10話 《唄編》 三角。
<唄>
「わ、可愛い店だね」
私は思いの外楽しそうに酒井先生に言われたオムライスの店の前にディスプレイされた作り物のオムライスを眺めた。どうやらここはオムライス専門店のようだ。いろんなソースに埋まったオムライスやハンバーグが乗ったオムライスとりあえずオムライスばかり。
「オムライス好きなの?佐々木唄」
「え。オムライス嫌いな人いるの?」
「子供じゃん」
「私一応年上なんだけど・・」
私の隣で同じようにディスプレイを眺めていた雫ちゃんは相変わらず私に刺々しく話してくる。
「量も選べるんだ」
雫ちゃんがボソッと言う。そういえば雫ちゃんって食べ物何が好きとか知らないなぁ。あんまり食べてるとこ見た事ないから少食なんだろうか?
「キングと特盛どっちにしよう・・」
「え”」
「佐々木唄はどっちにするの?キングと特盛」
「いや、普通で・・・」
そうか・・よく食べる系女子なのか・・。
知らなかった。
私たちはそのまま店の中に入り向かい合わせになって席に着いた。こうやって面と向かったことがなかった私はなんだかそわそわした。もともと人見知りというか友達少ない方だからなんて話しかければいいのかわからないし。私は完璧に受け身側の人間だった。質問されることはあっても自分から質問したりはなかなかない。
オムライスを頼んで待っている間のこの時間は話さなければならない時間だろう。私は考えた。
「なんか話してよ」
急に黙る私に雫ちゃんがぶっきらぼうに話しかけてきた。
な・・・そんな風に急かされると・・・焦ってもっと何を話せばいいかわからなくなるんだが・・。
「ん・・んーと、好きな食べ物は?」
「・・・肉」
肉・・・?料理じゃなくて素材?
「そ、そうなんだ。肉食系なのかな?」
「は?」
あうーー・・・
「んじゃ嫌いな食べ物」
「パセリ」
パセリ・・・
「じゃあ好きな芸人」
「テレビ見ない」
えぇ・・会話続かないんだけど!私が困ってように顔を引きつらせていると雫ちゃんが話し出した。
「じゃあ、私も質問していい?」
「も。もちろん!」
「なんでスランプなの?」
雫ちゃんがテーブルに肩肘をつき頬杖をつく。私はぎくっとしてまた一段と困った顔をした。私にとっても今のスランプの原因がわからないのだしなんと答えればいいのかわからないのだ。
「わかんない・・なんでここまでうまく弾けないのか・・」
「原因とかもわかんないの?」
「んー・・原因かぁ」
こんな風に彼女と言葉を交わしたのは初めてだった。
真正面に座る彼女の淡い茶色の明るい髪は緩くうねりがありふわふわとしている。目も色素が薄いのだろうか光が当たるととても綺麗なくすみのある黄土色をしていた。彼女とは6歳の頃から面識があったはずなのに私が彼女をはっきりと見たのはこれが初めてだったことになんだか不思議な気分になった。
「原因もわかんないかな」
私は嘘をついた。
別に彼女を欺きたかったけでも本当のことを隠したかったわけでもなかったけど私はそう答えた。私の中で完結した話をこれ以上話したくなかったのかもしれない。友情と恋愛。鈴が言った『昔のように』私の中ではそれが私の恋の終わりを告げた。彼女に抱いた淡い想いは曖昧に曖昧のまま空気を漂うように消えていった。それで終わったのだ。
それが原因でピアノが上手く弾けなくなったかもしれないけど、その原因はもう私の中では原因としてだけの存在でありそれ以上はなかった。もう、そのことを考えたくなかったのかもしれない。
「そう?意外。佐々木唄は水野鈴となんかあったのかと思ってたのに」
私は彼女が漏らしたその言葉にドキッとした。
「なんで鈴なの?ていうかなんで鈴のこと知ってたの?」
私は動揺を隠せないまま返す
「知ってるよ。だって何度だってコンクール見に来てたじゃない?酒井先生の家でも何度も見かけたことあるし」
彼女はなんてことないように目の前の水の入ったコップを口元運びながらそう返した。
そうか、そうだよな。私のそばに彼女はよくいた。知っていても何ら不思議はないのか。
「鈴とは何もなかった」
そう、実際何もなかった。
「何もなかったなんて、変な返しね。まるで何かあったはずだったようにいうのね」
彼女の話し方には何かいつも引っかかるものがあった。
何かいつも確信を濁すような。わかっているはずなのにわかっていないような。探るように確信をつかないような。
「何もないよ、あるとすればずっと私たちは親友ってことくらい」
「そう。親友は大事?」
彼女は淡々という
「そりゃ、友情は大事なんじゃないかな?」
私も答える。
「ピアノと友情は?」
ピアノと友情。
「そんなの比べるものじゃないよ」
比べれるものじゃない。ただ、楽器は私を裏切らないはずだった。
そこでオムライスが運ばれてきた。私のは普通のサイズ。彼女はキングで私の倍以上ある。
