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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
三章・黒炎の騎士
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二十四話・そこにいる理由

 


 次の階層は雪原せつげんの階層だった。

 だが雪の中休息を取るのは酷だということで、アッシュたちはやむなく引き返し大聖堂と気味の悪い通路の切れ目の空間で食事をすることにした。


 そして通路の前の広い空間にてノインたち、それから召喚獣が物資を広げて間に合わせの食卓の設営をしている。


「……お前、よく動けたな」


 平然と動いているように見えたからか、彼は壁にもたれ座るアッシュの傷を見て驚いたらしい。

 忙しく動き回る姿から目を逸らし、声の主に向き直る。


「治せるか?」


 そばにかがんだシドは、アッシュの鎧を脱がせて傷を見ていた。

 この子供にはどうも傷の治療に関する見識もあるようで、決戦を控える身としてはありがたかった。


「僕は治癒魔術だけはあまりうまくない。だが、十分治せるだろう」

「そうか。よかった」


 それはあるいは『治癒師』でないが故にある加護の制限なのかもしれない。

 事実は分からないが、ともかく騎士の姿の防御力が幸いしたようだ。

 骨も折れているだろうが内蔵にも致命的な損傷はなく、もちろん四肢も欠損していない。

 またアッシュの側の異常な生命力の恩恵もあり十分に治せると、シドはそう口にする。


「…………」


 治癒魔術の光があちこち赤黒く染まった体を照らす。

 優しいそれには痛みを和らげる効果もあって、アッシュはずっとこらえていた息をようやく深く吐いた。


 と、そこで。

 居心地悪そうな表情を浮かべた彼が歯切れ悪く口を開く。


「……悪かった」

「結果的にはなにもなかった。だから気にしなくてもいい」


 本来なら窮地を招いたことをきちんと責めるべきなのだろうが、彼は子供だ。

 厳しく言っても受け止められないだろうし、また彼自身うちひしがれてもいたのでそう言った。


 きっと敗北など初めての経験だったのだろう。

 不気味なほどしおらしく沈んだ表情を浮かべていて、塔に入る頃に浮かべていた自信は欠片も伺えない。


「本当は、僕じゃなかったんだ」


 それからしばらくの沈黙の後。

 ぽつりとそんな言葉をこぼした彼は、その顔を俯けていた。


「僕のお祖父様が……先代のテンペストが、『魔術師』をやるはずだったんだ。記憶を植えつけると言っただろう? あれは本来、人格まで移す魔術だったんだ」

「それは体を奪うということか?」

「……そうだ」


 次代の魔術師が幼子であることを憂いたのか。

 あるいは老人が力を欲したのかは分からない。

 だがそれはあまり聞いていて快い話ではなかった。


「失敗して、お祖父様は気が狂った。それで僕には責任だけ押し付けられた。お祖父様の遺志を継いで、世界を救わなければならなかった」


 弱々しい声で語りつつ目を伏せるシド。

 吐き出したいものはまだありそうだったから、アッシュは黙ってその先の言葉に耳を傾ける。


「あの人はお前のような戦士だった。だから僕は『失敗』しなければよかったと、そう言われるのが怖かったんだ。もしかすると魔王を倒して、僕の価値を証明したかったのかもしれない」


 いよいよ項垂れ、杖の光すら消してシドは座り込んでしまう。

 杖を取り落として、何かこみ上げるものを噛み殺すような表情で俯く。


「……でも、やっぱり僕には無理だったんだ」


 アッシュは何も言わずその頬に触れ視線を上げさせた。

 そしてその心なしか潤んだ瞳に視線を合わせる。


「……お前も、お祖父様がやった方がいいと思うだろう? 僕だっていつも思ってたよ、なんで失敗したんだって……」


 いじけたように投げやりな言葉を彼は漏らす。

 そしてアッシュは本当にそう思ったので頷いた。

 彼の祖父ならルシスの再来になれたかもしれない。


「そうかもしれない」

「だろうな。でも僕だって好きでこんなふうに生まれたんじゃ……」


 皮肉げに口を歪め、自らを傷つけるようにしてシドは語気を強めた。

 その言葉を途中で遮り、アッシュはさらに言葉を続ける。


「それでも。今ここで魔王を倒せるかもしれない存在は君だけだ」


 本当は、『君のほうがいい』と言ってやるべきなのかもしれない。

 しかし同じ苦しみを背負い続けてきたアッシュは、安易な上辺だけの言葉では片付けられなかった。


「君より君の祖父の方が強かったかもしれない。だがそれは、君が必要とされていないということではない」

「……お前に、何が分かるんだ。お前はちゃんとできてる。この塔を登ってこられたのはお前の力だ。僕はもう、何度もお前に助けられてる。そんな情けない僕のことが……おまえにわかるのか……!」


