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6話 《唄編》 名前。

 

<倉敷>


「あれ、また来たの?」


 酒井先生は丁度最後の生徒のレッスンを終えたところだった。僕と雫ちゃんは酒井先生宅兼ピアノ教室の前に並んで立っていた。生徒に手を振り送り出したところに僕たちと鉢合わせ僕はぺこりと頭を下げる。今日も美しいかな酒井先生。少しよれた黒い服と多雑多に結んだ髪と眼鏡、だけどもどうしてその生活感漂う格好でも色気は健在だ。


「君も熱心ね」

「いやーははっ」


 僕はニコニコ微笑むけどこれは決して愛想笑いではない、もはやにやけるに近いだろう。


「唄ちゃんは?」

「知らない」


 酒井先生が僕と雫ちゃんを交互に見てそこにいるはずの自分のもう一人の生徒を探す。雫ちゃんはぶっきらぼうに一言そう言うとスタスタと酒井先生宅に入る。あれ?またいつもの雫ちゃんに戻ってしまったようだ。唄先輩に見せるいつものつんけんした雫ちゃんに。


「ありゃ。また喧嘩したの?」


 酒井先生がそんな雫ちゃんを横目に眺めながら僕に視線を移す。

 僕もなんと言えばいいのかわからなくて肩をすくめて見せる。酒井先生はそれを見てくすっと微笑んで見せると僕を手招いた。


「さ、そんなとこで突っ立ってないでおいで?」


 あわわわ。綺麗です!先生!!

 その余裕のある大人な微笑みに僕は頬を染めた。


「ん?入らないの?」


 先生はそう言うとまたまた大人的余裕の笑みで僕を見た。

 オファあああ!!


「入ります!」


 雫ちゃんはさっさとピアノのある部屋に入っていったようだ。それに続くように僕と酒井先生がその部屋に向かう。


「あ、なんか飲む?えーと」

「く、倉敷ですっ!」

「倉敷君か!、何飲みたい?」

「んー、じゃあコーヒーってありますか?」

「ほいほい、先に部屋に向かってて」


 そういって酒井先生はリビングに向かったようだ。僕はそのまま言われた通り雫ちゃんのいる部屋に向かう。部屋時は完全な防音室になっておりそこにピアノが一つ置いてあった。それから沢山のピアノに関する教科書?だろうか?雑誌と大量に本棚にしまってあった。僕はそのままもうピアノを弾き始めた雫ちゃんに近づく。後ろから彼女を覗くと彼女の目の前に置かれた楽譜に目がいく。そこにはとても綺麗に書き込みがされてあった。記号やらなんやらで僕にはちんぷんかんぷんだけどその楽譜には彼女の誠実さが映し出されているようにも見えた。


「そういえば」


 僕は思い出したように雫ちゃんに話しかける


「うわっびっくりした!なに?」

「あぁ、ごめん」


 どうやら集中していたから僕がそばに来ていたことに気づいていなかったらしい。


「唄先輩が褒めてたよ?雫ちゃんのピアノは誠実で私にはないものがあるとかーなんとか?」


 僕がそんなことを何の気なしに楽譜を覗きながら言うと雫ちゃんの反応がなくて彼女に目を移す。


「・・・・そうなの?」


 おろ?

