オリムの話
オリム先生の口から意外な言葉が出てきて私は目を見開いた。
王の間にあるアレって……魔法陣のことだよね?
「先程アルスラン様と会話をしている中で、貴女がその辺を気にしているように見えたので」
「……私そんなにわかりやすかったですか?」
「ふふ、ディアナの感情は顔より耳に出ますね」
その言葉に私は思わず自分の耳を手で覆った。
本当にこの耳はもう……なんとかならないかな。
「安心してください。王の間に魔法陣があること、そして貴女がそれを見てしまったことも私は知っています」
「! そうなんですか……。王の間にはお父様とソヤリさんしか入れないと聞いたので、その他に知っている人は誰もいないと思ってました」
素直に驚く私にオリム先生は少し間を置いて、懐かしむような顔をしながら口を開いた。
「王の間にアレがあるのは、いつからだと思いますか?」
「……王の間には十一年前からお父様とソヤリさんしか入れなくなったって聞いたので、その辺……『黄光の奇跡』があった時からかなとは……」
「おおよそ当たっています。正しくは、王の間にアレが出現しアルスラン様の病が治ったために黄光の奇跡を起こすことができた、という流れですが」
「アルスラン様の病……ですか? アルスラン様は幼少の頃から虚弱だと聞きましたけど、なにか病を患っていたから虚弱だったのですか?」
「ええ、そうです。アルスラン様は生まれたころからある特殊な病にかかっていたのですよ」
え……生まれたころから?
「『毒湧き病』と呼ばれるもので……ああ、この病はアルスラン様が初めての症例なのでそう名付けられたのですが、特になにもしていないのにしょっちゅう毒を受けた状態になるかなり厄介な病気でした」
「ええ! なんですかそれ。勝手に毒状態になっちゃうってことですか⁉」
「そうです」
なんという恐ろしい病気だ。
「そんな話、私にしてもいいんですか?」
「当時の王族に近い貴族の間では有名な話でしたし、秘密の話というわけではありませんから。生まれたばかりの王子にそのような持病があることが判明して、あの時はみな心配したものです。アルスラン様が毒状態になるたびにすぐに解毒の魔石術で治すのですが、本当に頻繁にかかるので目を離すことができませんでした。アルスラン様の母である王妃様もずっとつきっきりで看病していたのですよ」
「それは……大変だったでしょうね。そういえばアルスラン様のお母様のお話は聞いたことがないのですが、お母様は……」
私がそう聞くと、オリム先生はふるふると首を振る。
「アルスラン様が三歳のころにご病気で亡くなられました。最期までアルスラン様の心配をしていたそうです。王妃様のことを大事になさっていた前王のジャヒード様はそれはそれは気落ちされまして、周りが目も当てられない状態でしたよ……」
「……」
「それからはジャヒード様が王妃様に代わりアルスラン様を育てられました。もちろん昼間は執務があるので代わりに魔石術の使える医者を必ず付けていましたが、できる限りアルスラン様のそばにおられました。そんなある日、アルスラン様が王宮にあるミナラと呼ばれる塔の中に入ると、不思議と毒湧き病の症状が出にくいことがわかりました。医者の勧めもあり、アルスラン様はそれからその塔の中で過ごすことになったのです」
「あ、それがあの王の間のある塔ですか?」
「そうです。理由は分かりませんが、あの中にいると毒が出にくいようで、塔の中はすぐにアルスラン様が過ごせるように改造されたのです。長い階段を上り下りして改装する職人たちは大変だったと思いますよ」
ん? 階段なんかあったっけ? 私がいつも使ってるのは浮く石の魔石装具だけど。
「ミナラの中で過ごされるようになってから、アルスラン様は少し落ち着いたのでしょう、それから本を好んで読むようになりました。病の影響で体が弱く運動などもあまりできなかったので、本を読むくらいしかやることがなかったのだと思いますが……」
「……でもアルスラン様って知識欲がすごいですよね。知らないことは全部知りたいっていうタイプなのではないのですか?」
「ふふ、そうですね。元々そういう性格なのかもしれません」
オリム先生は懐かしそうな顔をしながら微笑む。
「オリム先生はアルスラン様の幼少のころのことをよくご存知なんですね」
「私は当時魔石執務長官という立場でアルスラン様に関わっていましたからね。アルスラン様が一級を超える力を持っていることを突き止めたのは私ですから」
「えっそうなんですか?」
「当時、魔石使いの階級は一級までと思われていたのですよ。しかしアルスラン様の力は生まれた頃から不安定で、病のこともあったので王妃様から王子のマギアコアのことを調べるようにと頼まれたのです。先程ディアナが使ったあの器具たちもその時に作ったものなのです」
「特級というのはそれまで存在していなかったのですか?」
「ええ、少なくとも歴史書には記されていませんでした。アルスラン様が初めての事例だったのです。まさか、その十数年後に同じく特級のエルフが現れるとは思いもしませんでしたが」
先生はそう言ってほほほ、と笑う。
