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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
三章・黒炎の騎士
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二十三話・第五層『聖地蹂躙』(2)

 


 剣と大盾を手に走り出した。

 すると呼応するようにして異形も動く。

 爆ぜるような踏み込みで加速し、燃え盛る姿を霞ませた。


「『魔人化ディストーション』」


 アッシュは改めて魔人化し、騎士の姿になる。

 するとようやく敵の姿が見えるようになった。


「…………」


 魔王の前に消耗は避けたかったが、こうする他なかった。

 いかに『魔術師』とはいえ、これほどの速さを誇る敵に魔術を当てるのは困難だ。

 だからあれに、多少でもついていける前衛が必要だった。


「――――――!!!」


 怪物が吠える。

 こちらの変化を気にも留めずに駆けてくる。

 石の床を粉砕し、纏う炎をたなびかせて肉薄してきた。

 アッシュは魔術を使用する。


「『構造強化アダマント』」


 魔物の力で、魔術がより魔法に近づいた。

 だから、『土』を刻んだ大盾はそれだけで触媒として機能する。

 アッシュは、まるで城壁を切り抜いたように分厚い、常人には両手でも持ち上がらない盾を振るった。

 さらにこれを強化して斬撃を受ける。


「……重い」


 しかし、これでもまだ一撃でヒビを入れられた。

 このままでは盾を破られるのも時間の問題だろう。

 だが他の面々も動き出している。


 敵に向けて三方向から、逃げ場を殺すようにして閃光が殺到する。

 アリスの竜によるものだ。

 しかしそれを、怪物は全て回避する。

 続けてミスティアとノインがほぼ同時に波状攻撃を仕掛ける。

 だがそれでもまだ敵を捉えられない。


「っ……!」


 アッシュは思わず歯を食いしばる。

 敵の回避があまりにも常識外れだったからだ。


 あの怪物は身をそらして避ける訳ではない。

 見切った上で体を動かしてもいない。

 ただ単純に駆け回ることで避けるのだ。

 あまりに速すぎるから、誰の攻撃も追いつくことすらできなかった。

 まるで熱風そのもののごとく縦横に駆け回っている。


「は、速い……!」


 ノインが声を漏らす。

 敵の動きを追い切れていないのだ。

 そして怪物は、その彼女が最も狙いやすい獲物だと考えたらしい。


「――――!!」


 唸るような声で吠えた。

 集中攻撃の標的にされぬよう、駆け回っていた怪物が狙いを定める。

 ノインを標的にし、大剣を振りかざして肉薄する。


「…………」


 だがその瞬間をアッシュは待っていた。

 敵が逃げている間に大盾に仕掛けをして待っていたのだ。

 持ち手に長い長い鎖を巻きつけた盾を持って、怪物の前に立ちはだかる。

 単純な速さ比べなら敵いはしないものの、こうして攻撃を仕掛ける瞬間になら先回りできる。


 割って入り、盾で一撃を受け止める。

 すると盾のヒビが広がる。

 二撃目で明確に限界を迎える。

 アッシュはそこで、後ろに飛んで下がろうとする。

 だが恐ろしい速さで追撃が繰り出された。


「バカが」


 呟いた。

 予想通りの動きだったからだ。

 あの怪物は、下がろうとする敵には突きを出してくる。

 目一杯腕を腕を伸ばして突き刺そうとしてくる。

 前半戦の戦いを経て、もう一度見た動きだった。

 だから、わざと下がって突きを誘発したのだ。


 そして放たれた鋭い突きが、容易くアッシュの盾を貫く。


「…………」


 小さく息を漏らし、すぐに盾から手を離す。

 同時に、盾の持ち手に巻きつけてある鎖を手に取った。

 その一端をシドに投げて渡す。


 すると、彼は呆れたように笑った。


「……知恵が回るもんだ」


 意図には気づいてくれたようだ。

 シドが杖を持ち直す。


 だがそれを見届けたところで、怪物の剣が振り下ろされる。

 先ほどの盾を貫いたまま、突き刺したままだが気にする様子はない。

