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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
三章・黒炎の騎士
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四話・第四の魔境

 



 食事はつつがなく終わりを迎えた。

 すると、先ほどの給仕たちが来て円卓を片付けていく。

 そして食器があらかた消えた頃、アッシュたちの前には一つずつティーカップが置かれていた。


「これは?」


 アッシュが問いかけると、正面に座ったイェルドが答える。


「それは紅茶だ、勇者殿。長旅の疲れが取れる。好きなだけ飲んでくれ」


 イェルドが、円卓に置かれた白い陶器のポッドを見ながら言う。

 頷いて、アッシュは一口紅茶を含んだ。

 どうやら牛の乳と砂糖が入れられているらしく、香りは強いながらもすっきりとした甘さがあった。

 適度にぬるくしてあるお陰で味もよく分かる。


「流石に紅茶は辛くない訳ですか」


 アリスが、皮肉げに鼻を鳴らして言った。

 それにイェルドは不思議そうな顔をする。


「そんな訳がないだろう。もしや神官殿の国の茶は辛いのか?」

「馬鹿な」

「だよな?」


 早くも二杯目の紅茶を注ぎながらアリスがさらに言葉を重ねる。

 やや砕けてきた口調だった。


「というか紅茶はあまり飲まないです。うちの国にあるのは乳か酒か水だけです」

「そうなのか。朝起きて紅茶飲めないなんて、難儀な国だな」


 アッシュは、二人の会話を聞き流してカップを置く。 

 そしてイェルドを真っ直ぐに見据えて口を開いた。


「もてなしには感謝するが、雑談もこれくらいでいいだろう。魔境攻略の手はずについて話がしたい」

「ああ……」


 イェルドはバツが悪そうに頬を撫でる。

 多分、少しのんびりしすぎたと思っているのだろう。

 カップを片手にかなり寛いでいた様子だったから。


「それもそうだな。少し、失礼する」


 ともかくそう言って腰を上げて、彼は部屋の中の戸棚へと歩いて行く。

 そして、地図を持ってノインの横に腰掛けた。

 地図を見せやすいようにするためだろう。


「さぁ、お三方。これを見てくれ」


 イェルドが机の上に地図を広げた。

 シドとミスティアはある程度把握しているのか、遠巻きのまま見るともなしに視線を向けている。

 アッシュとノインは、心持ち身を乗り出して地図を見た。


 だが、地図を見たノインが小さく声を漏らした。


「……これは」


 これは、恐らくはロスタリア全土を描いた地図だった。

 しかしところどころが白く塗りつぶされて見えなくなっているのだ。

 だから彼女は声を上げたのだろうが、イェルドは察していないらしかった。


「どうかされたかな?」

「あの、この地図は」


 何かを言いかけた彼女の、横腹を軽く小突いておく。

 振り向いてきたから、言わなくていいと目で告げておいた。

 すると混乱したような表情のまま頷いてみせた。


「…………」


 彼女はまだ分かっていないようだが、ロスタリアと聖教国は本来険悪な関係の国である。

 協力するとは言え、戦役が終わればまた敵だ。

