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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
三章・黒炎の騎士
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十八話・安らげない休息

 


 他の面々は村の門の前で待っていたようだった。

 アッシュが帰ってくると、込められた感情こそ同じではないものの一様に視線を向けてきた。

 また、ノインはすでに馬を連れてきていたようで、彼女のそばで行儀よく待つ姿が見えた。


「今日はここで休もう」


 そう伝えると、やはり難色を示したのはシドだった。


「まだ進めるだろ」


 彼の声色にはどこか余裕がなかった。

 功にはやっているような印象を受ける。

 人のことは言えないが、なにかこの塔に執着があるということだろうか。


 しかし、あまり興味がなかったので必要なことだけを答えた。


「だが、次はどこで休める? この先、まともな建物で休める確証はないだろう」


 確かに進める。

 進めるが、ここは異形の住処すみかとはいえ村だ。

 気を落ち着けられるかは別として、休息を取るのに適した場所ではある。

 そして、この場所が塔の中で最初で最後の休憩地点かもしれない。


 だからそう言ったのだが、彼はやはり不満らしい。

 じっとこちらを見つめてきている。


「…………」


 さてどう説き伏せるかと、そんなことを考えていた時。

 ミスティアがシドの肩を叩き、なにやら言いたそうな目で彼を見つめていた。


「シド様、あまり、その……こう、肩肘を張ると言うか……」


 シドに危害を加えることはいかなる理由であれ許さないのだろうが、彼のへそ曲がりをも盲信している訳ではないのだろうか。


 アッシュにとっては意外だったが、ミスティアが歯切れ悪くシドをいさめた。


「……ああ、そうだな。悪かったよ」


 すると一瞬だけミスティアを睨むが、シドはすぐに剣呑な色を潜めた。


 先ほどとは別人のように聞き分けのいい様子だと感じる。

 しかし彼も馬鹿ではないはずなので、状況を正しく理解すればこんなものなのかもしれない。


 シドは気を落ち着かせるようにため息を吐いた。

 どこか、初めて会った時の落ち着きを取り戻したように見える。

 だから少し安心してアッシュは口を開く。


「この先に礼拝堂がある。死体もないから、多少はゆっくり休めるはずだ」


 異教の装いの礼拝堂には、探しても探しても標的がいなかった。

 だから死体は一つもないはずだった。

 拠点にするべく歩き始めると、すぐに全員がついてくる。


 程度の差はあれ、誰も彼も気疲れてしているのかもしれない。


「これが……」


 やがてたどり着くと、手綱を引いていたノインが小さく呟く。

 礼拝堂は、聖教国の教会とはずいぶん違っている。

 だからか驚きに目をみはっているようにも見えた。


 まず、この礼拝堂は壁が黒い。

 それだけで十分驚くに足るものだろう。

 アトス教では、白や金こそを尊い色としている。

 そして黒はというと、これは弔いの色なのだ。

 白の死装束を纏う死者を、月の瞳が見つけやすくするために、周囲の追悼者は黒衣に袖を通すのである。


 そのように黒はあまり縁起のいい色ではない。

 異教とて、神の膝下たる礼拝堂に使うなどアッシュには全く理解できかねる。


 さらに、建物自体の造り自体もこちらの教会とは異なる点がある。

 素朴かつ重厚な分厚い黒レンガの壁に、支柱や窓の形に半円アーチを多用した構造だった。

 そして散りばめられている控えめな装飾も、どこか異国の情緒を感じるものである。


 だが尖塔が据えられていて、その頂上には鐘があることだけは聖教国の教会と変わらない。

 だから実のところ、ここが礼拝堂だと推測できたのは尖塔と鐘によるところもある。


 しかし、なにより大きいのは見慣れたある紋章のお陰だった。

 ノインも気がついたのか声を漏らす。


「これは……『月』ですか?」

「ん? お前らの方ではそう呼ぶのか」


 シドが不思議そうに答えた。

 教会の入り口の上に刻まれているのは、馴染み深い刻印……すなわちアトスの象徴たる『月』のルーンだった。


「一応、わたしたちのところでは『月光』って呼ぶけど……まぁ似たようなものだね」


 ミスティアが補足してくれた。

 しかしノインが困惑したような息を漏らす。


「はぁ……」


 納得はできていない様子で、さらに問いを重ねていた。


「この国には教会の教えもあるのですか?」


 少しの沈黙の後、これにはシドが答える。

 ミスティアの方はぴったりと口を閉ざしていて、見た限りあまり詳しくはなさそうだった。


「ないぞ。……ないがな、うちの宗教は多神教だ。だったら無意味に敵対するまでもなく、取り込んでしまえばいい。ついでに高貴だどうだ大精霊だと祭り上げれば、他との摩擦は避けられるって寸法だ」