 重い一撃をなんとか受けるが、一撃でアッシュの剣はひしゃげてしまった。

 作ったのは『不壊』を刻まれているわけでもないただの鉄剣だからだ。


「――――――――!!!!」


 怪物が吠える。

 心なしか勝ち誇るような気配が滲んでいた。

 アッシュの盾を貫き、剣を曲げたことを誇っているのかもしれない。


「…………」


 トドメとばかりに大剣を振りかざしてくるが、その前にシドが魔術を使う。

 対象は、さっき渡した鎖だ。


「悪い、待たせた。……『破断フラジャイル』」


 いま彼が唱えた魔術は『構造劣化』の上位、『不壊』と対を成す土魔術の一種の頂点だ。

 魔術を受けた鎖が一瞬で、まるで腐ったおがくずのように脆くなる。


 しかしこれで終わりではない。

 鎖の先には盾がある。

 盾の持ち手に結びつけた鎖なのだから。

 だから盾も脆くなる。

 さらに、その盾を貫いたままの剣もあった。


 すなわち怪物が手にしている、禍々しい錆鉄の剣だ。


「『偽証イグジスト』」


 鞘に収まった剣を作った。

 目の前で大剣を振り上げた怪物に、アッシュは改めて向き直る。


 そして冷静に構えを取る。

 左足を引き、身を低くかがめた。

 剣の柄を握る。

 全身に力を溜めて、抜刀と同時にそれを解放する。

 いつか見たゼクスの抜刀術の真似だ。

 音よりも速く剣を抜き放ち、敵の刃を一閃する。


 そして『破断』を受けて脆くなった鉄剣を、根本から完全に叩き折って見せた。


「…………」


 敵は、まだ自らの得物を折られたことを理解していない。

 刃がなくなったことにも気づかず、敵は剣を空振ってしまう。


 当然、アッシュはその隙を逃さない。

 吐き捨てるように毒づいて、持ち替えた大槌で異形の頭部を粉砕する。

 さらに続けざまに剣で斬り刻んだ。

 とどめに大剣に持ち替えて、怪物の太い胴を横薙ぎに撫でる。


「――――――――!!」


 怪物は、絶叫と共に吹き飛んだ。

 壁に叩きつけられる。

 すぐさま立ち上がろうとするものの、アッシュが鉄槍を投げて追撃した。

 槍は怪物を貫いた上で壁に深く突き刺さる。

 まるで縫い付けられたように動けなくなるが、これで拘束しておけるほど容易い相手ではない。


 敵は強靭な背筋で身を起こそうとしている。

 背を反らして、貫いた槍を引き抜こうとしていた。

 その力は凄まじく、刺さった槍をひしゃげさせてすらいる。


 次の手を打つ必要があった。


「……キリがない。アレを殺す前に、仕掛けを先に攻略しよう」


 アッシュは言った。

 ノインが答える。


「終わらせるって……一体どうするんですか?」

「俺にも……分からない」


 ノインの問いに答えながら、槍を引き抜こうとした異形を大弓で射抜く。

 また壁に縫い留める。


「…………」


 これで、一秒でも稼げればいいのだが。

 やはりそう甘くはないようだった。

 自らの体を引き裂きながら、怪物は強引に自由を得る。

 そして一瞬で加速した。

 アッシュを見つけて、狂気の形相ぎょうそうで駆けてくる。


「――――――――!!!!」


 すでに武器はないが、鋭い爪を振りかざして迫ってきた。

 前の階層の異形の物ほど長くはないものの、肉食獣に近い鋭さの爪を持っている。


 だからアッシュが身構えると、ちょうどミスティアが加勢してくれた。

 鋭い正拳から雷の衝撃波を飛ばしてみせる。


「『遠当て』!」


 飛来した雷は直撃こそしなかった。

 しかし爆風が十分に怪物を怯ませる。

 ほんの僅かな隙が生まれた。


 そして、シドにとっては恐らくこれだけで十分だった。


「『氷走フロストチェイス』」


 一瞬だった。

 巨大な氷の波が生まれる。

 凄まじい速さで地を這い、通り道を氷漬けにしながら標的へと疾走する。


「!」


 しかし、流石というべきか。

 怪物は獣の鋭敏で反応してみせる。

 大きく横に飛び退いてそれを回避する。

 完全に氷の波の追跡を振り切ったかと思われたが……まだ終わりではなかった。


 回避した敵へ、追いすがるようにして氷の波がねじ曲がる。

