二十三話・第五層『聖地蹂躙』(2)
剣と大盾を手に走り出した。
すると呼応するようにして異形も動く。
爆ぜるような踏み込みで加速し、燃え盛る姿を霞ませた。
「『魔人化』」
アッシュは改めて魔人化し、騎士の姿になる。
するとようやく敵の姿が見えるようになった。
「…………」
魔王の前に消耗は避けたかったが、こうする他なかった。
いかに『魔術師』とはいえ、これほどの速さを誇る敵に魔術を当てるのは困難だ。
だからあれに、多少でもついていける前衛が必要だった。
「――――――!!!」
怪物が吠える。
こちらの変化を気にも留めずに駆けてくる。
石の床を粉砕し、纏う炎をたなびかせて肉薄してきた。
アッシュは魔術を使用する。
「『構造強化』」
魔物の力で、魔術がより魔法に近づいた。
だから、『土』を刻んだ大盾はそれだけで触媒として機能する。
アッシュは、まるで城壁を切り抜いたように分厚い、常人には両手でも持ち上がらない盾を振るった。
さらにこれを強化して斬撃を受ける。
「……重い」
しかし、これでもまだ一撃でヒビを入れられた。
このままでは盾を破られるのも時間の問題だろう。
だが他の面々も動き出している。
敵に向けて三方向から、逃げ場を殺すようにして閃光が殺到する。
アリスの竜によるものだ。
しかしそれを、怪物は全て回避する。
続けてミスティアとノインがほぼ同時に波状攻撃を仕掛ける。
だがそれでもまだ敵を捉えられない。
「っ……!」
アッシュは思わず歯を食いしばる。
敵の回避があまりにも常識外れだったからだ。
あの怪物は身をそらして避ける訳ではない。
見切った上で体を動かしてもいない。
ただ単純に駆け回ることで避けるのだ。
あまりに速すぎるから、誰の攻撃も追いつくことすらできなかった。
まるで熱風そのもののごとく縦横に駆け回っている。
「は、速い……!」
ノインが声を漏らす。
敵の動きを追い切れていないのだ。
そして怪物は、その彼女が最も狙いやすい獲物だと考えたらしい。
「――――!!」
唸るような声で吠えた。
集中攻撃の標的にされぬよう、駆け回っていた怪物が狙いを定める。
ノインを標的にし、大剣を振りかざして肉薄する。
「…………」
だがその瞬間をアッシュは待っていた。
敵が逃げている間に大盾に仕掛けをして待っていたのだ。
持ち手に長い長い鎖を巻きつけた盾を持って、怪物の前に立ちはだかる。
単純な速さ比べなら敵いはしないものの、こうして攻撃を仕掛ける瞬間になら先回りできる。
割って入り、盾で一撃を受け止める。
すると盾のヒビが広がる。
二撃目で明確に限界を迎える。
アッシュはそこで、後ろに飛んで下がろうとする。
だが恐ろしい速さで追撃が繰り出された。
「バカが」
呟いた。
予想通りの動きだったからだ。
あの怪物は、下がろうとする敵には突きを出してくる。
目一杯腕を腕を伸ばして突き刺そうとしてくる。
前半戦の戦いを経て、もう一度見た動きだった。
だから、わざと下がって突きを誘発したのだ。
そして放たれた鋭い突きが、容易くアッシュの盾を貫く。
「…………」
小さく息を漏らし、すぐに盾から手を離す。
同時に、盾の持ち手に巻きつけてある鎖を手に取った。
その一端をシドに投げて渡す。
すると、彼は呆れたように笑った。
「……知恵が回るもんだ」
意図には気づいてくれたようだ。
シドが杖を持ち直す。
だがそれを見届けたところで、怪物の剣が振り下ろされる。
先ほどの盾を貫いたまま、突き刺したままだが気にする様子はない。
重い一撃をなんとか受けるが、一撃でアッシュの剣はひしゃげてしまった。
作ったのは『不壊』を刻まれているわけでもないただの鉄剣だからだ。
「――――――――!!!!」
怪物が吠える。
心なしか勝ち誇るような気配が滲んでいた。
