年の瀬のプレゼント
河合洋子。
そろそろ嫁に行けと言ってくる田舎の祖父や祖母の言葉を軽くいなして。
今日も元気に旅行会社の年末業務をこなす25歳だ。
その洋子が12月25日のクリスマスに彼女のプライドを打ち砕く仕事をすることになってしまった。
恋人同士が愛をささやくその夜に、自社が企画したクリスマスナイトクルーズの担当になってしまったのだ。
「はぁ~、なんの因果か。前世の業か」
洋子は大きなため息をついてクラブ・アルマーレのカウンターの上に頬づえをついた。
「なんで、アタシなのよ。コレは神様のいたずら?恋人がいない私への嫌がらせ?それとも罰なの?」
「いやぁ、そう言うわけではないと思いますよ」
「嫌味よ嫌味。ナイトクルーズなんてカップルだらけに決まってるじゃないの。
彼氏いない歴25年の私が、なんで恋人たちの水先案内をしなきゃいけないわけ?
あーっ、もーっ、腹立たしい」
「先輩。落ち着いて下さいよ」
隣の席で懸命に洋子を宥めているのは平凡が服を着て歩いてるような同じ会社の後輩、沢渡俊哉だ。
パッと人目を引く華やかさも洒落た会話センスもないが実直でマジメな人柄に惹かれ狙ってる女性も多い。
「うっさいなー。アタシはおちついてるわよ」
その俊哉が一つ年上の先輩のやけ酒に付き合えと言われて会社帰りに飲み屋に同行させられていた。
友達以上、恋人未満。つかず離れず、二人は微妙な関係だ。
「マスターお代わり。沢渡、今日は飲むぞー。終電まで付き合えよ」
普段、おしとやかな口ぶりは酒が入ってるせいか。洋子の口調は少々乱暴だ。
「河合先輩。少し自重した方がいいですよ。明日の勤務に差し支えます」
「平気、平気。こんなカクテル。アタシにとっちゃ水みたぁなもろよ」
「先輩。ろれつが廻ってませんよ。いい加減、止めた方が」
バタン。言ってる先から洋子は突然カウンターに突っ伏した。
「あらら、酔いつぶれちゃいましたね。しばらく寝かせてあげましょう」
カウンターの中でグラスを磨いていたマスターは苦笑いしながら言った。
「すみません。マスター」
俊哉は殊勝に頭を下げた。
「沢渡さんは優しいですね。河合さんが酔いつぶれた時に介抱してるのはいつもあなただ」
「はぁ。やけ酒の時にはいつも呼ばれるので」
照れ気味な俊哉はポリポリと頭をかいた。マスターはニヤニヤしながら言った。
「沢渡さん。河合さんが好きなんでしょう?想ってるだけでは通じませんよ。いい加減、想いを伝えられていかがです?」
「……え、僕なんてどうせ相手にしてもらえませんよ」
本心を見透かされた俊哉は自嘲気味に呟き背広の右のポケットをそっと抑えた。
ほんとは今日こそ、告るつもりでプレゼントを持ってきていた。
「そうですかねぇ。彼女、貴方と飲むとき以外はいつも一人なんですよ」
「え、そうなんですか?」
「そうですよ。河合さんは貴方が思ってる以上に貴方の事信頼してます」
「……ありがとう。マスター。少しは僕にも希望があるのかな」
「少しと言わず。大いにです。自信を持ってください」
背中を押された俊哉は洋子に肩を貸してクラブを出た後、タクシーを拾い彼女をマンションに送り届けた。
翌朝、目が覚めた洋子は自分の手を見て驚いた。
買った覚えのないファッションリングが左手の薬指に装着してあったからだ。
何、これ、昨日私はどうしたんだっけ。
クリスマスナイトクルーズを担当する事になって沢渡とやけ酒飲んで……。
まずい。そっから先の記憶がない。
これは誰かの落とし物?人から貰ったとか。勢いで買ったとか。
……有りえない。あんな遅くに宝飾店が開くはずない。
おぼろげに微笑む沢渡俊哉の顏を浮かんだ。
記憶にないけど俊哉がくれたんだろうか。まさかね。まさか。
あまりにも好みのリングだったので身支度を整え指にはめたまま出社した。
本日担当するナイトクルーズ予約客の確認をしてると、同じ部署で働く女性社員に声をかけられた。
「河合さん。素敵ですね。それ、婚約指輪ですか?」
洋子はギョッと目をむいた。
「え、婚約……?」
