十五話・第一層『坑殺刑』
罪科の塔に足を踏み入れた。
魔王の領域とはいえ、あからさまな異界というわけでもなさそうだった。
少なくとも、今見る限りでは。
歩いていると、シドがどこか飄々とした様子で声を漏らす。
「さて、入ったな」
「ああ」
短く答え、アッシュは塔の内部を観察する。
進みながらも周囲を注意深く見渡す。
「…………」
魔王と共に塔は突然現れたと聞くが、まるで人が作ったような石材によって構築されていた。
壁や床に、一部の隙間もなく石が敷き詰められている。
そして、どういうわけか至るところに燭台が据え付けてあった。
不気味なほど赤く燃える炎は、どこか作り物のようだった。
塔の内部を昼に近いほど明るく照らし出している。
もしや本当に作り物だから、ここまで明るいのかもしれない。
などと考えつつ、敵の影も探っておく。
門から入ってまっすぐ続く通路を進んでいるが、今のところ魔獣の影はない。
どこか牢獄じみた石の風景が続くのみだ。
通路の至るところには足かせや錆びついた刃が落ちているものの……これらは取るに足らないものだ。
やはり、敵の姿はない。
「……魔獣はいないみたいだね」
不意にミスティアが呟いた。
だから、前から視線は外さずに答える。
「かつての攻略例から見るに、ここはそういうタイプの魔境らしいな」
曰く、その領域の敵は魔獣ではない。
ただ行く先々にあるいくつもの試練が、来訪者を阻むのだとか。
と、そこでシドが急かしてくる。
「魔獣がいないってことか? そういうことなら早く行こうぜ」
「いや、警戒は怠らず進もう。過去の記録ではトラップで死亡した例もある」
退屈そうな言葉に答えた。
またずっと、長い長い廊下を歩き続けた。
「…………」
しかし、行けば行くほど異様な空間だった。
あかあかと燃える燭台には、よく見れば蝋燭ではなく人の指のようなものが据えられていた。
さらに、地面に落ちている物も変わり始める。
足かせや刃の破片に加えて、干からびた人の足や手やらが混ざり始めた。
塔が徐々に、その狂気をあらわにしつつあるような気がした。
「……これは」
馬を牽いていたノインが思わずといった様子で声を漏らす。
原因はアッシュにも見えていた。
行き止まりに二つ、石の門がある。
今度は人が数人通れるほどの、常識的な大きさのものが二つ。
「選べという訳か」
ぽつりと呟いたのはシドだった。
彼の横にいたミスティアが、主に向かって問いを投げる。
「二手に分かれますか?」
「いや……」
否定している。
どこか歯切れが悪いのは、確信を持てていないからだろう。
アッシュにも同じように確信などなかったが、賛成の言葉を口にした。
「分かれない方がいいと思う。急ぐよりは慎重に行こう。まだ俺たちは、この塔の仕様を何も理解していない」
どちらの扉が茨の道か、近道か。
行き止まりか、先への道か。
あるいは、そもそも正解の道など存在するのか。
アッシュたちには全く分からない。
そして一応、アリスがいる間は物資に心配はないのだ。
であれば無為に急いで、戦力をすり減らす必要もないだろう。
そういう訳で提案をしたのだが、見る限り目立った反対はなさそうだった。
しかし、またアリスが離れて立っているのに気がついた。
「…………」
だから彼女に声をかける。
「二度とは言わない。離れるな」
自分でも意外なほどに冷たい声が出た。
思わず、内心でわずかにたじろぐ。
そして二度とは言わないと、伝えた言葉の意味もアリスには分かっているだろう。
「…………」
彼女は、馬鹿にするような表情で左の人差し指を滑らせた。
指先は、首につけられた首輪をなぞっている。
それから黙ってこちらに歩み寄ってきた。
なにを思っているかは分からない。
だがあの態度が攻略の邪魔になるのなら、躊躇わずに命令するつもりだった。
