九話・がらくた遊び
医者の見立てより早くアリスの病は回復した。
けれど大事をとって一週間出立を遅らせた。
その甲斐もあってか、今の彼女の体調は以前よりも良くなっているようにさえ見えた。
「すっかり良いようだな」
塔の外。
雪の降る昼下がりの空。
慌ただしく出立の準備をする魔術師たちを横目に、傍らに立つアリスに語りかける。
すると彼女は強がるように鼻を鳴らした。
「ええ。後半から仮病でしたし」
「人類の危機より惰眠が大切か?」
「当たり前じゃないですか」
きっちり防寒装備で固めたアリスが笑う。
もう何も言う気がしなかったが、彼女の頭……毛皮の帽子に少し雪が積もっているのを見て軽く払ってやる。
すると、まるで引っ叩かれたように大げさに反応する。
「いたぁ!」
彼女の様子に苦虫を噛み潰して歩きだす。
歩きながら目を向けずに言葉を投げた。
「肩の雪も払っておけ。ノインたちと合流して、空いてる馬車に乗せてもらおう」
「なんですか、心配してるんですか?」
「また風邪を引かれては困るからだ。二度三度と倒れられては、その間に世界が滅びる」
「あはは」
皮肉のつもりで、間違っても冗談のつもりではなかったのだが。
彼女はまた楽しげに笑う。
そしてアッシュについてくる。
周囲には多くの馬車がつけていて、塔から人間や荷物を積み込んでまた街の外へと出ていく。
だから二人で、その馬車の隙間を縫うように歩く。
「…………」
しかし多い。
第一陣で二十台ほどか。
これで、街の外では軍とも合流するとかいう話だった。
さらに使徒をも動員するこの作戦は、文字通りロスタリアにとっては決戦になるのだろう。
などと考えていると、またアリスののんきな声が聞こえる。
「ノインちゃんたちどこ行ったんでしたっけ?」
「ミスティアと一緒にシドを呼びに行ったそうだ」
一緒に呼びに行ったのは、きっと二人が打ち解けたからだろう。
それは、あの外出の日がきっかけだったのかもしれない。
同じ部屋にいたことも大きかっただろうか。
だからさっきも連れ立って行ったのだが、伝えると何故かアリスが顔をしかめる。
「あー、あのこましゃくれたガキですか。風邪うつしてやればよかったです!」
シドを呼びに行った、という言葉に反応したようだ。
やはり彼女は気に食わないらしい。
あしざまにいうその言葉には頷きかねた。
賛同はせずに答えておく。
「こましゃくれてるかどうかはさておき、そろそろ来ているだろう」
今回の戦いでは行軍に足並みをそろえる必要がある。
ロスタリアの輸送車両に相乗りさせてもらう手はずになっていた。
だから合流して、さっさと馬車に乗るつもりでいた。
すると、ちょうどその時背後からノインの声が聞こえた。
「アッシュ様! アリス様!」
振り向くと、コートに身を包んだ彼女が駆けて来るのが見えた。
後ろではミスティアがこちらに手を振っていた。
さらに、大きな白い杖を引きずるシドの姿もあった。
「…………」
彼は、にやりと不可解な笑みを浮かべながらアリスを見つめていた。
もしかするとまた陰口が聞こえていたのかもしれない。
アリスの言葉通り『ヌルくなった』訳ではないと思うが、それでもいつか酷い目に遭わないか少し心配だった。
勘の鋭い彼女らしくもなく、シドのことには気がついていないようであるし。
「ノインか。嬉しそうだな」
目の前に駆け寄って来たその顔はどこか嬉しそうだった。
だから問いかけると、彼女は口元を微笑ませつつ答えた。
「はい、おやつもらいました」
「どちらに?」
「シド様に」
言いつつ、ノインはコートのポケットから青い紙袋を取り出す。
するとアリスが前に進み出てきて、紙袋に手を伸ばす。
「どれ、毒味してあげましょう」
「やめろ」
アッシュが手を払いのけると、苛立った表情でこちらを見てきた。
「あなたには関係ないですよね?」
「泥棒を止めるのになんの理由がいる」
「ほぉ、泥棒とは大きく出ましたね」
口元を引きつらせるアリスをよそに、ノインは紙袋を開いてクッキーを口に入れる。
そして少し噛んで飲み込み、表情をほころばせた。
「からくておいしいです!」
「あ、そうですか。毒味は必要なさそうですね。ふんふふふーん……」
わざとらしい鼻歌を重ねて、アリスはそそくさとアッシュの後ろに戻る。
彼女に白けた視線を送り、続けてゆったりと歩いてきたシドとミスティアに視線をやる。
すると、彼女はクッキーを貪るノインに目を向ける。
なにか驚いたようだった。
「それはわたしがシド様にあげたクッキー! いつの間に……」
「君がトイレに行ってる間だ」
答えたのはシドだった。
ミスティアは嬉しそうに目を細めた。
「人にあげるなんて、シド様はやっぱりお優しいんですね」
「君は相変わらず脳天気だ。いつもいらないって言ってるだろ。次は暖炉に放り込むからな」
「うぅ……」
