私のきょうだい
いろんな処置が終わったということで、女性館への扉が開かれクィルガーとともに奥へ入れることになった。普段は男子禁制だが今日だけは特別にクィルガーも入れるらしい。私たちの後ろにはイシュラルと他のトカルたちが続く。カリムクや双子たちは本館で待機だ。
私はドキドキしながらヴァレーリアのトカルの後ろをついて歩いていく。
赤ちゃんってどんな感じなのかな……初めてすぎて緊張するよ。
恵麻時代から赤ちゃんと接してこなかった私にとって、赤ちゃんという存在は未知数だ。どう接したらいいか全然想像がつかない。
「おまえ、あれだけ生まれたら一緒に遊ぼうとか言ってたくせに」
「それとこれとは別ですよ」
下に五人の妹弟がいるクィルガーはまだ余裕があるようだ。
女性館の中央にある階段のすぐ横の部屋が出産用に整えられた部屋だ。そこまでくると、トカルが扉に声をかけた。
「クィルガー様とディアナ様がいらっしゃいました」
「いいわ。開けてちょうだい」
すぐに中からおばあ様の声が聞こえて、扉が開かれる。部屋に入るとすぐに中が見えないよう衝立が立っており、そこを抜けると部屋の中央にベッドが用意されていて、その上にヴァレーリアが横になっているのが見えた。ベッドの周りにはおばあ様や女性医師が立っている。
「お母様!」
私は思わずベッドに駆け寄る。ベッドは分娩用で高さがあるので立ったまま話しかけられる。
ヴァレーリアの顔には疲労が残っているが、私を見るとにこりと笑った。
「お母様、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ。ディアナ、男の子ですって」
「あの、赤ちゃんはどこに?」
「ここです、お嬢様、旦那様」
そこに女性医師が布でぐるぐる巻きにされた赤ちゃんを抱っこして連れてきて、そっとヴァレーリアの枕元に寝かした。白いおくるみの中を覗くと、赤い顔をしたふにゃふにゃの赤ちゃんが目をぎゅっと瞑って口元をモニョモニョ動かしていた。
わぁぁ! これが赤ちゃん! すごい、赤い、小さい!
見た途端に自分の口がだらしなく開くのがわかった。
うわぁ、なにこれ、本当に動いてる。可愛い。どうしよう。
さっきまで感じていた緊張がどこかに飛んでいってしまうくらい、私は目をキラキラさせて赤ちゃんに夢中になった。クィルガーは私の後ろから赤ちゃんを覗き込むと、フッと笑ってヴァレーリアの頬を撫でる。
「ヴァレーリア……」
そう言ってヴァレーリアの額や手の甲に口づけをしていく。それを見て女性医師やおばあ様があらま、という顔をする。
「もう、クィルガー……こんなところで」
「いいだろ、別に」
「まぁ、本当にお二人は仲がよろしいのですね。噂になるはずですわ」
女性医師がなにか書類を書きながらクスクスと笑っている。
「クィルガー、抱っこしてあげて」
「ああ」
おくるみごと両手で赤ちゃんをそっと持ち上げると、クィルガーは慣れたように抱っこした。赤ちゃんを覗き込む顔が今までになくらい優しい顔をしている。
「可愛いな。ヴァレーリアに似てるんじゃないか?」
「まだわからないわよ。でもさっきまで大声で泣いていたから、予想通り元気な男の子になりそうだわ」
「そうか。健康であればそれで十分だ」
クィルガーはそう言って目を細める。もしかしたら王様のことを思ったのかもしれないな、とふと思った。
「ディアナも抱っこするだろ?」
「い、いいんですか?」
「早く抱っこしたいって言ってたじゃない」
私はドキドキしながらクィルガーから赤ちゃんを受け取る。
「ど、どうやって持てばいいんですか?」
「横にして、赤ん坊の頭を腕に乗せるようにすればいい」
「わ、わわ」
私の腕の中に赤ちゃんが収まる。私が子どもの体なのですっぽりとはいかないが、赤ちゃんを落とさないように両手でしっかりと抱っこした。
思ったより重い……こんなに小さいのに、ちゃんと生きてるんだ。
赤ちゃんの顔を覗き込んでいると、不思議な気持ちになる。胸の奥から温かいものがポカポカと浮かんでくるような、心が満たされていくような、変な気持ちだ。鼻の奥がツンとなって、自然と涙が溢れてくる。
「ディアナ……」
「へへ……可愛いですね……ズビッ。私、嬉しいです……すごく」
ヴァレーリアが手を伸ばして私の頬に触れる。
「優しいお姉様がいて、この子も幸せね」
そう言って私の涙を拭うヴァレーリアの目にも涙が溜まっていた。
その後、女性医師は赤ちゃんの健康状態や出産費用に関する書類を置いて、次の現場へ向かっていった。彼女の仕事はまだまだ続くそうだ。部屋の窓から、空が白み始めているのが見えた。
「そういえば名前はどうするの? クィルガー」
用意されていた部屋に戻ろうとしたおばあ様がそう声をかける。
「名前はもう決めてある」
「えっそうなんですか?」
「事前に男だったらこれ、とヴァレーリアと決めていたんだ」
ヴァレーリアを見ると、コクリと頷いた。
「ジャシュだ。アルタカシークの言葉で『勇敢な』という意味がある」
「ジャシュ……」
「ジャシュ、いい名前じゃない」
おばあ様が微笑んで「あの人にも早速知らせなくちゃね」とトカルにお使いを頼む。
