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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
三章・黒炎の騎士
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七話・散策(3)

 


 劇も終わりを迎え、アッシュたちは劇場の外に出た。

 人の流れに押し出されるように歩き、行き着いた通路の片隅に立つ。

 そこで足を止めて、アッシュたちはしばし人気が引くのを待っていた。


「すごくおもしろかったですね」


 頬をほの赤くしたノインは、胸の前で手を合わせて満足げな息をついた。

 目尻を下げる彼女を一瞥して、アッシュはなんとなく右手で目をこすった。


 ミスティアが答えて、今度はアッシュに感想を求めてくる。


「そうだね。アッシュくんはどうだった?」

「面白かったよ」


 話としては、やはり人気なだけあり面白かったと思う。

 だから率直に伝えると、彼女は少し驚いた表情をする。


「君はつまんないって言うかと思ってたなぁ。ずっと無表情だったし」

「別に、そんなことは」


 意地を張る必要もないし、たとえつまらなかったとしてもわざわざ口にしない。

 楽しげな彼女らに水を差す意味がないからだ。

 だから否定し、アッシュは少し筋書きを思い出してみる。


 劇の中で、剣騎士は確かに戦士を打倒した。

 聖教国に伝わる剣騎士の物語にもなく、また個人的には信憑性に欠けるとも思う。

 もっと言うなら絶対に嘘だ。

 使徒と人間には絶対に超えられない壁がある。


 けれど、劇の中では幾度も幾度も挑むことで打ち勝った。

 まともに追えぬ戦士の動きを見つめ続け、かすかに走る影を記憶し続けたのだ。

 そして彼女の剣を負かすためだけの戦術を構築し、打ちあう前の初太刀で小手を取ってみせた。

 半ば運任せで、さらに特定の相手に特化したということを踏まえてもあまりに分の悪い戦いだった。

 しかし見事に木剣を叩き落とした剣騎士は、幼い頃と変わらぬ眼差しでマルチダに恋を告げる、と。


 あまりに少女趣味に過ぎる脚本だが、娯楽とはそういうものなのだろう。


「でも、いいんですか? 劇のお金までミスティア様に出させてしまって……」


 ノインが不意に表情を曇らせた。

 しかしミスティアは快活に笑った。


「いいよ、気にしないで。俸給の使いどころがほんとなくてお金余ってるから」


 気前のいいセリフに流石に申し訳なくなって、アッシュも一言礼を添える。


「すまない、なにからなにまで」

「……もしかしてアッシュ君っていい人なの?」


 悪党のような真似をするつもりはなかったが、いい人かどうかは知ったことではない。

 だから答えに困って頭をかくと、隣にいたノインが深く頷いた。


「実はアッシュ様はいいひとなんですよ」

「そっかぁ」


 なんとも言えない会話に一つため息を吐いて、次の行動についての話を切り出す。

 態度に出さない程度の良識はあるが、もういいのならさっさと帰ってしまいたかった。


「それで、これからどうするんだ?」


 人気も引いてきたし、移動するならそろそろだろう。

 そんな意図を読み取ったのか、ミスティアが通路の先に視線を泳がせる。


「そうだねぇ、とりあえず市場に戻ろうか。結局あんまり見れてないしね」

「そうか」


 答えて、なんとなくノインの方を見ると、彼女の目がなにか……近くの壁に据え付けられた大きな石碑のようなものを捉えているのに気がつく。


「どうかしたのか?」

「……いえ。読みたいのですが、あまり読めなくて。フリッツ様に関わるものだということはわかるのですが」

「ああ」


 相槌を打ちつつ、石碑へと注意を向ける。

 そして文を読み取って彼女に伝えた。


「親愛なる金糸の勇者をここにまつる。たとえこの碑が朽ちるとも、フリッツ=アマドールの記憶が我らと共に永くあらんことを願う。かの勇者に光栄あれ。ルシス=テンペスト」