アッシュの盾を貫き、剣を曲げたことを誇っているのかもしれない。
「…………」
トドメとばかりに大剣を振りかざしてくるが、その前にシドが魔術を使う。
対象は、さっき渡した鎖だ。
「悪い、待たせた。……『破断』」
いま彼が唱えた魔術は『構造劣化』の上位、『不壊』と対を成す土魔術の一種の頂点だ。
魔術を受けた鎖が一瞬で、まるで腐ったおがくずのように脆くなる。
しかしこれで終わりではない。
鎖の先には盾がある。
盾の持ち手に結びつけた鎖なのだから。
だから盾も脆くなる。
さらに、その盾を貫いたままの剣もあった。
すなわち怪物が手にしている、禍々しい錆鉄の剣だ。
「『偽証』」
鞘に収まった剣を作った。
目の前で大剣を振り上げた怪物に、アッシュは改めて向き直る。
そして冷静に構えを取る。
左足を引き、身を低くかがめた。
剣の柄を握る。
全身に力を溜めて、抜刀と同時にそれを解放する。
いつか見たゼクスの抜刀術の真似だ。
音よりも速く剣を抜き放ち、敵の刃を一閃する。
そして『破断』を受けて脆くなった鉄剣を、根本から完全に叩き折って見せた。
「…………」
敵は、まだ自らの得物を折られたことを理解していない。
刃がなくなったことにも気づかず、敵は剣を空振ってしまう。
当然、アッシュはその隙を逃さない。
吐き捨てるように毒づいて、持ち替えた大槌で異形の頭部を粉砕する。
さらに続けざまに剣で斬り刻んだ。
とどめに大剣に持ち替えて、怪物の太い胴を横薙ぎに撫でる。
「――――――――!!」
怪物は、絶叫と共に吹き飛んだ。
壁に叩きつけられる。
すぐさま立ち上がろうとするものの、アッシュが鉄槍を投げて追撃した。
槍は怪物を貫いた上で壁に深く突き刺さる。
まるで縫い付けられたように動けなくなるが、これで拘束しておけるほど容易い相手ではない。
敵は強靭な背筋で身を起こそうとしている。
背を反らして、貫いた槍を引き抜こうとしていた。
その力は凄まじく、刺さった槍をひしゃげさせてすらいる。
次の手を打つ必要があった。
「……キリがない。アレを殺す前に、仕掛けを先に攻略しよう」
アッシュは言った。
ノインが答える。
「終わらせるって……一体どうするんですか?」
「俺にも……分からない」
ノインの問いに答えながら、槍を引き抜こうとした異形を大弓で射抜く。
また壁に縫い留める。
「…………」
これで、一秒でも稼げればいいのだが。
やはりそう甘くはないようだった。
自らの体を引き裂きながら、怪物は強引に自由を得る。
そして一瞬で加速した。
アッシュを見つけて、狂気の形相で駆けてくる。
「――――――――!!!!」
すでに武器はないが、鋭い爪を振りかざして迫ってきた。
前の階層の異形の物ほど長くはないものの、肉食獣に近い鋭さの爪を持っている。
だからアッシュが身構えると、ちょうどミスティアが加勢してくれた。
鋭い正拳から雷の衝撃波を飛ばしてみせる。
「『遠当て』!」
飛来した雷は直撃こそしなかった。
しかし爆風が十分に怪物を怯ませる。
ほんの僅かな隙が生まれた。
そして、シドにとっては恐らくこれだけで十分だった。
「『氷走』」
一瞬だった。
巨大な氷の波が生まれる。
凄まじい速さで地を這い、通り道を氷漬けにしながら標的へと疾走する。
「!」
しかし、流石というべきか。
怪物は獣の鋭敏で反応してみせる。
大きく横に飛び退いてそれを回避する。
完全に氷の波の追跡を振り切ったかと思われたが……まだ終わりではなかった。
回避した敵へ、追いすがるようにして氷の波がねじ曲がる。
即座に反転して追尾を継続する。
完全に未知の魔術だった。
しかし、それでも今どうするべきなのかはすぐに分かった。
「アリス!」
「分かってますよ」
声をかけると、アリスは冷たく返事をした。
竜が閃光を放つ。
すると、怪物は完全に意表を突かれた。
