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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
三章・黒炎の騎士
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十六話・第二層『火刑』

 


「進もう」


 そう言ってアッシュは歩き出す。

 石壁に囲まれた広場を横切り、やがて掲示板と分かれ道の前に立つ。


「掲示板にはどんなことが書いてある?」


 掲示板に簡潔に記された文字すら、アッシュには読むことができない。

 だからロスタリアの二人に視線を向けると、すぐに答えが返ってくる。


「『火刑』に『背教罪』……かな」

「ありがとう」


 教えてくれたミスティアに礼を言った。

 彼女は微笑んで首を横に振る。


「いいえ」


 それから、アッシュはしばらく考え込む。

 考えるべきことはいくらでもある。

 たとえばこの先の分かれ道は、どちらも行く先が同じなのだろうか。

 また、そうだとしたらなんのために選ばされているのか。


「…………」


 結局、結論は出ない。

 だが、ふと思い立ってアリスへと声をかける。


「おい」

「……なんですか」


 そっぽを向いていた彼女は、視線だけをこちらに寄越した。

 不承不承といった様子で応答する。

 あからさまに不機嫌な態度を無視して、アッシュは言葉を続けた。


「お前の召喚獣で周囲を調べてくれ」

「ああ、いいですよ」


 返ってきた声は、思いの外乗り気だった。

 だからアッシュは意外に思う。

 それは他の面々も同じだったようで、シドが口を開いた。


「どうした、やけに素直じゃないか」

「元々、あなたほどは強くありませんよ」


 冷たく反論し、それから彼女は杖を握り直す。


「それに、個人的に興味があるんです。言われなければ勝手にやっていたかもしれません」


 そんな独白の後、彼女の目の前に影の鳥が現れる。

 それは鷹ほどの大きさだったが、くちばしのない頭部は人の頭蓋の形をしている。

 召喚獣の例に漏れず奇怪だった。


「…………」


 召喚獣が飛び立つと、アリスは目を閉じた。

 召喚獣の視界を共有し、意識を沈めているのだろう。

 やがて、何か分かったような様子で小さくつぶやく。


「……なるほど」


 すると、恐れと興味をないまぜにしたような表情でノインが問いかける。


「どんな様子なんでしょうか?」


 それに答えない。

 無視したというよりも、目に入る光景に心を奪われているからに思えた。

 彼女はそのまま、しばらく鳥の視界で探り回っていた。

 だが突然、驚いたように息を呑んだ。


「……っ。消されました」


 直後、俯いていたアリスが顔を上げる。

 消された、と言って顔をしかめている。

 だがアッシュは、意味がよく分からなかった。


「消された?」

「壊されたんですよ。考えれば分かるでしょう?」


 返ってきたのは刺々(とげとげ)しい言葉だった。

 小さくため息を吐く。

 面倒だったが、上手く機嫌を損ねないように会話を続けるつもりだった。


「察しが悪くてすまない」

「別に構いませんけど」


 やはり冷たく、アリスが一つ息を吐く。

 そして、頭の中で状況を整理するような間を開けて話し始めた。


「まず一つ、この広場や道の外にはなにもありません。いや……なにもなくなる、というのが正しいでしょうか。召喚獣も消されてしまいました」

「どういう状況で、一体なにに消されたんだ?」


 質問したのはシドだった。

 だが彼の言葉は冷ややかな笑みと共に無視された。

 シドは苛立たしげに眉を動かす。

 やはり無視して、アリスは言葉を続ける。


「それからもう一つ。この塔は魔王の心そのものです」