ということは今現在この世界には私と王様しか特級はいないってことか。歴史上いなかった存在が、なんで突然現れたんだろうね? しかも二人も。
オリム先生の話は続く。
「しかしミナラの中にいても毒湧き病が治ったわけではありませんから、その後もその病に苦しめられながらアルスラン様は育ちました。その状況が変わったのが十一年前です。私はその日王子のマギアコアが不安定になっていることを察知してミナラに向かいました。そこで、突然王子の部屋に魔法陣が浮かぶのを目撃したのです。そして同時に、部屋の中にいたものたちが一斉に廊下に弾き出されました」
「あの紫の光に飛ばされたのですか?」
「ええ、そうです。私はそれを見てすぐにミナラの出入り口を封鎖しました。あのようなものを他の者に見せるわけにはいかなかったので」
本当に魔法陣は勝手にあそこに現れたんだ。
「すごい判断力ですね……私だったら混乱してなにもできなかったと思います」
「しかし本当に驚いたのはそれからです。外から武器や魔石術で攻撃しても全て弾き返され、ソヤリやクィルガーが途方にくれていると、王子かスッと魔法陣の中から出てきたのです」
「えっあの中からアルスラン様は出られるのですか? ソヤリさんは王はあの中から出られないって……」
「出られないことはないのですよ。ただ、あの魔法陣を出た途端、王子は毒状態になり倒れられたのです。我々は慌てて解毒をかけましたが、かけてしばらく経つとすぐにまた発病する。さすがにそのように短時間で毒湧き病が出る状態は初めてのことでした。そんなわけのわからない状況の中、なにを思ったのか毒に苦しみながら王子が魔法陣の中に戻ってしまったのです」
「えっ? なぜ……」
「魔法陣の中に戻った王子は自分に解毒をかけ、そしてしばらくじっとしたあと『この中にいれば毒の症状が全く出ない』と言いだしたのです。それどころか今までずっと頭にモヤがかかったような状態だったのがスッキリ晴れているのだと」
「毒湧き病が治ったってことですか?」
「魔法陣を出ると症状が出るということは治っているわけではないと思いますが、少なくともあの紫の光の中にいる限り王子の体は毒に侵されないようです」
魔法陣の力で病が抑えらているということなんだろうか。
「そして病の影響を受けなくなったアルスラン様は思う存分特級レベルの魔石術を使えるようになり、古文書で見たという黄の魔石術を使って『黄光の奇跡』を起こしたのです」
「……そうだったんですね」
王様はあそこから出られるけど出られない……そういう状況なんだ。
それから王様はあの王の間で暮らすようになり、ミナラの出入りもクィルガーとソヤリだけに限って今の体制になったんだそうだ。
「少し長い話になってしまいましたね」
王の間のことを話し終えてオリム先生はふぅ、と息をついた。
私はさっきから気になっていたことをオリム先生に聞く。
「あの……オリム先生はなぜその話を私にしてくれるのですか? アルスラン様の病の話とか王の間の話とか……要注意人物の私にする話ではないような気がするのですが」
「……私はね、貴女がこの学院に来てからずっと貴女の様子を見ていました。ある日突然、魔石術を使えるエルフを保護したから学院で様子を見る、彼女は特級で透明の魔石術を発見したのだと聞かされて顎が外れるくらい驚きましたよ。とりあえず害のない人物なのか見極めるために一年間様子を見てくれと言われて……アルスラン様のご命令なのでなんとか動揺を鎮めましたが、寿命が縮む思いがしました」
「それは……なんだかすみません」
「いえ、貴女本人は本当に楽しんで学院に通っているようでしたし、優秀でしたから『ああ、これは問題ないな』と感じていました。しかし貴女は一年の終わりにテルヴァに誘拐され、アルスラン様の秘密を知ってしまった」
私は繋がりの魔石術で見た王の間の魔法陣のことを思い出す。
「ああ、もう貴女に会うことはないのかとそれを聞かされた時は思いました。けれど、王は貴女を処分しなかった。これからも変わらず学院に通うこと、そして新しいエルフとして公表することを告げたのです。本当に、信じられませんでした」
そりゃそう思うよね。私だってもうダメだって思ったもん。
「アルスラン様はなんの考えもなしにそんなことをする人ではありません。貴女が学院に通い、演劇クラブを作ることでアルタカシークにいい影響があると考えたのだと思います。それがなにかは分かりませんが……王の秘密を知ること以上の価値がある、と判断された」
……アレかな、私の前世の記憶にその価値があると思ったのかな。
「そして貴女と接しているうちに、私は貴女ならアルスラン様の運命を変えられるかもしれないと思い始めました。王の秘密を知っても許され、学院に新しい風を吹かせ、王と同じ力を持っている貴女が」
「運命を変える……ですか?」
「王の間の魔法陣に守られ、アルスラン様はそのお力を存分に発揮し、この国を発展させてきました。けれど、毎日執務に追われたった一人でこの国を支えている今の状況が正しい形とは思えません。先程のソヤリもそうでしたがきっと無理をされているのだろうと。私はそれが心配でたまらないのです」