閃光を受けて足を止めてしまう。
そして完全に足を止めたことで、押し寄せる氷になすすべなく呑み込まれた。
「ガアアアアアァァァ!!!!!」
しかし怪物は抵抗した。
空を震わす咆哮と共に炎を爆発させる。
氷の拘束を粉砕する。
けれどそこに、間髪入れず氷の杭が叩き込まれた。
「ほら、動けよ」
シドがほくそ笑んだ。
杭は次々に放たれる。
異形は、飛来する杭を拳で砕いた。
だが砕けたのは三発だけだ。
嵐が来てしまったからだ。
圧倒的な物量で、礼拝堂を埋め尽くすような密度の『杭』が殺到する。
圧倒的なまでの火力差があった。
抵抗は無駄に終わり、瞬く間に怪物は蜂の巣になる。
「…………」
しかしそれでもシドは止まらない。
さらに『杭』を打ち込む。
怪物の体に、隙間なく氷の杭が突き立っていく。
さらに、すでに突き立っている杭の上にさらに杭が重なっていく。
何度か氷の下で炎が吹き上がったものの、やがてはそれも絶えてしまう。
そしてようやく『杭』の掃射が止んだ頃、アッシュの目の前には巨大な氷山が形成されていた。
「えげつな……」
小さくアリスが呟いた。
目の前にそびえ立つ杭の山は、圧倒的な暴力の名残りだった。
まず間違いなく、怪物は肉塊となり果てたであろう。
「…………」
そんなことを考えながら、アッシュはミスティアに声をかける。
少し急いでいた。
こうなってもまだあの怪物が生きている可能性があったからだ。
すぐには動けないだろうから、試練についての話を進めたかった。
「ミスティア。君は例の話の、聖堂を燃やす際の記述について覚えているか?」
「聖堂? ええっと……確か……」
問いを受け、ミスティアがまごつく。
それを見かねたか、シドが平坦な声で代わりに答える。
「聖油とかいうものを使って、祭壇に火をかけたと聞いているが」
「聖油ですか……」
聖油と聞いて、声を漏らしたのはノインだった。
厳格な修道院で育った彼女には、当然何を指すのか理解できているのだろう。
そして、そんなノインにシドが反応する。
「なんだ、お前分かるのか?」
「ええ。あたしはその……使ったことがないんですが、教会の秘蹟に用いるだいじな物なんです」
今聞いた通り、教会の儀式においては油がしばしば用いられる。
油は生物から得るものであるが故に、水や金属より魔力を通しやすい。
特に質の良いものは、魔道具を作る際などに古くから用いられてきた。
無論その効果は血……とりわけ魔物の血には劣るものの、教義上の問題で血は表立った儀式に使えない。
そういった事情もあり、油は魔力のシンボルの一つとして様々な儀式の要となる。
しかし、それはともかくだ。
アッシュは話を進めることにする。
「一応言っておくが、まだ死んでいない。油を探してさっさと燃やそう」
かなり待ったが、まだ魂はアッシュの手には渡っていない。
生存を確信して全員に伝えると、ミスティアが疑問の声を上げる。
「でも聖油なんてどこに?」
アッシュは少し唸る。
当然どこにあるかなど知らない。
だが考えて、推測を話すことにした。
「祭壇か、地下室か……。だが恐らく、戦争中なら聖油も祭壇にあるだろう」
この街は戦場だった。
そして人が戦闘に出るならば、当然のこととして死に至る。
戦士した兵士には、聖油を用いた告別の儀式が必要である。
本来、この儀式は臨終の枕元で厳粛に行われる。
とはいえ、戦地においては祭壇にてまとめて行うのが通例だった。
ならはきっと、油も祭壇に持ち込まれているはずだと考えていた。
「!」
と、その時。
氷山が軋み、氷の奥で赤い光がちろついた。
「あの、私が火をつけてきましょうか?」
不意に声を上げたのはアリスだった。
平静を装ってはいるが、その声は少し怯えているように聞こえた。
「……?」
怪訝に思う。
逃げようとしているのかもしれないと直感した。