「心だと?」


 アッシュは耳を疑った。

 だから聞き返してしまったのだが、こちらにはどうも答えてくれるようだった。

 彼女は、不機嫌そうではあるが頷く。


「その通り。……この塔を俯瞰すれば、魔王の意思が伝わってきます。おぼろげにですが」

「分かるように言ってくれ」


 そう頼むと、アリスはつまらなさそうにため息を吐く。

 少し気が立つがそれは抑えた。

 塔の攻略が絡むと、自分は少し冷静を欠くということをすぐに自覚できたからだ。


「……そうですね、思い返してください。この塔は魔王の領域です。だからこそ、こんな超常的な現象も操ってみせるわけでしょう?」


 夜空を指差し、アリスが言った。

 アッシュは頷いて肯定した。


 あの夜空が、この空間が、魔術や魔法によるものだとは思えなかったから。


「ああ」

「でも、この塔において魔王が万能なら、私たちが生きていられるはずはない。ならば、なにかルールがあると考えるのが妥当でしょう。それに……」


 説明が続く。

 語るアリスが少しだけ上の空に見えた気がした。

 そして、アッシュにはわずかに事情が飲み込めてきていた。


「…………」


 つまり、この塔で起こっている超常的な現象にはルールがあるということだ。

 魔王も、なんの制限もなしに好き勝手にしているわけではない。

 この塔で起こることには一つのルールがあって、このルールを決めているのが魔王の心なのだと彼女は言っている。


 しかし。


「……もうたわ言は十分だ。さっさと焼き払えばいいんだろ?」


 そんな言葉が説明を遮ってしまう。

 シドだ。

 吐き捨てるように言って、彼はさっさと分かれ道の先に歩いて行ってしまう。


 行き先は『火刑』。

 罰の道だった。


「あ、シド様……!」


 ミスティアは、一瞬だけこちらを振り向いて迷う。

 だが結局、小さく礼をしてシドを追う。

 彼女が何よりも優先するのは、やはり主の身の安全なのだろうか。


 シドの背中を見ながら、今度はアリスが吐き捨てる。


「全く、あのバカガキは……」


 アッシュはシドを追うことにする。

 しかしその前に、苦々しげに呟いた彼女に問いかける。


「この塔のルールが魔王の心だというのなら、この趣向しゅこうにはなんの意味がある?」


 心と一口に言っても様々だ。

 今現在の感情なのか、忘れられない思い出かなにかなのか。

 どんな部分からこの塔が生まれたのかを聞いたつもりだった。


「…………」


 するとアリスは少し沈黙し、考えるような素振そぶりのあとに首を傾げる。

 そしてあっさりと分からないと言い放った。


「さぁ、分かりません」

「分からないだと?」


 思わず聞き返した。

 だが彼女はけろりとした表情で頷く。


「ええ。直接触れている訳ではありませんし、ごちゃごちゃしすぎてあまりよくわかりません」


 こう言われると納得せざるを得なかった。

 その、感覚的な部分はアリスにしか分からないからだ。

 一つ唸って、シドに続いて歩き出す。

 もう少し考えたかったが、魔王討伐の要である彼を一人にするわけにはいかない。


「分かった。ありがとう、先に進もう」


 進み始める前に礼を伝える。

 だが会話は終わったと認識したのか、アリスはなにも答えない。

 しかし、それは別に気にするつもりもなかった。

 さっさと進もうと背を向けたところで、アリスがつと声をかけてくる。


「いえ、すみません。一つ心当たりがありました」


 耳に届いた言葉に足を止める。

 振り返ると、アリスが小馬鹿にしたような顔でこちらを見ていた。

 その反応を理解しかねた。

 訝しむ視線を返すと、こちらの鈍さを嘲るように小さく鼻が鳴らされた。


「心の話ですよ。あなたの騎士の姿がそうだったように、こういう場合は大抵、理想や願いをかたどるものかもしれませんね」

「……魔王の願いだと?」


