イシークへの課題
「ディアナ、ここの台詞なのだけど、『私は……あの方のことを』に変更してもいいかしら?」
「そうですね、その方が溜めがあって良さそうですね」
「ディアナ、平民の服が大方できたので見てくださる?」
「うん。おお、いいね、形はバッチリだよ。ここの飾りは踊った時に邪魔にならないかな?」
「ディアナ、照明の魔石装具についてはどうなってるんだ?」
「ええとね、来週魔石装具クラブにお邪魔することになってるよ」
「ディアナ、帳簿をつけてるんだけどこの前注文した生地の明細ってある?」
「ちょっと待ってファリシュタ、確か奥の棚の中に……」
人数も増えて演劇クラブの練習も本格的に始まり、私は結構忙しくなってきた。劇の方は読み合わせから立ち稽古に進み、前半部分に入る踊りの練習も始まった。
ファリシュタとハンカルは事務仕事をしつつ、新しく入った三人に音出しの指導をしている。
ヤティリは後半の脚本で気になる部分があるといって修正中だ。部屋の一番隅の小上がりの上で一心不乱にペンを走らせている。
そんな中、練習室の扉の横に控えていたルザが私の方にやってきてそっと耳打ちをした。
「ディアナに会いたいという方が面会を求めていらっしゃいますが、どうしますか?」
「面会? わざわざ?」
別にそんなにかしこまらなくても、普通に声をかけてくれたらいいのに。
「きちんとした形でお話がしたいそうです。今廊下でお待ちになってます」
「学生? どんな人?」
私が聞くと、ルザは少し苦笑しながら答えた。
「四年生のイシーク先輩です」
「え⁉ イシーク先輩⁉」
なんで⁉
「……ちゃんとした面会って……」
「どうやら貴族の礼儀というものを覚えられたようですね。自分の話を聞いてもらうためにはどうすればいいか学ばれたのではないでしょうか」
「……」
お父様に自分のことを見つめ直せと言われて、本当にそうしてきたってことかな。でもこんな短時間で自分を変えることなんてできるのだろうか。
「会ってもいいのかな? お父様に聞いた方がいい?」
「ディアナと話をする許可をクィルガー様からいただいたと言っていましたよ」
「えええ! そこまでしてるの⁉」
今までの行動からは考えられなくらい根回しまでちゃんとしてる。
「お父様の許可があるんだったら、断ることもできないよね……。ここで話をするのでよければって伝えてくれる?」
「わかりました」
そうして私はみんなが練習している最中、部屋の小上がりでイシークと話をすることになった。
部屋に入ってきたイシークはまるで別人みたいになっていた。扉を開けて閉める動作も、歩く所作もすごく綺麗になっている。いつも無造作に結んでいたハチマキのようなターバンも今日はピシッと綺麗にセットされていて清潔感があった。
なにこれ……どこのお貴族様なの。
短い髪をツンツンと立てているのは変わらないけど、まとっている雰囲気というのがすっかり変わっていた。どこからどう見てもちゃんとした貴族に見える。
イシークは私が座っている小上がりに上がると、「失礼します」と言って静かに座った。
「今日は面会を許可していただき、ありがとうございます」
うわぁ……なにその喋り方。貴族らしいっちゃらしいけど、背中がゾワゾワして落ち着かない。
「イシーク先輩、後輩の私にそこまで丁寧な口調で話さなくて大丈夫です。普通に喋ってください」
「すみません、この口調しか学んでいないもので……」
「え、学んだ? どこかで習ってきたのですか?」
「はい。社交クラブに入会して学ばせてもらいました」
「はぃぃぃぃ⁉」
社交クラブに入ったの⁉ 先輩が⁉
思わず練習中のレンファイ王女を見る。社交クラブにイシークが入ったのなら王女も把握しているはずだ。王女は練習に集中していて気づかなかったが、その代わりホンファが私の驚いた顔を見てこちらにやってきた。
「どうかしたのか?」
「ホンファ先輩……イシーク先輩が社交クラブに入ったって……」
「ああ、この前の新シムディアの対決が終わったあとに社交クラブに入ったんだ。本人の熱意が相当なものだったからな、社交クラブの中でも礼儀に厳しい人に躾けてもらった。この短期間のうちに随分成長しただろう?」
「躾って……」
「入会したころは野犬のような有り様だったからな。顧問のアサスーラ先生まで出てきて、それは厳しく教育されていたよ」
アサスーラ先生まで……。
ホンファはそれだけ言うと練習に戻っていった。私はイシークに向き直って口を開く。
「じゃあ今はシムディアクラブと社交クラブと掛け持ちしてるってことですか?」
「そうです」
「どうしてそのようなことを?」
