王様健康化計画
授業も演劇クラブも休みの日に、私は王の間へ向かうことになった。暗い隠し通路でいつものようにソヤリが私が入った箱を押している。
「私が放課後ではなくお昼の時間に行くことに、アルスラン様は疑問をもたなかったのですか?」
「今日は午後も予定が詰まっているので、お昼休憩のついでに貴女と面会すれば効率的ですよと提案したので大丈夫です」
「なるほど。厨房の方はどうですか? コモラは調理できそうでしたか?」
「そちらはクィルガーに任せたので詳しくは知りませんが、元々王の料理人は一人だけでしたからね、特に問題はないと思います」
「まさか料理人さんが一人だとは思いませんでしたよ……」
「信用のできる料理人を確保することが難しかったので」
今日は前にオリム先生に提案した通り、コモラに王様のご飯を作ってもらうことになった。私とオリム先生によって作られた「王様健康同盟」の話をすると、ソヤリとクィルガーも乗ってくれたのだ。
やはり二人とも王様の体についてはかなり心配していたらしい。
ただ料理人を変えるということは頭になかったらしく、「コモラを連れてくるのか⁉」とクィルガーも驚いていた。
確かに側近であるクィルガーが自分のところの料理人に王様の料理を作らせるなんて恐れ多くてできないとは思うけど、今の料理人さんの料理がイマイチなんだから仕方ないと思うんだよね。料理は美味しくてなんぼなのだ。
「今の料理人さんの料理がダメってわけじゃないんですけどね……」
「それについては私も盲点でした。アルスラン様の体を思ってのことでしたから」
実はこの計画を進めていた時に王様の食が進まない理由を探ろうと思って、普段王様に出されている料理をちょこっと食べさせてもらったのだ。昔毒を盛られて以来、食事が苦手になったって言ってたけど、それだけが理由じゃないかもしれないと思って。
その予感は当たっていた。
王様の食事は、いわゆる「病院食」のもっと味の薄めたバージョンという感じで、よく言えば胃腸に優しく、悪く言えば味がほぼなかったのだ。
こ、これは食が進まないね……!
生まれたころから虚弱だった王様の食事は昔からこういうものだったんだそうだ。
アルスラン様、どんだけ胃が弱かったの……。
恵麻時代の私も胃が強い方ではなかったけど、さすがにこの食事が食べたいと思うほどではなかった。
一応今は病は治まっているのだから普通に味のある料理でいいと判断して、私はクィルガーにお願いしてコモラに栄養食を作ってもらうことにしたのだ。
王様の専属料理人さんには失礼かと思ったけど、結構なお年のおばあちゃんらしく「新しい人は大歓迎」ということでコモラが料理することを快諾してくれたらしい。
食べてもらえるかはわからないけど、コモラもまさか王様の料理を作ることになるとは思わなかったよね……。
考えてみたらすごい出世である。でも王様を健康にするにはまず料理からだと思うし、今の料理人さんには悪いけど、一度本当に美味しい料理というものを王様に食べて欲しいと思うのだ。
いつものルートで塔にやってきた私は浮く石で上へ上がり、王の間の前までやってきた。
クィルガーがいない……コモラのところかな。
「アルスラン様、ディアナを連れて参りました」
「ああ、もうそんな時間か」
王の間の出入り口前で跪きながら顔を上げると、部屋の中央で仕事をしている王様がいた。今日もすごい書類の量だ。目線を下に移すと、床にはびっしりと魔法陣が張り巡らされていて紫色の光を放っている。
この魔法陣から出られるけど出られない……か。
先日オリム先生から聞いた話を私は思い出す。
「演劇クラブに新しい学生が入ったのだったな」
「はい、こちらです」
王様に声をかけられ、私はソヤリに新メンバーの入会申請書を渡した。ソヤリがそれに解毒の魔石術をかけると、王の間から黄色いキラキラが飛んできてその紙を包み、王の下へ運んでいく。
何回見ても不思議な光景だなぁ。
王様はその紙を確認して「ふむ」と呟く。
「ザガルディにアルタカシークの学生か……。む?」
「なにかありましたか?」
ソヤリが目を細めて問いかける。
「……いや、大したことではない。見たところ警戒が必要な者はいないが、どのような三人だ?」
「比較的みんな大人しい感じの学生でした。裏方の仕事が向いてそうな真面目な印象の人たちです。この三人には音出しや今度作る照明の係になってもらおうかなと思ってます」
「そうか……わかった。ソヤリ、オリムにこの三人の詳細を届けるよう言っておいてくれ」
「はっ」
「詳細まで調べるのですか?」
「名前と家名だけではわからぬこともあるからな」
「アルスラン様は演劇クラブの初期メンバーの詳細もすでに把握されてますよ」
「えええっ」
毎日こんなに忙しいのにさらに仕事増やしてるの? そりゃ体壊すよ!