私はヴァレーリアの枕元で寝ている赤ちゃんの頬をふにふにと撫でながら名前を呼んだ。
「ジャシュ、あなたはジャシュっていう名前だそうですよ」
すると、赤ちゃんが少しだけ目を開いて私を見た。私が目をパチパチさせると、なにか言いたそうに口をパクパクさせている。
「? 私はディアナですよ。あなたのお姉様です。わかります?」
「ディアナ……わかるわけないだろ」
と後ろでクィルガーがつっこむが、赤ちゃんは安心したようにまた眠りについた。
次の日からヴァレーリアは本館の自室にジャシュと戻り、女性館は今まで通り私しかいなくなった。赤ちゃんの首が据わるまではあまり動かせないので、私の方から本館にせっせと通う。
毎日会うたびにジャシュに対する愛情は膨らんでいき、私は自他ともに認める完全な姉馬鹿に成長した。
「いや、こうなることはわかっていたが……」
夕食時にもジャシュにべったりな私を見てクィルガーが呆れている。私はジャシュの寝顔を見ながらご飯をパクパクと食べる。
うん、ジャシュの寝顔を見ながら食べるご飯は美味しい。
上機嫌でシャリクを食べる私にクィルガーが聞きたくない現実を言ってきた。
「おまえ、もうすぐ学院が始まるのに大丈夫か?」
「ングフッ……もう! 嫌なことを思い出させないでくださいよお父様!」
「おまえのことを心配して言ってるんだ」
「うう……学院に行きたくないです……」
「なに言ってんだ。おまえには演劇クラブがあるだろ」
「それはわかってますよぅ」
どうしよう、本当にジャシュと離れたくない。だって学院に行ってしまったら、次に会えるのは四ヶ月後なのだ。帰ってくるころには首も据わって大きくなっているだろう。その成長を見れないなんて辛すぎる。
「帰ってくるころには私のことを忘れてて『誰?』みたいな顔されたら泣きますよ私」
「というかまず今のことを覚えてはいないだろ……」
「お父様、私ここから学院に通いってことにできませんか?」
「できるわけないだろ!」
「うう……城からこんなに近いのに……」
酷い……あんまりだ、と嘆く私にヴァレーリアが苦笑する。
「大丈夫よ、毎日ディアナのことをこの子に話しかけておくから。忘れるなんてことにはならないわよ」
「そうでしょうか」
「ディアナが作ってくれたでんでん太鼓を毎日握らせておくしね」
「お披露目会はおまえが帰ってくるまで待っておくから、こっちのことは心配しないで行ってこい」
「……はい」
私は口を尖らせて返事をする。その顔を見てイシュラルまで笑っているが、本当にそばに居れないのは辛いのだ。
ああ、こんな時にスマホがあればなぁ。毎日ビデオ通話でジャシュの様子が知れるのに。やっぱりカメラとか録画できる機械は欲しいな。それがあれば映画を撮ることだってできるのだ。娯楽好きの私としては、やはり映画は外せない。
むーんと考え事をしていると、なぜかクィルガーが嫌な顔になった。
「なんか変なこと考えてるだろ」
「別に変なことじゃありませんよ。これから欲しいものがはっきりしたので、どうすれば作れるか考えていただけです」
「……ちょっと待て、行動に移す前にちゃんと報告しろよ」
「わかってますよ。今すぐできるものではないので、どうしようもありませんし」
「おまえが張り切るととんでもないことになるからな……」
失礼な。人をトラブルメーカーみたいに。
クィルガーのことをジトっと見つめながらピラフを食べていると、ヴァレーリアがなにかを思い出した素振りを見せて私に質問する。
「そういえばディアナ、あなたジャシュが生まれる直前に透明魔石に祈ったんですって?」
「え? あ、はい……そうですけど」
「クィルガーから聞いて驚いたんだけど、実はそれと同じころに不思議なことが起こったのよ」
「え……なにかあったんですか?」
やっぱり変なことが起こっていたんだろうか。急に心配になって私はジャシュとヴァレーリアを交互に見る。
「もうすぐ生まれそうってなって医師が到着した時、ちょうど赤ちゃんの頭が出口で引っかかったのよ。結構頭の大きい子だったみたいで、そこからなかなか出てこなくてね。こっちも苦しいし、赤ちゃんにも負担がかかる状態だったから困っていたんだけど、しばらくすると急にスルッと赤ちゃんが出てきたの。まるで自分の力を使って出てきたみたいに」
「え……」
「医師もこんなことは滅多にないって驚いていたわ。その時は私も必死だったから、『生まれてよかった』という安心の方が大きくて忘れていたんだけど、昨夜クィルガーにジャシュが生まれる前にディアナが透明魔石に祈ったって話を聞いてね。考えてみたら、あなたが祈った時間とその子が出てきた時間がほとんど一緒なのよ。不思議だと思わない?」
「……それって……私が祈りが届いたってことなんでしょうか?」
「おまえ、あの時なんて祈ったんだ?」
クィルガーの問いに私はあの夜のことを思い出す。
「えっと……赤ちゃん、大丈夫だよ、もうすぐ会えるよ。お母様が外へ出してくれるから、あなたも頑張って。お姉ちゃんはすぐそばで待ってるからねって祈りました」
「……なるほど」
「あなたも頑張って……ね。案外その言葉通りに頑張ったのかもしれないわね」
「ええええ」
私が言ったことをそのまま受け取ったってこと?