本当の孫を心配するような顔でオリム先生が目を伏せる。それは私もこの前思ったところだ。
「……私も同じことを思いました。風邪をひいても誰かが看病できるわけじゃないし……アルスラン様の健康状況は結構深刻なのではないかと」
「そう! そうなのです! けれど王の秘密を知っている者でもその状況を変えられる人はいません。私もクィルガーもソヤリも見ているしかないのです。でもその中に貴女が入ってきた。もしかしたら貴女ならこの状況を変えることができるかもしれない。ですから貴女にアルスラン様のことを知ってもらいたいと思い、話しました」
オリム先生の思い詰めたような顔に私はどうしたらいいかわからず眉を下げる。
「……私にそんなことができるのでしょうか」
オリム先生から向けられる期待が予想以上に大きくて正直戸惑ってしまう。
「ああ、すみません、これは私が勝手に思っていることで……貴女にプレッシャーを与えるつもりはなかったのです。いけませんね……年長者が自分の願いを一方的に伝えるなんて。忘れてください。とにかく王のことを少しでも知ってもらいたいと思って話しただけなので」
そう言ってしょんぼりと落ち込むオリム先生に、私は首をふるふると振って答える。
「いえ、オリム先生がアルスラン様をとても大切に思ってるってことは伝わってきました。アルスラン様のことはこっそりソヤリさんに聞くくらいしかできなかったので、あまり詳しく知らなかったのです。よかったらこれからもアルスラン様の話をしてくれますか?」
「ディアナ……。ええ、ええもちろんです」
「私が今こうして生きていられるのは王のおかげですから、その人が無理して働いている姿を見て私も心配だったんです。でも私が首を突っ込んでいいのかわからなくて……」
膝の上で手をモジモジさせながら目を伏せてそう言うと、オリム先生の顔が曇る。
「やはりいい状態ではないのですね……」
「はい。あまりアルスラン様の健康的な声を聞いたことはありません……」
私がそう言うとオリム先生はさらにしょんぼりとしてしまう。その顔を見てこっちも悲しくなってくる。
王様の運命を変えるとか、そんな大きな話はよくわからないけれど、せめて目の前にいるオリム先生のことを元気付けることはできないかな……。
「オリム先生、アルスラン様の好きな食べ物はご存知ですか? 食事が苦手だと言ってましたけど、やっぱり健康の基本は食べ物だと思うんですよ」
「食べ物ですか? 今では好みが変わっているかもしれませんが、昔はよく乳製品を召し上がられていましたね」
「乳製品ですか⁉」
おお、それならこの前の夏にコモラと作ったばかりだ。
「あの、王の食事を作る料理人ってやっぱりきちんとした資格とかいるんでしょうか? うちの家にいる料理人を連れてきたりしたらダメですか?」
「料理人に特に資格はいりませんが……うちの料理人というのは、クィルガーの家の?」
「はい! うちの料理人は天才なんです! この夏も一緒に乳製品の栄養食を作ったのですよ。それはもうめちゃくちゃ美味しい料理ができたんです」
「ほほう、栄養食ですか! それは素晴らしい! クィルガーの結婚式の時の料理もとても美味しいものでした。そういうことでしたらソヤリとクィルガーに相談してみるのもいいかもしれませんね」
私の提案に先生の目がキラキラと輝いて、落ち込んでいた雰囲気が消えていく。先生は本当に王様のことが大好きで、その体を心配しているのだと伝わってきた。
「そうだオリム先生、私たち同盟を組みませんか」
「同盟ですか?」
「はい。題して『アルスラン様を健康にするぞ同盟』です!」
「なんと、それは素晴らしい同盟ですね」
「心底アルスラン様に健康になってもらいたいと思う者が集まる同盟です。ソヤリさんやお父様も入るでしょうか」
「そうですね、そういう目的ならうちの四人も入りそうです」
「うちの四人って……五大老のことですか?」
「そうです。彼らはアルスラン様と接点の多い私に毎日のように『王は元気か』『食事は?』とそれはうるさく聞いてくるのですよ。そんな同盟ができたと知ったら嬉々として入ってくるでしょう」
「本当に皆さんアルスラン様が好きなんですねぇ」
「目に入れても痛くない存在ですからね」
「可愛い孫のようなものでしょうか」
「孫より深いですよ、アルスラン様に対する愛は」
わぉ、なんという重い愛だ。おじい様が嫌な顔をする理由がちょっとわかってしまう。
「では同盟に入った者は、アルスラン様が健康になるにはどうすればいいのか情報交換していくことにしましょう!」
「わかりました。これは気合が入りますね」
私たちは二人で椅子から立ち上がり、拳を握って頷き合った。
王様健康同盟の始まりである。
オリムから語られたアルスランの過去。
魔法陣の中から出られない理由がわかりました。
そしてアルスランの健康が心配な二人。
王様健康同盟を結びました。
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