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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
三章・黒炎の騎士
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二十六話・罪の魔王(1)

 


 目を覚ますと、あの祭壇の前に座り込んでいた。

 アリスとは手を繋いだままだったが、振り払うように離される。

 しかし、特に気にせず立ち上がった。

 どうやら戻って来ることができたようだった。


「アッシュ様!」


 抱きつかんばかりの勢いでノインが駆け寄ってきた。

 だからその肩を両手で押さえて止める。

 彼女は勢いを殺されて、反動であとずさる。

 そしてはにかむような表情を浮かべたあと、アリスにも声をかけた。


「アリス様も、お怪我はありませんか?」

「……ええ」


 上の空と言った様子で答えた。

 二人のやり取りを横目に、例の祭壇の上に視線を向けた。

 そして少し考える。

 あの場所には首のない死体があった。

 対して、ここには頭蓋だけがある。

 なにか関係があるのだろうか。


「…………」


 とはいえ、どうでもいいことだ。

 思い直して早々に考えを切り捨てる。

 するとそこでミスティアも歩み寄ってきた。


「大丈夫だった?」

「ああ。特になにもなかった」


 何もなかったわけではなかったが、説明しにくいことだったので省いた。

 実際、敵がいたわけではない。

 頭がどうにかなりそうだっただけだ。


「そっかぁ……。ほんと、びっくりしたよ」


 と、言いながらミスティアが首を傾げる。

 アッシュがまた一瞬だけ祭壇に目を向けたことに、どうやら目ざとく気づいたようだ。


「ん? これが気になるの?」


 気になるのかと問われた。

 アッシュは少し悩んで、結局話を聞いてみることにした。


「そういう訳でもないが……ロスタリアには、人の頭を祭壇に置く風習があるのか?」

「いやぁ、まさか」


 若干大げさに否定して、彼女は続ける。


「これは多分、罪人の首だよ。ロスタリアには悪い死者に罰を与えに来る精霊がいてね……彼らがちゃんと来てくれるように、首を置く場所は祭壇みたいにするんだ」

「……なるほど」


 アッシュは納得して頷く。

 なんとなく、ここに首がある理由は分かった。

 沼地に放棄された首無しの体の方はよく分からなかったが。


 しかしそれ以上掘り下げるつもりもなかったので、これからどうしようかと考えていた。

 すると落ち着き払ったシドが声をかけてくる。


「……もうそろそろいいだろ。先を見てみろ」


 声に誘われて、祭壇の先に視線を向ける。

 すると、先程まで影すらなかった黒い門が現れていた。

 城の門のように巨大な物だ。

 音もなく唐突に現れたようだった。


 それをまじまじと見ながら、アッシュはぽつりと呟く。


「どうやら最後らしいな」


 心に焦りはなかった。


 不思議なほど落ち着いている。

 だが、決して戦意がないわけでもない。

 自分は魔王の前に立った時、こうなるのかと……少しだけ意外に思う。


「馬はどうする?」


 ミスティアが問いかけてきた。

 それに、少し考えて答える。


「置いて行こう。その方がいい」


 幸いにもアリスは死なず、馬が役に立つことはなかった。

 しかし、ここまでの道のりを健気についてきてくれたのだ。

 いたずらに魔王のそばに近づけ、危険に晒すことはないだろう。


 もしかすると、この雪原に放っておくとはぐれてしまうかもしれないが……あまり心配しなくても良さそうだった。

 彼は軍馬だから、帰り道くらいは心得ているはずだから。

 また、馬は魔獣に襲われる心配もないため安全に帰れる。


 ……無論それとてアッシュたちが勝利し、この塔が消滅すればの話だが。