「其方に近づく人物に関して調べるのは当たり前のことだ」
「それはわかりますけど……私も詳細を知っておいた方がいいのではないですか? 私のクラブメンバーのことなんですし」
「詳細には其方が知らなくていいことも書いてあるからな。そちらは気にしなくてよい」
「注意すべきことがあればルザに知らせておきますから、貴女は心配しなくていいですよ」
王様とソヤリに言われて私は口を尖らす。
なんか、自分の知らないところでなにか起きてそうで嫌だな……。
「次は新しい踊りについてか」
「はい、今年の劇に使う踊りの基礎ができました。確認ということで見ていただきたいのですが」
「……わかった」
王様はそう言うと持っていたペン軸を置いてゆっくりと立ち上がる。私はチラリとソヤリに目くばせして、王の間の出入り口前の台から下がり、広い廊下のちょうど真ん中あたりに移動して再び跪いた。
ソヤリは廊下の少し先に移動し、通信の腕輪に向かってなにか喋り、すぐに戻ってくる。
王様は出入り口の手前、魔法陣の端までやってきて口を開いた。
「結局こちらに残っている踊りと其方のいた世界の踊りを合わせたのか?」
「はい。こちらに残っていたものはかなりリズムが複雑だったので、私が持っている知識の中のものと合わせて少し簡単なステップにしました」
私は軽く説明してからチッチをセットして、先日ラクスと作った新しい踊りを踊った。跳躍の踊りというところは変わっていないので、リズミカルな足のステップから飛んだり跳ねたりする動きを繰り返す。手はバレエの動きを取り入れて、ラクスが覚えてきたものより優雅さを加えた。
最後にジャンプをしながらクルクルと回転し、着地してポーズを決める。
「ふぅ……。これが最初の踊りです」
「……なるほど、武術演技とは確かに違うものだな」
「これが踊りですか……」
王様とソヤリが感心したように言う。
「この元の踊りはどこの国に残っていたものだ?」
「ジャヌビ国のナモズという一族に伝わっていたものだそうです」
「ナモズ……ああ、確か自然信仰の儀式を行う民族だな。そこに伝わっていたのか」
さすが王様、ジャヌビのことまで知ってるんだね。
「ナモズの踊りはこんな感じです」
私はラクスに教えてもらったナモズの踊りを踊る。それをみた王様がグッと眉を寄せた。
「先ほどよりかなり複雑なものだな。足元の動きが全然違う」
「はい。かなり高度な踊りでした。これがずっと受け継がれていただなんて信じられません」
「其方からみても高い技術の要する踊りなのだな。……これがなぜ現在まで生き残っているのか……」
王様がそう言いながら思考に沈んていく。どうやら知識欲をかなり刺激されたらしい。腕を組み目を伏せたまま固まってしまった。
そこに、カタカタカタという音が廊下の奥から響いてきた。そちらに視線を向けると、クィルガーが大きめのワゴンを押してやってくるのが見えた。ソヤリがさっと出入り口前に跪いて口を開く。
「アルスラン様、今日は一つご提案があるのですがよろしいでしょうか?」
「……なんだ?」
深い思考から戻ってきた王様がゆっくりとソヤリに目をやる。
「今日はこちらで昼食を召し上がりませんか」
「ここで昼食を? なぜだ」
そこで出入り口の側にワゴンを置いたクィルガーも王様に跪いて説明を始める。私も二人の後ろで同じように跪いた。
「本日の昼食は私の家の料理人に作らせました。夏休みの間にディアナとその料理人が作った新しい料理をアルスラン様に召し上がっていただきたいと思ったのです」
「其方の料理人だと? その者は信用できる者なのか?」
「はい。私の妻に仕えていた料理人で、ザガルディの者ではありますが信用できる料理人です」
「……夏休みの間に作ったものとは、新しいチーズだったな」
「はい、ディアナが前の世界で作っていたものを再現したと聞いています」
そこで王様は私の方を向く。
「本当にこちらにはなかった食べ物なのか」
「はい。チーズはこちらにもあったのですが、モチモチチーズはまだなかったので作ってみました。家族にも好評で、モチモチチーズ工房の売り上げも伸びていると聞いています。ぜひ、そのチーズをアルスラン様にも味わっていただきたいと思います」
「……ふむ」
自分で製造の許可を出したチーズがどういうものか興味が湧いたのだろう、「いらぬ」とは言わず王様はチラリとクィルガーが運んできたワゴンを見た。
「では向こうで食べればよかろう。ここで食べる必要性を感じぬ」
王の間の真ん中に戻って食べるという王様に私は慌てる。実際に王様が栄養食を食べてどんな反応をするのか見たいので、今日は絶対にここで食べてもらわないと困るのだ。
「目の前で食べ方をお伝えしたいですし、王の間の奥ではどのように召し上がっているか見えないではないですか。私、自分が作ったものをきちんと説明したいのです」
「声だけ聞ければ理解できよう」
そう言って戻ろうとする王様に私は最後の手段を出した。
「ここで召し上がっていただけたら、料理に関する向こうの情報をお話しします!」
「……なに?」
中へ戻りかけた姿勢のまま、王様がこちらを向く。
「たかが食事のことで交渉を使うのか?」
「たかがではありません。アルスラン様、食事がどのように人間の体に影響を及ぼすのか、興味はありませんか? 前の世界では食材や料理についても科学的な実験がされていたのですよ。食と体にはとても重要な繋がりがあるのです」
「……」
「ここで召し上がっていただければ、そのお話も同時にすることができます」
「向こうで食べれば話はできぬと」
「残念ながら」
「……」
そこで王様は今まで見たことのない顔になった。真顔というか、無というか、大雑把に言えば不機嫌な顔なんだろうけど、なんとも言えない顔だ。
ご機嫌損ねちゃったかな?
