奉納の儀式
祠の中を黒ずくめたちが右に左に動いている。儀式の準備をと男が言うと、周りにいた黒ずくめたちが一斉に動き出したのだ。どうやらこの男は黒ずくめたちのボスのようだ。
よく見ると黒ずくめの人数が増えているのに気付く。それを不思議に思っていると、祠の壁の一つに空いていた長方形の穴から彼らが出入りしているのが見えた。
初めにここで目覚めた時は、その穴から木の根が出ていて土も詰まっていたはずだが、それがなくなっている。
そこを凝視していると男が私に説明した。
「御子様をお連れするのに相応しくなかったため、祠の本来の入り口を掘り起こし、整えました」
……じゃあ、あの穴の先は祠の出入り口に繋がっているんだ……。
その後、黒ずくめたちによって円形の台座の前に供物のようなものが置かれていき、台座の周りに等間隔で蝋燭が並べられていく。
わぉ……これってどう見ても悪魔の召喚シーンなんですけど。
そうして見ている間にとても不気味な空間が出来上がった。
「この台座にはかつて魔女様の魔法陣が浮かんでいたといいます」
「魔法陣?」
「魔女様がその魔法を使う時には魔法陣が浮かぶのです。魔法陣は魔女様の力の証。魔石使いどもが使う偽物の力とは違うのですよ」
確かに魔石術を使った時に魔法陣らしきものは出なかったが魔法に本物も偽物もあるのだろうか。現代日本で育った私から見ればどっちにしてもとてもファンタジーだ。
しばらくして儀式の準備が終わると、男が「御子様、どうぞ台座へ」と言う。
「本来は奉納する魔石を置くための台座なのですが、今回は御子様にこの儀式を間近で感じていただきたいのです」
そんなことは全力で拒否したかったが、男の目が怖くて私はそろそろと金属製の箱から出て台座の方へ進んだ。台座に上って周りを見渡すと、台座を中心に二、三十人くらいの黒ずくめがこちらを向いて跪いていた。本気で怖い。
男が合図を送ると一番後ろに控えている黒ずくめたちが笛と金属の棒のようなものを構えた。
それから厳かに伴奏が始まる。さっきとは違う曲のようだがやはり短調で、暗くて重いゆっくりとした調べが奏でられる。
すると跪いていた黒ずくめたちが一斉に土下座のように上半身を床につけた。それからゆっくり手を上げて体を起こしていく。その場にいる全員が立ち上がりながら腕を下ろすと、静かに歌い出した。ちなみに口元の布はいつの間にか下げられている。
我らは魔女様に従うものなり
魔女様を讃え 敬うものなり
ここに聖なる奉納を
ここに聖なる魔石を
納め給え 納め給え
我らは魔女様に救われるものなり
歌いながら黒ずくめたちがスッと体を動かす。片手を上げて止まり、片足を前に出して胸元に反対の手を持ってきて止まっている。
……ん? この動きって、もしかして踊ってる……つもり?
ゆっくり動いては止まるので、踊りというより練習中のパントマイムのようである。私はそれを見て眉を寄せる。
うーん……これはちょっと……。
歌もメロディがスローテンポすぎて伴奏と合っていない気がするし、正直にいうと上手くない。
暗い祠の中で、松明と蝋燭に照らされた黒ずくめが下手な歌と踊りを披露していて、それを中心で見せつけられている私は黒魔術によって蘇った邪神の気分だ。完全にラスボスである。
……本当に昔のエルフはこういう歌を歌って踊っていたのかな?