どこか楽しそうにうなだれるミスティアだった。
シドとの間では、こういった辛辣なやり取りがお決まりなのかも知れない。
そんなことを片隅に思い、アッシュは彼らに声をかける。
「良ければ早く馬車に乗せてもらえないか? 外は冷える」
シドとミスティアに言う。
するとシドが眠たげな目をまたたかせ、まじまじとこちらを見てきた。
「寒いのか? 噂と違うが」
シドの意外そうな顔に、アッシュはロスタリアに流れる噂とやらに興味を惹かれた。
事実寒くはないが……それこそ聖教国では人間の血をすするとか腕が四本あるとか、そんな風評が流布しているのだ。
ここではどんなことを言われているのか、気にならないでもない。
「俺は寒くない」
だが聞きはせずに答えると、また何故か納得したような顔でシドが頷く。
「そうか、なるほど。……そうだな」
寒くもないのに言った理由は、またアリスが風邪をひいては困るからだった。
だがそれは言わずにいた。
ここで会話は終わって、シドがミスティアに向き直る。
「おい、イェルドから聞いてるんだろ? 案内してやれ」
「了解です!」
了解です、と元気よく返事をした。
そして、なにか気合を入れるように拳を突き上げて、アッシュたちに視線を向けてくる。
「じゃあアッシュくん。アリスちゃんとノインちゃんも。案内するからついてきて」
ミスティアは、そう言い残して騒々しい音を立てつつ歩き出した。
彼女にシドが杖を引きずりつつ続く。
彼らの背中を見ながら、アリスが小さなつぶやきを漏らす。
「アリスちゃん、ねぇ……」
少し皮肉げに、その響きを確かめるように反復していた。
退屈そうに頬をかいた。
この一週間、別に初めてそう呼ばれた訳でもないだろうに。
本当に性格が悪いのだと感じた。
が、どうでも良かったので無視して声をかける。
「おい、行くぞ」
「はいはい」
前を行く二人についていく。
そこで、ノインはつとアッシュに語りかけてきた。
「アッシュ様」
「なんだ?」
「罪科の塔……というのはどういう場所なんでしょうか?」
アッシュはその言葉に少し黙り込んだ。
けれど足を止めず答える。
「魔獣が山ほどいる。それ以外は分からない」
「そうですか……」
不安そうに言って目を伏せて、ノインは口を閉ざしてしまう。
その姿に、アッシュはヴァルキュリアと戦う前の日のことを思い出した。
あの日も確か、彼女はこんな風に怯えていた気がする。
「…………」
小さく息をついて、アッシュはまた口を開く。
「塔に入れば死ぬかもしれないし、嫌ならやめていいとも言わない。だが俺は、君より先に死ぬようにするつもりだ」
「え?」
彼女は不思議そうな顔で歩みを止めた。
同じく立ち止まりアッシュはゆっくりと言葉を継ぐ。
「言っただろう。俺が死んだら逃げていいと。……だが今回は使徒がいるからな。勝てそうなら、そのまま続けてくれると助かるが」
どこか奇妙な言い回しになってしまった。
やはり人を慰めるようなことは向いていないと内心で自嘲する。
けれど、ノインは小さく微笑んでまた歩き出した。
「……がんばってみます」
「ああ」
なぜか、こんな言葉でも元気づけられたような様子だった。
だから答えてアッシュも歩き出す。
すると、アリスがなにか言いたげな目を……どちらかと言うとからかうような目をしてこちらを見ていた。
「…………」
相手にはしなかった。
うんざりと視線を逸らしシドたちの背を追う。
すると、今度はバカにするような声で話しかけてくる。
「素直に、俺が守ってやんよ〜って言えないんですかね?」
「守るつもりはない。勘違いはやめろ」
アッシュは死を厭わないし、理性なき怪物にもなり得る存在なのだ。
だから、誰かが犠牲になるべき局面なら自分が死ぬのに躊躇いはない。
そういう理由で先には死なせないし、もし戦況を覆せそうにないなら逃げてもいいと思っていた。
事実を口にしたのみだ。
目もくれずに答えると、アリスが呆れたようにため息を吐くのが聞こえた。
―――
ロスタリアの馬車に乗った。
そして、ずいぶんのんびりと行く車に三人で揺られていた。
すると唐突に、アリスがしみじみと声を漏らした。
「しかし馬車動かさなくていいのって、ほんとに楽ですね。くつろいじゃいましょうか」
いつも乗っているものと違い、これはどうも人を運ぶことに特化した馬車だ。
それも上等なものらしい。
アッシュたちの馬車よりかなり狭く、中には座席しかない造りではある。
だが距離を取って三人が座り、十分に落ち着くことのできるものだった。
常に馬車を動かしている彼女としては、確かに居心地は天と地だろう。
「…………」
後部に据え付けられた座席に腰掛け、一番左にアリスは座っている。
足をぴったりと閉じて、背筋を伸ばし、存外に行儀よく座っていた。
このせいで、言うほどくつろいでいるようには見えなかったが。
「いつもすみません」