とビクビクしていたら、ソヤリがため息をついて言った。
「アルスラン様、そのように面倒臭い顔をなさらずに今日は我々の提案を飲んでいただけませんか」
あ、これ面倒臭いって顔なんだ。ふふ、王様も人間らしいところあるんだね。
「其方ら、それが目的でディアナとの面会を昼にしたのか。……はぁ、用意はすぐにできるのか」
「はっ今すぐご用意いたします」
ソヤリとクィルガーは王様の言葉を受けてすぐにテキパキと動き出した。王の間の出入り口の前に小ぶりのローテーブルを用意してその上に料理を並べ始める。私も手伝いながら蓋が被せてある料理皿を運ぶ。全て揃ったところでパカっと蓋を開けると、熱々の湯気がふわりと上がった。
うわぁ! 美味しそう! いい匂い!
蓋を全部開けてそこにソヤリが解毒の魔石術を使う。準備ができたことを確認した王様は、黄の魔石術を使ってそのローテーブルごとその料理を王の間に入れた。王様の座る位置にはいつの間にか分厚いヤパンが置かれている。私たちが用意している間に部屋の真ん中に置いてあるものを移動させたらしい。
さすが王様のヤパン……厚みが半端ないね。
王様がそこに座り、王の間の出入り口前で私たちは再び跪いた。
「ディアナ、料理の説明を」
ソヤリに言われて私は今日のメニューを紹介した。
今日はヴァレーリアにも好評だったモチモチチーズを使ったサラダとスープ、それからシャリクはヨーグルトソースと甘辛ソースの二種類のものを作ってもらった。あとは焼きたての固いパンとお茶と果物だ。
王様に出すものとしては種類も少ないし豪華ではないけど、そもそも食が細いのでこれでも多い方だろうということだった。
「まずはスープから召し上がってください」
「食べる順番が決まっているのか?」
「先に温かくて優しい味のものをお腹に入れることで、胃の活動を活発にさせるんです。いきなり冷たいものや油物を入れると、胃が疲れてしまうので」
「それは向こうにあった知識なのか?」
「はい。あちらでは『自分の体型に合わせて、食べる順番を変えよう』なんて情報もあったんですよ。取り入れるかどうかは自分次第ですけど」
王様は私の説明を聞きながらスープを一口飲んだ。
「! これは……」
「いかがですか?」
「いつものスープより様々な味がするな」
「濃いですか?」
「いや、決して濃くはない。……これがモチモチチーズか?」
王様がスープの中に溶けているチーズを掬い上げる。
王様の口からモチモチチーズという言葉が出てくるのがちょっとおかしい。
「はい。モチモチチーズは熱を通すとすぐに柔らかく伸びるのですが、冷たいままだと歯応えのある面白い食感になるんです。サラダのチーズと比べて召し上がってみてください」
私がそう説明すると、王様はスープのチーズとサラダのチーズを交互に食べた。
「……確かに全然違うな。これは本当にチーズなのか? 味も食感も私が食べていたチーズとは違うが」
「はい。固める工程が違うだけで材料はミルクだけですし、これもちゃんとしたチーズなんですよ。お味はどうですか?」
「……悪くはない」
悪くはない、かぁ。そんなに好きな味じゃなかったかな?