私がもし魔女だったらあまり嬉しくない。もっとちゃんとした歌を歌って欲しいと思う。
歌と伴奏が合ってないとこんな変な感じになるんだね。これ、もしかして口伝で伝わってきたのかな。だからなんか未完成な感じがするのだろうか。
楽譜のようなものが残っているのかと思わず口に出しそうになって思い留まる。私がこの儀式に興味を持ったと思われても困る。ボスの男をチラッと見ると、この儀式を見てうっとりしていた。
この曲何番まであるんだろう、といい加減げんなりしてきたところでようやく歌が終わった。歌や踊りを見てこんなに心が弾まなかったことはない。歌い終わった黒ずくめたちは下げていた口元の布を再び戻してザッと跪く。
本来の儀式はこういう歌や踊りがもっと続き、他にも催し物があるようだが私に見せたいところは終わったらしい。
「いかがでしたか御子様。これが我が一族に伝わる奉納の歌と踊りでございます」
「……」
……うう、ここでこの歌や踊りを肯定も否定も出来ないよ。
よかったですと言えば私がテルヴァ族を率いることになってしまうし、いまいちですと言えば怒りを買うかもしれない。こういう人たちの地雷がどこにあるかわからないうちはなにも言えないのだ。
私は周りの黒ずくめに注目されているのを感じながら口を真一文字に結んで黙っていた。すごい空気だ。逃げ出したいけど動けない。
耐えろ、耐えるんだ。
しかしなにも言わず黙っているのもどうやらまずかったようだ。ボスの男がため息をついて台座に上がり、私に近付いてきた。
「私どもの歌や踊りではご満足いただけませんでしたか?」
「…………」
男が私の前で立ち止まり、私は距離を置くように一歩下がった。
「祠の中で貴女様が以前の記憶がないとおっしゃっていたそうですが本当なのですね……この儀式を見てなにもお感じになられないとは……」
どうやら私に記憶がないこともわかっていたらしい。男は至極残念そうに首を振り、そして思案するような目つきになる。
「マルム様、ご提案がございます」
そこで目を赤く腫らした男が手を挙げる。マルムと呼ばれたボスの男がそちらに視線を移して彼の発言を許可した。
「御子様がこの祠で目覚めた際に歌っておられた歌を聴かせていただくのはどうでしょう?」
「ほぉ……御子様の歌を」
「記憶がない御子様が本能的に歌っていらした歌です。きっと我らに伝わっていないエルフの歌ではないかと」
「なるほど。さすがエルフの御子様。我らが知らぬ歌を覚えておいでとは……いかがでしょう? 我らにその歌を聞かせていただけませんか?」
その唐辛子男の提案に私は青ざめる。
よ、余計なことを言わないでよ! あれはエルフの歌なんかじゃなくて、あっちの世界の有名なミュージカルの曲なんだから!
ちなみにノリノリで踊っていた曲はアジアの女性グループのダンスミュージックだ。かわいい女の子たちが歌って踊るミュージックビデオをガン見して覚えた。
そのあとはボカロの曲も歌った。歌い手によって違う雰囲気になるボカロの曲も好きなのだ。
ああ、あの目覚めた後に歌った時間が、この世界に来て一番楽しい時だったなあ……。
そんなことを思い出して現実逃避していると、マルムに引き戻される。
「それで御子様、どうなのでしょう?」
「え? あ、あれは……他の人に聞かせられるものではありませんから……」
私がそう言うと、マルムの顔から笑顔が消えた。
「我々のようなものには聴かせられない、と?」
「そ、そうではなくて! その……あ、あれは記憶が曖昧なまま歌ったので未完成のものなのです。こ、ここで歌うのは相応しくないなと」
私は慌ててそう言い訳をする。何曲も歌っていてなにを言ってるんだこいつは、と心の中でツッコむが、マルムはしばらく真顔でなにか考えたあと再び笑顔になって恐ろしいことを言った。
「ふむ……やはり記憶を失われていることでいろんな弊害が出ているようですね。なに、心配には及びません御子様。我々には様々な薬の知識がございます。御子様の記憶を蘇らせることも不可能ではございません」
「く、薬……ですか?」
「はい、我らは高度な薬を扱う技術を持っているのです。この世から魔石使いを減らすためにとても役に立つのですよ」
そ、それは薬ではなく毒では⁉ 確かに薬と毒は表裏一体だけども!
「記憶を蘇らせる薬なんて本当にあるのですか?」
「ええ。昔の文献に記憶を無くした男が薬によって記憶を取り戻したという記述がございました。記憶を蘇らせるには、なにか強いショックを与えることが必要らしいのです。ですので頭の中に強い衝撃を与える薬を処方すると良いと」
頭の中に強い衝撃⁉ なにそれ! 脳に強力なストレスを与える薬ってこと⁉
ヒィッそんなの怖すぎる‼
「そ、そんなことして意識がなくなったらどうするんですか?」
「大丈夫です。その薬で意識が戻らなくなったという記述はありませんし、そうなったとしても命に別状はありません。少々意識が安定しないお体になることはあるそうですが、我々がついていますので心配いりませんよ」
私はその言葉にギョッとしてマルムを見るが、彼の目は笑っていた。
その笑みにゾクリと背筋が震える
待って、意識が安定していない体って……それって完全に廃人じゃない?