今のアッシュならそれができる気がした。
やがて、気まずい沈黙の中でシドが口を開く。
「……あー。それで、後はどちらに行くかだな」
一連の流れに戸惑った、と言うよりは茶化すような空気を纏っていた。
アッシュは小さく唸りながらも、ふとある物に目を引かれる。
「これはなんだ?」
石の門、その表面に大きく文字が掘られていることに気がつく。
アッシュには読めない字だった。
もしかすると、この地域に根付く文字なのかもしれなかった。
するとミスティアが掘られた字に顔を寄せて、読み始める。
「ん、えっと。こうさつけい……『坑殺刑』と『姦淫罪』、かな?」
「……どういうことだ?」
アッシュは今口にした言葉の意味を理解できなかった。
いや、単語の意味は分かるのだが……。
と、そこでノインがアッシュに質問してきた。
難しそうな声だった。
「こうさつけいとはなんですか?」
姦淫罪は時にアトスの宗教裁判でも用いられることがあるもので、だから彼女にも分かるのだろう。
しかし坑殺刑については知らないようだった。
だからアッシュは知る限りのことを答えた。
「穴埋めの刑罰だ。罪人を埋めて、殺す罰」
「え……あ、ありがとうございます……」
なにやら引きつった表情を浮かべていた。
先に進めば穴埋めにされる、などと考えたのかもしれない。
しかしアッシュとしては、この先に進んだとしても埋められる訳ではないと考えている。
……いや、実際に試してみるべきか。
「ひとまずこちらに進もうと思う。異論はないか?」
『坑殺刑』の門に手をかけてアッシュが賛否を問う。
すると、シドとミスティアがすぐに答えた。
「とりあえず行ってみればいい」
「シド様がいいなら、あたしも気にしないかな」
次にノインに目をやる。
すると彼女は少し黙って、躊躇いがちに問いに答えた。
「……行きましょう」
彼女なりに決意を固めたのだろう。
固く口を引き結ぶ表情を見届けた。
次に、一瞬だけアリスに視線を向ける。
「…………」
なにか言うつもりもなさそうだった。
なので扉に両手で力を込める。
重々しい石の扉を押し開いた。
そして、向こう側を見て口を開く。
「魔獣だ」
石張りだったこれまでの地面とは違って、『坑殺』の部屋には土が敷き詰められていた。
燭台がついた無数の柱が、数え切れぬほどの魔獣を照らし出している。
剣を抜き、一言だけ周囲に声をかけた。
「殲滅する。行くぞ」
「指図するな。僕は勝手にやるからな」
シドの言葉を振り切って走り出す。
たとえ千体いようとこのパーティならば過剰戦力だ。
なので温存のために『魔物化』すらしないが、立ち回りで気を抜くことはしない。
味方から離れず、連携を意識して仕留めていく。
「…………」
するとやがて、肩に影の虫が這ってきた。
だから少しだけ安堵する。
アリスは今のところ、仕事は仕事でこなすつもりのようだった。
「なんだこれは」
シドの声がした。
魔術による轟音の狭間、虫を通じて聞こえてきたのだ。
気だるげな、アリスの答えも聞こえてくる。
「遠くにいても話せますよ」
「なるほど」
シドが平坦な声で答えた。
ミスティアの方は集中しているのか、虫について尋ねることさえしなかった。
と、そこで。
「うわっ!」
「どうした、ノイン」
ノインが唐突に大きな声で叫んだ。
しかしダメージを受けたわけでもなさそうだった。
純粋に驚いたというような声だった。
だから状況を確認すると、すぐに答えが返ってきた。
「大きな穴があります。…………。下には、トゲがたくさん」
穴があるらしい。
続けて、一度剣を振るうような間が開いて『トゲがあった』と彼女は言った。
アッシュはすぐには言葉を返さずに、しばらく考えを巡らせてみる。
「…………」
これは落とし穴のトラップなのだろうか?