 何度も、が何を指すのかは分からない。

 だが先の聖堂では確かにアッシュは彼を守り抜いた。

 またきちんとできてもいないが、そう見えたかもしれないことも分かる。

 しかし。


「分かる。俺もずっと苦しんでいる」

「お前がか……? 嘘を……」

「嘘じゃない。俺じゃない誰かがこの力を持てばよかったのにと、いつもそう思っている」


 多分、何百人もいたのだ。

 全員が平等な条件ではなかったかもしれない。

 しかし、この呪いを継ぐかもしれなかった孤児はそれだけの数いた。

 その中で殺し合いを重ね、最後に残ったのがアッシュだった。


 だがそれは決してアッシュが一番強かったということではないのだ。


「俺のことは知っているな? 何人も殺して、殺し合ってこの力を手に入れた。だが俺は一番強い戦士ではなかった。本当は俺ではない方がよかった。でも俺が残ったから、俺しかいないから、苦しんでいる暇がないんだ。それだけのことなんだ」


 敗北を喫する度に、戦場に出て死体を見る度に、頭のどこかをかすめていた。

 他の誰かならもっと上手くやれただろうかと、そんなことを思っていた。


 だがそんな考えに囚われていても決して過去は変えられない。

 前に進むことを怠れば、己に残されたなけなしの価値すら貶めることになってしまう。

 あるいはこの手で奪った多くの命の価値をも。


「…………」


 あっけに取られたような顔で、シドはこちらを見ていた。

 その彼を真っ向から見返し、肩に手を置いて続ける。


「いいか。君は自分の価値を得るには祖父を超えるしかないと思っているようだが、それは違う。今生きている俺たちがすべきことは、最善を尽くすことだけだ。それを諦めた時こそ本当に無価値になる。少なくとも俺はそう信じている」


