十七話・第三層『鏖殺罪』
『火刑』の階層を抜け、アッシュたちは再び階段を登った。
シドは機嫌が悪そうで、ミスティアも少しこちらを警戒している。
さらにノインはなにか沈んだ表情を浮かべていて、アリスも相変わらずの様子だ。
よって誰も口を開くことなく、塔の道のりを粛々と進んでいた。
やがて階段を抜けて、次の階層にたどりつく。
「今度は夕か」
そう独りごちる。
階段を抜けた先は、血のように紅い夕日が照らす広場だった。
また分岐路があり、広場の構造自体は先程の夜の景色と酷似している。
けれど道を分かち、また広場を囲むのは石の壁ではない。
粗い壁面が露出した、まるで崖のような壁である。
そして分かれ道の前には、粗末な木の看板が置かれていた。
まるで道案内のような形だった。
選択が求められることを予感する。
「どうした、行かないのか?」
誰も動かない。
だから、痺れを切らしたようにシドが言う。
そして誰の返事も待つことなく、彼はさっさと選択肢の看板へと歩いて行った。
「…………」
だが正直、アッシュの方は気が乗らなかった。
先程の異形を始末し、魂を喰らったことで理解した。
この塔に囚われている魔獣でない異形は、そのどれもが元は人間なのだ。
恐らく、かつてこの塔があった場所に住んでいた人々なのだろう。
塔の作用で異形へと変えられてしまったのか。
詳しいことは分からないが、やはりこの塔が悪趣味極まりない狂った場所であることは間違いなかった。
本当に、アッシュをして哀れだと感じてしまう悲劇だった。
だが、あの異形を救う方法などもはやない。
進まねばもっと悲劇が広がるだけだ。
「……行こう」
誰に言うでもなく、強いて言うなら自分に言い聞かせて一歩を踏み出す。
あの異形の真実については、誰にも言うつもりはなかった。
教えて何になるわけでもない。
シドの背中に追いついた。
「『凌遅刑』と『鏖殺罪』か」
一足先にたどり着き、看板を見つめていたシドが言った。
多分ひとりごとだろうが、アッシュには読めない文字なので助かった。
そして選択肢の内容について考える。
凌遅刑とは、鋭利な刃物で罪人の全身を細かく刻み殺す極刑だ。
鏖殺罪は聞かない言葉だが、恐らくは文字通り皆殺す罪だろう。
「…………」
ふと気になりアッシュは視線を巡らせる。
そしてノインの方を見ると、彼女はやはり言葉の意味を分かっていないようだった。
だがそれでも、今はもう知りたいようには見えなかった。
なので、わざわざ教える必要はなさそうだった。
「鏖殺の方にしよう」
アッシュは提案する。
実際の手順から見て、陵遅刑に比べれば鏖殺罪は単純に思えたからだ。
もちろん単純とはいえ、鏖殺の方は戦いになる可能性が高いことは分かる。
だがこれだけの戦力があれば……こと戦闘において魔王以外を仕損じることもないはずだ。
ならば、くだらない謎かけを挑まれるよりは、手早く済みそうなこちらが良いと判断する。
すると、シドは背中越しに頷いたようだった。
「君たちは、どうだ?」
一応他の面々にも問いかけた。
だが、やはり反対はなかった。
アリスはどうでも良さそうで、ミスティアもシドが良いなら否定はしない。
後はノインだが、彼女もどうやら反対ではないようだった。
目が合うと小さく頷いて、馬の腹を撫たあとに手綱を離す。
ここに置いて行くつもりなのだろう。
方針がまとまったところで、アッシュはさっさと歩きだす。
罪だろうが罰だろうが、どう転んでもやることは殺生だ。
迷ったり躊躇ったりすることにはなんの意味もない。
―――
道の先、目の前に現れた光景に思わず声を漏らす。
「ここは……」
分かれ道を抜けると、そこは夕暮れの村だった。
本当に、どこにでもあるような村の光景だったのだ。
村の入り口に続く道はなだらかな坂になっていて、木の門は完全に開け放たれている。
そして、村の周囲には土が盛られ、急な傾斜を形成している。
さらに傾斜の上には木の柵が据え付けられていた。
これは貧弱ながらも伝統的な、寒村における魔獣への備えだ。
あるかなきかの安心感を人々へと与えるものだった。
そしてそのように、目の前にあるのは大陸では一般的な村の姿である。
村にいるのが無数の異形ではなく、村人でありさえすればだが。
「……気持ち悪い」
背後で低くアリスが呟く。
振り返ることはしなかったが、恐らく表情は嫌悪に歪められているのだろう。
「…………」
村にはあるべき生活音が全くない。
ただ畑の脇、井戸のそば、家の前、道の半ば。
あらゆるところに異形が立ち尽くし、あるいは這いずっている。
どれも例外なく人型をしていて、けれど人とは違うものだった。
裸の体はしわがれて、暗くくすんだ肌が覆っている。
どれも男も女も分からぬほどに痩せこけ、目は落ち窪み、細く枯れた四肢を虚ろに動かしていた。
意思の感じられない、ひたすらに白痴じみた挙動だった。
そして小さく開いた口には、異質なほど細かく鋭い歯が生え並んでいる。
しかしこの牙で襲いかかってくることはなく、ただ虚ろな呻きを垂れ流すのみだ。
「殺してくる」