 即座に反転して追尾を継続する。

 完全に未知の魔術だった。

 しかし、それでも今どうするべきなのかはすぐに分かった。


「アリス!」

「分かってますよ」


 声をかけると、アリスは冷たく返事をした。

 竜が閃光を放つ。

 すると、怪物は完全に意表を突かれた。

 閃光を受けて足を止めてしまう。

 そして完全に足を止めたことで、押し寄せる氷になすすべなく呑み込まれた。


「ガアアアアアァァァ!!!!!」


 しかし怪物は抵抗した。

 くうを震わす咆哮と共に炎を爆発させる。

 氷の拘束を粉砕する。

 けれどそこに、間髪入れず氷の杭が叩き込まれた。


「ほら、動けよ」


 シドがほくそ笑んだ。

 杭は次々に放たれる。

 異形は、飛来する杭を拳で砕いた。

 だが砕けたのは三発だけだ。


 嵐が来てしまったからだ。

 圧倒的な物量で、礼拝堂を埋め尽くすような密度の『杭』が殺到する。

 圧倒的なまでの火力差があった。

 抵抗は無駄に終わり、瞬く間に怪物は蜂の巣になる。


「…………」


 しかしそれでもシドは止まらない。

 さらに『杭』を打ち込む。

 怪物の体に、隙間なく氷の杭が突き立っていく。

 さらに、すでに突き立っている杭の上にさらに杭が重なっていく。

 何度か氷の下で炎が吹き上がったものの、やがてはそれも絶えてしまう。


 そしてようやく『杭』の掃射が止んだ頃、アッシュの目の前には巨大な氷山が形成されていた。


「えげつな……」


 小さくアリスが呟いた。

 目の前にそびえ立つ杭の山は、圧倒的な暴力の名残りだった。

 まず間違いなく、怪物は肉塊となり果てたであろう。


「…………」


 そんなことを考えながら、アッシュはミスティアに声をかける。

 少し急いでいた。

 こうなってもまだあの怪物が生きている可能性があったからだ。

 すぐには動けないだろうから、試練についての話を進めたかった。


「ミスティア。君は例の話の、聖堂を燃やす際の記述について覚えているか?」

「聖堂? ええっと……確か……」


 問いを受け、ミスティアがまごつく。

 それを見かねたか、シドが平坦な声で代わりに答える。


「聖油とかいうものを使って、祭壇に火をかけたと聞いているが」

「聖油ですか……」


 聖油と聞いて、声を漏らしたのはノインだった。

 厳格な修道院で育った彼女には、当然何を指すのか理解できているのだろう。

 そして、そんなノインにシドが反応する。


「なんだ、お前分かるのか?」

「ええ。あたしはその……使ったことがないんですが、教会の秘蹟ひせきに用いるだいじな物なんです」


 今聞いた通り、教会の儀式においては油がしばしば用いられる。


 油は生物から得るものであるが故に、水や金属より魔力を通しやすい。

 特に質の良いものは、魔道具を作る際などに古くから用いられてきた。

 無論その効果は血……とりわけ魔物の血には劣るものの、教義上の問題で血は表立った儀式に使えない。

 そういった事情もあり、油は魔力のシンボルの一つとして様々な儀式の要となる。


 しかし、それはともかくだ。

 アッシュは話を進めることにする。


「一応言っておくが、まだ死んでいない。油を探してさっさと燃やそう」


 かなり待ったが、まだ魂はアッシュの手には渡っていない。

 生存を確信して全員に伝えると、ミスティアが疑問の声を上げる。


「でも聖油なんてどこに?」


 アッシュは少し唸る。

 当然どこにあるかなど知らない。

 だが考えて、推測を話すことにした。


「祭壇か、地下室か……。だが恐らく、戦争中なら聖油も祭壇にあるだろう」


 この街は戦場だった。

 そして人が戦闘に出るならば、当然のこととして死に至る。

 戦士した兵士には、聖油を用いた告別の儀式が必要である。


 本来、この儀式は臨終の枕元で厳粛に行われる。

 とはいえ、戦地においては祭壇にてまとめて行うのが通例だった。

 ならはきっと、油も祭壇に持ち込まれているはずだと考えていた。


「!」


 と、その時。

 氷山が軋み、氷の奥で赤い光がちろついた。


「あの、私が火をつけてきましょうか?」


