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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
三章・黒炎の騎士
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五話・散策(1)

 


 あれから一日が経ち、アリスの病はただの風邪であったと判明した。

 しかも一週間も休めば治るであろう軽いものだ。

 不幸中の幸いといったところだが、これでも一つだけ問題があった。


 そう、やることがないのだ。


 直接言葉にされることはないが、塔から出ることはやんわりと止められている。

 だから外で魔獣を殺すこともできない。

 そして駆除の仕事がなければ、アッシュには本当に何もない。

 だから割り当てられた部屋でじっとして時間を潰していた。


 ちなみに今いるのは、部屋に入ってすぐのベッドが並ぶ場所だ。

 柔らかい羽毛布団がかけられた白いベッドが三つも並んでいる。

 アッシュはその、ベッドの隙間の床に、壁に背をつけて座っていた。

 そしてぼんやりと部屋の中に視線を彷徨わせる。


「…………」


 ここはどうやら団体向けの部屋であるようで、かなりの広さがある。

 今いる場所を奥に行けば、赤い絨毯が敷かれた居間がある。

 そして広いその居間には本棚と、四人がけの大きなテーブルが置かれていた。

 机には駒のようなものが置かれた遊戯盤もある。

 ちょうど近くの壁にはめこまれた暖炉にあたりながら遊べるようになっているようだ。


 また窓もあるため、部屋にはよく日が差し込んでいて明るい。

 あとは、どういうわけか床がほんのりと暖かい気がする。

 飾りなどは何もないが、とても良い部屋だと言えるはずだ。


 そんな感想を他人事のように浮かべて、昼の食事はどうしようかと考える。

 でもわざわざ腰を上げるほどには体は食べ物を欲していなかった。

 だから結局、ただぼんやりと時間を浪費していた。


 とはいえこうして時間を無駄にして、魔王を殺す前に体を鈍らせるのは良くない。

 剣でも振ろうかと膝を立てた時、部屋の扉が控えめにノックされた。


「アッシュ様、いらっしゃいますか?」


 声は、多分ノインだと思った。

 なので入るようにと伝える。


「……君か。入ってくれ」

「では、失礼します」


 答えつつ部屋に足を踏み入れた彼女は、コートを脱いで法衣だけになっていた。

 手には本と石版を持っていて、どうやら勉強をしに来たらしかった。


 一々言葉にする必要もなく、暗黙の了解を得て居間の机に腰掛ける。

 そして遊戯盤をどけてスペースを空けると、ノインの視線が興味深そうに追った。

 だがそれについては話さず、勉強について問いかけてみる。


「読む方はもうずいぶんできるのか?」


 石板を置いて、本を広げる。

 彼女ももうそれなりに文字の勉強を続けているから、後は文字を覚える行程を繰り返すことになる。

 だから一人でできることはかなり多くなっていて、こうして勉強しに来ることも一週間ほどなかった。


「おかげさまで。今はカラミアの方を覚えています」

「そうか」

「でもいくつも読み方があるものがあったりして、なかなか難しいんです。それに、ここの本には知らない読み方もあって……」


 話しながら、ノインがアッシュに本を差し出す。

 それはノインがずっと使っている教本だったが、ページの余白に三つの文字列が書き込まれていた。

 あまりきれいな文字ではないが、上手くはなっていたから小さい書き込みでも十分に読めた。

 だから見ると、どうやらこの三つは熟語であると気がつく。


「これは特別な読み方だ。決まった文字と組み合わせると、普段はしない読み方をする文字がある」

「そうなんですか?」


 感心したように口を開ける彼女に、アッシュは頷く。