だとしたら、落とし穴があるからこの部屋は『坑殺刑』の名を冠しているのか。
考えつつも殺戮の手は緩めない。
襲い来る魔獣を殺し続けた。
すると、やがて予想より早く敵が全滅した。
やはり、この程度の群れならば問題にもならない。
ノインのほっとしたような声が聞こえてくる。
「終わり、みたいですね」
「ああ」
アッシュが頷く。
すると、ミスティアの声も聞こえてきた。
戦闘中はほとんど無言だったから、急に聞こえて虚を突かれた。
「じゃあ出口を探そうよ」
やはりそうするべきだろう。
最悪、もう片方の部屋を改めて訪れることも考えなければならないだろうが。
まずはこの部屋について調査するのが先決だ。
アッシュはそれに従い、周辺を探索し始める。
他の面々もそれぞれ調査をしているようだった。
全員で一か所に固まって戦闘していたせいか、部屋にはまだ調べていない場所が多くある。
しかし報告の内容は芳しくなかった。
まずノイン、次にミスティアと続くが、どちらも手がかりを得られなかったようだ。
「なにもないです」
「こっちも」
そして最後にアリスも声を漏らす。
「……召喚獣を走らせてはいますが、さっぱりですね」
誰も、何も見つけることができなかったようだ。
もちろんアッシュも同じだった。
しかし、アリスの召喚獣でさえなんの手がかりも見つけられないのは少し手ごわかった。
こうして見る分には、土と柱しかないただの広場なのだが。
と、考えて思い当たる。
一つだけ調べていないものがあったことに。
「ノイン、さっきの穴とやらはどこだ」
「え、あっ、少し待ってください」
薄暗い部屋の中、ノインがこちらに歩いてくる。
すでに大剣の代わりに、彼女の手には馬の手綱が収まっていた。
そして、馬を連れながらアッシュを例の穴に案内してくれた。
「こちらです」
「ありがとう」
すぐに目的の場所にはたどり着けた。
礼を言って調査を始める。
すると、シドがぽつりと声を漏らした。
「穴か。そんな話もあったな」
どうやら独り言らしいので答えない。
穴のそばに膝をついて覗き込む。
しかしどうにも中身を把握しきれなかった。
さっき聞いた通り、確かに底にはトゲがあるようだ。
けれど、穴の中は暗い上に深いので見通せない部分もあった。
アッシュの眼は闇の中でもよく物を見るが、人間の姿ではやはり限界はある。
「光源が要るな」
もっと詳しく調べるために、腰のポーチから『光』のメダルを取り出す。
そして長々と詠唱を唱え『灯光』の魔術を行使した。
「暗き夜に、我ら主の影を仰ぎます。大いなる月影を讃え、偉大なる視線に……」
やがて、魔術は発動する。
穴にかざしたメダルの少し上、かがんで穴を覗き込むアッシュの手の上あたりに光球が現れる。
「…………」
魔術の光はやがて消えてしまうだろう。
また使えばいいだけだが、二度手間も面倒なので急いで穴の中を調べる。
すると、虫を通じてシドの呆れたような声が聞こえてきた。
「……もしかして今の『灯光』か?」
「ああ。悪いな」
『灯光』は光の魔術における初歩の初歩である。
なのに長々と詠唱したのがおかしかったらしいが、あいにくと光の魔術をまともに扱えない身だ。
とはいえ反論するのも面倒だったので、適当に受け流して観察を続ける。
「…………」
明かりをつける前から分かっていたことではあるが、やはり穴の底にはトゲがある。
これは落ちた者を貫くための罠だろうが、これ以外にも一つ気になることがあった。
「影……なるほど」
穴の壁面の、影の一部分だけ色が濃くなっているのだ。
これはつまり、その部分に奥行きがあるということだろう。
アッシュなら壁を降りて、奥行きの正体を調べることもできるはずだ。
しかしそれ以上に、今は確かめたいことがあった。
光を消してアッシュは立ち上がる。
「なにか分かりましたか?」
ノインに聞かれた。
答えながら歩く。
「多分」
手近にあったオークの死体を拾った。
足首を握って引きずって、運んだあとに穴へ突き落とした。
すると、少しして肉を貫くような音がした。
「アッシュくんなにしてるの?」
虫を通じてではなく、直接ミスティアの声が聞こえた。
やり取りが気になったのだろう。
彼女は、不思議そうな顔で近づいてきていた。
けれど答えを待つ間もなく気がついたようだった。
「あー、坑殺刑」
「そういうこと……かもしれない」