「それ全部たべれるの?」
「え、全然たべれる」
彼女は真顔でそういうもんだからなんだかおかしくて私は微笑んだ。彼女はそんな私を不思議そうに見ていた。
「私、変?」
彼女が聞く。
「変かもね?」
私はまだ笑いながら彼女に返す。彼女に対する嫌な感じがいつの間にかなくなっていたことに私は気付いてまた微笑む。こういう会話ができてたんならもっと早くにすれば良かったと思えた。それから彼女初めての食事をした。人と関わるのが苦手な私は想像していたよりもずっと楽しい食事になって心のどこかで大きく安堵した。彼女は確かにまだ刺々しく話すけど話す内容はとても興味惹かれる内容ばかりだった。
彼女は本当に勉強熱心な子だった。今回の課題として出された曲に対しての解釈や自分なりにこう表現したいなんてことをポツポツと話してくれ、私は私の知らないことを沢山教えてくれる彼女に尊敬すら覚えた。曲のメロディやリズムを感覚で感じる私とは全く違い彼女は楽曲というよりはその作曲家に焦点を当てる人だった。作曲家の生い立ちや影響を与えただろう人物の話、その時代の流行、彼女は何んでも知っていた。私は夢中になって彼女に質問した。そんなこと私は考えもしなかったのだ。感覚的には感じていたところはもちろんある。あぁ、このフレーズはあの楽曲に似ているだとか、でもその程度。
だから彼女は本当に私とは正反対の人物だった。彼女は誠実に音楽に向き合っている。彼女はわかろうとしている。曲の意味をその世界観を作曲家自身を彼女は深く寄り添おうとしていた。
だからそんな彼女が私に腹をたてるのは当たり前のことかもしれない。
こんな感覚だけでやってきた私は彼女から見れば不真面目に映っていたはずだ。
「なんか私、雫ちゃんに嫌われるのもわかった気がするよ」
「え?」
私が苦笑しながらそういうと雫ちゃんはキョトンとした。その時私の携帯が鳴った。
「あれ、電話だ」
それは鈴だった。
「ごめん、出てもいい?」
「うん」
私は一度彼女に聞いて電話に出た
「はい?」
『唄?』
鈴の声がいつもより元気が無くて私は不思議に思った
「どうしたの?」
『今何してる?』
「ご飯食べてるけど」
『そうなんだ。あのね話したいことがあるんだけど』
彼女の声がやっぱり元気が無くて真剣だったから私は少し不安になった
「どうしたの?」
『電話じゃ話したくないの』
私はその意味がよくわからずに眉をひそめる
「えー・・っと?」
『もし迷惑じゃなかったら、今から会えないかな?』
・・・なんだろう。そんなに深刻な話なのだろうか。でも今は雫ちゃんとご飯を食べてるわけで・・それを中断させて自分だけここを離れることがとても申し訳なく思い言葉に詰まった。
「どうしたの?」
雫ちゃんが私の困ったような顔に気づいて聞いてくる。私は素直に今の話を言う。
「行っておいでよ」
私の話を聞いた彼女はまるで行くのが当たり前だって顔で言った。私はまた嫌な顔をされると思っていたから予想外な彼女の言葉にまた言葉に詰まった。確か彼女は鈴に私に関わるなと言った女の子のはずだった。あの時はそんな彼女に衝撃を受けたが今はそれとは全く正反対のことを言う彼女にまた衝撃を受けた。一体どれが本当の彼女なのか、もう私にはわからなかった。
「大事な人なんでしょ?行っておいでよ」
「でも・・」
私はすぐにありがとうなんて言ってその場を離れることなんてできなくてもっと困った顔をした。そんな私を見かねてなのか私を安心させるためなのか。それともそれが本来の彼女なのか私にはもうわからなかったが彼女は優しく微笑んだ。
「いいよ、行ってあげて」
彼女はそう優しく言った。
_____
<雫>
私は柄にも無く彼女に微笑んであげた。
だってそんなに困った顔をされては私も彼女が可哀想に思えてきてしまったからだ。
彼女は何度も頭を下げて席を立った。
不思議だ。6歳の頃から彼女を知っていたはずなのにそんな彼女を初めて見た。
いつも堂々とピアノを弾く彼女からは想像もつかないほど弱々しい彼女を私は知らなかった。
どんなに大きな会場でどんなに大勢の人の前でピアノを弾くときでも彼女は身じろぎひとつしない私の『唯一無二』だったのに、今の彼女はたった一人の人に右往左往している。そんな彼女を認めたくはなかったがどうやらそれはもう無理のようだ。
彼女は私が憧れて止まなかったあの佐々木唄ではない。
いや、あれが本当の佐々木唄だったのかもしれない。
もう今となってはどちらでもいいことだけど。
そして、彼女のいなくなった席で一人、私は彼女に聞こえることのない言葉を呟いた。
「・・・嫌ってなんかないけどな・・」
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