「ああ。一応この本にも、後ろの方に載っているはずだ。今はまだ必要ないから、まずは沢山文字を覚えるといい」

「ありがとうございます」

「気にしなくていい」


 短く返して、ノインに本を返す。

 すると彼女はまた本を見ながら、石板に書き取りを始める。


「…………」


 勉強する姿を横目に、アッシュはあたりを見回す。

 すると、机の上に小さな紙の束と羽根ペンを見つけたので手に取った。

 文字を書くことなど、ずいぶん久しぶりだったが。


「これを」

「?」


 紙に先ほどの文字列と、読みを書き込んで差し出す。

 それを見て、彼女は不思議そうな顔でこちらを見返してきた。


「これは……さっきの文字の読みですか?」

「そうだ。インクが乾くまでは折り曲げない方がいいかもしれない」

「……ありがとうございます」


 小さく頭を下げて、彼女はメモを大事そうに手元に引き寄せた。

 石板の脇に置く。

 また手習いを始めた彼女に、アリスたちの様子を伺ってみる。


「アリスとミスティアはどうしている?」

「アリス様は別の部屋で休んでいます。ミスティア様はシド様のところに行ったみたいです」

「そうか」


 答えて、無言で手習いを続けるノインをなんとなく見つめていた。

 もう話すこともなく、静かな部屋には筆記具が石板を叩く音だけが響いていた。


「…………」


 それにしても、彼女は本当に勉強熱心だった。

 本当に、これならそう遠くない内に聖書を読めるようになるだろうと思う。

 聖書を読むことで、彼女が本当の信仰を見つけられるかまでは分からなかったが。


 などと考えていると、不意にノインが問いを投げかけてくる。


「そう言えばアッシュ様はお昼はどうなさるんですか?」


 アッシュは石板から視線を上げて答えた。


「特に考えていなかった」

「では一緒に街に降りませんか? ミスティア様が、案内してくださそうですよ」


 楽しげに口にするノインだが、食事を取るために街に降りる必要など恐らくは一切ない。

 昼食を摂るにしても、アッシュは手早く済ませて鍛錬でもするべきなのだ。

 無駄な行為だった。

 だが主にアリスに流されて、近頃その無駄なことをする機会が増えている。

 これはあまり好ましい変化ではないと思っていたから、今は提案に従いたくなかった。


 だからアッシュは誘いを断る。


「すまないが、俺は行かない。君だけで行ってくるといい」

「え……」


 断られるとは思っていなかったのだろう。

 何かを言いあぐねて口をぱくつかせる彼女から目を逸らす。

 そしてアッシュは窓の外を見た。

 すると今度は景気のいい……有り体に言えばやかましいノックの音が聞こえた。

 恐らくはそう強く叩いている訳ではないのだろうが、重いガントレットのせいであのような音を立てるのだろう。


「わ、すみません!」


 自分でも音の大きさに驚いたらしい彼女。

 部屋を訪ねてきたミスティアに、アッシュは言葉を返す。


「……入ってくれ」


 用件には察しがついているだけに、余り気は乗らなかった。

 しかし仕方なく入室を促す。

 するとドアが開く音がして、がしゃりがしゃりと騒々しくミスティアが部屋に入ってきた。


「失礼します、勇者様」

「……その、勇者様というのはやめてくれ」


 机のそばに現れた彼女に、勇者と呼ぶのをやめてくれるように頼む。

 だがミスティアは首を傾げ不思議そうな顔になる。


「ではなんとお呼びすれば?」

「アッシュでいい。それから、敬語もいらない」

「ほんとに?」


 これまでに例のない速さで口調が切り替わり、思わずたじろぐ。

 『勇者様』までならまだしも、敬語までを取り消す者は聖教国にそういない。

 初めから敬語を使わない者はいるにはいたが、彼はそもそも破戒騎士と呼ばれるような男だったのだ。


稀人まれびとで聖教国の偉い人って聞いてたけど、アッシュくんは気のいい人だね」


 アッシュくん?

 稀人?