「行きましょう」


 意外にも、そう促したのはノインだった。

 頷いて、アッシュは歩き始める。


「…………」


 そして見上げるのは、目の前にある漆黒の門だ。

 なんの装飾もなく、ただただ重々しさを感じさせる扉には、なにかの文字が刻印されていた。


「……死罪?」


 シドが不可解そうにして呟く。

 恐らくは門に刻まれた文言だろう。

 ミスティアが言葉を返す。


「それが結審だってことですかね? シド様」

「さぁな……」


 シドは少しだけ表情が強張っていた。

 だがミスティアには緊張らしきものは見られない。

 最後にノインは固く口を引き結び、かなり思い詰めた様子だった。


「…………」


 無言のまま彼女の肩を叩き、アッシュが前に出る。

 すると少しだけ、彼女の歩幅は広がったようだった。


 歩いていると、黒い門が地響きのような音を立て開いた。

 まるで地獄への入り口のようにアッシュたちを迎えている。

 そして門の奥には、今まで通ってきたのと同じ階段の通路があった。

 石と肉の、悪趣味な通路だった。


 無心に進んでいると、アリスが話しかけてくる。


「……アッシュさん」


 こうして向こうから話しかけてくるのは、この塔に入ってからだと初めてかもしれない。 

 などと考えながら、振り向かないまま返事をする。


「なんだ?」

「……あなた、死ぬつもりですか?」


 あんまりな問いに足を止めそうになった。

 けれど、止まりはせずに顔だけを彼女へと向けた。


「何故?」

「もう思い残すことはないって、そういう顔をしてますから……」


 彼女なりの心配なのだろうか。

 いや、首輪を使うクズを心配するほどお人好しではないかもしれない。

 正直、意図は全く分からないが、死ぬつもりはなかったので正直に答える。


「死ぬつもりはない。だが……」


 だがと、言って言葉を区切る。

 彼女は小さく首を傾げた。

 訝しげな表情を見つめつつ言葉を継いだ。


「もし勝てる望みがなくなったら、俺を置いて逃げろ」

「どうしてですか?」


 何故アッシュを置いて行けと頼むのか。

 あるいはどうして自分に頼むのかと、そういう意味なのか。

 どちらの意味なのか曖昧だったから、一応両方に答えようと思った。


「置いていくべきなのは、俺がそういう兵器だからだ。一度だけなら、どんな存在でも殺せるように作られている」


 すると、彼女は思い当たったように俯いた。

 まっすぐに見つめたまま、今度は何故アリスに頼むのかを答える。


「あと、お前に頼んだのは……一番確実だからだ。俺に死んでほしいだろう」


 なら、見捨てて行くくらいはお手の物なはずだ。

 本当のことなので特に気兼ねせず言うと、彼女は顔を上げる。

 しかし唇を噛んで、またすぐに視線を下げた。


「ええ。……確かに頼まれましたよ」


 表情は伺えないが、特に躊躇いのない答えが返ってきた。

 一応の満足を得て視線を前に戻す。

 少し足を急がせつつ、背後に礼の言葉を投げた。


「助かる。俺が死んだら逃げるなりなんなりしろ。……できれば魔獣どもと戦ってほしいと思うが」

「死んだって御免ですよ」


 彼女らしい答えだった。

 もう話すこともないので聞き流し、階段を登り続ける。

 すると、やがて薄暗い広場へとたどり着いた。


「……ここは」


 ノインは呟いて、周囲を見回しているらしかった。

 アッシュも同じようにあたりを探る。


 どうも、ここは円形の広場らしい。

 石畳の地面がかなり広く続いている。

 そして広場をドームのような屋根が高く覆い尽くしていた。


 さらに、その屋根の下に異様な物があることに気がつく。

 赤い障壁に囲まれた、青白く光る球体だ。

 空高くに浮かんでいる。

 球体には人の手や足、苦悶に歪む顔などが浮き出ていた。