「…………?」

「祀る、は死後に人を敬う存在として扱うことだな、この場合」


 分からない顔をするノインの、そのつまずく場所がなんとなく分かるようになりつつあった。

 だからすぐに補足をすると、彼女は丁寧に頭を下げた。

 そしてふと思い立って、アッシュはミスティアへと問いを投げる。


「ロスタリアでも勇者信仰はあるのか?」


 アトスの教えにおいて、勇者は神に次ぐ宗教上のシンボルである。

 だがその教えを持たないロスタリアにおいて、同じように勇者を祀るとは思えなかった。

 だからアッシュはそんなことを聞いた。


「そうだねぇ」


 その問いに石碑へと視線を向け、ミスティアは小さく息を吐いた。


「勇者というよりは、フリッツさん個人かな。ロスタリアでは」

「個人?」

「そう。ロスタリアで一番偉大な『魔術師』、ルシス様はフリッツさんの親友だったの。だから今でもフリッツさんのことはみんな慕ってるよ」


 ルシス=テンペストは、過去に二人存在するロスタリア出身の魔術師の使徒だった。

 またフリッツと同じ時代の戦役を戦った人物でもある。

 だが聖教国では親友だとか、そんな話は伝わっておらず、アッシュは少し不思議な気持ちになる。


「そうか」

「わたしたちも、ルシスとフリッツみたいに仲良くやれたらいいんだけどねぇ」


 目を細めた彼女の横顔を一瞥し、アッシュは頷いて答えた。


「ああ、そうだな」



 ―――



 少し市場をうろついて、見世物を見たりもした。

 そんなことに時を費やして、夕になる頃アッシュはようやく塔に帰ってきた。


 ノインは結局何も買わず、アッシュも特にほしいものなどなかった。

 なので市場で物を買うようなことはなかった。


 だがそれでも、一応伏せるアリスのために土産のパンを買った。

 なにぶん雪道を歩いたので少し冷たくなっていたが、基本的には食べ物などそんなものなので気にしなかった。

 常に温かいものを食べられるようなことは、アリスがいるからこその異常事態なのだ。


「俺だ。入っても構わないか?」


 アリスがいるのだという部屋の前に立つ。

 木のドアをノックをする。

 返事が来た。


「ああ……。少し待ってもらえますか?」

「分かった」


 気だるそうな声が返ってきた。

 待つように言われたから、アッシュは壁に背をつけて立っていた。

 するとごそごそと衣擦れの音が耳に届く。

 続いて、ドア越しに語りかけてくる声がする。


「それで、私に何の用ですか?」

「土産を買ってきた」

「へぇ、そうですか」


 本当はこれもノインに持って行かせたかった。

 でも、彼女が読み書きの勉強をしていることを知ったミスティアが熱心に教え始めてしまったのだ。

 だから邪魔をするのも忍びないと思い、仕方がなく自分で出向くことにした。


 あとは、体調が戻っているのなら、封印を受けておきたいというのもあったが。


「そういえば土産ってなんの土産です?」

「塔の外に出たから、街の土産だ」


 そう言うと、アリスの声に悔しそうな色が混じる。


「……なにを行楽こうらくしてるんですか、あなたは」

「別に行きたくて行った訳ではない」

「はいはい、みんなそう言うんですよ。残念でした」


 返した抗弁もおざなりに退けられた。

 軽くため息を吐くアッシュに、さらに言葉がかけられる。


「ところであなた、体調は?」

「体調?」


 聞き返しつつ、アッシュは訝しむ。

 彼女ならまだしも、こちらの体調に変わりなどある訳もないのだが。


 ああ、いや。

 なるほど。


「封印か」

「そうですよ。障りはありませんか?」

「特にない。もう昨日から戦闘をしていないからな」


 アリスが倒れる前、馬車で進む道中に魔獣の群れを片付けて以来だろうか。

 だからアッシュが問題ないと伝えると、彼女は皮肉げに鼻を鳴らした。


「どうです? 大好きな殺しから離れて、命の尊さでも学べました?」

「……魔獣を生かしておくべきだと、お前はそう言いたいのか?」


 魔獣を殺せなかったことが命の尊さの学習に繋がる文脈が分からなくて、多少棘を込めて返す。

 すると彼女は少し気圧されたように息を呑んだ。

 だがそれから、一拍の間を開けて答える。


「そうじゃなくて。殺してばっかりでは、人間として駄目だということです」

「よく分からない」

「分かるとも思ってません。……もう入っていいですよ」

「そうか」


 短く答えて、アッシュはドアに左手をかけてゆっくりと押し開く。

 相変わらず左手は動きにくいが、これくらいの動作は可能だった。

 それに、些細なことでも動かしておかなければどんどん動かなくなっていく。


「…………」


 部屋の中を進むと、自室とそう変わらない間取りの、一番奥のベッドにアリスは寝ていた。

 居間では薪をくべられた暖炉があかあかと強く炎を燃やしていて、この部屋は自室よりも暖かい。


「土産とやらはなんですか、早く持ってきてください」


 ベッドの上。

 いつもの喪服のドレスを身に着けて、身を起こした彼女が心なしか弾んだ声で口にする。


「ああ」


 答えつつアッシュは歩み寄った。

 右手に持った、茶色の紙袋を布団の上に置く。


「中身は?」


 言いつつ、アリスは袋の外側を軽く触る。

 中身をあらためるようだった。


「パンだな」

からくなかったですか?」