ノインが律儀に頭を下げた。
彼女は真ん中に座っている。
そして彼女に続いてアッシュも口を開く。
「いつも悪い」
「やめてください。ノインちゃんはともかく、あなたはやめてください」
しかしそうは言っても、移動に関しては本当に悪いと思っていた。
時折休息を取ることもある。
また、アッシュが魔獣を殺すために止めることもある。
とはいえ何時間も魔術を使い続けるのは、常人であるアリスにはこたえるだろう。
だから素直に礼を言ったのだが、なにか気に触ったらしい。
「…………」
当然のことをしてそれを拒まれた。
であるのならば、理由を気にかける必要もないと思った。
アッシュは適当に詫びておく。
「すまないな」
「今度は急に適当ですね。薄情な人。そういえばこの馬車なんか血なまぐさいですね。なんででしょうか?」
「面倒だ」
アッシュのせいで臭うとでも言うつもりだろう。
しかしロスタリアの侍従が、鎧や外套をかなり念入りに洗ってくれていた。
さらにここ数日返り血も浴びていない。
常よりは匂いもかなりマシなはずだ。
そんなことを言われる筋合いはあまりない。
だから鬱陶しい絡み方をしてくるアリスを冷たく突き放す。
彼女は小さく肩をすくめた。
「いいです。ノインちゃんと遊びます」
「遊ぶんですか?」
少しだけ口元を緩ませるノインに、アリスは深く頷いた。
「その通り。まずはこれをご覧なさい」
傍らに置いていた杖を手に取り、アリスが何かを取り出す。
それは……どうも木彫りの十字架のようだった。
「これはなんでしょう?」
ノインがそう尋ねる。
アリスは胸を張り、工作を高く掲げる。
「握るとあったかいです」
「はぁ」
彼女は病の間部屋にこもり、またガラクタを作っていたらしい。
十字架にすればノインが喜ぶと思ったのかもしれないが、返ってきたのは大分微妙な反応だった。
アリスが悲しそうな目をする。
「良くも悪くも正直ですね、あなたは」
「いえ、すごいと思います」
「下手な嘘はやめなさい。これはほんのお通しです。気にしてません」
どやりとでも聞こえてきそうな自信顔で、アリスがまた何やら取り出す。
呆れつつも、危険物が無いか確かめるために横目で見ていた。
するとノインがこちらに視線を向けた。
「お通しってなんですか?」
「食堂で注文する前に出される簡単な料理だ。君もいつかの街で食べたことがあると思う」
「ありがとうございます。……つまり、なにか食べ物を?」
「…………?」
やはり律儀に頭を下げた。
それから、嬉しそうにアリスの方に向き直る。
すると彼女の手の平には、小さなタコの形のおもちゃが置かれていた。
赤く塗られた工作は、どうやら木彫りに色紙を貼り付けただけのものだ。
手作り感満載の、どうしようもなく安っぽい造形だった。
しかしそれを見て、ノインが微笑みを凍りつかせる。
「? それは、食べ物ではないですね……?」
「…………!」
すると、信じがたいものを見たような表情でアリスが目を見開く。
そして、何も言わずにどこから取り出したコッペパンを差し出す。
ノインが笑った。
「ありがとうございます」
元気に礼を言ってパンを頬張っている。
彼女に、どこか真剣な表情でアリスが語りかける。
「お腹減ったらすぐに言うんですよ」
「?」
それからパンを食べ終わると、アリスは仕切り直すように小さく咳払いをした。
そしてタコの玩具を膝に置く。
「…………」
「…………」
タコの玩具は、アッシュとノインの視線を一身に受ける。
すると二秒のほどの間をおいて、ギシギシと小さな音を立てながら左右に動き始める。
何故か触手ではなく頭だが。
しかし、そもそも触手は動かすのも難しそうだった。
なにか、赤い布切れをひっつけただけのものに見える。
アリスが微笑む。
「動きます」
「すごいですね」
「そういうことにしておきましょう」
何故かアリスはアッシュにタコを渡してくる。
続けて、またなにかを取り出そうとする。
アッシュはため息を吐いた。
「いらないんだが?」
対して、アリスは馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「でしょうね」
これも嫌がらせらしい。
本当に、大したものだと呆れざるを得ない。
とりあえずポーチに入れるが、後でそのあたりに埋めてしまおうかと考える。
うんざりしたアッシュをよそに、アリスはさらなるがらくたを披露していく。
「ではご覧なさいこれを!」
「なんですかそれは?」
「回ります」
「すごいと思います」
この分だと今回は危険物もないはずだ。
安全だと判断したアッシュは頭を軽くかいた。
そして次のがらくたを見ることもせず、下らない光景から目を逸らす。
「…………」
そのまま、座席の横の窓の外をぼんやりと見ていた。
馬車が進むにつれ、雪の降る景色がゆっくりと流れていく。