 不意に声を上げたのはアリスだった。

 平静を装ってはいるが、その声は少し怯えているように聞こえた。


「……?」


 怪訝に思う。

 逃げようとしているのかもしれないと直感した。

 だが、そうだとしてもアリスは適任だ。

 仮に祭壇に油がなかった場合でも、召喚獣を用いてあらゆる場所を捜索することができる。

 なので任せることにして、アッシュは答える。


「頼んだ」

「ええ、では失礼します」


 最後に彼女に視線を向ける。

 すると礼をして、それから馬の召喚獣に乗り去って行った。


「…………」


 そしてその直後だった。

 氷の山が消し飛んだ。

 代わりに、とてつもなく巨大な火柱が現れる。


「シド、頼む」


 呼びかけた。

 敵の体勢が整うのを待つ必要などありはしない。

 だから攻撃を要請すると、言い終わるか終わらないかの内に魔術が飛んだ。


「……死ね」


 無詠唱だ。

 しかしそれでも、氷が嵐となって存分に猛威を振るう。

 火柱へ向けて、四方から数十もの『矢』が繰り出された。

 巨大な火の渦を凄まじい勢いで削り取っていく。

 雨のように降り注ぐ『矢』によって、瞬く間に火柱の太さは半分以下になった。

 着実に、火の奥の異形へと届きつつある。

 だが炎が完全に潰えようとした時、残り火が爆ぜて周囲に爆炎を撒き散らした。


「っ……!」


 激しく吹き付けてきた煙に、アッシュは思わず咳き込んだ。

 しかし、薄く煙が覆う中で目を凝らす。

 なにか嫌な予感がしたから、焦燥に駆られて声を上げた。


「シド、風を!」


 この視界の悪さと、敵の身体能力が合わさるのはまずかった。

 魔術の風で、急いで煙を晴らさなければ誰かが死にかねない。


「いや、必要ない」


 しかし彼はそれを断った。

 なにかの魔術で索敵したようだった。

 次の瞬間には雷鳴が轟き、『砲火』の魔術が煙を貫く。

 どうやら命中したらしく、青い閃光が敵を穿った……いや。


「馬鹿な……!」


 シドが、信じがたいといった様子で叫びを押し殺す。

 いかんせん視界が悪くて状況は掴めない。

 だが彼が放った砲火を、怪物はなにか……赤く光るもので斬り裂きながら進んでいるようだった。


 アッシュは歯を食いしばり、ミスティアに呼びかける。

 風はこちらに頼むつもりだった。


「ミスティア!」

「わ、わかった!」


 いくらか動揺した声ながらも、意図は伝わったようだ。

 鋭く、引き裂くような音と共に風が吹き荒れる。

 そして晴れた視界の中で、アッシュはようやく何が起こっているのかを理解できた。


「――――――――――――!!!」


 敵が叫んでいる。

 形容しがたい、唸るような咆哮を響かせている。

 そして一層燃え盛る炎を纏い、怪物は魔術を斬っていた。


 握られているのは、炎を凝縮して作り出した魔法の大剣だった。

 それを、霞むほどの速さで振るう。

 すると斬られた雷の奔流が四方に散って、燻り狂う怪物の周囲を無作為に破壊していく。


「またか……」


 アッシュは目を見開く。

 間違いなかった。

 また、先程とは比較にならないほど強化されている。


 そして今思えば、強化が発生するタイミングは……必ず致命傷を受けた後だったのだ。

 間一髪で気づけた。

 だから必死の思いで叫ぶ。


「シド! 無駄だ、やめろ! 殺しても意味がない!」


 取り返しのつかないことになる。

 間違いなく、次はもう歯が立たない。

 しかしシドは冷静を欠いていた。


「黙れ……! 認めるわけ……ないだろ……!」


 どうあっても敵を打ち負かさなければ、それが負けを認めることになると思っているのだ。

 彼はさらに雷の出力を高める。

 すると、数秒の拮抗の後で雷が競り勝ち始める。


「聞いてくれ! その怪物は、死ぬ度に強化される!!」

「死ねっ……死ねよ!!」


 呼びかけた言葉はまるで無視された。

 彼はあくまで、異形の防御を破ることに執着していた。


 そしてついに彼の望みは叶った。

 すなわち、『砲火』の魔術が勝ったのだ。

 怪物の上半身は跡形もなく消し飛ばされた。

