三話・魔術師たちの歓待
シドに連れて来られたのは塔の上層だった。
最上階ではないものの高く、階段の途中の窓から見えた景色はなかなかの壮観だった。
またこの階には他の場所と違う特徴がある。
すなわち、廊下の至る所に武器が立てかけられているのだ。
あとは心なしか歩く魔術師たちの数も少なく、一様に鍛え込んだ身体付きをしている気がする。
「登るの……早いですって」
階段を登り終えたのか、背後でアリスが息を荒くしている。
頑健な肉体の魔術師たちに対し、彼女は余りに体力がなかった。
何となく目を向けると、ノインに軽く背を支えられながら歩き切った様子だった。
「大丈夫ですか?」
ノインが心配そうにしている。
彼女は身体強化を使った様子もなく登りきったらしかった。
やはり素の体力もあるのだろう。
一応、アリスの杖はアッシュが持ってやったのだが、それでも息も絶え絶えといった印象だ。
「無闇に高くするくらいなら平屋にしなさい……!」
階段を振り返り、アリスが腹立たしげに口にする。
特に反応はせず彼女に杖を返した。
「杖を」
「……あ、どうも。ありがとうございます」
受け取ったのを見届けて前を見る。
すると先には、大きな黒い扉があった。
両開きの立派なものだ。
前に立つミスティアがこちらを向いて……どうやら待っているようだ。
シドの方は、先に中に入ったようだったが。
「こちらにサウスローネの元老が。……どうぞ、お入りくださいな」
彼女はそう言って、招き入れるように扉を開く。
アッシュは頭を下げた。
「すまない」
そしてすぐに、彼女が待つ場所へと足を向けた。
―――
踏み入った部屋で、まず目に写ったのは巨大な首だった。
最奥の壁に固定された、醜く焼け焦げ、皮を剥がれた巨人の首だ。
恐らくオークあたりに寄生した、メダクかフュリアナの首の剥製だろうか。
悪趣味だが、力を誇示するには相応しいものだろう。
しかしここは、先ほどの剥製も相まってだが、魔術師のイメージからはかけ離れたものだった。
「…………」
白い塗料で固められた壁と、絨毯が敷かれた床。
部屋の右手の壁には暖炉がはめ込まれていて、脇には束ねられた薪が置かれている。
また、こういった部屋にお決まりの執務用の机と、十人がけの……すでに左手にシドが腰掛けた、大きな円卓がある。
ここまでならそう不思議でもないのだが、ここにはあまりに武器が多すぎるように感じる。
刀にレイピア、槍や大剣、三叉槍、斧槍もあれば鉄槌も置かれている。
見たところどれもが一流の品であり、部屋の主の収集癖の深刻さが伺えた。
「来たか、勇者殿! 俺の名はイェルド=ソーズ=サウスローネ。あんたを歓迎しよう!」
そして、だ。
書類やら兜やらが置かれた机の前。
恐らくは件の元老、部屋の主が立っていた。
豊かな赤毛を逆立たせた、背の高い男だった。
「……アッシュだ。よろしくお願いする」
挨拶を返しながら、元老の姿をまじまじと見つめる。
シドのものにも似た、マントと装飾の黒ローブを身に纏っていた。
さらに、本来被るべき三角帽子は大きな左手にくしゃりと握られている。
彼は、一見して戦士のように見えた。
戦士が魔術師に変装をしているといった様子だ。
杖を持たず、代わりに美しい幅広の長剣が腰に下げられている。
そのように、魔術師なのか戦士なのか分かったものではないが、見たところ年齢も判然としない。
鍛え抜かれた身体と漂う覇気からは、三十手前にも見えるような雰囲気がする。
だが、一方で歴戦の雰囲気を纏ってもいた。
四十過ぎと言われても信じてしまいそうではあった。
右目に大きな傷の入った彼の顔は、老練さも確かに漂わせている。
「…………」
そんな風にイェルドのことを見ていると、彼はなにやら視線に意味を見出したらしい。