 聞き返して、すぐにアッシュは鼻を鳴らした。

 この歪んだ塔が願いの発露だというのなら、その主は疑いようもなく邪悪だろう。


「それはいい。気兼ねなく踏みにじれる」


 アッシュの答えが不満だったのかもしれない。

 小さく息を吐いて、もう何も言わずにアリスは歩き始める。

 アッシュも行こうとしたが、その前にノインもついてきているかを確認した。

 すると、彼女が手綱を持たずに歩いているのが見えた。

 どうやら今の階層での戦闘が終わるまで、馬はここで待たせておくつもりのようだ。


「…………」


 ともかく確認を済ませたアッシュは、すぐに前を向いて足を踏み出す。



 ―――



 火刑の道を抜けた先には、分かれ道の場所よりもさらに大きな広場があった。

 いや、広場というには広すぎるだろうか。

 見渡しても端が見えないほどに開けている。

 加えて荒れ果てた土地だったから、荒野という表現が相応しいかもしれない。


 そして荒野の入り口にはすでにシドたちが立っていた。

 しかし、凄惨な光景を前にして立ち尽くしているようだった。


「こほっ……」


 ノインが小さく咳をする。

 ここには肉が焼ける匂いが充満している。

 咳をするのも無理はない。


 荒野の刑場には、数え切れないほど巨大な十字架が突き立てられている。

 さらに、この全てに人か魔獣か知れない何かが磔にされて燃やされている。


「――――――」


 声にならない亡者の呻きが、風に乗ってアッシュの耳に届く。

 あるいは、燃えているすべてが苦悶する声なのかもしれない。


「悪趣味だ」


 シドが呟く。

 誰も答えなかったが、きっと全員同じ感想を抱いているだろう。

 そして夜の中、不自然に明るい刑場を誰からともなく進み始める。


 ノインが横に並んで、アッシュに問いかけてくる。


「火刑……燃やすことですよね?」

「ああ」


 彼女の言葉に頷く。

 燃やして殺す、まさにこれは火刑だろう。


「あの……かわいそうじゃありませんか?」

「なにが?」

「だって、ずっと燃えてます……」


 ノインの声にはどこか恐れる色すら混じっていた。

 その瞳が燃え続ける十字架を一つ捉えた。

 しかし、すぐに耐えかねたように逸らされる。


「…………」


 一連の様子を見て、彼女はこの、焼かれた異形たちを救いたいのだろうかと思う。

 しかしそんなことをするつもりはなかったので、一応釘を刺しておいた。


「求められているのは執行だ。くだらない遊びだが、付き合わなければ塔は登れない。余計なことはしなくていい」


 あくまでアッシュたちは火刑を行う側だ。

 こうして燃やされている者を救えば、失敗とみなされるかもしれない。


 だからそう言って歩き続ける。

 彼女は執行の意味を知っているのだろうかと、どうでもいい疑問が脳裏をかすめてすぐに消える。

 今考えるのは塔の攻略のことだけでいい。


「…………」


 するとやがて、夜の闇の中に巨大なシルエットが浮かび上がった。

 燃える十字架の群れの光を受けて、ぼんやりと照らし出されていた。


 その奇怪な姿を見て、ミスティアが戸惑ったような声を上げる。


「えっと……あれは……。えっ、なにあれ……?」


 アッシュもじっと見る。

 目の前にあったのは、巨大な十字架だ。

 アッシュの身長の三倍もありそうなものだ。

 そして十字架には、その大きさに見合うだけの巨体の異形が燃えることなく縛られていた。


「………………!!」


 異形は、声にならない声を上げている。

 これを一言で表すのなら、白い巨人とでも言うべきだろうか。

 骨格を含めて、人に近い面影を宿しているように見える。

 しかし、明らかにやはり人とは違うものだった。


 一糸纏わぬ巨人の肌は、漂白されたような不自然な白色をしている。

 さらに深いしわが隙間なく刻まれていて、皮膚はまるでなにかの幼虫のような質感だった。