「この間、婚約者と行った宝飾店でそっくりなのを見ましたよ」
「あははーっ。やだなぁ。イミテーションに決まってるでしょ」
沢渡が買った物ならそんなに高いはずがない。そうタカをくくっていた。
第一、結婚の約束もしてないのに婚約指輪なわけがない。きっとそっくりな安物だ。そう思っていた。
ナイトクルーズの業務が終わった次の日、洋子は沢渡俊哉をアルマーレに呼び出した。
「よぉ、沢渡、こっちこっち」
先にきて飲んでいた洋子はすっかり出来上がっていた。
立て続けの来店だから酒豪と言っていい部類の人間だ。
二人で杯を重ねていたが、しばらくたって洋子が言った。
「これさぁ、沢渡がくれたんだよね」
言いながらライトに向かって左手をかざした。キラキラとダイヤの指輪が煌めいた。
「えっ」
「サイズもぴったり」
フイを突かれて俊哉は顏を赤くした。
「コレどういうつもりか言ってごらん」
言ってごらんなんて偉そうだ。しかもちょっと怒った風に聞こえる。
恐る恐る俊哉は聞いた。
「……怒ってるんですか?」
「いや、怒ってないよ。昨日のナイトクルーズのお客様が同じものを身につけててさぁ」
「……そうですか」
「これ、婚約指輪だって」
「……そうですか」
「ちゃんと言って欲しかったなぁ」
「……はぁ。すみません」
「だから、すみませんじゃなくて沢渡、ちゃんと言ってよ」
「はい。あの、河野先輩、酔ってますよね」
「あたりまえじゃないの。こんな事、シラフで言えないでしょ」
実際の所、洋子は酔ってなかった。照れ隠しにそう言ったまでだ。
「はい。だからあの、」
俊哉はぎゅっと目をつぶった。
思いっきり息を吸い込んで吐き出した。
「結婚を前提に僕とお付き合い」
「沢渡。堅いなぁ。もっと砕いて言ってよ」
「あ、はい。砕いて……?」
「だからさぁ。好きとか、愛してるとか、惚れたとか……」
声がだんだん小さくなる。
「もうっ、恥ずかしいなぁ。女に言わせないでよ」
「あ、はい。洋子さん、好きです。僕と結婚してください」
次の瞬間、俊哉は洋子にぎゅっと抱きしめられていた。
「うん。お嫁さんになってあげる。私も俊哉が好きだよ」
パンパンパンとクラッカーが鳴って目の前にひらひらと紙吹雪が落ちてきた。
カウンターの中で見守っていたマスターがにこにこしながらクラッカーを手に持って立っている。
周りのボックスからパチパチパチと拍手の音が聞こえてくる。
公衆の面前だった事に気が付き俊哉は真っ赤になった。
「う、うそです。そんなそぶり全然なくって」
「バカだなぁ。考えても見てよ。好きでもない相手を呼び出して愚痴なんて語る?」
「それは、あの、僕が言いやすいから」
「違うでしょ。気があるからだよ。一年も前からアプローチしてるのに、全然気づかないんだから」
言われてみればその通りだ。呼び出されたのは一年前からだ。
「だから、マスターに口添えして貰ったの」
マスターを見るとにんまり笑ってウインクしてくる。
「直接言ってくれれば」
「だから、女から言わせないでよ。恥ずかしいんだから」
「マスター気づいてたんですか」
「ええ、知ってましたよ。三ヶ月前から貴方がいつも婚約指輪を持ち歩いてる事は」
俊哉は赤面して口ごもった。
「いつまでたっても告らないからイラっとしましたよ。沢渡さん。漢なら当たって砕けろですよ」
「砕けるのは……嫌だったんですよ」
「沢渡さんらしいですね」
「でも、マスター。ほんとにありがとうございます」
「どういたしまして」
マスターは作ったばかりのカクテルをコトリと俊哉の眼の前に置いた。
「ワインクーラー。どうぞ。召し上がって下さい。意味は「私を射止めて」です」
「あ、このカクテル」
やたら、しょっちゅう洋子が飲んでいたカクテルだ。
洋子はずっと俊哉にメッセージを発信していたらしい。
年の瀬のとんだサプライズ。
年始は忙しくなりそうだ。両方の両親に婚約の報告をしないと。
指輪を眺め悦に入っている洋子を見て俊哉は嬉しそうにほほえんだ。
了
もうちょっと練るべきか……。短編ってむずかしいです。