 このおぞましい物体は、恐らく魔王が守る魔獣の源……すなわち『卵』と呼ばれるものなのだろう。


 そしてこの『卵』が、広場において十分な光源として機能している。

 しかし、だというのに広間が薄暗く感じるのは、天井から吊るされている物が影を落としているせいだった。


 その存在に気づいたらしく、シドが悪態をつく。


「クソッタレ。最後まで悪趣味な塔だ……」


 怒りか恐怖か、なにかを噛み殺すようにして呟いていた。

 アッシュも彼が見たのと同じ物を見る。


「…………」


 するとそこには、数え切れぬほどの干からびた死体がある。

 天井から、首吊りのようにしてだらりと吊り下げられていた。

 どれも服は着ていない。

 しかし、男女の判別すらおぼつかないほど痩せている。

 見たところ、あの村で殺戮した異形にも似た姿だ。

 これが無数に首吊りをして、ゆらゆらと揺れて広場に影を落としている。

 だからこの広場は暗いのだ。


「魔王を殺せばまとめて消える。構わず進もう」


 全てが、塔と共に消えるまやかしに過ぎない。

 冷静に口にして慎重に歩を進めた。


「…………」


 誰も何も言わず、ただ人数分の足音だけが響く。

 やがて、長い沈黙を経て広場の最奥にたどり着いた。

 そこにはいくつもの死体が転がっている。


「……酷い」


 ミスティアが呟く。

 彼女の言う通り、転がる死体はどれも刃物で残虐に刻まれたものだった。

 きっと拷問のために止血をし、最大限生きながらえさせて苦しめたのだろう。

 死体はどれも、人としての原型がわからない程に斬り刻まれている。

 さらに、錆びた刃物がいくつも突き立ててあった。


「……魔王はどこに」


 死体を見ながら声を漏らす。

 するとその言葉を、アリスの緊迫した声が遮った。


「来ます……!」


 来ると言われて、弾かれたように視線を巡らせる。

 だがそれらしき存在は見つからない。

 しかし、死体の中の一つが動き出していることに気がつく。


 流石に虚をつかれたような気分だった。


「…………これが、魔王?」


 思わずそんなことを呟くほどに、目の前の死体は哀れだった。


 その、異形のシルエットは人間だった。

 体の大きさも、手足の長さも、どれも人と変わりない。

 ただその表皮は隙間なくかさぶたに覆われている。

 さらに、このかさぶたの上から何度も切り刻まれたのだろう。


 もう例えようがないほどグロテスクな姿だった。

 目の前にいる人影は、血と傷とかさぶたが張り付いたような姿をしていた。

 そして、壁に背をつけて座っている。

 いや、壁に背をつけて……という表現は誤りかもしれない。


 異形の体に突き立てられた、二振りの剣を見ればわかる。

 この巨大な剣が貫通して、壁にまで刺さっているのだ。

 だから、壁に背を預けて座っているわけではない。

 まるで壁に縫い止められるように……磔にされているだけだ。

 だからそれは、思わず目を逸らしたくなるような、本当に痛々しい姿だった。


『助けてくれと、何かが……魔王が繰り返しそう言うのが聞こえたんです』


 ふと、そんな声が脳裏で蘇った。

 だが気の迷いだと斬り捨てる。

 仮に哀れむべき存在であったとしても、たとえあれが何であろうと殺すのだ。


「…………」


 魔王だという死体は、何も言わずゆっくりと動く。

 自らの腹に、交差するように突き立てられている剣の刃を握った。

 さらに、そのまま力を込める。

 手が引き裂かれて血があふれるのも構わず、剣を引き抜こうとする。


「ぅ……ぁ……」


 かすかに呻くような声と共に剣が引き抜かれた。

 異形は、だらだらと血を流す手の平で二振りの刃を握る。


 右に握る一振りは、鋭い刃と丸い剣先の処刑刀のようだった。

 しかし左のもう一振りは、異形の刃だった。

 鋭く尖った切っ先と、のこぎりのような不揃いで細かい刃を備えている。

 つまりは悪意に満ちた拷問刀だった。