 彼は何も言わない。

 ただ自信なさげに俯いているだけだ。

 しかしやがて取り落とした杖を拾い、再びアッシュの治療に戻る。


 そして流れた長い長い沈黙の後、シドは消え入るような声で呟いた。


「やっぱり僕は、お前とは違うよ」


 それになんと答えるべきか分からなくて、今度はアッシュが黙り込む。

 しかし思えばそうかもしれない。 


 自分には足を止め悩むような贅沢は最初から許されていなかったのだ。

 使徒ではあるが一人の人間として生きる意義を思い悩む権利のある彼に、考えを押し付けるべきではなかったのかもしれない。


「……そうか、すまなかった」


 だから謝ると彼は曖昧に頷く。

 そしてそれからはもう会話が交わされることはなかった。


 ―――


 休息を取るためのとりあえずの支度は整って、だから仕事を失い歩いていたノインはふとシドの姿を見つける。

 彼は壁にもたれて座り、うずくまって膝を抱えていた。


「…………」


 そんな彼を見ていると共に暮らした家族の一人、アハトのことを時々思い出す。

 彼は賢くて、けれどそれ以上に誰かをからかうことが好きな子供だった。

 だから脳天気に見えることもあって、しかし彼は決してノインのような馬鹿ではなかっただろう。


 実験体の中でもとりわけ過酷な仕打ちを受け続けて、日に日に人としての姿を失う中でそれでも一度も弱音を吐かなかった。

 けれど彼きっと早い段階で自らの運命について理解していたはずで、その上で気丈に振る舞っていたはずだ。


 そしてそんな彼が『死んだ』日のことは、ノインは今でもよく覚えていた。


 最初に来た頃に比べればずいぶんがらんとしてしまった部屋。

 空のベッドがいくつもあるそこに、モノのようにしてアハトの体は投げ込まれた。

 それにツヴァイが歩み寄り、かろうじて人の形を留める彼の前でなにかのハンドサインをした。


 だが彼はとっくの昔に指を失っていたし、なによりその時すでにまともな自我は消え去っていたのだ。


 何も返さない相手に語りかけ続けていたツヴァイは、やがて彼に訪れた死を悟る。

 それに声を上げて名前を呼ぶと、すぐに外にいた神官が咎めに来た。

 けれどそれも構わずアハトのそばに座り込んで、ツヴァイはずっとその名前を叫び続けていた。


 懲罰房ちょうばつぼうへとツヴァイが連れて行かれて、薄暗く静かな部屋にはノインとゼクスだけが残された。

 ゼクスはもうベッドから身体を起こせないほど衰弱していたけれど、半ば落ちるようにしつつもアハトのそばに這い寄った。

 そしてその死体にすがりつき、しわがれた喉をかすかに鳴らし……ノインの知る限りでは初めて泣いた。


 そんな光景を前に、ノインは何も言えず呆然としていた。


 ゼクスのように泣いてやることも、ツヴァイのように名前を呼んでやることもできなかった。

 ただ俯いて立ち尽くし、彼は立派に神に身を捧げたのだと、何度も何度も虚しく自分に言い聞かせていた。


 あの時彼に何もしてやれなかったことを、ノインは今でも後悔している。

 だからか在りし日のアハトの背格好に似たシドのことは少しだけ気になっていた。


「……シド様、大丈夫ですか? まだ具合が悪いんですか?」


 歩み寄り、声をかける。

 するとシドは顔を上げて、億劫おっくうそうに視線を返してきた。


「そんなことない」

「そうですか……」


 早く立ち去れとでも言うように乱雑に返事が投げられて、ノインはそれにわずかに怯む。

 けれどやはり彼は辛そう……というよりもなにか悩んでいるに見えたので、なんとか踏みとどまり言葉を重ねた。


「シド様、あの……」 


 とはいえなにも言うことが思い浮かばなくて、歯噛みする中でノインはかつて眷属に挑む時かけられたアッシュの言葉を思い返す。


 あの時は随分不器用な慰めだと思ったけれど、自分にはその程度のことすらできないのだ。

 それがもどかしくて情けなかった。


「おい」

「…………」


 俯いていると、不意に声がかけられた。

 それに顔を上げると、妙に真剣な顔でシドがこちらを見ていた。


「ちょっと回ってみてくれ」

「え」

「いいから」


 よく分からないが、取りあえず言う通りに目の前で回ってみせる。

 ゆっくりと右回りに回る間、あまりに真剣にこちらを見つめていたのでほんの少し気恥ずかしくなった。


「……ほんとに治ってるんだな」

「はい、あたしの傷はすぐに治ります」


 また正面を向くと、呆れたような、しかしどこか感心したような顔でシドが何度も頷いていた。

 それに背中の傷を案じていたのだと理解し、ノインは少しだけ嬉しく思う。


「痛みも感じないので、なにも気にすることはありません」

「痛みを感じない、ね」


 少し胸を張ってそう言うと、それを受けたシドの表情にふと影が差した。


「お前もどうやら、ロクな生まれじゃないようだな」

「そうかもしれません」


 なにしろ生まれながらに罪人扱いだったのだ。

 今ならその異常性が少しは分かる気がする。

 だから認めると、シドはしばし口を閉ざし黙り込む。


 そして瞬きほどの時間逡巡した後、どこか弱々しさを感じさせる声音で語りかけてきた。


「なぁ。……お前、怖くないのか? いくら痛みを感じないからって、死なない訳でもないんだろう?」