だが、そうだとしてもアリスは適任だ。
仮に祭壇に油がなかった場合でも、召喚獣を用いてあらゆる場所を捜索することができる。
なので任せることにして、アッシュは答える。
「頼んだ」
「ええ、では失礼します」
最後に彼女に視線を向ける。
すると礼をして、それから馬の召喚獣に乗り去って行った。
「…………」
そしてその直後だった。
氷の山が消し飛んだ。
代わりに、とてつもなく巨大な火柱が現れる。
「シド、頼む」
呼びかけた。
敵の体勢が整うのを待つ必要などありはしない。
だから攻撃を要請すると、言い終わるか終わらないかの内に魔術が飛んだ。
「……死ね」
無詠唱だ。
しかしそれでも、氷が嵐となって存分に猛威を振るう。
火柱へ向けて、四方から数十もの『矢』が繰り出された。
巨大な火の渦を凄まじい勢いで削り取っていく。
雨のように降り注ぐ『矢』によって、瞬く間に火柱の太さは半分以下になった。
着実に、火の奥の異形へと届きつつある。
だが炎が完全に潰えようとした時、残り火が爆ぜて周囲に爆炎を撒き散らした。
「っ……!」
激しく吹き付けてきた煙に、アッシュは思わず咳き込んだ。
しかし、薄く煙が覆う中で目を凝らす。
なにか嫌な予感がしたから、焦燥に駆られて声を上げた。
「シド、風を!」
この視界の悪さと、敵の身体能力が合わさるのはまずかった。
魔術の風で、急いで煙を晴らさなければ誰かが死にかねない。
「いや、必要ない」
しかし彼はそれを断った。
なにかの魔術で索敵したようだった。
次の瞬間には雷鳴が轟き、『砲火』の魔術が煙を貫く。
どうやら命中したらしく、青い閃光が敵を穿った……いや。
「馬鹿な……!」
シドが、信じがたいといった様子で叫びを押し殺す。
いかんせん視界が悪くて状況は掴めない。
だが彼が放った砲火を、怪物はなにか……赤く光るもので斬り裂きながら進んでいるようだった。
アッシュは歯を食いしばり、ミスティアに呼びかける。
風はこちらに頼むつもりだった。
「ミスティア!」
「わ、わかった!」
いくらか動揺した声ながらも、意図は伝わったようだ。
鋭く、引き裂くような音と共に風が吹き荒れる。
そして晴れた視界の中で、アッシュはようやく何が起こっているのかを理解できた。
「――――――――――――!!!」
敵が叫んでいる。
形容しがたい、唸るような咆哮を響かせている。
そして一層燃え盛る炎を纏い、怪物は魔術を斬っていた。
握られているのは、炎を凝縮して作り出した魔法の大剣だった。
それを、霞むほどの速さで振るう。
すると斬られた雷の奔流が四方に散って、燻り狂う怪物の周囲を無作為に破壊していく。
「またか……」
アッシュは目を見開く。
間違いなかった。
また、先程とは比較にならないほど強化されている。
そして今思えば、強化が発生するタイミングは……必ず致命傷を受けた後だったのだ。
間一髪で気づけた。
だから必死の思いで叫ぶ。
「シド! 無駄だ、やめろ! 殺しても意味がない!」
取り返しのつかないことになる。
間違いなく、次はもう歯が立たない。
しかしシドは冷静を欠いていた。
「黙れ……! 認めるわけ……ないだろ……!」
どうあっても敵を打ち負かさなければ、それが負けを認めることになると思っているのだ。
彼はさらに雷の出力を高める。
すると、数秒の拮抗の後で雷が競り勝ち始める。
「聞いてくれ! その怪物は、死ぬ度に強化される!!」
「死ねっ……死ねよ!!」
呼びかけた言葉はまるで無視された。
彼はあくまで、異形の防御を破ることに執着していた。
そしてついに彼の望みは叶った。
すなわち、『砲火』の魔術が勝ったのだ。
怪物の上半身は跡形もなく消し飛ばされた。
雷の奔流は最後に爆発を巻き起こし、跡形もなく敵を消し去る。
「はぁ……!」
荒い息が聞こえる。