 だから聖教国の者に地形を開示するつもりもないのだろう。

 そして、これを一々指摘しても仕方がない。


 だからアッシュは何も言わず、ただイェルドに詫びを入れる。


「すまない、続けてくれると助かる」

「ああ、では続ける。まず、罪科の塔はこのグレスタの街から南にある」


 地図の北端、やや東寄りを指さして、節くれだった指がすっと下の方に動く。


「つまりは、ここだ。このあたりは元々工業者が多くいた地域で、ノヴィエと呼ばれている。急ではあるが明日には出発したい」


 イェルドの指が止まったのは、ロスタリアの中部あたりだ。

 大きくバツがつけられた地点は、平坦であることが読み取れる土地だった。

 もちろん、白塗りによってすべてが分かった訳ではないが。


「…………」


 そこで何となくアリスの方に視線を向けた。

 彼女は地図を見るともなく見ながら紅茶をすすっていた。

 食事中もだいぶ水を飲んでいたようだったが、よく飲めるものだとふと思う。


「勇者殿?」

「すまない」


 アリスに気を取られ、真面目に聞いていないと思われたかもしれない。

 反射的に謝る。

 すぐに視線を戻すと、イェルドは歯を見せて笑った。


「いや、気にするな。……ええっと。それから当然魔境の周囲には大量の魔獣がいる」


 言いつつノヴィエの一点、バツ印の周囲をさらりと指でなぞった。


「あくまで予想に過ぎないが、数にして推定五千ってとこだな」

「……五千、ですか」


 ノインが思わずといった様子で声を漏らすが、アッシュも恐らく気持ちは同じだった。


「…………」


 魔王の領域だ。

 周囲に大群がいることは当然承知していたが、予想よりも多い。

 強行突破をするにしても、この数が相手では消耗は避けられないだろう。

 だから呻くようにして喉を鳴らすと、イェルドはすっと指を引きアッシュを見据えた。


「そこでだ、ロスタリアが軍を出す。そちらの力を借りて、まずは塔の周囲で掃討戦を行った上で突入したい」

「掃討戦だと?」

「そうだ。攻略後の帰還も、その方がスムーズに行くからな」


 突破の援護ではなく、掃討をやると言うのか。

 だがこうなると、当然ロスタリアの軍には甚大な被害が出るだろう。

 アッシュたちもいるとは言え、あまりに数が多すぎるのだ。


「なんのつもりだ?」


 打ち合わせの段階で、聖教国への出兵要請はなかったと聞く。

 掃討戦をすると言えば交渉の余地もあっただろうに、しなかった理由が分からない。

 だから問いかけると、イェルドは人のいい微笑みを消して目を細めた。


「……勇者殿、これは基本的にはロスタリア領内の問題だ。そちらの兵を借りるまでもない」

「貸しを厭う余り、兵を殺しては元も子もないと思うが」


 貸しなど、戦役が終わってからいくらでも返せばいいのだ。

 そんな意を込めて言葉を投げるが、彼は首を横に振った。


「いや、勘違いするな。戦力は十分だ」


 そう言い切った彼の瞳が動く。

 不意に移った視線の先を追う。

 すると、感情を読めない表情でこちらを見ているシドがいた。


「…………」


 『魔術師』。

 それは知っている。


 しかしこの少年は、余りに幼すぎる。