 理解が追いつかず、流石に口ごもる。


「あ、稀人っていうのはほら、戦士とか勇者とか……」


 どうもロスタリアでは使徒を稀人と呼ぶらしい。

 慌てて付け足すミスティアだが、気になるのはこれだけではない。


 しかしアッシュくん……とは。


「なるほど。いや……」


 訂正しようと口を開きかけたところで、ミスティアはアッシュの手を取った。

 さらに重厚な金属の腕に引かれ、半ば無理に立たされる。


「あなたもノインちゃんでいいかな?」

「え、あ、はい……はい」

「わたしはミスティアでいいよ。改めてよろしくね」


 アッシュの手を離した彼女は、ノインのことも立たせる。

 続けてにこりと笑い、扉の方を指さした。


「じゃあ行こうか、グレスタ散策!」

「悪いが、俺は行かない」

「なんで? わたしがいれば怒られないよ?」

「違う。気が向かないだけだ」


 気が向かないと言ったアッシュを、不思議そうに見返してくる。

 何を言っているのかわからないとでも言いそうな顔で。


「気が向かないってどういうこと?」

「言葉の通りだ。俺は行くつもりはない」

「う〜ん。……でもなぁ、君を置いて出る訳には……いかないしなぁ。わたしもなぁ……中々塔の外には……出られないんだけどなぁ……」


 ミスティアは腕を組んで困ったように顎に手を当てる。

 今の彼女の任務は一応、アッシュたちの監視だ。

 その監視対象を放っておいて遊びに行くことなどできないのだろう。


「…………」


 う〜ん、どうしようかと。

 そんなことを呻き続けるミスティアから視線を外す。

 ノインの方を見ると、彼女は少し微笑んで首を横に振った。


「無理はしないでください、アッシュ様」


 取り繕うような言葉に、アッシュは思わず頭をかく。

 そして答えた。


「ああ……」


 言いながら、アッシュはあの秋の夜のことを思い出していた。

 幸せを見つけたいと。

 喜びを重ねたいと、彼女は言ったのだ。

 旅に出れば、きっと叶う気がすると。


「…………」


 あの夜こそ否定したが、それでもアッシュには協力する義務があるのではないだろうか?

 少なくとも、彼女がアッシュの目的に手を貸してくれていることは事実である。


 もし、アッシュが行かなければ街を見て回れないのなら、付き合うくらいはするべきではないのかもしれない。


「…………」


 そこまで考えて、えもいわれない違和感に襲われる。

 ふと胸に穴が開いたような、あるいは世界の色が変わってしまったような感覚だった。

 自分でも全く理解が及ばない、表現しようのない……強いて言うのなら焦りや不安に似た感覚が一瞬だけ膨らむ。


「どうかしたのですか?」


 なにかを察したのかもしれない。

 ノインが顔を覗き込むようにして語りかけてきた。


「なんでもない」


 違和感は消えないが、かといってそれを言葉にできそうもなかった。

 だからそう答えると正体不明の胸騒ぎもやがて消える。

 落ち着いたアッシュは、ミスティアに声をかけた。


「なぁ、君」

「う〜ん。……はい? なにかな?」

「気が変わった。よければ案内してくれないか?」

「おお! もちろん!」


 アッシュの手をひしと握り、ぶんぶんと握手をする。

 硬い鉄塊の感触に顔をしかめるが、気づくことなくミスティアは歩き始める。


「じゃあ行こうか、グレスタを案内してあげるね!」


 彼女は絨毯が敷かれた居間を出て、廊下へと足を踏み入れる。

 するとブーツが音を立ち始めた。

 その音を耳に入れながら、アッシュも一歩を踏み出した。


「あの」


 するとそこで、ノインに声をかけられたので足を止める。


「なんだ」

「気をつかわせてしまいましたか?」

「……そんなことはない」


 答えて、今度こそアッシュは歩きだす。


「行こう。日が暮れる前には帰りたい」

「はい!」


 元気よく答えて、ノインは筆記具を持って歩き始めた。

 弾む足取りだった。

 すぐにアッシュを追い越した彼女の背を見つめていると、再び胸の奥で違和感が蠢くのを感じた。


 正直なところ、あまり良くない気分だった。



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