5話 《唄編》 少女A。
<倉敷>
「ちょっ・・離してっ」
「なああにやってんのぉお!!」
「げふんっ!!」
僕は興奮して我を忘れていた。嫌がる美少女の手を握りしめるなんて!!
そこに颯爽と現れたのは愛しのマイ百合姫。綾川唯ちゃんだった。僕の頬をその美しく可憐な拳で殴りつけ僕は宙を一回転。それはさながらアクション映画のワンシーン。
「唯様あああ」
「あんた遂にやらかしたわね!警察はこっちよ!さぁ来なさい!!」
「唯様あああ」
「ちょっ!触るんじゃないわよ!女の敵め!!」
「ちょ・・ちょ・・・」
僕は何度も何度も唯ちゃんにけられ殴られ僕はその行為悶絶して喜びに顔を恍惚とさせた。
その二人の攻防が目の前に繰り広げられるなか高城さんは何がどうなっているのかわたわたとしだす。
「大丈夫?」
「え・・うん・・」
「こいつは犯罪的に変態だから気をつけて!」
「えぇ?!」
「手はすぐに洗浄してアルコール消毒をすることを強く勧めるわ!」
「えぇ・・」
「唯ー?」
「はっ!! 菫!!」
「え・・」
「ごめん、私行かなくちゃ!とにかく気をつけて!」
「う・・うん・・」
「じゃあ!」
「唯様あああ」
「シャラアアアップっ !!」
「ああんっ!!」
「・・・」
僕は床にボロ雑巾のように倒れこんで数秒静止した後気を取り直して高城さんに向き直った。
「ところで、話をしないか?」
「・・・嫌よ」
嫌われたアアア!!!
凄い嫌な顔されてるうう!!
だが挫けんぞ!! 僕は挫けぇえん!!
「いや、君に拒否権はない!!」
「防犯ブザー鳴らす」
「鳴らさないでええええ」
僕は僕の頭を床に擦りつけた。
「お願いです!僕の話を!聞いてくださあああい!!」
「ちょ・・ちょ・・わかった・・わかったから!」
やったあ。やったあ。僕は歓喜した。その顔で僕は彼女を見上げた。
「ちょ。スカートの中覗くな!」
「げふんっ!」
僕は高城さんの初めての愛の鉄拳を頂いた。それから僕はどうにかして一緒に二人でピアノの先生こと酒井先生の家に向かった。
「で、何?話って」
「えっと、まず僕は倉敷。よろしくね」
「・・・よろしく」
「ところでしずぴょんは・・」
「おい」
「え?」
「雫って呼びなさいよ」
あ、名前呼びオーケイなの?やった
「雫ちゃんは嫌いなの?」
「何が?」
「唄先輩のこと」
「何それ。嫌いに見える?」
僕の問いかけに問いかけ返す。なんだかその表現は何かを濁しているようにも見えた。それに僕の前ではびっくりするほど彼女は普通に話す子だった。唄先輩の前では常に気が立っているのにあれは彼女の普通じゃないんだ。
「あんたって佐々木唄のなんなの?」
「僕?僕はただの後輩だよ?」
「ただの?」
「そう、ただの」
「そっか」
僕の歩幅に合わせるように彼女の足が動く。彼女はやはり紛れもなく美の少女だ。彼女がきている西校の制服は彼女の淡く明るい髪とは反対で色濃い紺色の薄いカーディガンと暗めのスカート、西校の制服なんて見た事ない僕にはとても新鮮に映った。
「君は?君は唄先輩のなんなの?」
「私?私は、ただの同じピアノスクールに通う少女A」
少女A。彼女が言ったその例えが僕には引っかかった。
「うん、そう、多分、私は少女A」
そう言って彼女は自嘲気味に笑った。
「あんなに唄先輩にキツくあたるのはなんで?」
「そんなの聞いてどうするの?」
しまった。少し踏み込み過ぎたかな。
なんてったて昨日今日の間柄だ。きっといい気分じゃないだろうな。今日はもうやめておこう。
「ごめん」
「私に意味なんて探さないでよ。少女Aなんだから」
少女A。名前のない少女。認識されない人物。それがなにを意味するのか僕はまだわからないでいた。
ーーー
<唄>
「あの子なんなの?」