 彼女は何だか嬉しそうにだけどそれを噛み殺すようにそんな顔をしていた。

 そこに間も無く酒井先生がやってきた。


「はーい、倉敷君、どうぞーん」

「ありがとうございまふぅう!!」

「あはははは」


 僕と酒井先生はどうやら馬が合うらしい。コーヒーごときを受け取るだけのその会話でひと笑いする。


「で。今日はなんで喧嘩したの?」

「してないー」


 酒井先生が雫ちゃんの背中と肩に自分の体をもたれかけてニタニタと顔を緩ませる。


「なになにー?素直になりなよー?」

「何が」


 おおおおおおおおおおお

 先生と雫ちゃんってのもまた・・

 僕がそんな二人のやりとりに頬を染めていると間も無く唄先輩がやってきた。


「あれ、倉敷君先に来てたんだ」

「あ、お疲れ様です唄先輩」

「もう彼は私の生徒よーおほほほほ」


 先生が僕の肩に腕を回して僕にグリグリと擦りつく

 おぎゃああああああああ

 チェリーな僕は刺激が強すぎて白目を剥く。


「やめなよ先生、倉敷君困ってるよ」

「おほほほほほ」


 それから唄先輩が少し申し訳なさそうに雫の隣に向かう、雫ちゃんは唄先輩が部屋に入ってきても隣に来てもピアノから顔を上げずにひたすら目の前の楽譜と鍵盤をにらめっこしている。唄先輩が僕を見る、僕は片手で拳を作ってこくりと頷く。どうやら唄先輩は昨日の僕との約束を果たしてくれるらしい。唄先輩が僕が頷くのを見るとコクリと頷き返す。それをなんのことかもわからずキョトンと眺める酒井先生。相変わらず鍵盤と楽譜から顔を上げない雫ちゃん。そして


「お、遅くなってごめんね。し、 雫ちゃん(・・・・)

「・・・・っ?!」


 唄先輩がおずおずと声をかけると急に名前を呼ばれた雫ちゃんが驚いたように唄先輩に振り向く。

 唄先輩はぽりぽりと頬を人差し指でかきながら、ぎこちなく話す。


「え・・えっと・・雫ちゃんって呼んでみようかと・・」

「・・・・」


 おぉ・・名前呼ばれただけであの反応とか、雫ちゃん絶対満更でもないよな。僕はそんな二人のぎこちないやりとりになんとなく押し寄せる高揚感で胸をドキドキさせた。だけどそれから雫ちゃんは何も言わずまたピアノに向き直る。


「・・・あー・・やっぱだめ?雫ちゃん」


 素っ気ない態度をされた唄先輩が苦笑いをしながらももう一度雫ちゃんを呼ぶ。

 あれ、なんだこれ。なんかキュンキュンするな・・

 僕はそんな二人のぎこちない会話を酒井先生と二人で眺める。


「・・そ・・そんな・・ことは・・ないけど・・」


 雫ちゃんがまるで絞り出すように声を出す。


「え?ほんと?よかったー」


 唄先輩がほっとしたように顔を緩ませる。

 あぁ、これだよ。これが百合だよ。なんだこれ、ただのピアノがパイプオルガンに見えるよ。賛美歌流れ出しそうだよ。もう教会にいるみたいだよ。神々しくて神降臨しちゃうよ。


「いっ、いいから!! 早く練習するわよ!佐々木唄」

「あ、はい」


 その一部始終を余すことなく見ていた僕らは顔を見合わせた。


「私、涙出そうだわ・・あんなにまともに話もできなかった私の娘たちが少しずつ距離を近づけだしているなんて・・あぁ、今日はお祝いねっ!」

「ですね!ですね!賛美歌ですね?」

「えぇ!そうね!賛美歌ね?」

「ちょっ!そこ煩いわよ!さっさと風呂でも入ってきなさいよ!どうせ今日も合わせる練習なんだから!!」


 騒ぐ僕らに振り向く雫ちゃんにどやされながら酒井先生がヘラヘラと笑う。


「じゃあ私はお風呂はいってくるわ」

「あ、はい」


 僕はそれから部屋の隅にあるソファに座り昨日と同じように彼女たちを眺めた。

 少女Aはどうやら少女Aに満足していなかったらしい。さらにさっきの酒井先生と雫ちゃんの会話にも少し気になる点があった。『素直になりなよ』つまり、今は素直じゃない・・?何に素直じゃない?そしてなんで素直じゃない?雫ちゃんは唄先輩に何かを隠しているのはもう確定のようだ。唄先輩は嫌われてなんかない。

 謎だ。謎すぎる。そもそも、そうやって唄先輩にきつく当たるような態度をとって雫ちゃん自身になんのメリットがある?そうする意味は?そこにも何かあるのか?


 わからない。わからないけど。とりあえず可愛いのだけはわかった。




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