「アルスラン様の悪くない、は『美味しい』という意味です」
とソヤリがこっそりと耳打ちしてくれた。
なんだ、そうなのか。よかったぁ。
そして次のシャリクの説明をしようとしたところで、私のお腹がいきなりぐぅ、と鳴った。
「ほわっすみません!」
「ディアナ……」
「シャリクを見るとつい……」
クィルガーに睨まれて私はトホホとお腹を押さえる。
「其方、昼はまだなのか?」
「はい。昼食のパンサンドは朝配られるので持ってはいるのですが」
「ではそれを食べればよい」
「え! ここで食べていいんですか⁉」
「アルスラン様、会食の場ではないところで他の者と食事をともにするというのは……」
「別に構わぬ。ここに他の貴族はおらぬし、其方らに見張られながら一人で食べるよりマシだ」
そう言って王様はヨーグルトソースのかかったシャリクを一口食べた。
「む? これは……美味いな」
おおお! 王様から直接的な美味いが出たよ!
「それは私が一番好きなシャリクなんです! ソースがコクがあるのにさっぱりしていて美味しいですよね。先ほどのモチモチチーズとヨーグルトを合わせたものなのですよ」
と思わず力説したところでまたお腹が盛大に鳴った。
ほわぁー! さすがに恥ずかしいよ!
「お父様ぁ……」
「はぁ……仕方ない、アルスラン様の許しが出ているからな……おまえも食べていいぞ」
「ありがとうございます!」
私は床にハンカチを敷いてその場にペタリと座り、腰に下げてる袋からパンサンドを取り出して「いただきます」と言ってからパクリとかぶりついた。今日のパンサンドはハムとチーズとアボカドみたいな野菜が挟まったものだった。
うん、シャリクの匂いをおかずに十分食べられる。美味しい。
そう思いながらモグモグと食べていると、王様がスープにつけたパンを食べながら言った。
「さっきの『いただきます』というのはなんだ?」
「前の世界でご飯を食べる時に言っていた挨拶です。一般的には料理に使われる食材、それを作っている人たち、それを与えてくれる天の恵みなんかに感謝の気持ちを伝える言葉だと言われています。私は『今日も美味しいご飯が食べられて幸せです。ありがとうございます』っていう気持ちで言ってます」
私の説明にクィルガーが片眉を上げる。
「おまえ食事の時にそんなこと言ってなかっただろ?」
「あくまで向こうの、私の国だけにある文化だったのでこっちであえて言うのもおかしいなと思って言葉にはしてなかったんです。でもいつも心の中では言ってましたよ。さっきは思わず口に出ちゃいました」
「そうだったのか……」
それから食材の栄養素の話だとか、食べ物で脳の働きが変わる話なんかをしながら昼食の時間を過ごした。王様はさすがに全部は食べられなかったけど、サラダとスープは完食したしシャリクもヨーグルトソースの方を気に入ったらしく、思った以上に減っていた。
最初にしては上出来なんじゃない?
またこういう料理を持ってきていいかと聞いたら「たまになら良い」と言ってくれたので今後もちょくちょくコモラに作ってもらうことになった。
王の間からの帰り道、暗い隠し通路でソヤリと今日の成果について話し合う。王様の食が進んだのが嬉しかったのかソヤリも珍しく上機嫌だ。
「オリム先生に聞いていた通り乳製品のメニューにしてよかったですね」
「そうですね。ディアナが作った新しいものということで興味もあったようですから」
「見たところ、アルスラン様は汁気のあるものがお好きみたいですね。スープの減りが一番早かったですし。次はその辺を考えたメニューにしてもいいかもしれません」
「スープですか……よくそこまで見ていましたね」
「私昔から人が食べてる姿見るのが好きなんですよ。特に美味しそうに食べてる人を見てるとこっちまで幸せな気分になるんです。料理人のコモラとか、全身から美味しいって気持ちが溢れててすごいんですよ」
「それは貴女もそうだと思いますが……普通のパンサンドを食べてあんなに美味しそうな顔をする人は初めて見ました」
ソヤリはそう言ってクックと笑う。ソヤリの笑い声なんて初めて聞いた。本当に機嫌がいいらしい。
「アルスラン様もそうですけど、みんな食事に興味がなさすぎなんですよ。美味しいものを食べて美味しい顔をするなんて簡単なことなのに」
「確かに貴女を見ているとそう思いますね」
「私、いつかアルスラン様にもそんな顔をしていただきたいです」
「そうですね。そんなお顔が見られれば私も安心です」
私はそんなソヤリの優しい声を聞いて、引き続き「王様健康化計画」を頑張ろうと心に決めた。
王様健康同盟の初陣です。
交渉の力を使ってなんとか間近で食べてもらうことに成功しました。
コモラの料理を気に入ってくれたようで一安心。
王様の食べっぷりに一番驚いたのはソヤリです。
次は イシークへの課題、です。