鈴が少し不機嫌そうに言った。顔にかかった前髪を少し弄りながら口をすぼめる。そんなに嫌だったのかな?いや、嫌だよね。いきなりあんな事言われたら。
別に関係ないのにね。
私が鈴を邪魔だと思ってないことなんか分かっているくせに。いや、わからないのかな?わからないよね。私が好きだったことすらわからないんだから。
人間関係の線引きなんて難しい。
「んー、今私と連弾を組んでるパートナーみたいな子だよ」
「パートナー?じゃあ私はやっぱり邪魔になるの?」
「なんでそうなるの?ただピアノを一緒に弾くだけで・・」
「だってあの子はそう言った」
なんだろう。
鈴らしくない。
「パートナーは親友じゃないよ鈴」
「・・・」
「鈴は親友でしょ?どうしたの?」
「なんで毎日レッスンにいくの?」
今日の鈴はやっぱり少し変だ。
「だって毎日レッスンなんて言ってなかったじゃん。なんで急に毎日レッスンにいくようになったの?今までだってコンクールの前の日だってレッスン毎日行ってた?酒井さん家に毎日行ってなかったじゃん」
「それは・・・私、今スランプだから」
なんでそんな責めるような口調なんだ。
鈴が考えてること少しもわからないよ。
「スランプ?唄が?」
唄が?ってそんな驚いた顔で言われても。私だって完璧じゃないんだけどな。
「それであの子とピアノ弾くの?」
「私の足りないものをあの子が持ってるんだって。先生が言っていたから」
「待ってよ、なんであの子なの?唄が一番うまいに決まってるじゃん?あの子と弾いたってなにも唄は変わらないと思うよ」
そこで私は彼女のその異常なまでの言葉に心の何処かにふわりと濁った空気が流れ込んできた気がした。
「鈴、鈴にはわからないこともあるんだよ」
「・・・なにそれ」
「ごめん、私、レッスン行くから」
「唄・・」
「鈴、私は完璧じゃないの。だからまだ成長できるってことなの。だから本当にそれだけだから。高城さんが酷いこと言ったことは今日私からも言っておく。ね。だから」
「うん」
落ち込んでるような顔をする彼女に私はポンポンと頭を撫でてあげる。
「鈴はずっと、私の親友だよ」
「・・・・」
私はそこで彼女と別れた。
変な話だ。行くな、やめろと言われれば何故か行きたくなるのだから。本当、天邪鬼。本当に捻くれてる。
ーーー
<鈴>
頭を撫でられ、彼女は音楽室を出て行った。
なんだろう。私は何を言っていたんだろう。
私は彼女の何を知ってるんだろう。
本当は何も知らないんじゃないんだろうか?
本当は何もわかってないんじゃないんだろうか?
本当は何も見えてなんかいないんじゃないんだろうか?
なんでこんなに必死になってるんだ。何がしたいんだ。なんでこんなにモヤモヤするんだ。
この感覚を味わうのはあの時以来だ。
かけ間違えたボタンのようにそれでもかけ間違えたまま人生が進んでいってしまう感覚。
私は何がしたいんだろう。
「鈴」
ボーっとその場で座り込んでいた私を探していたように翔太がやってきた。
「翔太」
「昨日、ごめん。あんなこと本当は言うつもりじゃなかったんだ」
昨日。あぁ、そういえば翔太に怒られたっけ?
必死だって、そうだ本当。必死だ。
「ううん、間違ってない」
そう間違っていなかった。
「ん?」
「間違ってなかったよ」
「なにが?」
「・・・だって私、必死になってる」
私が唇から漏らすよう零した言葉に翔太がどんな顔をしたのかはわからなかったけど、とても優しい声音で彼は言った。
「そっか」
「なによ、それだけ?」
私は何か答えが欲しくて、嘲笑って欲しくて、反応が欲しくて、翔太に突っかかる。だってそんな言葉だけかけられたら、まるで、私だけなにもわかっていないようで、私だけなにも気づいていないようで嫌だった。
「それ、俺がなにか言わないとダメなの?」
・・・やなやつ。