 目で見るだけで痛みを感じるような、危うさを秘めた剣である。


「…………」


 魔王が低い息を漏らした。

 地に剣を突き立てて、それを頼りになんとか立っているように見える。

 腹の傷から血が流れているため、どうやらまだ足がおぼつかないようだ。


 しかし、待ってやるつもりはない。

 シドに呼びかける。


「シド」

「分かってる!」


 声をかけるのとほぼ同時に、彼は杖を向ける。

 すると、魔王はなすすべもなく雷の『杭』の嵐に呑み込まれた。


「…………」


 何も言わずに、固唾を飲んで様子を伺った。

 これで終わるほど容易い戦いではないだろう。

 恐らく全員、そのくらいは分かっていた。

 すぐに肩をアリスの影の虫が這う。


 続けて、アッシュはシドに語りかけた。


「シド、煙を晴らしてくれ。これで死ぬようなら魔王ではない。前衛で追撃を仕掛ける」


 手早く言って、漂う煙を突っ切るように駆け出した。

 すると、ほんの数秒後に風が煙を晴らしてしまう。

 そして、呆然と立ち尽くす魔王の姿を見つけた。

 損傷の程度は……そもそもかさぶたが張り付いているためによく分からなかったが。


「…………」


 魔王は変わらず立って、剣をだらりと下げている。

 こちらを見ているのか、見ていないのかも分からない。

 ただ駆け寄っていると、血の匂いの風が頬を撫でた気がした。


「『魔人化ディストーション』」


 出し惜しみはしない。

 最初から全開の騎士形態で突撃した。


 しかし肉薄するアッシュに対して、魔王は戦意の欠片すら見せていない。

 双剣をだらりと下げて立ち尽くしていた。

 が、不意に右の剣がゆらりと動く。

 いっそ意外なほど滑らかな様子で、その処刑刀を水平に構える。


 さらに大きく振りかぶられ、斬撃が来るのが分かった。

 だが、決してかわせないほどの速さだとは感じない。


「『炎剣フレイムアーツ』」


 剣に炎を纏わせ、袈裟がけに振り下ろす。

 同時に、水平の構えから放たれた横薙ぎを回避した。


「…………」


 まず、先手はもらった。

 返す刃でもう一撃叩き込む。

 だが深入りはせずに退いた。

 焼き斬られた魔王はかすかにのけぞっている。

 しかし、変わらぬ様子で動き始める。


 すぐにこちらへ距離を詰めようとした。

 だが。


「『遠当て』」


 鋭い声と共に、ほとばしったのは金色の雷光だった。


 愚直にアッシュだけを見ていた魔王は、不意打ちの雷の矢で胸を穿たれる。

 さらに、その隙に背後に回り込んだノインが剣を振るった。

 大剣の斬り払いにより、胴をばっさりと切断される。

 呻き声すら上げる間もなく、おびただしい血を流して魔王は倒れた。


「……終わり?」


 ミスティアが小さく呟く。 

 魔王からは視線を外さずに答えた。


「まだ死んでない。手を緩めるな」


 魂で、アッシュには対象の生死が読める。

 だから警戒するように告げる。

 すると、そこでまた頬を血の風が撫でた気がした。

 直後に魔王が立ち上がろうとする。


 しかし、立つ前に容赦なく追撃が加えられた。


「……悪く思うなよ」


 聞こえたのはシドの声だ。

 立とうとしていた敵に対し、極大の雷の塊が撃ち込まれる。

 アッシュたちは退避していたので無事だったが、雷は石畳の地面を陥没させるほどの威力を発揮した。


 けれど、それでもまだ魂を奪うことはできない。


「まだだ」


 敵はまだ生きている。

 再度警戒するように促す。

 そして、ひとまず慎重に戦うことにする。


「前のように、殺す度に強くなる線もあるかも知れない。少し様子を見よう」


 あらゆる可能性を考えるべきだった。

 だからそう言うと、他の面々も異論はないようだった。

 前衛の二人が答えを返してくる。

 ノインの声にミスティアが続いた。


「分かりました」

「了解」