「怖い?」


 この塔には悪意が満ちていて、それはノインだって当然怖い。

 だがその質問の意味は分かっても意図が分からなかったので困惑する。


「シド様は、怖いんですか?」

「違う!」


 なんとなくそんな気がしたので問いかけると声を荒げた否定が返る。

 そして彼の様子を見ているとわずかにだがどういうつもりか分かった気がした。


 彼は先の戦闘で恐らくは初めての敗北を喫した。

 そのせいで先に進めなくなってしまったのだ。

 ヴァルキュリアの剣を受け怯えるしかなかった自分にはその気持ちがよく分かる。


「シド様、あたしは怖いです」


 その言葉にシドははっとしたように視線を向けてくる。

 小さく頷いてノインは言葉を重ねた。


「あたしは恐ろしいです。この塔にも本当は来たくはありませんでした」

「……なら強制されているのか? あの神官のように?」


 あの神官のようにと、恐らくはアリスについて言ったのであろうその言葉は理解できなかった。

 彼女がなにをどう強制されているのかは知らないが、シドにはなにかが見えているのだろう。


 そう納得して、それから質問に答えてみせた。


「いいえ。あたしは自分の意思でここに立っているつもりです」

「そうか……」


 少し前の主門の破壊とヴァルキュリアの討伐。

 あの道の傍らにあったのは破壊と虐殺に埋め尽くされた光景だった。

 聖書の話の中ではいつも人々を救っていたはずの神様は彼らを一人として救わなかった。


 それで神様のことが分からなくなった。

 このロスタリアで異なる信仰に触れたことで困惑はさらに強くなったような気さえしていた。


 けれど今のノインにも分かることがある。

 人より強く造られた自分でさえこんなにも恐ろしいのだから、他の人はもっと怖いのだということだ。


 ならば立ち向かえる力があるのに背を向けることはできないと思った。

 それは人々を救えるはずなのに、なにもしてはくれなかった神様と同じだと思った。

 もし逃げてしまえば、あの廃墟で神の救いはないのかと嘆いた心を裏切ることになる。


 救ってはくれない神様を恨むよりも自分で立ち向かうべきだと思った。

 それをしなければ神を疑う権利はないと思った。


 だからそれを口にすると、シドは自信なさげに目を伏せた。


「お前は強いな。でも無駄だ。魔王には勝てない。僕の力が足りない。……僕は、なんの価値もない存在だ」

「それは違います」


 なんの価値もない、という言葉を否定した。

 虚を突かれたような顔で見返してくる。

 何を言っているのか理解できないと言わんばかりだった。


「いないほうがいい人なんていません。勝手に思い込んでるだけです」

「違う。僕は負けた。……みんな失望してるはずだ」


 驚きはすぐに憤りに変わり、怒りを滲ませた表情で彼は腰を浮かせる。

 掴みかからんばかりの勢いで詰め寄られ、後ずさりながらも思考を整理しようとする。


「そんなことは……」


 否定しようとしたところでシドがさらにまくしたててきた。


「いいや、そうだ。……だって本当は……もっと強いお祖父様が、僕の体を使って『魔術師』になるはずだったんだ……」


 体を使って『魔術師』になる。

 その言葉の理解が正しいなら、シドは心を消されて祖父の器になるはずだったということだ。

 あまりのことに絶句する。


 孫、祖父母、そんなものはツヴァイのお話の中でしか知らない。

 まだ見たことも触れたこともない関係だ。

 しかし温かいものだと思っていたその間柄で、こんなことがあったのだとは信じられなかった。


「みんなそれを望んでた。僕はこの国の奴らに必要とされてない」


 そういえばノインも似たような選択を迫られたことがあった。

 弱い自分と心のない強い人形、どちらになるかを選ばされた。

 ……いや、実のところ選ぶ権利などなかったのかもしれない。

 だが運良くアッシュが助けてくれて、結果としてノインは自分を選ぶことができた。


 そしてどうしてその選択をしたのかも思い出す。

 ノインが自分を選んだのは、ツヴァイが大切だと言ってくれたからだ。

 そして自分を必要としてくれる人がいたからだ。

 できることがあると言ってくれたからだ。


「…………」


 黙ったままシドに歩み寄る。

 そして立ち尽くしていた彼の肩に手をおいた。


「……大丈夫。みんなあなたを必要としていますよ」


 そう言うと怒りの籠もった声で答えが返ってきた。

 拒絶するように手で押された。


「お前なんか……会ったばかりだろ。なにがわかるんだ」


 やはり腕を引き剥がそうとしてくる。

 それに抗ってまっすぐに目を見た。

 うまく浮かばない言葉をなんとか繋いで呼びかけた。


「分かります。あなたは失敗作なんかじゃありません。泣いて笑って、怒ったりできる。それができるなら人間は失敗作なんかじゃありません」


 そう言うとシドは目を見開いた。

 彼はずっと誰かに失敗作ではないと言ってほしかったのかもしれないと思った。


「戦いだって……得意な人と苦手な人がいるだけです。そんなことで人間を失敗作だと言ったりはしません」


 目を見て力強く頷くと、彼は泣きそうな目で見返してきた。