「特には」


 辛くはないはずだ。

 だからうなずくと、彼女は少し微笑んだ。

 それから指をわきわきと動かしてベッドから出た。


「どうした?」

「テーブルで食べます」

「ああ」


 居間には机を挟んで二つずつ、合計で四つ並ぶ椅子がある。

 彼女は暖炉から近い席に腰掛けて、紙袋に手を差し込んだ。

 すぐにパンを取り出して食べ始める。


「…………」


 だからアッシュはもう帰っても良かったのだが、一応封印を施せるかどうかは聞いておこうと思った。

 なので、アリスの斜め前に腰掛ける。

 すると意外にも彼女が礼を言ってきた。


「どうもありがとうございます。冷えてますが、悪くはないですよ」

「そうか」

「ところであなた、街でなにをしてきたんですか?」


 封印について切り出そうとしたところで、ちょうどアッシュはそんなことを問われる。


「…………」


 美味しそうにパンを頬張り、こちらを見るアリスから目を逸らした。

 なんとなくあかあかと燃える暖炉へと視線を移す。

 火の熱が、かすかに目を刺すように感じた。


「劇を見たよ。俺も……初めてだったが」


 言葉を返すと、彼女は小さく息を吐いたようだった。

 そういえばもうこの関係も一年になるのだなと、ふと思う。


「あなたが劇とはねぇ……。隣の席の人はさぞ災難だったでしょう」


 それはアッシュに纏わりつく死臭についての苦言なのだろう。

 が、劇場の入り口で上着を預かってくれるようになっていたお陰で多少はマシだったはずだ。

 身綺麗に着飾っていた劇場の職員は、差し出された汚物に顔を凍りつかせてはいたが。


「立ち見だったし、それに上着は預けていた」

「なるほど。かわいそうなボーイにチップは弾みましたか?」

「いや、払っていない」


 もしかすると払うべきだっただろうかと思い当たる。

 だからアッシュは頭をかいた。

 彼は本当に災難な様子だったから。


 しかし、特に興味はなかったのかアリスは軽く流してしまう。


「まぁいいでしょう。しかし、劇ですか。どんな話だったんです?」

「恋物語だ」

「…………?」


 パンを食いつこうとしていた彼女は、その寸前で噴き出した。

 そして口に手を当てくすくすと笑った。


「えっと……内容理解できましたか? ふふふ」

「ああ」


 あからさまに馬鹿にした表情で言う。

 それにうんざりとため息を吐いて、また暖炉に視線を戻した。


「面白かったよ」


 率直な感想を口にすると、アリスは少し引いたような声を出す。


「……え、どうしたんですか? なんかおかしくないですか? 恋に飢えて押し倒したりしないでくださいよ。それって愛でもなんでもないですからね」

「お前は劇を見たことがあるのか?」


 身を庇うようにして抱くアリスの、戯言を無視して問いかける。

 それに彼女は少し考えて、ゆっくりとパンを飲み下した後に答えた。


「私の故郷はわりと大きな街だったので。旅芸人の一座がやるのを何度か見たことがあります」

「そうか」


 意味のない会話を交わしていると、なんだかもう封印もいいような気がしてきた。

 帰るつもりで腰を上げる。


「帰るんですか?」

「ああ。剣でも振る」


 サウスローネの階層には広い訓練場がある。

 とは言っても塔の上に土を運び込んだ訳ではなく、石材を土魔術で変質させて柔らかい地面を作ったのだとか。

 魔術の威力というか、その力を改めて示されたような気さえする壮観であった。


 ともかく、アリスが頷いて声をかけてくる。


「では、お見送りしましょう」

「……すまない」


 にやりと笑ってパンを置き、彼女は同じく腰を上げた。

 なんだか気持ちの悪い感覚を覚えつつも、わざわざそれを止めることはしない。

 ただ礼を口にして歩き出した。


「どこまで来るつもりだ?」

「きっちり出口までついて行きますよ」


 居間を出てベッドの部屋を抜け、廊下を通る。

 アリスはずっとついてくる。

 そして彼女はドアを手ずから開いて、微笑みつつ外へと送り出してくれた。


「ではさようなら」

「ああ、またな」


 別れを告げ、廊下に出た時。

 不意にアリスが声をかけてきた。


「……ねぇ、アッシュさん」

「なんだ?」


 振り向き答えると、なんの感情も伺わせない顔で言葉が続けられた。


「あなた、少しヌルくなったんじゃないですか?」


 口にした彼女は、別に喜ぶようでもうとむようでもなかった。

 どうでもいいのだろう。

 だが、言えばアッシュが嫌がるだろうとそう思って口にしている。

 つまりはただの嫌がらせだ。


「馬鹿なことを」


 うんざりとしつつ言い返す。

 するとアリスは小さく鼻を鳴らした。


「気のせいならいいんですがね」


 街に付き合ったのも、無駄なことをしているのも全てアッシュがアリスやノインに負い目を持つからだ。

 それ以外には何も理由などありはしない。

 ほだされることなどありえない。

 使命の他に生きる意味を求めたことはない。


「まぁいいです。パンをありがとうございました。美味しかったですよ」

「ああ」


 彼女の言葉に短く答えて、背を向けて歩き出す。

 すると今度こそ呼び止められることもなく、背後でドアが閉まる音がした。



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