 雷の奔流は最後に爆発を巻き起こし、跡形もなく敵を消し去る。


「はぁ……!」


 荒い息が聞こえる。

 シドのものだろう。

 上の空に聞き流して、アッシュはアリスに語りかけた。

 虫を通じて、おそらく声は聞こえるはずだった。


「アリス、まだか?」


 一縷の望みをかけた問いかけだった。

 すると、感情の読めない声で返答が返ってきた。


「まだです。あなたの読みが外れました。祭壇にも地下室にもありません」

「……悪いが、急いでくれ。頼む」


 それにアリスは答えたのかもしれない。

 あるいは答えなかったのかもしれない。

 聞き届ける暇も惜しんで、アッシュは全員に向けて言葉を投げる。


「次は、足を狙う。絶対に殺すな。こいつは死ぬ度に強化される」


 再び敵の力について口にする。

 そして、内心で趣味が悪いと思った。


 前の階層の敵は、死んでも死なない単なる不死身だ。

 同じと思わせておいて、こちらは殺す数だけ強くなる異能持ちだ。


 下手すれば全滅の目もある、恐ろしく危険な敵だった。

 すると、若干恐慌きょうこう気味の声音でノインが言う。


「じゃあどうすればいいんですか……?」


 足を狙えと伝えたが、どうやらそういう意味ではないらしい。

 どう動けばいいのかと尋ねられている。

 だからアッシュは深く息をして、言葉を選びつつ答えた。


「徹底的に守りに徹する、それしかない。今となってはもう……やれることは時間稼ぎだけだ」


 鎖を作り出し、左手に巻きつける。

 そして現れた、紅蓮の巨人に向けて投げつけた。

 巻きつけて、思い切り引く。


「っ……!」 


 しかし、余りに重すぎた。

 炎の剣を持つ、丸太のような腕はびくともしない。

 引いて撹乱しようにも動かせない。

 逆に異形が鎖を引くと、アッシュは無様に引き寄せられた。

 そのまま、炎の剣の直撃を受ける。


「…………」


 だがアッシュに炎は効かない。

 実態を持たぬ、ただの熱の塊などかすり傷もつけられないはずだ。


 しかし、それを知らないミスティアが悲痛な声を上げる。


「アッシュくん!」


 怪物はさらに動く。

 吹き飛ばされたアッシュを追撃しようとしていた。

 それをシドの『杭』がほんの少し足止めする。

 しかし赤の剣閃により、『杭』を全て撃ち落としてしまう。

 防御するだけではなく、なおも前進してみせていた。


「『鎧抜き』……!」


 しかし、そこで背後からミスティアが奇襲を仕掛けた。

 怪物が彼女に向き直ると、今度は背後にノインが現れる。

 挟み撃ちでなんとか拮抗を保つが、見たところ敵は全力を出していない。


 もし本気を出したら一瞬で二人とも殺される。

 だからアッシュは覚悟を決めた。

 走り出す。


「俺は打たれ強いし、炎も効かない。だから前に出る。他は下がっていい。シドは、できるなら援護を頼む」


 言いつつ、ミスティアの前に立った。

 怪物の相手を引き受ける。

 そしてノインへと呼びかける。


「君も退いてくれ。もうなにもしなくていい」

「でも……」


 躊躇する彼女に、アッシュは語気を強めた。


「いいから、俺に任せろ」


 大事なのは、いかに消耗せず魔王の前までたどり着けるかだった。

 そのためにアッシュが盾になる。

 二人が引いたことにより、突出して前に立つことになった。

 そして当然、次の標的はアッシュになる。


「…………っ」


 かき消えた。

 全く見えなかった。

 しかし衝撃が全身を突き抜ける。

 それで、アッシュは自らが蹴り飛ばされたことを知る。


「ぐっ……!」


 そうして吹き飛ばされていると、怪物はアッシュに追いついてきた。

 空中で追撃を加えられた。

 激しく地面に叩きつけられる。

 そして息をつく間もなく、跳躍の勢いを乗せた炎の剣の刺突が胸を貫いた。


「う……あ……」


 炎の剣を手で握り、怪物が動けないよう力を振り絞る。

 そこにシドが氷の杭を放った。

 だが、怪物は容易く片手の拳で砕く。

 なにか怒りに触れてしまったのか、アッシュを捨て置いてシドの方に歩き始めた。


「『氷走フロストチェイス』……!」