 シドは一息に回答した。

 ノインはいまだに理解しかねている様子だった。


「えっと、ええ……」


 だがもう答える気はないのか、シドは礼拝堂をまじまじと見つめている。

 代わりに、アッシュが噛み砕いて彼女に伝えた。


「つまり、この国では月の瞳は多くいる神の一つに過ぎないというわけだ。多少、特別扱いはされているが」

「あ、なるほど……」


 これでようやく理解したらしい彼女は、複雑そうな表情で何度も頷く。


「…………」


 しかし月の瞳……ロスタリアでは月の精霊、あるいは大精霊だとでも言うのだろうか。

 このシンボルを入り口に掲げているのなら、なおさら礼拝堂に黒を用いているのには疑問が残る。


 だが別に異文化交流をしに来た訳でもない。

 その疑問は、すぐに思考の隅へと追いやってしまう。

 すると、シドの声が耳に届いた。


「なんか、狭いな」


 特に不満そうなわけではないが……狭いと言っている。

 実際、この礼拝堂は小さな村のものなのだ。

 こぢんまりとした建物だった。

 しかしそれでも、五人には余るほどの広さだった。


「五人で寝泊まりするなら十分だろう」


 誰からも答えは返らない。

 しかし、気にすることなく礼拝堂の扉に手をかける。

 だが馬の存在を思い返して、扉を開く前にノインに視線を向けた。


 すると、ちょうどノインもこちらに話しかけようとしていた。


「馬は……」


 どうしましょうかと、言葉が続けられる前に口を開く。


「村の東にうまやがあった。後で俺が連れて行くから、その手すりに繋いでおいてくれ」

「わかりました」


 その厩には死体がいくつかある。

 だから、アッシュは自分で連れて行くと言う。

 配慮には恐らく気がついてはいないだろうが、ともかく彼女はそれに従う。


 扉の前にある低い石段、その簡素な装飾の手すりに手綱を結びつける。

 これを見届けたアッシュは前を向き、改めて扉に手をかけた。


 分厚い木材で作られた扉は開き戸になっている。

 だから両手で押すと、かすかに軋むような音を立て開いた。


「…………」


 そして入った礼拝堂の中。

 入り口のスペースの奥にまた扉があった。

 雪国ゆえか、入り口は二重になっているようだった。

 けれど奥の入り口は最初から開け放たれていた。


 石張りの床の上を進み、アッシュたちは先に進む。

 するといくつもの長椅子が配置された、いかにも礼拝堂らしい場所にたどり着いた。


 それ自体は聖教国の教会にも似た風景だが、それでも一つ明らかに異様な点があった。


「これは……」


 思わず声を漏らす。

 先ほどアッシュが訪れた際とは変わっている。


 礼拝堂の最奥の壁には、いくつもの奇妙な偶像が置かれた祭壇があったはずだった。

 しかし今は、暗い穴のようにして……洞窟への入り口が穿たれていたのだ。


「この礼拝堂の裏って、洞窟でしたっけ?」


 アリスが白けた声で言う。

 けれど、恐らくは分かっているだろう。


 この礼拝堂の裏には、ごく普通の道がある。

 であればこの洞窟は、なにか超常の力により繋げられたと考えるべきか。

 もう頭が痛くなるような気分だった。


「考えても無駄だ。さっさと休もう」


 アッシュはそう言った。

 今は休むのが先だ。

 恐らく、この階層にはもう敵はいない。

 眠りこけるつもりこそなかったが、アッシュも少しは気を抜いて落ち着けるだろう。


 だがその前に……と思ってアリスに目を向ける。


「は? 私に飯炊き女みたいな真似させる気ですか? 業務の範囲外ですよね?」


 すげなく返されてアッシュは黙る。

 食事を摂るなら、彼女に動いてもらう必要があった。

 物資もそうだが、この面子でまともに調理ができそうなのはアリスしかいない。

 何故ならノインとシドは子どもで、ミスティアは論外だ。


 一応アッシュも、腕が鈍くなる前は簡単な食事くらいなら作れた。

 しかし今ではそれも難しい。


「腕が動くなら、俺がやっても良かった」

「そんな言葉には屈しませんが。どうしてもと言うなら命令してみればいいじゃありませんか」

「……面倒なことを言わないでくれ、頼むから」


 命令すれば動くというのなら、結局やることには変わりない。

 何を意固地になっているのか理解できなかった。

 もしや、どうしても命令させたいとでも言うのだろうか。