 また、体表では病を感じさせる腫れ物が、全身の至る所で膿を吐いているのも分かった。

 この無数のそうの中でも特に大きいものは、苦悶する人の顔に似た形になっている。


 そして四肢と頭部は、厳重に鎖で巻かれて拘束されていた。

 特に頭の拘束はあまりに過度で、顔が隠れるほどきつく鎖で巻かれていた。

 しかしその鎖の隙間から、人の腕のようなものがいくつも生えて蠢いているのはかろうじて見える。

 まともな様子でないことははっきり分かった。

 何かを封じ込めるように、顔を大量の鎖で固められている。


 これに比べれば、四肢の拘束はいくらかマシに見えるだろうか。

 しかし代わりに巨大な杭を打たれていて、手足からは絶えず血が流れていた。

 完全に封じられているという意味では大差がないのかもしれない。


 こうして巨人は身じろぎ一つできないまま、黒い十字架に縛り付けられている。

 時折かすかに呻き声をあげて、鎖を揺らしているから……かろうじて生きているのは伝わった。


「…………」


 奇妙で哀れなその異形を、アッシュたちは呆然と見上げていた。

 けれど次の瞬間、磔にされていた体が炎上した。

 やったのはシドだった。

 火の魔術を放ったらしく、巨体が十字架ごと炎に呑み込まれる。


 しかし。


「……燃やせないだと?」


 シドはそう呟いて、顔をしかめた。

 次の瞬間には彼の言葉通りに火が消える。

 巨人も十字架も、焦げもせずにその場にあった。

 かすかに呻く異形を見上げて、アッシュは口を開く。


「なにか仕掛けがあるはずだ。探ろう」


 燃やせなかったことが衝撃だったのか、シドは悔しげに歯噛みしていた。

 続けて、何も言わずに踵を返す。

 アッシュはため息を吐いて彼の背に語りかけた。


「おい、シド」

「……なんだよ」


 不愉快そうに振り向いた。

 またため息を吐きそうになるが飲み込む。

 なるべく冷静に語りかけた。


「先行しないでほしい。反論があるなら言え。それが正しければ、もう言わない」


 先ほどから、いや、こうして表に出なかっただけで最初からか。

 彼の身侭みままは目に余る。

 だからアッシュが苦言を伝えると、苛立たしげに睨みつけてきた。


「言っただろう。指図するなと」

「指図ではない。俺たちは魔王を倒すために動いている。その目的を果たすには必要なことだ」

「……お前らなんかいなくてもいいんだぞ」


 吐き捨てるようにして彼が言う。

 背後でアリスが舌打ちをしたのが聞こえた。

 振り返って目で制止する。

 彼女に話させると、単なる罵倒の応酬に落ち着く可能性があった。


 シドの目をじっと見つめながら、アッシュは語りかける。


「君は弱い、あまり過信するな」

「は?」


 初めて見る、明らかに殺意の籠もった視線だった。

 真っ向から受けて立って答える。


「この中では一番強いかもしれない。だが、俺がかつて見た使徒は……ガルムは、もっと強かった。しかし、それでも魔王には負けたと聞く」


 『戦士』ガルムは魔王の手により討ち取られた。

 そのことに言及すると、シドは強い口調で抗弁する。


「魔王は数字が増えるほど弱い。四番目……最弱の魔王なんかに負けないし、それに」


 それに、と。

 言って彼は言葉を切った。

 少しだけ間を開けて言葉を続ける。


「……僕はガルムより強い」


 本気で、確信を持って言っているのかは分からなかった。

 ただアッシュは目眩がするような気持ちになった。


「…………」


 見たことがないから言えるのだ。

 魔王領の猛威を、そしてこの猛威を跳ね返し続けたガルムの強さを、知らないからそんなことを言えるのだ。

 だがこの少年にそれを教える方法はない。

 言葉で改心させることは、おそらく不可能だろう。


 しかしそれでも、不安要素を抱えたまま魔王に挑むことを良しとはしたくない。

