十四話・塔へ
先日の掃討戦により、魔獣はその数を大きく減らしていた。
その上で一晩中アッシュが狩りをしたため、塔の周囲には魔獣がかなり少なくなっている。
今や群れがまばらに点在する程度だった。
だから、ロスタリアの軍勢はつつがなく塔の目前にまで歩みを進めることができた。
とはいえ軍は塔の中には入らないので、本当は一緒に行く必要などなかった。
見送りに来てくれたということなのだろう。
今も、歩いているシドとミスティアにイェルドがしきりに声をかけている。
「テンペント卿。このイェルド、非力の身ではありますがあなたのご武運を祈っておりますぞ」
「ああ」
「それからミスティア、これは香辛料の瓶だ。少しずつ使えよ」
「し、師匠……」
塔へ向けて、所々焦げて抉れた荒野を進んでいく。
シドたちの様子を見るともなく見たあと、今度はアリスとノインに目を向けた。
すると、二人は一頭の軍馬を挟んでなにやら会話を交わしていた。
「この子、名前はなんにしましょうか」
手綱を引いて歩くノインがそう言った。
見事な栗毛に、大柄な体躯の馬だった。
彼女の表情は少し嬉しそうに見える。
けれど、対するアリスは冷ややかに口元を吊り上げた。
「あらノインちゃん、馬畜生に名前つける気ですか? それはぶっちゃけ非常食ですからね」
ノインがなんとも言えない表情で半目になる。
「…………」
気のせいだとは思うが、馬の方もなにやら憤るようにして低く鼻を鳴らす。
アリスは初対面で馬に蹴られそうになり、それでまた根に持っているらしいのだ。
不服そうに言葉を続ける。
「大体なぜ馬がいるんですか。この私がいるというのに」
馬が、アリスを頭突くようにして頭を振る。
だからその馬からそそそと距離を離しつつ、対抗するような口調でそう言った。
アッシュは彼女を見て、一言だけ口にする。
「お前が死なないとも限らない」
先ほどの、非常食という言葉はある意味的を得ている。
罪科の塔では、これまでとは比較にならない激しい戦闘が予想される。
であれば当然死の可能性もつきまとう。
今までのように、物資をアリスに頼り切るようなやり方は賢いとは言えない。
故に三日分ほどの物資、小さな荷を背負う馬がアッシュたちに与えられたという訳だ。
「しかしそうは言っても。ただの馬なんて足手まといでは?」
アリスは納得していないようだった。
地面を蹴って雪を馬にかける。
すると、馬は一層鼻息を激しくした。
生き物をいじめるのは好きではないので、見かねたアッシュが彼女の肩を軽く小突く。
「やめろ。馬に悪気はない」
元を正せば蹴ろうとしたのも、アリスが馬にちょっかいを出したからなのだ。
からかいながら、たてがみをねじって遊ぼうとしたのがそもそもの原因なのだ。
報復として蹴りは行き過ぎだが、馬に悪気はない。
「…………」
雪をかけるのはやめたものの、アリスがこちらを恨めしそうに見返してくる。
アッシュは目を逸らし、先の問いへの答えを返す。
「……それから、足手まといになるという話だが、恐らくその心配はない」
「なんでですか」
「魔獣はヒトしか狙わない」
古い時代の騎兵突撃でもそうだったらしいが、魔獣は馬を狙わない。
もちろん幾度も突撃を受ければ学習し、反撃を返すことくらいはあるそうだ。
しかし魔獣は積極的には馬を狙わない。
戦闘中は、離れたところにいさせれば巻き込まれて死ぬこともないだろう。
彼女も思い当たったのか、しぶしぶ受け入れるようにため息を吐いた。
続けて、ノインに手綱を引かれる馬へと憎らしげな視線を向ける。
「…………」
すると馬もアリスを見ていた。
こちらの瞳にもどこか闘志が宿っているように感じる。
睨み合って足を止めた馬に、ノインが困ったような顔をした。
また見かねたアッシュは彼女のもとへと歩み寄る。
「…………」
しっかりと訓練されたであろう軍馬が足を止めるほどに怒らせるとは。
ある意味アリスには頭が下がる思いだった。
こうして軍馬が止まるなど、本来はありえないことだ。
などと内心で考えながら、ノインに馬の動かし方について話す。
「馬と並ばずに左前に立って、右手で手綱を持つといい」
「あ……」
彼女の右腕を取りつつ、さりげなく立ち位置も返させた。
また、手綱の取り方も改める。
かなり手綱を緩めていたから、緩みをなくすように持ち直させた。
そしてしっかりと握ったのを確認して、彼女の背中を軽く押す。
進んでみろと伝えたつもりだった。
ノインが歩き出す。
アッシュは言葉を続けた。