「新シムディアが終わったあとにクィルガー様に言われたことを真剣に考えました。お……私にはなにが足りないのか。そこで分かったのは『足りないものが具体的に出てこない』ということでした。頭も悪く、未熟な自分にはなにが足りないのかさえわからなかったんです。ですから寮の友人に聞きました。『誰かに仕えるために私に足りないものはなんだ?』と……」
「なんて言われたのですか?」
「それはもう、数多くの答えをもらいました。『人の話を聞かない』『気が短い』『考えなし』『存在がうるさい』『品がない』……」
「めちゃくちゃ言われてますね」
「それをまとめた結果、私に足りないのはまず『教育』だと思いました。礼儀にしろ、勉強にしろ、クィルガー様のように誰かに仕えるためにはまずそこから始めなければならないと」
「それで社交クラブに入ったのですか?」
「はい。私は特殊貴族なので、貴族としての教育をあまり受けずにきたんです。そこを鍛え直してもらいました」
「え⁉ 先輩って特殊貴族なんですか?」
意外な言葉に目を見開く。聞くところによると、カタルーゴの特殊貴族はアルタカシークと違って待遇が悪く、貴族教育もきちんとされないそうだ。
「カタルーゴは実力主義の国ですから、元々力の弱い特殊貴族は貴族として認めてもらえないことも多いのです。こうして学院には通わせてもらえますが、国での待遇は最低と言っていいレベルです」
「そうなんですか……あれ? イシーク先輩って三級でしたっけ?」
「いえ、二級です。特殊貴族としては力がある方ですがカタルーゴには二級の者が結構多いので、魔石使いとして突出しているわけではありません。クドラト先輩と同じ二級でも高位貴族の先輩と私の間には高い壁があるんです」
実力主義といっても魔石使いとして強いだけで偉くなれるわけじゃないんだね。
「社交クラブの他に、同級生が独自にやっている勉強会にも入りました。その、今まで真剣に勉強をしたことがなかったので」
「平民からロクな教育も受けないで貴族になったのなら、学院の授業なんてついていけないですよね」
「はい。魔石術学の方はまだよかったんですが、一般教養が全くダメで……」
そりゃそうだろうね。前世の記憶がある私でもみっちり勉強しなくちゃいけないものだったし。
「先輩の所作が変わった理由はわかりました。私と話をするためにとても頑張ってることも。お父様に許可を得たと言っていましたがどうやったんですか?」
「私はディアナ様と話すことを禁じられているので、まずはクィルガー様に手紙を書きました。もう一度ディアナ様と話をする許可が欲しい、そこでこういう話がしたい、という内容の手紙を書いて寮長に頼んだのです」
「……よく寮長さんが協力してくれましたね」
「書類仕事を手伝うことを交換条件に引き受けてもらえました」
やっぱり……寮長さんがタダで協力してくれるはずないもんね。
「それで? お父様はなんて?」
「クィルガー様は寮長から私の話を聞いたようで、ディアナ様と話をすることを許可してくださいました」
へぇ……クィルガーが許可したんだったら、相当イシークに対する評価が変わったんだろうか。
「わかりました。それで話とは?」
「ディアナ様、私に劇を学ばせてもらえませんか」
「劇を?」
「はい。邪魔にならないように控えていますので、演劇クラブの活動を見学させて欲しいのです。もちろん、手伝えることがあれば喜んで手伝います」
「なぜ劇を学ぼうと?」
「ディアナ様は『誰かに仕えるには主のことを察する能力が必要だ』と仰いました。その能力を身につけるには、主のことをよく理解する必要があるのではないかと私は考えたのです。そこでディアナ様の近しい学生にディアナ様のことについて聞き回りました」
「へ⁉」
そう言われて私は思わずクラブメンバーの方を見る。ここにいる人たちにも話を聞いたということだろうか。
「そこでわかったのは、ディアナ様はこの演劇クラブのことを家族と同じくらい大切にされているということでした。私はそれを知って劇のことを学びたいと思いました。劇にはどういう魅力があるのか、なぜディアナ様がそこまで劇がお好きなのか、この目で見たいと思ったのです」
「イシーク先輩は私が一年の時にやった劇も見てますよね? あと平民時代にも見たことがあるんじゃないですか? 劇の魅力については知っている方だと思いますが」
「クィルガー様の物語の劇は興奮しすぎて面白かったことしか覚えてませんし、子どものころに見た劇も席の間を走り回っていてよく見ていませんでした。ですから今度からは劇とそれに対するディアナ様の行動を真剣に見たいと思っています」
イシークは真っ直ぐに私の目を見て、決して無駄に熱くならずに言い切った。