 腰につけた剣にさり気なく視線をやる。

 大して本気でもなく、可能性の一つとして思案したのみだった。

 不意討ちならあるいは、と。


 だがその時。

 能面のような無表情を張り付けたミスティアが、シドの側に進み出た。


「…………」


 実行すれば殺すと、視線が告げている。

 シドは何も気がついていないようだったが、ミスティアは察知したのだろう。

 彼女には勝てるかもしれないが、それでも殺し合いに発展しては元も子もない。


 心底うんざりしたアッシュは、もう何も言わずに項垂うなだれた。

 なるべくこちらが合わせるしか方法はないと分かった。

 するとシドがミスティアを連れて歩き去っていく。


「……ミスティア、ついてこい」

「はい、シド様」


 殺気を霧散させて、彼女は主について行った。

 二人を見送って、アッシュもまた歩き始める。


「……行かせてしまっていいんでしょうか?」


 心配そうにノインが言った。

 アッシュは頷く。

 そしてアリスを指さした。


「アリスが呑気にしてるからな」

「どういうことですか……?」


 よく分からないというように問い返してくる。

 だからアッシュは補足する。


「さっき偵察したアリスが、召喚獣の一つも出していない。なら敵はいなかったということなんだろう」

「……なるほど」


 無論それも絶対ではない。

 だが今はシドと顔を合わせたくはなかった。


 彼が傍若無人だから、というだけではない。

 単純に腹が立つのだ。

 何故あんなどうしようもない子供が神に選ばれたのかと思わずにはいられない。

 しかしこの気持ちを醜い嫉妬だと自覚はできていた。

 だから自分の内で苛立ちを消してしまいたかった。

 それには少し距離を取る必要があったのだ。


 ……などという下らない感情までは伝えなかったが、ノインはひとまず納得したようだった。


「しかしアッシュ様、どうやって進みましょうか」

「今から考える」


 火刑なので、やはりあの巨人を焼かなければ進めはしないだろう。

 だから手がかりを求めて周囲を見渡す。

 するとやはり、目に入るのは林立する十字架の群れだけだった。

 その一つに、なんとなく近づいてみる。


「…………」


 目の前に来たところで、十字架の一つに右手を伸ばした。

 火に触れる。

 熱が右腕を舐めるが、たとえ人の姿でもアッシュに炎は効き目を為さない。

 かすかに熱を感じるものの、無傷のままで触れることができた。


「え、なにを……」


 驚いたような表情でノインが尋ねてくる。

 アッシュは手を引きながら視線を向け、簡潔に答える。


「普通の炎と同じなのか気になった」

「普通の炎と同じ?」

「アレは燃やせなかったが、こちらの十字架は燃えている。なにか意味があるのかと思った」

「なるほど……」


 感心したようにため息を吐いて、ノインは十字架を見つめる。

 だがやがて、業苦の呻きを漏らす異形から視線を逸らす。

 焼かれている異形は、あまり見ていて気持ちのいいものではないのだろう。


 それはアッシュも同じだったが、それでも目を逸らすわけにはいかなかった。

 じっと見つめて、何も言わずについてきていたアリスに声をかける。


「アリス、松明たいまつはあるか?」

「私に言えば何でもあると思っているでしょう? まぁ……あるんですけど」


 やはり剣呑な空気で、彼女は皮肉を言いつつも手を貸してくれた。

 油を染み込ませた布を巻いた、無骨な棒……松明を渡される。

 アッシュは受け取って、燃え盛るヒトガタに近づけた。


「お」


 アリスが小さく声を漏らす。

 松明に火が燃え移った。

 この火を使えばあるいは、下らない試練を終わらせることができるかもしれない。


 だが。


「燃え尽きたか」


 小さくつぶやく。