「止まった時はきつく持って、普段は少しだけ余らせる。暴れた時に咄嗟に離せるように、手綱は必ず片手で持つ。それでも止まる時には、鼻を撫でてやれば馬も元気が出る」
知っている限りの知識で対応すると、馬はすんなり進んでくれた。
大人しく歩く馬を見て、ノインは嬉しそうに頬を緩めた。
「……歩いた」
やはりきちんとした調教を受けているのだろう。
馬の扱いに自信のないアッシュの対処でも、馬はしっかりとそれに応えてくれた。
「えらいね」
微笑みつつノインが頬を撫でる。
馬は小さく鼻を鳴らした。
どこか柔らかな響きだった。
噛み付く心配はなさそうだったので、アッシュは言おうとした言葉を飲み込む。
本当は目と目の間、鼻を撫でてるのが一番いいらしいのだが。
すると、そこでノインがこちらに向き直って頭を下げる。
「ありがとうございます」
「気にしなくていい」
答えて、馬を引く彼女に並んで歩き始める。
また何かあれば手助けをするつもりだったが、その必要はないかもしれないとアッシュは思う。
そのまま少し進むと、またノインが口を開いた。
「この子の名前、なんにしましょうか」
アッシュは目を瞬かせた。
思えば彼女は、馬の世話がしたいなどと言っていた気がした。
だから名前をつけようとしているのだろうか。
「名前か」
声を漏らすが、答える言葉は浮かばなかった。
この馬に名前は必要だろうかと考える。
なにせこの馬はロスタリアの軍馬で、ずっと一緒にはいられないのだ。
けれど彼女が喜ぶのなら、名前をつけるのもいいのかもしれない。
「…………」
少し頭を悩ませて、アッシュは口を開く。
だが自信がなかったので、結局何も言わずにそのまま閉じた。
「…………」
「アッシュ様?」
「多分、俺に名付けは向かない。一応神官だからな、アリスの方が向いているだろう」
ノインが不思議そうに首を傾げた。
アッシュは頭をかいて、アリスの方を指し示す。
すると指された彼女が馬に近づいてくるが……頭突きを食らってすぐに下がった。
「あら、私ですか? そうですね。……あーはいはい、ごめんなさいごめんなさい」
アリスは舌打ちをしつつ距離を取る。
そして見下したような表情で馬を見つめる。
「名前、オニクでいいんじゃないですか?」
冗談なのか、そうでないのか。
とりあえずアッシュは否定しておく。
「この馬は軍馬だ。食用ではない」
「ならグンバオニクでいいでしょう」
「そういう問題ではない」
呆れ果てたからため息を吐く。
次にノインに向き直る。
「君、なにか考えている名前はないのか?」
「そうですね。十、とか……?」
「いいんじゃないか、それで」
ずいぶん無味乾燥な名付けだが、彼女にとってはそれが普通なのかもしれない。
なにしろ家族が六やら八なのだから。
だからそれでいいと言ったところで、どうやらシドたちがこちらに来たようだった。
もうそろそろ、塔に着くのかもしれない。
そう思ってふと視線を前にやると、もう目的地は間近に迫っていた。
気を引き締める。
すると、不意に背後からシドが話しかけてきた。
「馬に名前をつけたのか?」
声に振り向く。
すぐ後ろでミスティアとシド、それからイェルドが並んで歩いていた。
ノインが答える。
「え、はい。そうですけど……」
振り返った彼女は、やや警戒した表情で言った。
だが特に気にした様子もなく、シドはまた問いを重ねる。
「なんて名前にしたんだよ」
聞く割に興味が薄いような雰囲気があった。
だがノインは真面目に答える。
「……ツェン?」
「そうか、悪くない」
「?」
特になにか突っかかることもなく彼は言った。
そしてそれきりもう口を開かない。
ノインは少し肩すかしを食らったような顔をしたが、やがて前を向いてまた馬を引く。
黙ってその様子を見ていると、今度はイェルドがアッシュに語りかけてきた。
「勇者殿、そろそろだな」
「ああ」
アッシュが相槌を打つと、イェルドはさらに言葉を重ねる。
「ミスティアと、テンペスト卿を頼んだ」
「努力はする」
努力はする、と伝えた直後。
シドが小さく鼻を鳴らす。
なにか機嫌を損ねてしまったらしい。
アッシュは無視して、彼の隣のミスティアに語りかけた。
「君は、ずいぶんと落ち着いているんだな」
彼女はいつも通りの微笑みを湛えて歩いていた。
だから聞くと、彼女は頬を緩めて答えた。
「魔王は怖いけど、塔は多分大丈夫かなって」
「なるほど」
ミスティアは、シドの強さを少なからず信奉しているのだろう。
だからこそ魔王以外は敵になり得ないと考えている訳だ。
イェルドは、少しまずそうな表情をしていたが。
「…………」
しかし彼女はそれに気づく様子もなく、にこにことノインに話しかける。