想像を超えた成長の仕方に、私は正直感心した。
個人主義で熱くなりやすく、他人の言うことを聞かないというカタルーゴ人が、ここまで態度を改めることができるなんて思わなかったな……。
自分を変えるというのは言うのは簡単でも、実際に変わるのはとても難しい。まず自分のことを客観的に見ることができないし、バロメーターみたいに変化した数値が見えるわけでもないからだ。
イシークがここまで変わることができたのはその愚直さと、努力のおかげだ。
クィルガーもそれを感じたから許したのかな。
「……わかりました。一人でも多くの人に演劇のことを知ってもらいたいと私はいつも思ってるので、イシーク先輩が見学すること自体は問題ありません。むしろ大歓迎です」
「本当ですか! あ、んんっありがとうございます」
「ただしこれと、私に仕えるということは別問題ですよ。これを許したから私に仕えられるとは思わないでくださいね」
「もちろんです。そこを履き違えはしません。あ、そうだ、劇の見学の許可をもらえたらこれを渡せとクィルガー様が……」
イシークは胸元から一通の手紙を出して私に差し出した。
「お父様から?」
手紙を開けて見ると、私がイシークの見学を許可するなら、イシークに順番に課題を与えてやれ、と書いてあった。
「課題……ねぇ」
誰かに仕えられる人に育てるための課題ってことだよね。
私はそこまで考えて、急激にテンションが下がった。
えー、なにそれ……面倒臭い。
イシークを育てようとしてるのはお父様なんだから、お父様がやってくれればいいのに。
「課題ですか。嬉しいです。なんでも仰ってくださいディアナ様」
「う……あのー、それよりもまずその口調どうにかなりませんか? 改めて聞くとやっぱり気持ち悪いです」
「気持ち悪い……」
「あ、いやその、違和感があるという意味で。落ち着かないと言いますか」
「不快に思われるなら改めないといけませんね……」
「ううう……せめてその大仰な敬語をどうにかしてください。様付けもいりませんし」
「ではそれが課題ということですね」
「え」
「わかりました。次に来るまでになんとかします。それでよろしいでしょうか?」
「あぅ……は、はい」
私が顔を引きつらせながらそう言うと、イシークはザッと恭順の礼をとって「失礼します」と練習室から出て行った。
「どへ——……疲れた……」
私が小上がりでぐったりしていると、ルザが「大丈夫ですか?」とお茶を持ってきてくれた。私はそれを飲みながらイシークのことを伝える。
「なるほど。そんなことになっていたのですね」
「イシーク先輩の努力は認めるし、見学も問題ないけど……これからどうすればいいんだろ」
「……そうですね、思い切ってディアナが使いやすい人物に育てたらどうです?」
「ええっ⁉」
「イシーク先輩は確かに考えが浅いところもありますが、あれだけ短時間で教育を吸収することができるのです。これからディアナが欲しい人材に育てることも可能だと思います」
「私が欲しい人材……。え、でもそれって育て上げたら自動的に私に仕えることになるんじゃない?」
「ダメなのですか?」
「ううー……誰かに仕えてもらうような人間じゃないよ私は。ルザは同性だし友達で護衛っていう感じだからいいんだけど」
「ディアナは特殊な立場にいるのです。その方に仕える人間がいるのは当たり前のことだと私は思います。護衛が私一人という状態も改善した方がいいと思いますし」
「え、そうなの?」
「万が一、誰かに襲われた時にもう一人護衛がいるといないとでは全然違いますから」
それは確かにそうだけど……。
「ディアナはどういった人物がそばに控えていると安心ですか?」
「えー、えっと……ルザみたいに静かに後ろに控えて私や周りを見ていてくれる可愛い子だったらいい」
「……コホン。それは、ありがとうございます。しかしディアナ、それではまたイシーク先輩が変な方向へ走ってしまいますよ」
「うー……どうしようルザ、そばにいてくれたら安心する男性となるとお父様しか思い浮かばないよ……」
「……それは困りましたね」
私の素直な気持ちを聞いて、ルザが真顔になってしまった。
なんかこれについて考えるのが面倒になってきたよ……もうイシーク先輩についてはあまり深く考えないことにしよう。私は演劇クラブで忙しいのだ。うんうん。
私はイシークについて考えるのを放棄した。
イシークが大変身を遂げて帰ってきました。
課題を(無理矢理)もらったイシークはまたどんな変化をするのでしょうか。
ディアナは面倒になって思考を放棄しました。
次は 魔石装具クラブとの共同開発、です。