もしこれが正しければ、あまりにも単純な、なんなら単純過ぎて気が付かなかったかもしれないような仕掛けだ。
また一つ死体を運んで、アッシュは穴に突き落とす。
ハーピィやらバジリスクやら、条件は不明だったのでとにかく手当たり次第に叩き落とす。
するとミスティアがしみじみとつぶやきを漏らす。
「生き埋めだからさぁ。……坑殺の趣とは少し違う気がするけど」
「ああ。だが、他には考えられない」
答えて、魔獣の死体を落とし続ける。
そうしていると、やがて穴の底から地響きのような音が聞こえた。
だから穴の中を確認すると、底の様子が変わっていた。
針山は見えなくなり、魔獣たちの死体もなく、平坦な地面のようなものがあった。
それに底もかなり上がっていて、穴は以前より浅くなっている。
降りればちょうど例の奥行き……つまり、通路へと入っていけるような高さだった。
「やっぱり穴の中に通路があったみたいだね」
隣で、同じように穴を見ていたミスティアが言った。
アッシュは頷きながらも彼女の言葉を補足する。
「……重要なのは、扉の文字が試練の内容を意味していることだろう」
ややこじつけの感は否めないものの、『坑殺』の刑を執行することで先へ進む道が現れた。
そしてこれこそが、塔を登る上で重要な手がかりになる気がした。
だがそれはともかくもう進むことにする。
虫を通じて、まだ穴の近くにいない二人に語りかけた。
「話は聞こえただろう。先に進もう」
それから、穴に降りる前に最後の確認をしておく。
穴にもう一つ死体を投げたのだ。
降りた途端に針が戻る、などということがないかを確認するためである。
「…………」
だが特に異常はないようだった。
少し浅くなった穴へと飛び降りる。
そして他の面々を待っていると、まずミスティアが飛び降りてくる。
次いでシドも飛び降りてきた。
彼も、見た目にそぐわず肉体は強靭であるようだった。
流石は使徒といったところか。
続けて、ゆっくりとアリスが降りてきた。
不自然に遅い落下速度だが、見れば鳥のような影の足に掴まっているようだった。
しかし、最後のノインがいつまでも降りてこない。
なので穴の上へと声をかけようとした。
「ノイン……」
しかし、言いかけて気がつく。
確か、彼女は馬を連れていたと。
思い違わず、穴の上から困ったような声が聞こえる。
「馬が……どうしましょう」
それにシドが答えた。
呆れたような様子だった。
魔術を手足のように使う彼にとって、この程度の問題を解決できないことは疑問なのかもしれない。
「仕方のないやつだ」
ため息と共に白の長杖を振るう。
すると局所的に穴の形が変形した。
へこんではせり上がり、そんなことを繰り返し、やがてなだらかな階段のように変わってしまう。
あるいはこれも、土魔術による業なのだろうか。
「あっ……。すごい」
ノインが感心したように息を漏らす。
しかし、そんな彼女にシドは冷たく言葉を返す。
「いいからさっさと来い」
「……えっと、ありがとうございます」
おそるおそるといった様子で、馬と一緒に降りてきた。
だからアッシュは通路へと足を向ける。
高さは人が二人分、横幅は三人並べるかどうか……といった様子だろうか。
あまり広くはない。
「暗いですね……」
ノインがつぶやいた。
ここには燭台がないから、彼女の言う通り暗かった。
すると、不意に洞窟の中が明るくなる。
どうやら、ミスティアが腰につけた短い杖を使ったようだった。
「助かる」
アッシュは礼を言った。
するとミスティアは小さく微笑む。
「大したことじゃないよ」
そうして、明るくなった通路を歩き続ける。
いや、通路というよりは横穴といった印象だろうか。
少し心もとない道を歩いていると、シドがミスティアに話しかける。
「この穴が崩れて『坑殺刑』だったりしてな」
「ちょっと……やめてくださいよシド様!」
ミスティアは本気で嫌がっていた。
アッシュは何も口を挟む気はなかったが、確かにあり得るかもしれないと考えていた。
だがシドはあくまで冗談だったようで、鼻を鳴らして笑っていた。
「大丈夫。僕はお前が天井支えてる間に逃げるから」
「うう……」
ある意味、仲のいい主従の会話を聞き流す。
ひたすらに足を動かす。
本当に穴埋めの線もある気がしたので、一応少しだけ足を早めた。
そして横穴を抜けると、出た先には立派な石造りの階段があった。
「…………」
とはいえ立派なのは段数だけだ。
燭台を除き、装飾などはないに等しい。