シドのものだろう。
上の空に聞き流して、アッシュはアリスに語りかけた。
虫を通じて、おそらく声は聞こえるはずだった。
「アリス、まだか?」
一縷の望みをかけた問いかけだった。
すると、感情の読めない声で返答が返ってきた。
「まだです。あなたの読みが外れました。祭壇にも地下室にもありません」
「……悪いが、急いでくれ。頼む」
それにアリスは答えたのかもしれない。
あるいは答えなかったのかもしれない。
聞き届ける暇も惜しんで、アッシュは全員に向けて言葉を投げる。
「次は、足を狙う。絶対に殺すな。こいつは死ぬ度に強化される」
再び敵の力について口にする。
そして、内心で趣味が悪いと思った。
前の階層の敵は、死んでも死なない単なる不死身だ。
同じと思わせておいて、こちらは殺す数だけ強くなる異能持ちだ。
下手すれば全滅の目もある、恐ろしく危険な敵だった。
すると、若干恐慌気味の声音でノインが言う。
「じゃあどうすればいいんですか……?」
足を狙えと伝えたが、どうやらそういう意味ではないらしい。
どう動けばいいのかと尋ねられている。
だからアッシュは深く息をして、言葉を選びつつ答えた。
「徹底的に守りに徹する、それしかない。今となってはもう……やれることは時間稼ぎだけだ」
鎖を作り出し、左手に巻きつける。
そして現れた、紅蓮の巨人に向けて投げつけた。
巻きつけて、思い切り引く。
「っ……!」
しかし、余りに重すぎた。
炎の剣を持つ、丸太のような腕はびくともしない。
引いて撹乱しようにも動かせない。
逆に異形が鎖を引くと、アッシュは無様に引き寄せられた。
そのまま、炎の剣の直撃を受ける。
「…………」
だがアッシュに炎は効かない。
実態を持たぬ、ただの熱の塊などかすり傷もつけられないはずだ。
しかし、それを知らないミスティアが悲痛な声を上げる。
「アッシュくん!」
怪物はさらに動く。
吹き飛ばされたアッシュを追撃しようとしていた。
それをシドの『杭』がほんの少し足止めする。
しかし赤の剣閃により、『杭』を全て撃ち落としてしまう。
防御するだけではなく、なおも前進してみせていた。
「『鎧抜き』……!」
しかし、そこで背後からミスティアが奇襲を仕掛けた。
怪物が彼女に向き直ると、今度は背後にノインが現れる。
挟み撃ちでなんとか拮抗を保つが、見たところ敵は全力を出していない。
もし本気を出したら一瞬で二人とも殺される。
だからアッシュは覚悟を決めた。
走り出す。
「俺は打たれ強いし、炎も効かない。だから前に出る。他は下がっていい。シドは、できるなら援護を頼む」
言いつつ、ミスティアの前に立った。
怪物の相手を引き受ける。
そしてノインへと呼びかける。
「君も退いてくれ。もうなにもしなくていい」
「でも……」
躊躇する彼女に、アッシュは語気を強めた。
「いいから、俺に任せろ」
大事なのは、いかに消耗せず魔王の前までたどり着けるかだった。
そのためにアッシュが盾になる。
二人が引いたことにより、突出して前に立つことになった。
そして当然、次の標的はアッシュになる。
「…………っ」
かき消えた。
全く見えなかった。
しかし衝撃が全身を突き抜ける。
それで、アッシュは自らが蹴り飛ばされたことを知る。
「ぐっ……!」
そうして吹き飛ばされていると、怪物はアッシュに追いついてきた。
空中で追撃を加えられた。
激しく地面に叩きつけられる。
そして息をつく間もなく、跳躍の勢いを乗せた炎の剣の刺突が胸を貫いた。
「う……あ……」
炎の剣を手で握り、怪物が動けないよう力を振り絞る。
そこにシドが氷の杭を放った。
だが、怪物は容易く片手の拳で砕く。
なにか怒りに触れてしまったのか、アッシュを捨て置いてシドの方に歩き始めた。
「『氷走』……!」
焦ったような声だった。