 燃え移った火の勢いは凄まじく、松明を瞬く間に侵食して焼き尽くしてしまった。

 アッシュは松明の燃えクズを捨てて、軽く手を振って煤を飛ばた。

 それからまた思案する。


 ノインが目を丸くして、心配そうに語りかけてきた。

 そういえば彼女は、アッシュに炎が効かないことを知らないのかもしれない。


「大丈夫ですか、アッシュ様」

「……ああ」


 気遣う言葉に短く答えながらも、燃える十字架をじっと見つめる。

 よく見ると、十字架にはなにか文字が書かれていた。

 これは読めなかったが、やがてふと思い当たり剣を抜く。 


「なにを……」


 ノインの問いには答えず、一閃する。

 燃え盛るヒトガタの腕を落とした。

 腕は切り離されて落ちるが、炎は消えることなく燃え続けていた。


「…………」


 罪人は、永遠に焼かれ続けるということだろう。

 アリスが鼻を鳴らして、小さく拍手をしてくる。


「素晴らしい。あなたらしい発想です」


 小馬鹿にするような声を無視した。

 燃える腕を握って歩き始める。

 そして例の異形の前にたどり着き、燃え盛る腕を巨体の足に押し当てる。


 するとすぐに炎は燃え移り、巨人は焼かれ始めた。


「――――――――ッッ!!!!」


 瞬間、呻くだけだった巨人が、地を揺るがすような絶叫の声を上げた。

 さらに瞬きの間に全身が炎に包まれる。

 巨人は体が引きちぎれるほどの勢いで身をよじり、なんとか熱から逃れようとする。

 そうして暴れたことで、杭打たれた手足からは血が噴き出す。


 絶叫と共に、死にものぐるいで暴れ続ける。


「――――――――――――ッッ!!!!!!」


 けれど火が勢いを増すと、喉が焼けて声をうしなう。

 手足が燃えて動けなくなる。

 やがて焼けた肉の匂いが周囲に広がり、力を失った異形は死に至る。


「…………」


 ドス黒く焦げ付いた死体を見上げ、アッシュは重いため息を吐いた。

 戦いも何もない、ただ胸糞の悪い作業だ。

 こんなものが塔の試練だというのか。


 頭を抱えたくなるのを我慢していると、アッシュに刻印された『貪る者』が死した異形の魂を喰らう。


「……なるほど」


 そして()()()()を確認すると、意識の隅に小さな棘が刺さったような気がした。

 これはまるで、愚にもつかない罪悪感のような。


「ふざけた真似を」


 呟いて、隣を見ればノインが悲しげな顔で俯いていた。

 アリスは不快そうに眉をひそめ、小さく鼻を鳴らしていた。


 誰も彼もあの異形を燃やした罪からは逃がれられなかった。


 そこでふと、足音が耳に届いた。

 振り返るとシドたちがいて、恐らくは絶叫を聞きつけたものだろう。


「燃やした」


 無感情に伝えると、シドは苦々しげに言葉を返した。


「ああ」


 彼の感情に興味はなかったので、さっさと踵を返す。

 これが刑なら、すでに進む先に出口が用意されているはずだった。

 ならば馬を迎えに行って、先に進んでしまおうと思った。


 しかし、その時。

 不意に周囲が暗くなる。


「…………」


 怪訝に思って視線を巡らせると、全ての十字架から火が消えていた。

 ぐったりとしたヒトガタたちは、苦痛の中で呻き続ける刑を終えたようだった。

 静かに、死の眠りに抱かれて眠りについた。


「月の瞳よ、どうか……」


 ノインが小さく祈りの言葉を呟く。

 それを聞き流し、火が消えた荒野を歩き始める。

 照り返す火が消えて、薄雲に覆われた夜空は本来の色を取り戻していた。

 夜闇の中、ぼんやりとした月だけが、まるで咎めるようにアッシュたちを見下ろしている。


 何も言わず歩きつつ、アッシュは死した異形たちの魂を引き寄せて糧にする。

 そして飲み下した命の気配は……人のモノによく似ていた。



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