 せせら笑うようにアリスが続ける。


「面倒でもないでしょう。たった一言命令すればいいだけですから」


 そこで、シドが呆れたような声で口を挟む。


「なんだ。月のものでも来てるのか、お前」


 するとアリスは振り向いて睨む。

 彼女にしてはどこか余裕のない対応だった。

 訳が分からないから、アッシュはもう頭を抱えてしまいたくなる。

 本当に、何を考えているのか、全くもって分からなかった。


 うんざりしてため息を吐く。


「もういい。俺がやるから好きにしろ」


 腕が動かなくとも、ノインあたりに手伝わせれば食える程度のものは作れるだろう。

 そう思ったのだが、意外な声が割って入る。


「いや、僕がやる。お前の飯、不味そうだからな」

「……君にできるのか?」


 シドだった。

 しかし彼は、十といくつの子供だ。

 その上自分で食事など作りそうにもない地位だ。

 性格を見ても、自炊の習慣があるとは思えない。


 しかし彼はやけに自信ありげに頷いた。

 続けて、よくわからないことを言う。


「やったことはないが、知識はある」

「あ、シド様がやるならわたしも手伝いましょうか?」


 シドは、即座に手伝いを申し出るミスティアに視線を向けた。

 だが、冷ややかな口調で提案を切って捨てる。


「やめろよ」


 続けて、彼はノインに声をかける。

 彼女は先ほどから、所在なさげに立ち尽くしていた。

 しかし話しかけられて顔を上げる。


「おい、お前。まともな飯が食いたかったらこの味覚破綻者は地下室にでも放り込んでおいてくれ」

「ちょっと! なんてこと言うんですか!」


 はしゃぐ二人をよそに、ノインはアリスの方を心配そうに見ている。

 当の本人はあまり感情の読めない表情をしていた。

 そして口を開く。


「……必要なものがあれば出します。私が手伝うのはそこまでです」

「それでいい。悪いな」


 どこか不満そうに紡がれた声に、答えたのはシドだった。

 何を思ったかアリスは一つ息を吐く。


「それから、私の分は結構です。……魔術師の食文化には理解を示せませんから」

「ひとくくりにしないでほしいが、手間が減るのは歓迎だ。勝手にすればいいさ」


 無関心な様子で答えた。

 そして彼は続ける。


「炊事場を探してくる。ミスティア、お前も手伝わせるから来い。味付けはさせないけどな」


 ロスタリアの主従が礼拝堂の奥に去った。

 後には三人だけが残される。

 しばらく沈黙が続くも、やがておずおずとノインが口を開く。


「あの、アリス様。どうかされたのですか……?」

「あなたが気にすることではありません」


 ノインにまで辛辣な態度を取らないだけの分別はまだ残っているようだった。

 答えた声はやや硬いが、常とそうも変わらないものだった。


 体調を崩されては困るので、アッシュは少し問いかけてみる。


「食事はどうするつもりだ」

「関係ないでしょう。そのあたりで勝手に休むので放っておいてください」


 やはりアッシュへの態度は分からないようだった。

 もう話すのはやめることにして、最後に一言だけ通達しておく。


「後で封印を受けに来る」

「やかましいですね。つまらないことを話しかけないでください」


 無駄に強い言葉を使って、アリスはシドたちを追いかける。

 恐らくは彼女なりの義務を果たしに行ったのだろう。


「…………」


 二人残されたアッシュはノインに視線を向けた。

 それから、一つ声をかけた。


「馬を繋ぎに行ってくる」


 ノインも何も答えない。

 しかし丁寧に頭が下げられた。

 頷いて、それから礼拝堂の外へと足を向ける。


「待たせて悪かった」


 礼拝堂の外には、手すりに繋がれて大人しくしている馬がいる。

 前足で土をかく仕草を見ながら語りかける。


 そして結ばれていた手綱をほどき、端を持って歩きだした。

 すると馬は、特に抗うことなくついてくる。

 少し警戒しているような気配を纏っているものの、やはり訓練されている馬は賢くて落ち着いている。


「…………はぁ」


 ため息を吐いた。

 そして右手の先、手綱を握る指で馬の息遣いを感じながら。

 どうしてかうまく行かないものだと、アッシュは頭を悩ませていた。



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