 二人の返事を聞き届けて、また立ち上がる魔王に視線を向ける。


「う、あ……あ……」


 魔王の喉からかすれた、死に際の老人のような声が漏れる。

 生ぬるい風が吹いて、また頬を撫でた。


「うあ……あ……ああああ……ァァァァァァァ!!!!!」


 魔王が唐突に、喉が張り裂けるような声で叫ぶ。

 喉に血が滲む様が見て取れるほどに痛々しい声だ。

 すると、その呪わしい叫びに共鳴するようにして()()は起こった。


「アッシュさん、警戒を!」


 アリスが、焦りの滲む声で叫んだ。

 そしてアッシュも、同じく禍々しい気配を感じ取っていた。

 気配に誘われて、弾かれたように上を見上げる。

 すると上で首吊りをしていた異形たちが、糸を切ってこの広間に落ちてきた。


「!」


 瞬く間に周囲を取り囲まれる。

 ノインが取り乱したように叫んだ。


「アッシュ様!」

「落ち着け、これは雑魚だ。数を把握して、冷静に対処しよう」


 吊られた異形たちが地に降り立った。

 よたよたと歩きながら、こちらに爪を立てようとする。

 アッシュはその内の一体を殺した。

 さらに魂を喰らう。

 すんなり殺せたため、どうやら不死というわけでもなさそうだった。

 しかし殺してもキリがないという意味では不死に近いかもしれない。


「…………」


 なぜなら今この瞬間も、糸が切れた異形が広間へと落ちてきていたからだ。

 さらに天井から糸が伸びて、新しい首吊り死体も補充され続けている。


 アッシュは深く息を吸って、冷静に思考を続ける。


「アリスはシドの護衛を頼む。シドは、引き続き魔王に攻撃を。前衛はなるべく動き回って、戦闘にアレを介入させるな」


 アレ、とは吊られていた異形のことである。

 やつらは力はそこそこあるようだが、動きは遅い。

 だから高速で動きながら戦えばついてはこれない。

 無視することができる。

 もちろん足を止めて魔術を使うシドは別だが、彼はアリスが護衛すればいい。

 彼女の召喚獣はそういった、弱い敵の処理に最も力を発揮できる。


 方針が固まったので戦闘を再開する。

 近寄ってきた異形を蹴り飛ばして、アッシュは復活した魔王へと駆け寄る。

 するとノインとミスティアもそばに来ていた。

 三人で視線を交わし、波状攻撃を仕掛ける。


「…………」


 対して魔王は、ただ二刀を十字のように交差させて構える。

 まるで、なにかの儀礼のような整然とした挙動だった。


「『鎧抜き!』」


 まず動いたのはミスティアだった。

 独特の、叩きつけるような踏み込みから一瞬で加速する。

 恐ろしく鋭い正拳が、衝撃波を伴って放たれる。


 その一撃は、完全に直撃するかと思われた。

 しかし魔王は、先ほどまでとは別人のような足さばきで回避する。

 ミスティアが驚愕の声を漏らした。


「なっ……!」


 敵は身を低くかがめた姿勢で、紙一重の見切りでミスティアの攻撃をかわしてみせた。

 さらに、この姿勢から右の剣が動く。

 全く無駄のない動きで、ミスティアの胴を引き裂く斬撃が放たれた。


 しかし彼女は回避することをしない。

 刃が目前に迫る中で、なおも攻撃を続ける。

 すると、果たして彼方から青い『矢』が飛来する。

 シドの雷が的確に魔王を撃ち抜いて、のけぞらせたのだ。


 そして無防備になった敵に、ミスティアの拳が今度こそ直撃する。

 さらにアッシュも剣で突きを繰り出した。

 だが湾曲した左の拷問刀により受け流されてしまう。


 けれど攻撃を重ねる。

 ミスティアと、ノインと連携して絶え間なく攻撃する。

 魔王は両手の剣を巧みに操り防御していた。

 そして時には反撃もするが、ことごとくシドの魔術に妨害される。


 こうして攻め続けていると、やがてノインが渾身の叩きつけを命中させた。

 魔王は右の剣で受けたが、その刃をも押し込んで強引な一撃でねじ伏せる。

 続けて、ミスティアの正拳が魔王の腹をぶち抜いた。