 いくら使徒だろうが、たかが十二歳やそこらで魔術を極め、力を十全に振るえるとは思えなかった。


 アッシュの不安を嗅ぎ取ったのか、シドは怜悧な瞳を細めて皮肉げに唇を釣り上げる。


「疑うのか、勇者。まぁそれもいい、僕はガキだしな。受けるか受けないかは勝手にしろ。こちらとて、そもそも期待はしてないからな」


 自信と高慢を覗かせる言葉に、けれどアッシュは怒りはしない。

 何故ならシドの力を疑う一方で、使徒の力はよく知っているからだ。


 かつてアッシュはハンテルク帝国にいる……いや、()()戦士と戦列を共にしたことがある。

 あの時の彼の活躍を思えば、また本当にあれだけの力があるのなら、掃討も不可能ではないはずだ。

 ……一抹の不安は、やはり拭えるものではなかったが。


「……帰るつもりはない」


 複雑ながらアッシュが答えると、シドは興味を失ったように視線を逸らして席を立った。


「なら文句は言うなよ。望みの話もできただろうし、僕はここいらで失礼する」

「あっ! ちょっとシド様……!」


 彼は呼び止める間もなく部屋を出た。

 彼を追おうとしたのか、ミスティアはおたおたとガントレットを身につける。

 だがどうにも間に合いそうもなかった。


「また勝手にどこかに行って……」


 いきどおろしげに鼻を鳴らすミスティアは、ガントレットを装備し席を立った。


「では勇者様、それからノインさんとアリスさん。私はこれで失礼します。主の後を追いますので」


 彼女はアッシュたちに深く礼をする。

 さらに言葉通り部屋を出ようと背を向けたところで、イェルドが声をかけて呼び止めた。


「おい、待てミスティア」

「なんですか、師匠」


 振り向いて怪訝そうにしている。

 イェルドは続けた。


「お前、しばらく勇者殿らについて行け」

「へ?」


 目を丸くする彼女は、やがて困ったようにため息を吐く。


「……師匠。わたしの仕事は監視ではありません」

「はっ。ずいぶんはっきり言うじゃねぇか」


 聞けばロスタリアには秘匿ひとくされたルーンが多くあると言う。

 あとは単純に、この塔には見られてはならない機密も多いのだろう。


 故に隠密のような真似をされたくはないが、いざという時にアッシュたちを止めるだけの力を持つ人間は少ない。

 であれば当然、人選は限られると言う訳だ。


 魂胆を見抜かれ、それでもくつくつと笑うイェルド。

 どうやら隠すつもりもないらしい。

 アリスが剣呑な声で口を挟む。


「客人を泥棒扱いですか。飯も不味いですし」


 彼女は最早、見せかけの敬意すら捨てたようだった。

 冷たい視線を向けているが、イェルドは涼しい顔だ。


「とは言えな。神官殿の使う精神感応魔術も、元はロスタリアのものだ。そしてこれ以上を許すつもりもない」


 イェルドがそんなことを言う、

 つまり、アリスやノインのことを深く調べていたのだろう。

 先ほどは神官や騎士についてすらよく知らないと口にしていたが、大した狸だったということだ。


 ともかく、盗人扱いされたアリスも皮肉げに鼻を鳴らす。


「何を言いますか。そちらが頓挫とんざしたのを引き継いでやったんじゃあありませんか。まぁ気持ちは分かりますがね。ロスタリア様のお魔術で、その悔しいお気持ちもよーーく読み取れますよ。いや結構」