「あなたはおじいさんになろうとしなくていいんです。あなたのまま、できることをすればいいんです」

「できること? 僕に何ができる?」


 シドが聞いてきた。

 考えて、答える。

 彼にできることは多いと思った。

 彼はとても賢い子だからだ。


「なんだってできます。戦いじゃなくても。誰かにごはんを作ってあげたり……」

「じゃあお前は? お前は何をするんだ?」


 逆に問われて目を瞬かせる。

 ノインがすることは決まっている。

 魔獣と戦おうと決めている。

 文字すらわからない自分にも人より重い剣を握ることはできる。

 だから戦う。彼にもそれを告げる。


「あたしは戦います。戦って人を守ります」

「……たとえ勝てなくても?」

「はい。勝てなくてもきっと、誰かの心に希望を与えることができますから……」


 ノインは弱い。

 シドには及ぶべくもなく、もちろんアッシュよりも弱い。

 たとえ勝てなくても、と言われても仕方がないくらいの力しかない。

 そして結果はわからないなどという楽観をしているわけでもない。


 だが戦いとはきっと勝ち負けだけではない。

 アッシュが自分が先に死ぬ、そうなるように戦うと言ってくれたのと同じだ。

 自分より前に誰かがいると思うだけで、誰かがなんとかしようとしているというだけで人は安心できる。

 未来に期待できる。


 ならばたとえ勝てなくてもそれだけでいい。

 立ち向かわずに死ぬよりはずっといい。


「あたしはシド様のことも守りたいと思っています」

「お前が? 僕より弱いのに?」

「はい」

「できるはずがない、そんなこと……」


 余裕のない表情で反論しようとしたシドをそっと抱き寄せる。

 怖がっている子供を安心させる方法が、他には思いつかなかった。


「そうかもしれません。でも頑張ります。少しでもあなたが安心できるように頑張ります」

「相手は魔王だぞ。安心なんて……できるわけないだろ……」


 それは本当のことだ。

 ノインだって安心なんてできていない。

 でも、本当に恐怖を捨てなければならないと思った。


 この子を安心させるためには、自分の恐怖は殺さなければならなかった。

 その上で彼を守ると上辺だけでなく言ってやらなければならなかったから。


「いいえ、絶対に死なせません。少なくとも、あたしより先には」 


 強く言い切ると、腕の中でシドがぴくりと身じろぎする。

 それから存外に強い力でノインを引き離した。


 そしてそのまま何も言わず歩き去ろうとして、しかしその前に立ち止まりいじけたような言葉を投げる。


「……死んだら、お前のせいだからな」

「はい。……でも、良かったらそうならないように助けてくださいね」


 それには答えず、彼は小さく鼻を鳴らして今度こそ歩き去ってしまう。

 その足取り、そして先程の声も少し力を取り戻していて、それに安心したから小さく安堵の息を漏らす。


「……ありがとう」


 その声に振り返る。

 するといつの間にかそこにいたのはミスティアだった。


「シド様のこと、わたしは抱きしめたりできないから。あの人はお祖父様の記憶にある人にはみんな、壁を作ってしまうから……。だから、あなたがそうしてくれてありがとう」

「それは、どういう……?」


 言っている意味が分からなくて、ノインはその言葉に首を傾げる。

 すると彼女は寂しげに微笑んで言葉を続けた。


「シド様にはね、先代のテンペストだったお祖父様の記憶が埋め込まれてる。だから受け継いだ記憶にいる人たちに抱く感情は、それが自分のものなのかお祖父様のものなのか分からなくて辛いんだと思う」


 言葉を失うノインに、ミスティアはシドが立ち去った方向を見つめつつ語りを続けた。


「わたしは塔に入りたてだだったから、あんまりお祖父様の記憶にはなくて。だから従者にしてもらえた。……でもやっぱり、ノインちゃんみたいな外の人には敵わないな」


 微笑みと共に紡がれたそれを聞いて、少しだけおかしいと思う。

 自分は馬鹿なので見当外れかもしれないし、根拠もないのだがそれでもその疑問は口に出さずにはいられなかった。


「シド様は、本当に壁を作っているんでしょうか?」

「えっ?」


 思いがけないことを言われたと、そんな表情を浮かべるミスティア。

 その彼女にノインはさらに言葉を重ねる。


「近くにいても、ちゃんと話さないと気持ちは伝わらないんです。あたしも昔、家族との間に酷い誤解を作ってしまったことがあります。……だからミスティア様も、決めつけずにちゃんと話してあげてください」


 その言葉を受けて唖然としていた。

 しかしやがてその表情を綻ばせ、小さく吹き出して微笑んだ。


「?」


 なにかおかしなことを言ってしまっただろうかとノインは困惑する。

 するとそれを問う前にミスティアは微笑んだまま小さく頭を下げた。


「ごめんなさい。それと、ありがとうね。わたしが馬鹿だった。きっと、ちゃんとシド様と話してみるよ」


 そう言ってまた笑ってミスティアは背を向け歩き去る。

 そしてその足取りは、なにか重い荷を下ろしたように軽やかだった。


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