「『鎧抜き』……!」


 魔王が身体を折り、痛みに悶える。

 ミスティアは突いた腕を腹から引き抜いた。

 同時に打点の高い蹴りが追撃として放たれ、魔王の頭部を軽く粉砕した。


「やった!」


 手応えあったのか、彼女は小さく喜びの声を上げる。

 しかしアッシュは鋭く警告した。


「まだ生きてる、退け」


 すぐに魔王は再生を始める。

 そして、これを見てあの風の正体が分かった。


 こいつは死んで、蘇る時にどこからともなく血を集めて再生しているのだ。


「っ……!」


 復活した魔王が右腕を振る。

 ミスティアはかろうじて小手で受け流した。

 そして警戒して下がっていく。

 すると、魔王がその瞳を赤く輝かせた。

 さらに左の剣に闇の魔力を纏う。


「来るぞ……!」


 言いながら、ミスティアとノインの前に出る。

 何が来るか分からない以上、脆い二人を前に出す訳にはいかなかった。


 そして次の瞬間、魔王が肉薄してくる。

 これまでとは異なる奇妙な歩法だった。

 すり足を織り交ぜた、どこか滑るような踏み込みだ。

 一見して遅い動きに見えるものの、思ったよりずっと速く近づいてくる。

 上手く緩急をつけているのかもしれない。

 さらに足取りも読みにくく、行き先を予測しにくかった。

 魔王はノインに近づくと見せかけてミスティアの方に進む。

 しかし最後はアッシュの前に立っていた。

 つまりこの異形は、技でもってこちらを翻弄してきていたのだ。


 左右の剣が振られる。


「っ……!」


 アッシュは息を漏らした。

 剣さばきが、これまでとは比較にならない技巧を宿している。


 横薙ぎ、斬り上げ、さらに足を斬り払うような斬撃……多彩な攻撃が流れるように繋がった。

 アッシュは斬り上げまでは剣で弾き、最後の斬り払いを軽く跳んでかわす。

 だが、今度は敵が体当たりを仕掛けてきた。

 剣とは違って面の攻撃だったので、とっさには回避できず吹き飛ばされる。

 すると、間髪入れずに黒の魔力を纏った左の剣が振られる。


「ぁ……ぁあっ……!」


 苦しげな声と共に一息で振り下ろされた。

 刃の軌道に黒の軌跡が残る。

 次の瞬間、その黒い裂け目から闇色の刃が飛んでくる。


「魔法か……!」


 背筋が冷えた。

 闇魔法だ。


 放たれた刃は、尋常ならざる切れ味で床を切り裂いて進む。

 その飛んできた斬撃をかわし、アッシュは『炎杭』を放った。

 だがこれは魔王の剣により斬られてしまう。

 追撃をしかけたミスティアとノインも軽くあしらわれる。

 両手の剣をまるで手足のように扱い、あらゆる攻撃を受け流してしまった。


「強い……!」


 ミスティアが苦しげに息を漏らす。

 一連の攻防で見かねたのか、シドが前衛に退くように指示を出した。


「僕がやる。合図したら退け」

「シド様……すみません、わたしは不甲斐ないです……」


 それから、三人でなんとか双剣の大立ち回りに対抗する。

 敵の剣は、重さも速さも凄まじいものだった。

が、真に恐れるべきは振るわれる剣技の精度だろう。

 決して天才の剣筋ではない。

 だが常に最適解を辿ってくる。

 こうして打ち合っていると、理性を失ってなお揺るがぬほどに刷り込まれた技量を感じる。

 身体能力は奇跡の加護を受けたツヴァイと同程度だが、近接における厄介さはこちらに軍配が上がるか。


「今だ、退け!」


 シドの声が聞こえた。

 アッシュはすぐに答えて離脱する。


「了解」


 すると背後で膨大な魔力が膨れ上がるのが分かった。

 見れば、彼の杖には激しい稲妻が収束している。


「くたばれ……!」


 シドが殺意のこもった声で言った。

 そこで、ふと思いついたようにアリスが漏らす。


「手を貸しましょう」


 彼女は召喚獣に異形を薙ぎ払わせていたが、瞳が刻まれた……例の強化された竜を召喚する。