「そういえばあの時パンムーがなにかを追うように目を動かしてましたけど……そんなことあるんでしょうか」
「それなら本人に聞いてみたらいいじゃない。パンムー」
ヴァレーリアの呼びかけに、テーブルの上で果物を頬張っていたパンムーが顔を上げて首を傾げる。私はジャシュが生まれる時の祈りが本当に届いたのか聞いてみる。口の中のものをモグモグしていたパンムーはゴクリとそれを飲み込んだあと、
「パムー」
と言って頷いた。そしてジャシュに飛び乗り、ジェスチャーを始める。それを解読すると、透明魔石から出た丸いポワポワしたものがヴァレーリアの中にいたジャシュに届き、ジャシュは力を入れてそこから出ようと頑張ったのだそうだ。
その説明を聞いて私たちは三人ともポカンとした。
本当に……私の祈りが届いてたよ。
「不思議なこともあるものね……」
目を瞬いて驚くヴァレーリアの横で、クィルガーが顔を顰めてため息をついた。
「その一言では片付けられんな……これは、報告案件だぞ」
「え……まさかこれもアルスラン様に?」
「当たり前だ」
クィルガーがそう言って頭を押さえた。
「お、怒られ案件じゃないですよね?」
「さぁな……」
「別にディアナは悪いことをしたわけじゃないでしょう? むしろ私は助かったのよ、それを叱らないで欲しいわ。ありがとうディアナ、祈ってくれて。おかげで苦しむ時間が短くて済んだのだから」
「お母様……えへへ」
ヴァレーリアに褒められて、一瞬で心が温かくなる。透明魔石についてはあの歌の一件以来少し怖くなっていたのだが、役に立ったと言われて素直に嬉しくなった。
血の契約さえしていなかったら、あんな怖いことにはならないみたいだね。ちょっとホッとしたよ。
それからはクィルガー邸に代わるがわる親族がやってきた。本来貴族はお披露目会まで見に来る習慣はないそうなのだが、アリム家が変わっているのか、みんな赤ちゃん見たさに次々とやってくる。もちろん産後のヴァレーリアの無理のないように気を遣ってではあるが。
意外なことに、一番嬉しそうにしていたのはカラバッリだった。あんな強面なのに、実は赤ちゃんが大好きらしい。特に孫となるとその可愛さは別格のようで、見たことがないくらい相好を崩してジャシュを抱っこしている。
「おじい様のあんな顔初めて見ました」
「自分の子どもが生まれた時も、他に誰もいないところだとああなっていたのよ。孫になると周りも気にならないみたいね、ふふふ。ディアナはもう大きいからできないけど、本当はあんな風にディアナのことも可愛がりたいって思っているのよ」
「ええっ本当ですか?」
おばあ様に言われて私の脳裏におじい様に抱っこされた自分の姿が浮かぶ。
さすがに幼児ではないからシュールだね……。
「でもおじい様のああいう顔はお父様とそっくりですね」
「本当にねぇ、血が繋がってないのが不思議なくらいよく似てるのよ、あの二人」
おばあ様はおじい様とクィルガーを見つめながら呆れたように笑った。
「さて、クィルガーのところも子どもが生まれてひと段落したし、子育てに関して残っているのは一つだけね」
「残っていること? なんですか? おばあ様」
「トグリとチャプの結婚よ」
「えっあの二人って結婚するんですか?」
「それはそうよ。二人とももう成人したんですから、クィルガーみたいに遅くならないうちに決めないと」
「アリム家は自分でお嫁さんを見つけてくるんじゃないんですか?」
「できる人ならそうしてるけれど……ディアナ、あの二人が自分で見つけてこれると思って?」
「それは…………非常に難しそうですね」
「そうでしょう。いつまでも子ども気分でいてもらっても困りますからね、さっさと結婚相手を決めて、自立させないと」
私はジャシュの取り合いをして騒いでいる双子を見つめる。
あの二人に結婚相手かぁ……見つけるのも大変そう。それに結婚費用とかも凄そう。でもそれくらいは普通に賄えちゃうんだろうな、この家は……。
私はアリム家の経済力に感心しつつ、改めてこの家の子になれた自分の幸運に感謝した。
初めてできた弟にもうメロメロのディアナ。
すでに立派な姉馬鹿になっていますがこの先大丈夫でしょうか。
クィルガーはジャシュよりも暴走気味のディアナの方を心配しています。
次は 年明けの練習、です。