 焦ったような声だった。

 地を踏みしめるように歩む怪物は、自らに迫る魔術を正面から斬り飛ばす。

 何事もなかったかのように前進してみせた。


「『氷砲フロストブレイク』」


 氷の奔流が放たれる。

 雪崩のような轟音を伴う『砲火』に対して、怪物は炎の剣を無造作に一閃してみせた。

 それだけで、荒れ狂う冷気は完膚なきまでに跳ね返された。


「そんな……!!」


 ミスティアの取り乱す叫びを聞きながら、立ち上がったアッシュは走る。

 今ので彼が手傷を負ったかは分からない。

 だがこれ以上の被害が出る前に、アッシュが行かねばならなかった。


「お前の相手は、俺だ……!」


 絶え絶えの息で言いながら鎖を投げる。

 怪物の首に巻きつけた。

 そして一瞬で背に飛びつき、巻き付けた鎖を使って首を締め上げる。

 人間ならばもう反撃は不能な状態だった。

 しかし、怪物は当然のように対応してみせる。


「…………!」


 ゆっくりと、鎖が握られた。

 それから次の瞬間、アッシュの視界が霞む。


 …………………………。


「アッシュ様!」


 ノインの叫び声で目覚める。

 一瞬、気を失いかけていたようだった。

 地面に倒れている。


「…………っ」


 周囲を見ると、横たわっていた地面が派手にひび割れていた。

 亀裂はまるで蜘蛛の巣のような形だった。

 恐らくは鎖を掴まれて、そのまま力任せに叩きつけられたのだろう。


「はぁ……はぁ……」


 荒い息を吐く。

 すぐに立ち上がるものの、ロクな抵抗もできないままに炎の剣で殴り飛ばされた。

 さらに何度も打ち据えられるが、この体に炎は効かない。

 あまり傷をつけられない。


 だからか、怪物が訝しむような目を向けてきた。


「…………?」


 壁に叩きつけられ、何度も斬られてまだ生きている。

 それが不思議であるというような素振りを見せる。

 怪物は、少し思考するような間を開けて炎の剣を消した。


 続けて、代わりに拳を握った。

 その拳が振りかぶられるのは見えた。

 しかし、肝心の打撃の軌道までは見切れなかった。


「っ……」


 攻城兵器もかくやというほどの威力だった。

 聖堂を揺るがすような衝撃を伴って、振るわれた拳がアッシュを壁に叩きつけた。


「う、あっ……」


 意味のない声が漏れる。

 たった一撃で足ががたつき、立っているのが難しくなった。

 血を吐きながらも顔を上げると、今度は蹴りを入れられた。

 脇腹を粉砕しれて、また意識を失いかける。

 けれど気力で繋ぎ止める。


 そして、虫を通じてノインに語りかけた。


「……ノイン、それは使うな」


 ツヴァイとの決戦時に見せた、あの最大強化の術だ。

 それを使おうとしたのを察知して、アッシュは彼女を制止した。

 恐らくは無駄で、再生能力が消える分むしろ危ない。

 それに、よしんばここを乗り切れたとしても、また熱を出されては魔王を倒せない。


「でも……!」


 泣きそうな声で反論してきた。

 答える余裕がなかったから、アッシュは何も言えなかった。

 また少し吐血して、壁にめり込んだ体を引き抜く。

 そして盾を作り出し、ふらつきながらも構えてみせた。


「『構造強化アダマント』」


 すると戯れのつもりなのか、怪物はわざわざその盾めがけて拳を繰り出した。

 たった四発で盾が粉々になる。

 だから、嵐のような連打を自らの身で受け切ることになった。

 数え切れぬほどの殴打の後、最後の一撃で大きく吹き飛ばされる。


「ごほっ……けほっ……」


 冷たい聖堂の床に転がる。

 立ち上がろうとするが、体にうまく力が入らない。

 騎士の姿の鎧がなければ、すでに撲殺されていただろう。

 必死に立とうともがきながら、悪態をつこうとする。


「ク、ソ……」


 しかし声を出す気力すらない。

 無様に手をつきながら、なんとか立とうとする。

 だが、再び崩れ落ちた。

 力が抜けて体が動かない。

 だが、それでもまだ、余力を振り絞れば立つくらいはできるはずだ。

 けれどあえて立たず、寝たままでも意識を保って盾になることに集中すべきか。