地を踏みしめるように歩む怪物は、自らに迫る魔術を正面から斬り飛ばす。
何事もなかったかのように前進してみせた。
「『氷砲』」
氷の奔流が放たれる。
雪崩のような轟音を伴う『砲火』に対して、怪物は炎の剣を無造作に一閃してみせた。
それだけで、荒れ狂う冷気は完膚なきまでに跳ね返された。
「そんな……!!」
ミスティアの取り乱す叫びを聞きながら、立ち上がったアッシュは走る。
今ので彼が手傷を負ったかは分からない。
だがこれ以上の被害が出る前に、アッシュが行かねばならなかった。
「お前の相手は、俺だ……!」
絶え絶えの息で言いながら鎖を投げる。
怪物の首に巻きつけた。
そして一瞬で背に飛びつき、巻き付けた鎖を使って首を締め上げる。
人間ならばもう反撃は不能な状態だった。
しかし、怪物は当然のように対応してみせる。
「…………!」
ゆっくりと、鎖が握られた。
それから次の瞬間、アッシュの視界が霞む。
…………………………。
「アッシュ様!」
ノインの叫び声で目覚める。
一瞬、気を失いかけていたようだった。
地面に倒れている。
「…………っ」
周囲を見ると、横たわっていた地面が派手にひび割れていた。
亀裂はまるで蜘蛛の巣のような形だった。
恐らくは鎖を掴まれて、そのまま力任せに叩きつけられたのだろう。
「はぁ……はぁ……」
荒い息を吐く。
すぐに立ち上がるものの、ロクな抵抗もできないままに炎の剣で殴り飛ばされた。
さらに何度も打ち据えられるが、この体に炎は効かない。
あまり傷をつけられない。
だからか、怪物が訝しむような目を向けてきた。
「…………?」
壁に叩きつけられ、何度も斬られてまだ生きている。
それが不思議であるというような素振りを見せる。
怪物は、少し思考するような間を開けて炎の剣を消した。
続けて、代わりに拳を握った。
その拳が振りかぶられるのは見えた。
しかし、肝心の打撃の軌道までは見切れなかった。
「っ……」
攻城兵器もかくやというほどの威力だった。
聖堂を揺るがすような衝撃を伴って、振るわれた拳がアッシュを壁に叩きつけた。
「う、あっ……」
意味のない声が漏れる。
たった一撃で足ががたつき、立っているのが難しくなった。
血を吐きながらも顔を上げると、今度は蹴りを入れられた。
脇腹を粉砕しれて、また意識を失いかける。
けれど気力で繋ぎ止める。
そして、虫を通じてノインに語りかけた。
「……ノイン、それは使うな」
ツヴァイとの決戦時に見せた、あの最大強化の術だ。
それを使おうとしたのを察知して、アッシュは彼女を制止した。
恐らくは無駄で、再生能力が消える分むしろ危ない。
それに、よしんばここを乗り切れたとしても、また熱を出されては魔王を倒せない。
「でも……!」
泣きそうな声で反論してきた。
答える余裕がなかったから、アッシュは何も言えなかった。
また少し吐血して、壁にめり込んだ体を引き抜く。
そして盾を作り出し、ふらつきながらも構えてみせた。
「『構造強化』」
すると戯れのつもりなのか、怪物はわざわざその盾めがけて拳を繰り出した。
たった四発で盾が粉々になる。
だから、嵐のような連打を自らの身で受け切ることになった。
数え切れぬほどの殴打の後、最後の一撃で大きく吹き飛ばされる。
「ごほっ……けほっ……」
冷たい聖堂の床に転がる。
立ち上がろうとするが、体にうまく力が入らない。
騎士の姿の鎧がなければ、すでに撲殺されていただろう。
必死に立とうともがきながら、悪態をつこうとする。
「ク、ソ……」
しかし声を出す気力すらない。
無様に手をつきながら、なんとか立とうとする。
だが、再び崩れ落ちた。
力が抜けて体が動かない。
だが、それでもまだ、余力を振り絞れば立つくらいはできるはずだ。
けれどあえて立たず、寝たままでも意識を保って盾になることに集中すべきか。