 徹底的におちょくるような態度でアリスがイェルドを嘲笑った。

 そうして笑顔のまま毒舌を交わすアリスとイェルドの間に挟まれ、ノインは困ったように視線を彷徨わせている。


「ア、アリス様……」


 彼女の様子を見かねて、アッシュは小さく息を漏らす。


「そちらの立場も分かる。監視など必要ないが、受け入れよう」

「そうか。勇者殿、ご理解いただき感謝する」

「気にしなくていい」


 アッシュは言って、ミスティアに視線を移した。

 すると彼女は小さく肩をすくめる。

 それから口をもぞもぞと動かす。


「えっと。まぁ、わたしもむしろ親交を深めるつもりで…………うん」


 凍りついた室内の空気の中、彼女の言葉はあまりに空回りだった。

 けれど、せめて害意がないことを示そうとアッシュは言葉を返す。


「手間をかけてすまない」

「いえ、お気になさらないでください。では、参りましょうか」


 それからアッシュたちはそれぞれ席を立った。

 すると、イェルドも席を離れて自分の机に戻る。


「ではお三方、またな。宿の方だが、客室があるからミスティアに案内させてくれ」


 彼の言葉にアッシュとノインはそれぞれ答えた。

 が、アリスは何も言わなかった。

 ただ小さく咳をして、嫌そうな顔で彼に一瞥をやったのみだった。


「ああ」

「失礼しました」


 最後に、ミスティアも呆れ顔でイェルドを諭すような言葉をかける。


「師匠、ほどほどにしてくださいね」

「おう!」


 それから、アッシュたちはイェルドの部屋を出た。

 先ほど通った廊下の道を戻り始める。

 道の途中でミスティアがぽつりと呟いた。


「……師匠は、あれで悪い人ではありません」


 アッシュたちが出た部屋に、入れ替わるようにして給仕が入って行く。

 それに少しだけ振り返り、彼女の言葉に耳を傾ける。


「…………」


 アリスも彼女には何か言う気はしないのか、口を挟む気はないようだった。

 けれどその頬が少し赤くて、アッシュはわずかに気にかかった。

 心なしか、息遣いも苦しげなようだったが。


 ともかく、ミスティアの語りが続く。


「裏もあれば狡猾さも持ち合わせている人ですが、それでも魔術には真摯なのです」

「……サウスローネ、だったか。君たちの一門は」


 やがて廊下を抜けて階段を降り始める。

 並んで歩きながら、問い返すと彼女は嬉しそうに笑う。


「ええ。サウスローネは魔術師でありながら武器術をとする異端ですが、師匠は一門から初めて元老入りするほどに我らの価値を高めたお方なのです」

「なるほど」


 言葉よりむしろ、彼女の笑顔がよく尊敬を物語っていた。

 だから頷くとミスティアはまた口を開く。


「では、これからあなた方を客室にお連れします」


 言いながら、少し後ろを歩くノインたちに目を向けていた。


「アッシュさんとそれから女性お二人で部屋を分けますが、わたしもアリスさんたちの部屋に泊まらせていただきます。……よろしいですか?」

「はい、あたしは気にしません」


 ノインが答えた。

 特に異論はない様子だった。

 続いてアリスも口を開く。


「私も構いませんよ。……というより、なんでもいいので横になりたいですね。少し、気分が優れないので」


 聞けば、どうやら体調が悪いらしかった。

 もしかしたらとは思っていたが、ここに来てはっきりとした。

 アッシュは一応声をかけておく。


「大丈夫か?」

「大丈夫に見えますか……?」


 棘のある返事が返ってきた。

 だから黙ると、今度はノインが労るように声をかける。


「アリス様、あたしおんぶしますよ」

「倒れたら運んでください。それでいいです」


 アリスは無駄に強情な台詞を吐いた。

 そのままふらふらと歩き続ける。

 そしてアッシュたちは下の階にたどり着く。

 主にノインに気遣われつつ彼女は歩く。

 だが、そう待たずに限界は来た。


「……うっ」


 廊下の壁に手をついて俯き、歩けなくなったのだ。

 荒い息を吐くアリスは杖を取り落とす。

 苦しそうに肩を上下させている。


「……あー、駄目かもしれないですこれ」

「大人しくおぶられた方がいいと思うが」


 落とした杖を拾いつつ勧める。

 けれどアリスは弱った声で、吐き捨てるように言葉を返す。


「うるさいんですよ、あなたは」


 言葉はいかにも気丈だが、彼女はやがてふらついて倒れそうになる。

 そこで、ノインが体を抱き支えた。

 すると流石に申し訳なさそうな声を漏らす。


「……うぅ、面目ない」

「気にしないでください」


 ノインはアリスを背負って歩き始めた。

 足取りは軽い。

 だが、アリスがおずおずと問いかける。


「重くないですか? 大丈夫ですか?」


 ノインはアリスよりも小さな少女だ。

 だから聞いたのだろうが、特に苦しそうな様子はない。


「いつも剣を背負っているので、そんなに変わりません」

「あれと比べないでほしいです」


 まぁ、身体強化を入れていると近い重さに感じるのだろうか。

 すると二人の姿を見て、ミスティアが小さく微笑んだ。


「ロスタリアのお医者さんは結構すごいです。きっとすぐに治りますよ」

「はぁ……。薬もからいんですか?」


 ほとんど目を閉じて、気だるそうな声でアリスが答える。

 それにまた笑みを浮かべ、ミスティアは心もち部屋に向かう歩みを早めたようだった。


「…………」


 そんな三人の背中を追いながら、明日の出立は遅らせなければならないだろうかと、アッシュはそんなことだけを考えていた。



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