飛んでくるのならば振り払わねばなりませんが」
ううーん……レンファイ様のことだから絶対無理はしてそうだけど、どうしたらいいんだろう。
「確か前にイバン王子と一緒に話していた時に『時間が解決するから』って言ってた気がするから、今は様子を見るしかないかな」
ルザとそう話し合った数日後、ファリシュタとルザとクラブの練習室に行くと、なぜか扉の前にハンカルとイリーナ、それからケヴィンとアードルフが手に暖房灯を持って立っていた。その四人は私の姿を見ると「ディアナが来たからそろそろ……」と扉の方を見る。
「なにかあったんですか?」
と四人に近づいて口を開こうとしたところで、中からイバン王子とレンファイ王女の声が聞こえてきた。みんなにははっきりとは聞こえないだろうけど、私には内容も聞こえる。
「もちろんこれは君の国の問題だから、俺がなにか言う資格はないと思っている。でもレンファイ、俺は心配なんだ」
「……大丈夫よ、イバン。一部の学生が熱くなっているだけだし、王位を継いで正式に発表されたら収まる問題だから」
「しかし……」
「貴方もうすぐシムディア大会なのでしょう? 私のことはいいから、そちらに集中して」
「レンファイ……」
「話はこれくらいにしましょう。もうすぐみんなが集まってくるわ」
「……」
私は二人の声が止んだところで扉をノックして開けた。
「入りますよ。あら、イバン様どうかされたのですか?」
「! ディアナ、すまない。少し部屋を借りていた。レンファイに話があってね」
「今日もシムディアクラブに行くんですよね?」
「ああ。話は終わったから行くよ。お邪魔したね」
イバン王子はそう言うと、ケヴィンとアードルフを連れて大講堂の方へ行ってしまった。中にはホンファとシャオリーもいるので、どうやら二人きりで話していたわけではないらしい。
「ごめんなさいね、ディアナ。勝手に部屋を使ってしまって。さぁ、練習を始めましょうか」
そう言って笑うレンファイ王女の顔はどこか疲れているようにも見えた。他人に感情を見せない王女にしては珍しい。よほど心労が溜まっているらしい。
私がここで根掘り葉掘り聞かない方がいいよね。
さっきのことはあとでハンカルに聞くことにして、私は特に何も言わずに練習を開始した。
裏方三人組の役割分担とレベルアップの回でした。
ディアナが書いた打楽器用の楽譜にみんな興味津々です。
一方、リンシャークの方ではなにやら不穏な空気が。
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大国の事情と届いた手紙、です。