「…………」
どこか他人ごとのようにして迷っていた。
霞む風景の中で、歩いてくる怪物を見つめる。
するとその滲んだ視界に、一人の少女が割り込んだ。
思わず声を出す。
「馬鹿なことは……!」
「もう見ていられません……! あたしも戦います!」
目の前で叫んだ声は涙声だった。
塔に入る事すら恐れていた彼女だ。
きっと怖いのだろう。
勝てないことだって分かっているに違いない。
勇気を振り絞ってここに来たのだ。
だがそれは、哀れなほどに無駄でしかなかった。
彼女を前に、怪物は炎の剣を生み出す。
次の瞬間にはもう、殺されているに違いなかった。
声を絞り出す。
「やめろ……!」
しかし、ノインは殺されなかった。
どこからともなく現れた炎により、聖堂の上、すなわち天井が燃え始めたからだ。
「……間に合った、か」
アッシュは呟く。
そして最後の力を振り絞り、震える膝でなんとか立つ。
するとノインが駆け寄ってきて、体を支えてくれた。
「アッシュ様……」
彼女の顔を見ると、やはり恐怖を押し殺したような気配があった。
肩を軽く叩き、アッシュは一人で歩き始める。
「結果的にだが、助かった。ありがとう」
ノインが前に出て作った時間で、アッシュは最後の追撃を受けずに済んだ。
だから感謝すると、彼女は不意に崩れ落ちる。
顔が真っ青になっていた。
本当に、死の覚悟をしていたのかもしれない。
「すみません、今……」
慌てたようにノインが言う。
だが、試練を終えた今ならミスティアとアッシュだけでも倒せるはずだ。
なので無理はしないように伝えた。
「いや、多分やれる。……ミスティア、シドは生きているか?」
主の手当てをしていた彼女に声をかける。
すると、一拍遅れて返事が返ってきた。
「うん。……跳ね飛ばされて気絶してるけど。多分大丈夫」
「なら協力してくれ、あれを倒す」
怪物の体から纏っていた炎が消えていた。
代わりのように、腐った頭部には骨でできた王冠のようなものが被せてある。
夜の怪物と同じように姿を変えたのだ。
どう見ても、先程までのような力があるとは思えなかった。
「あ、あたしもやります」
ミスティアがいれば十分だと思ったが、ノインも戦列に加わった。
無理はするなとまた言おうかと思ったが、それはやめて素直に感謝を伝えた。
アッシュが思っているよりずっと、彼女の心は強いはずだと考え直したからだ。
「……助かる」
続いて、呆然と立つ死体の巨人へと強襲を仕掛ける。
敵は多少の抵抗はしたものの、拍子抜けなほどあっさりと首を刈り取れた。
「終わりましたか?」
虫を通じてアリスの声が聞こえた。
アッシュは、切断した首を捨てながら答える。
蘇る気配も、強化される気配もない。
「ああ」
そして歩き出した。
本当はもう座り込んで休んでしまいたいのだが、まだそういう訳にもいかない。
なにしろこの聖堂は燃えている。
崩れる気配は全くないが、それも絶対ということはないだろう。
だから早くここを出たかった。
出口を探す必要がある。
「次の階層への入り口も見つけたのでさっさとここを抜けましょう」
しかし、アリスがそんなことを言ってきた。
渡りに船とはこのことだろう。
頷いて、礼を伝えておく。
「分かった。あと……色々と助かった」
言いながら『魔人化』を解いた。
すると、足から力が抜けてまた倒れそうになる。
しかし、近くにあった柱に手をついて耐えた。
めまいが落ち着くのを待ちながら、他の面々に声をかける。
「ミスティアは、シドを連れてアリスと合流してくれ。俺はノインと馬をひいて来る」
平静を装いつつ伝えると、各々が了解の声を返してきた。
返事を耳に入れながら、聖堂の外へとふらつく足を向ける。
そして本当に魔王を倒せるのだろうかと……不意によぎった弱気を押し殺した。