あれだけ毒を手軽に使うんだからまともな人たちではないとは思ってたけど……。
自分たちの希望の光だという私に対してもこれなのだ。別に生きていれば中身はどうなっててもいいと思っている。
強気でいっても害されることはないだろうと思っていたがそんなことなかった。彼らが欲しいのは私の体だけだ。
「どうやら御子様の記憶を戻すことが先決のようですね」
マルムが笑顔のまま私にじりじり近付く。
嫌だ、怖い。
私は助けを求めるように周りを見回すが、黒ずくめたちは特になにもせずその様子をじっと見守っている。私の身を案じてくれるような人はここにはいない。
黒ずくめたちに取り囲まれていて、前にはマルムが迫ってくる。逃げ場がない!
「ち、近付かないで!」
「そんなに怖がらなくて大丈夫ですよ。苦しいのは一瞬だと聞いています。その薬を研究所から急いで持って来させますので、御子様はそれまで眠り薬でゆるりと休まれてください。気持ちがふわふわとして幸福感に包まれる薬ですよ」
それはあっちの世界でいういわゆるヤバい薬というやつなんじゃないの? そんなの嫌だよ!
そうしているうちに男がゆっくりとした動作で腰袋から小瓶を取り出して瓶の蓋を取り、中から錠剤のようなものを摘み出した。
ヒィ! やだやだやだ!
どうしよう‼
どうにかしなきゃ‼
でも恐怖で足がすくんで全然動けない‼
男の纏う空気が変わったことに自分の体が危険信号を出すが、恐怖心が勝ってしまって大蛇の時と同じ状態になってしまった。鼓動がドクドクと速い音をたてる。
どうしよう……あ! あの時は、確か大声を出したら動けたんだっけ。
薬を持っていない方のマルムの腕が私に伸びてくる。その時、私は息を目一杯吸った。
「やだぁぁぁぁぁ————————‼」
そうやって渾身の力で叫ぶと体が動いた。私は叫んだ勢いで男を突き飛ばす。
虚を突かれたマルムが薬を落としてよろけた。その隙に黒ずくめが少ない方へ走り出そうとしたが、すんでのところでマルムに腕を掴まれてしまう。
「触んないで! 離してっ離してぇ————————‼」
私を拘束しようとするマルムの腕を叩いたり蹴ったりしながら叫ぶが、思った以上にマルムの力が強い。子どもエルフの体ではどうにもならない。そんな中、台座の周りにいた黒ずくめたちも立ち上がって私を捕まえようとこちらに上がってこようとする。
「パムー!」
と、その時スカーフの中にいたパンムーが飛び出してマルムの顔を引っ掻いた。「うあっ」とマルムが怯んだ隙に私はその腕の中から抜け出す。だが目の前には黒ずくめたちがいる。
誰かっ誰か助けて……‼
涙目になってそう心の中で叫んだ次の瞬間、上の方からガコォォ! と大きな音がして、同時にいくつかの石や煉瓦が落ちてきた。何事かと祠の中にいた全員が上を見上げると、誰かが悲鳴のような声を上げる。
「大蛇だ……‼️」
パラパラと土や石が落ちてきた天井付近の穴から黒とオレンジの縞縞模様の巨体が入り込んでいた。額にある三つ目の目が暗い祠の中で不気味に光っていて、私はすぐにその正体に気付く。
あの時の大蛇だ……!
「な……っなぜ大蛇が……!」
驚いた声をあげる黒ずくめたちを、大蛇はゆらりと揺れながら見ている。そして機嫌が悪そうに舌をチロチロと出し入れした後、
シャアアアアアア‼
といきなり口を大きく開けて襲いかかってきた。
大ピンチの時に駆けつけたのは
大蛇でした。
次は 毒、です。