短く言って、村の入り口で立ち尽くす面々を置いて進む。
やるのは、やはり魂を喰らうアッシュであるべきだろうと思ったからだ。
殺すしかないのなら、少しでも命を糧にする。
「う、ぁ……ぁ……」
足早に歩いた。
まず、門のそばにへたり込み呻く異形の喉を突き刺す。
人と同じ色の血が溢れ、貧弱な指が弱々しくアッシュの剣の腹を撫でた。
まるで刃を押し返して、逃れようとするかのように。
だが仕損じることはない。
喉の中で刀身をねじり、殺して魂を喰らう。
やはり人に似ていた。
だからこそ、先に進むアッシュの力になるだろう。
「…………」
淡々と先に進む。
数え切れないほど異形はいる。
恐らく全てを殺さねばならないのか。
となれば、抵抗も反撃もしない相手を延々と殺し続ける……それがこの試練の趣向なのだろう。
門を抜けて、村の奥へと続く道に差しかかる。
粗末な荒壁に藁葺き屋根の家々が、道の脇に立ち並んでいた。
そして、ここにはまだ多くの異形がいる。
家の壁に背をつけて座り込んだ異形、あるいは道端に倒れ、腕を這わせ、のろのろとどこかへ行こうとする異形。
全てを淡々と殺しつつ、アッシュはやがて家の中にも押し入った。
荒壁の家と一口に言っても、こうした貧しい村では質の悪い泥に藁や牛糞を足して建材にしている。
だからかなり色が悪い。
そのせいかどこか薄暗い屋内には、子供ほどの大きさの異形が転がっていた。
首を落とす。
「ちょ、ちょっと待ってください……」
家を出ると、どこか動揺したような口調でノインが呼びかけてくる。
わざわざ追いかけてきたらしい。
「なにを……なにをしているのですか……?」
「これは皆殺しの試練だ。全て殺さなければ、先には進めない」
やはりよく意味を分かっていなかったのだろう。
答えを告げると彼女も黙り込み、もう止めることはしない。
けれどやはり、罪の意識に染まった顔をしていた。
「…………」
何も知らなくても、この異形たちはきっと哀れを誘うものだ。
確かに、そういうふうに作られているところはあるのだ。
彼女のような人間ならなおさらだろう。
だが、それでも殺さなければ先には進めない。
「悪いがどいてくれ。まだまだいる」
そう言って、家の出口に立っていたノインを押しのける。
だが、ふと他の面々の様子が気になって視線を巡らせる。
すると彼らも村の門の前に立ってこちらを見ていた。
「君たちはそこで待っていろ。俺が全て殺す」
そう言って、シドの方を確認する。
彼がなにか抗弁するのではないかと懸念したが、どうやら心配はなさそうだった。
「…………」
興味なさげな顔をしている。
恐らくはこんな、作業のような真似で手を煩わせるつもりはなかったのだろう。
そして、それが分かったのならもう後は試練を終わらせるだけだ。
もう誰をも意識の外に置く。
淡々とこなすべき作業だけが目の前にあった。
殺す。
ただひたすらに殺す。
火をかけてもよかったが、建物が崩れれば生き残りを見つけづらくなる。
塔の攻略に関わる以上、不確実な手段は取るべきではなかった。
いくつかの家に押し入って隠れた異形を引きずり出し、手早く刃の錆にする。
それからもアッシュは殺戮を重ねる。
どの異形たちも、虚ろで哀れな姿をしていた。
部屋の隅で這いつくばって、何も入っていない石臼を回し続けるもの。
ボロボロの布で床を拭くもの。
畑の中を歩き回るもの。
かまどを覗き込んで動かないもの。
どれも全て殺す。
一刀のもとに斬り捨て続けた。
殺害を重ねる内に、生々しい感覚が手にこびりつく。
それが積み重なり、やがては消えがたい罪となる。
いつしか、長い長い時間が過ぎていた。
そうして行き着いた場所、村の広場で……恐らくは最後の異形の前に立つ。
異形は力なく地面に倒れていた。
刃を刺そうとしたところで、ぐったりと血を流す誰かの影が重なった気がした。
「…………」
顔色は、変わらなかったと思う。
それでも一瞬手が鈍るが、次の瞬間には幻影ごと異形を突き殺した。
するとその瞬間、村の中にあった礼拝堂からひとりでに鐘の鳴る音が聞こえた。
これは、どこかで通路が開通したことを意味するのだろう。
「終わりか」
呟いて、無造作に血を払う。
外套の袖で残った汚れを拭った。
続けてアッシュは歩き始める。
どこもかしこも死体まみれの風景を横切っていく。
しかしふと、その途中で足を止めた。
ほんのわずかに足が重くなったような気がしたのだ。
「……馬鹿馬鹿しい」
罪など、あまりに今さらではないか。
そう思い直し、歩き出そうとしたが……踏み出す前にふと足元に視線を向ける。
すると子供ほどのものと大人の体格のもの、二つ折り重なるようにして倒れた異形が目に入った。
「…………」
小さく息を吐いて、わずかな硬直の後で歩き始める。
仮にあれがいまだ人であったとしても、たとえどれほどの罪を犯したとしても、それでもアッシュは進まなければならなかった。
もう引き返せはしないのだ、絶対に。
足を動かし続ける。
赤い夕日を遮って長く伸びる影が、どこか不気味に見えた気がした。