「でもツェンかぁ。変わった名前だね」
ノインが再び振り返る。
今度は照れ臭そうな表情だった。
もしかすると馬の名前を呼ばれたのが嬉しかったのかもしれない。
「おかしい、でしょうか?」
「ううん、いいと思うよ。でも少し、呼びにくい気がするな」
「……なるほど」
それから二人はなにやら馬の名前について話し始めたようだった。
だから邪魔にならないようアッシュは離れた。
続けて、なんとなくアリスの方に視線を移す。
「…………」
彼女は退屈そうに一人で歩いていた。
けれど、視線に気がついたのかこちらを見返してくる。
「…………」
「…………」
しばらく見つめ合って目を逸らす。
するとアリスがすねたような口調で声をかけてきた。
「なぜ目を逸らすんですか」
「見ている理由もない」
表情もどこかすねたような様子だった。
何か気に食わないことがあるのだろう。
そんなことを考えていると、彼女はこちらに近寄ってきていた。
「なんだ」
「別に」
無愛想に答えて、アリスは何も言わずアッシュの横を歩く。
彼女は何も言わずどこかを見ていた。
だから視線を追ってみると、仲良さげに話すミスティアとノインを見ているのが分かった。
もしかすると、二人が仲良くするのが気に食わないのかもしれない。
「ミスティアも嫌いなのか?」
まさかと思いながらも聞いてみる。
しかしそのまさかだった。
アリスはいじけたような表情で答える。
「ええ。あれはにこにこしてはいますが、その実他人のことなんてなんとも思っていないタイプですよ」
「そうか」
ため息を吐いて、アッシュは頭をかく。
浮かんだ言葉を口にするか、少しの間迷う。
だが目に余ると思ったので結局伝えることにした。
「お前も大変だな」
「は?」
アリスは訳が分からない、というような顔をする。
構わず言葉を続けた。
「シドも嫌い、ミスティアも嫌い、馬も嫌い、イェルドも嫌い。それでは生き辛かろうと言っている」
アッシュが嫌いなのは当然だったので省いた。
すると彼女はあからさまに不機嫌な表情になった。
「余計なお世話です」
「確かにな」
別に生きづらかろうがアッシュにはなんの関係もない。
だから彼女のそばを離れる。
しばらくして、なんとなく一度だけ視線を向ける。
彼女はまた、退屈そうに歩いていた。
「…………」
それが少しだけ気にかかった。
だがアッシュはすぐに忘れてしまう。
何故なら塔の入り口にたどり着いたからだ。
たどり着いた入り口は、城かなにかのような巨大な門だった。
その門は高く、さらにかなりの幅がある。
今ここにいる軍勢すら、隊列を変えれば楽に通れそうなほどだ。
だが、門には本来あるべき扉はないようだった。
何者も拒まずに、ただ暗い穴のような入り口が目の前にある。
薄闇に包まれた塔の内側を見ていると、どこか生ぬるい空気が頬を撫でるような気がした。
「……どうした、行かないのか?」
いつの間にか追いついていたシドがそう言った。
だからアッシュは振り返る。
「すまない。すぐに行く」
恐れはなかった。
だが足を止めたのは、自分でも何故だかよく分からなかった。
しかし、特に深く考えることはしない。
振り向いたついでに、全員揃っているかを確認することにした。
ノインは緊張した面持ちで馬の手綱を握り立っている。
その横のミスティアは、気の抜けた表情でこちらを見ていた。
最後に、少し遠くに佇んでいたアリスは……目が合うとそっぽを向いてしまう。
「…………」
一応、揃っているということでいいだろう。
ひとまずの確認を済ませたアッシュは、軍の先頭に立つイェルドに向き直った。
最後の挨拶を交わすことにする。
「行ってくる」
「ああ。よろしく頼んだ」
そんな会話の直後、ロスタリアの全軍が直立不動の姿勢を取った。
続けて、恐ろしく統一された動きで敬礼を投げかけてくる。
「…………」
使徒の旅立ちにふさわしい、勇壮な見送りだと思った。
アッシュのような薄汚い身には眩しく見えるほどだった。
「行こうか」
シドたちに声をかけると、全員が無言のままついてくる。
そして塔の入り口をまたいだ後、アッシュはふと気づいて背後に振り返る。
アリスがやはり一人離れて歩いているのだ。
「おい、アリス」
「…………なんですか」
なにかすねたような表情の彼女に冷たく一瞥をくれて、言葉を続ける。
「態度は勝手だが、隊列を乱すな。死にたくはないだろう」
アリスは腹立たしげに息を吐き、返事もしないまま大股で近づいてくる。
それを確認して、再び足を踏み出した。
塔の内側、魔王の領域へと。