 そして稲妻の青と竜が吐き出す黒、二色の閃光が今にも放たれようとしていた。


「…………」


 だがそこで、魔王が不意に地を蹴った。

 かなりの速さで動いてみせる。

 おそらく、回避しようというのだろうが、避けきるのは無理だろう。


 ……しかし予想は外れた。

 魔王は避けようとしていたわけではない。


「ぅ、あ、おぉっ……!!」


 不気味な叫び声と共に、右手の剣……処刑刀が赤い光を纏う。

 さらに、赤い輝きを纏った剣が歩いていた異形を貫いた。

 つまり吊り下げられていた、弱い敵だ。

 それを赤い剣が貫くと、瞬きの内に異形の痩せた体が朽ち果てる。


 アッシュは息を呑んだ。


「気をつけろ! こいつ、魂を……!」


 驚愕のあまり、最後まで言葉にならなかった。

 魔王は異形の魂を奪い去った。

 そして右の剣の赤い光は大幅に出力を増す。

 その瞬間、シドたちの攻撃が魔王へ向けて放たれる。


 しかし。


「……!」

「嘘だろ……!」


 竜の攻撃も、シドの魔術も、魔王を撃ち抜くことは出来なかった。

 ただ一撃。

 魔王が放った赤い斬撃は、闇魔法と同じく飛来する刃となった。

 だが同じと言っても威力は桁外れだ。

 二つの閃光をたやすく消し飛ばしてしまった。

 さらにそれだけでなく、アリスの竜は無残に真っ二つにされてしまっていた。


「…………」


 余りの威力に全員が言葉を失う。

 だが、当然に魔王の攻撃は終わらない。


 真紅の剣でさらに異形を斬り伏せる。

 赤と黒を纏う刃を携え、アッシュの方へと駆けてくる。


「全員密集しろ。一人では一瞬ももたない」


 誇張抜きでそう思った。


 魔王が斬りかかってくる。

 赤と黒の残光をたなびかせつつ、円を描くように、まるで舞のような足さばきで斬撃を繰り出していた。

 この連撃をなんとかかわし、アッシュは『偽証』で壁を作る。


「『偽証イグジスト』」


 壁で稼げるのは一秒以下だろう、と考えながら退いた。

 そして他の二人と合流しようとする。

 だが、不意に悪寒を感じて横に飛んだ。


「!」


 すると次の瞬間、壁を打ち破って赤い魔力の波が現れた。

 疾走する赤の魔法が、先程までいた場所を消し飛ばしている。

 恐らく壁に隠れることなど考えていたら、その時点で終わっていたはずだ。


 背筋を凍らせながら、魔王を見つめる。

 こいつから目を離すのは危険だと思った。

 そして今、確信した。

 こいつもまた殺すたびに強くなる。

 殺してはならない。

 なにか作戦を考える必要がある。


 と、口を開こうとしたところで違和感に気づく。


「…………?」


 魔王は剣に纏う闇を失っていた。

 技量も消え失せて、知性の欠片も感じない立ち姿を晒している。


 するとアリスが呟いた。


「……元に戻った?」


 アリスがそう呟く。

 シドが張り詰めた声で答える。


「油断するなよ。またいつああなるか分からない」


 彼の言葉には一理あるが、今が勝つための好機であることも確かだろう。

 アッシュはそんな判断を下して、口を開く。


「シドは力を温存して、『矢』によるカバーに徹してくれ。アリスは敵の魂を利用されないよう掃討に力を入れろ。こちらは三人で仕掛ける」


 敵が弱いうちはシドが力を使う意味はない。

 魂を利用されると厄介なので、アリスには掃除を頼んだ。

 そして戦いに戻ろうと魔王を見つめていたが、やはり先ほどとは様子が違っている。

 だらりと剣を下げて、泥酔したような足取りでふらふらと歩いていた。


「……こいつ、どうなってるんだ?」


 ひとりごとを漏らす。

 謎に満ちた能力のからくりを解かねば勝利はない。

 剣を構え、左手に鎖を巻きつけた。

 そして隙だらけの所作で歩く魔王のもとへと踏み込んだ。



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