「…………」


 どこか他人ごとのようにして迷っていた。

 霞む風景の中で、歩いてくる怪物を見つめる。

 するとその滲んだ視界に、一人の少女が割り込んだ。


 思わず声を出す。


「馬鹿なことは……!」

「もう見ていられません……! あたしも戦います!」


 目の前で叫んだ声は涙声だった。


 塔に入る事すら恐れていた彼女だ。

 きっと怖いのだろう。

 勝てないことだって分かっているに違いない。

 勇気を振り絞ってここに来たのだ。


 だがそれは、哀れなほどに無駄でしかなかった。

 彼女を前に、怪物は炎の剣を生み出す。

 次の瞬間にはもう、殺されているに違いなかった。

 声を絞り出す。


「やめろ……!」


 しかし、ノインは殺されなかった。

 どこからともなく現れた炎により、聖堂の上、すなわち天井が燃え始めたからだ。


「……間に合った、か」


 アッシュは呟く。

 そして最後の力を振り絞り、震える膝でなんとか立つ。

 するとノインが駆け寄ってきて、体を支えてくれた。


「アッシュ様……」


 彼女の顔を見ると、やはり恐怖を押し殺したような気配があった。

 肩を軽く叩き、アッシュは一人で歩き始める。


「結果的にだが、助かった。ありがとう」


 ノインが前に出て作った時間で、アッシュは最後の追撃を受けずに済んだ。

 だから感謝すると、彼女は不意に崩れ落ちる。

 顔が真っ青になっていた。

 本当に、死の覚悟をしていたのかもしれない。


「すみません、今……」


 慌てたようにノインが言う。

 だが、試練を終えた今ならミスティアとアッシュだけでも倒せるはずだ。

 なので無理はしないように伝えた。


「いや、多分やれる。……ミスティア、シドは生きているか?」


 主の手当てをしていた彼女に声をかける。

 すると、一拍遅れて返事が返ってきた。


「うん。……跳ね飛ばされて気絶してるけど。多分大丈夫」

「なら協力してくれ、あれを倒す」


 怪物の体から纏っていた炎が消えていた。

 代わりのように、腐った頭部には骨でできた王冠のようなものが被せてある。

 夜の怪物と同じように姿を変えたのだ。

 どう見ても、先程までのような力があるとは思えなかった。


「あ、あたしもやります」


 ミスティアがいれば十分だと思ったが、ノインも戦列に加わった。

 無理はするなとまた言おうかと思ったが、それはやめて素直に感謝を伝えた。

 アッシュが思っているよりずっと、彼女の心は強いはずだと考え直したからだ。


「……助かる」


 続いて、呆然と立つ死体の巨人へと強襲を仕掛ける。

 敵は多少の抵抗はしたものの、拍子抜けなほどあっさりと首を刈り取れた。


「終わりましたか?」


 虫を通じてアリスの声が聞こえた。

 アッシュは、切断した首を捨てながら答える。

 蘇る気配も、強化される気配もない。


「ああ」


 そして歩き出した。

 本当はもう座り込んで休んでしまいたいのだが、まだそういう訳にもいかない。


 なにしろこの聖堂は燃えている。

 崩れる気配は全くないが、それも絶対ということはないだろう。

 だから早くここを出たかった。

 出口を探す必要がある。


「次の階層への入り口も見つけたのでさっさとここを抜けましょう」


 しかし、アリスがそんなことを言ってきた。

 渡りに船とはこのことだろう。

 頷いて、礼を伝えておく。


「分かった。あと……色々と助かった」


 言いながら『魔人化』を解いた。

 すると、足から力が抜けてまた倒れそうになる。

 しかし、近くにあった柱に手をついて耐えた。

 めまいが落ち着くのを待ちながら、他の面々に声をかける。


「ミスティアは、シドを連れてアリスと合流してくれ。俺はノインと馬をひいて来る」


 平静を装いつつ伝えると、各々が了解の声を返してきた。

 返事を耳に入れながら、聖堂の外へとふらつく足を向ける。

 そして本当に魔王を倒せるのだろうかと……不意によぎった弱気を押し殺した。



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