また石の牢獄のような光景が続いている。
しかし、ともあれ燭台で明かりは確保できた。
だからミスティアは杖の明かりを消す。
「…………」
長い長い階段を登り始めた。
本当に長い階段だった。
終わりかと思えば折り返しに差し掛かり、また登り始める。
そして進む間、アッシュたちの中の誰も言葉を発さなかった。
生温い塔の空気の中に、足音と馬の息遣いだけが鈍く響く。
「しかし悪趣味だなぁ」
ミスティアの声がふと漏らされた。
彼女の言う通り、この階段は悪意に満ち溢れていると思う。
壁にこびりついた血痕。
そこかしこに転がる拷問具や、血色に錆びた刃の破片。
ここまではさっきまでとそう変わらない。
しかし二度ほど折り返したところで、ある変化が現れていた。
それは死体だ。
壁からいくつもの足枷付きの鎖が伸び、繋がれた魔獣や人が風化した骸を晒しているのだ。
魔獣はともかく、人は元々この塔がある場所に住んでいた者かもしれない。
真実は分からない。
だが悪趣味極まりないことは間違いない。
単なるオブジェであるとしても、本物の死体であるとしても。
「……抜けるな」
アッシュはつぶやいた。
四度目の折り返しの後、階段の果てから光が差し込むのが見えた。
だから、全員ついてきているかを確認するために振り返る。
すると、最後尾のアリスが影の馬に騎乗しているのが見えた。
ぼんやりとした表情で、横座りで背に揺られている。
きっと足が疲れたのだろう。
「…………」
やがて目が合うが、ふいと逸らされてしまう。
彼女は塔の前での皮肉、後は首輪のことに言及したのに腹を立てているのかもしれない。
やはり、余計なことは言うものではないと思う。
言葉を交わさないのが一番だ。
だがそんな考えも瞬きの内に消し去った。
アッシュは少し歩を早める。
一番脆弱なアリスが召喚獣に乗っているのなら、何も気にせずペースを早めることができるからだ。
そして最後の階段を登りきり、光の中へと足を踏み入れる。
「なっ……」
絶句した。
歩み出たそこは、石の壁で囲まれた広場だった。
けれどその場所には、本物の夜空が広がっていたのだ。
白く輝く明るい月。
暗い色の雲。
頬を撫でる生ぬるい風。
石の壁が囲む、薄く草の生えた広場にアッシュたちはいた。
さらに、広場の向こう側には二つの分かれ道がある。
「……なんですかこの、不思議空間は」
アリスの声だった。
独り言のような調子だった。
そしてシドですら驚いているようだった。
「それにしても……また分かれ道か」
呆れと驚きが混じったような様子だった。
すると、ミスティアが彼に語りかける。
「シド様。後ろにも道があるみたいです」
シドは怪訝そうに眉をひそめた。
億劫そうに背後へと振り向く。
「後ろ?」
アッシュも彼にならって後ろに目を向けた。
そこには、もちろん今通ってきた階段がある。
だが階段から少し視線を動かす。
「あれは……」
ノインが息を呑んだ。
アッシュと同じものを見たのだ。
彼女の呟きに誘われるようにして歩き出す。
「…………」
今通ってきた通路のちょうど左側だ。
並ぶようにして、もう一つの通路の入り口……あるいは出口が口を開けていた。
「階段だな」
内部を確認して、アッシュはそう言った。
確かに階段だった。
今通ってきたのと全く同じ階段だ。
そして塔という建築物の構造的に……下り階段は、下の階層に繋がっている可能性が高い。
となればこれは……。
「さっきのもう一つの門に繋がってるんだろうな」
シドが言った。
アッシュも頷く。
「おそらくは」
恐らくはこの線が濃厚だろう。
だが、であるならば、どちらを選んでも結果は同じだということなのか。
同じことを考えているのか、呆れたような薄笑いと共にシドが語りかけてきた。
「この先にも分かれ道があるが。……さて、どうしようか」
アッシュは少し考える。
罪と罰、どちらを選んでも同じ。
もしそうなら選ぶ意味はあるのか。
同じだからこそ選ばなければならないのか。
何も考えずに決めていいのか、そうでないのか。
全く分からなかった。
分からないが、はっきりしていることもある。
先に進まなければ魔王は殺せないということだ。
「進もう」
言って、アッシュは歩き始める。
目の前の分かれ道。
その前にはみすぼらしい木製の掲示板があった。
だから、恐らくまた選ばなくてはならないのだろう。
罪か罰か、同じ結果にたどり着くその過程を。




