誰が平手政秀を殺したのか?
この話は、『信長ちゃんの真実 ~間違って育った信長を私好みに再教育します~
』「32. 忍、乱心するの事」の「まえがき」と「あとがき」に掲載したモノを再構成しました。
誰がこまどり殺したの?
アガサクリスティは天才でした。
「U.N. オーエン(U.N.Owen)」』(アンノウェン)はUN KNOWNと読め、『どこのものともわからぬもの』と答えが書いてあります。
誰が平手政秀を殺したのか?
牛一もはじめから書いていたのです。
憐れな名馬の為に。
さぁ、お手を拝借、Cock Robin!
◇◇◇
政秀の切腹の原因を作ったのが、この息子である五郎右衛門があったと『信長公記』に書かれています。
平読みすると、
五郎右衛門は非常の良い馬を持っており、信長が欲したがそれを断った事で逆恨みされて、それを許して貰う為に、政秀は腹を切ったとあります。
しかしです。
織田信長と言う武将は部下や民に物をやるのが好きだった。
百姓と共に踊ったり、汗を拭いてやったり、餅や米を配った。
他国の民が体を壊していれば、木綿二十反を与え、小屋を作ってやった。
そんな信長が馬を欲しがって断っただけで逆恨みするでしょうか?
絶対にあり得ません。
では、馬とは何なのでしょう。
『馬とは、隠語です』
久秀で乗るよい馬とは『信行』の事であり、久秀で乗らないと断った名馬が『信長』なのです。
平手久秀は林秀貞・柴田勝家などの誘いで信行に寝返ったと言う隠語だったなのです。
『どちらの馬(織田)に乗るか』
そうです。
答えは簡単です。
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では、誰が平手政秀を殺したのか?
嫡男の久秀であり、平手一族そのものだったのです。
『信長に味方せよ』
これが腹を切った政秀の遺言であり、信長に当てた手紙は平手一族が信長を裏切らないと言う誓書だったのです。
信長が政秀に向けた感謝は限りないモノとなった事でしょう。
そもそも、『信長公記』を書いた牛一は柴田勝家の家臣です。
柴田勝家と林秀貞は平手久秀と平手一族を説得し、信行に寝返らせた。
それを知った平手政秀は自ら腹を切って、皆を説得するしか手が残されていなかったのです。
信長の忠臣であった平手政秀を切腹に追いやったのは、柴田勝家と林秀貞らであった。
『信長公記』も著者、牛一は自らの主人の柴田勝家の汚名を残したくない。
当然の処置だったのです。
織田信長が家臣に馬をねだったなんて、『嘘』ですよ。
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作者:牛一/冬星明