不意に剣の柄に手をかけ、こちらを不思議そうに見返してくる。
「ん? 勇者殿、まさかこの剣が気になるのか?」
「いや、それほどでもない」
アッシュにはもう剣がある。
だから答えると、イェルドは楽しげに笑う。
「ははは! 嘘を言うな、見てただろう?! いやしかし流石に目が高いぞ。これは国一番の職人に打たせて、レイエスの連中に刻印させた業物でな! 刻んだルーンは五つもあって……」
ぱっと表情を明るくして、得物について語り始める。
すると、呆れたような表情でミスティアが止めた。
「師匠、落ち着いてください」
しかし、師匠と呼ばれたイェルドはなおも笑う。
「ん、許せよミスティア。得物自慢となると止まらんのが俺の性分だ。……さて、勇者殿。そして彼女らは……話には聞いているが、勇者殿の従者かな?」
視線と問いを向けられて、アリスたちは二度目の自己紹介を返す。
「正八位神官、アリス=シグルムでございます。どうぞお見知りおきを」
「あたしはノインです。よろしくお願いします」
アリスはまた優雅に礼をした。
ノインはぎこちなく腰を折る。
アッシュは、それに一つだけ言葉を足しておく。
「分かっているだろうが。ノインの方が事前に伝えてある従騎士だ」
「おう、どうもな。勇者殿」
来訪予定者については打ち合わせを済ませてある。
元老ともなれば当然把握しているだろうが、一応言葉にしておいた。
するとイェルドは頷いて、ゆったりとした動作で円卓に腰かける。
「俺には騎士だの神官だのは分からんし、異教の権威に傅くつもりもない。だが、わざわざ俺たちの国に来てくれたのだ。もてなしをしたい、座ってくれ」
もてなすと言われ、アリスはさっと円卓に腰掛ける。
「では失礼いたします」
しかしノインはどこに座ればいいのかを悩んでいる様子だった。
「……えっと」
上座も下座もない円卓だからかもしれない。
まだ挨拶もおぼつかないというのに、彼女の礼節はどこかちぐはぐだった。
見かねて、彼女に席を指し示しておく。
アリスの二つ隣だ。
「そこでいいだろう」
言いながら、アッシュはノインとアリスの間の席につく。
丁度両脇を挟まれるようになったところで、何故かイェルドは笑みを浮かべた。
「両手に花だな! 勇者殿」
「そういった関係ではない」
否定すると、彼はにやりと笑って言葉を続ける。
「どっちかと付き合ってないのか?」
「師匠!」
見かねたように、ミスティアが声を高くした。
すると彼はおどけた様子で軽く頭を下げる。
「ああ、すまんミスティア」
それからくしゃくしゃの帽子を机に置き、彼は改めてミスティアに向き直った。
「おいミスティア」
「なんでしょうか?」
「ちょっとお前、外の侍従に飯持ってくるように言ってこい」
「かしこまりました!」
がたんと椅子を蹴って、彼女は扉の方へと歩いて行く。
だが、出る前にアッシュたちへと頭を深く下げた。
「師匠がどうも、失礼をしました」
そして今度こそ部屋を出ようとした。
けれどその時。
沈黙を貫いていたシドが声を上げる。
「ミスティア、僕はいらないからな」
「ええ、でもシド様……」
口ごもるミスティア。
彼女にイェルドも加勢した。
「テンペスト卿、少食もまた健康の道ではあります。ですがそれも過ぎればお体に障るものかと……」
相手がテンペストだからか、流石の彼も言葉を正して諌めている。
だがこれに、シドは思い切り顔をしかめた。
「お前らの飯は、不味いんだよ」
はっきりと言い放たれた。
ミスティアとイェルドが眉を下げる。
「うぅ……」
「なんと……」
呻く二人に、アリスが華麗に手の平返しを決める。
「あ、やっぱいらないです、私」
彼女にアッシュは何も言わなかった。
しかし、なんとも言えない気持ちになったので頭をかく。
一方でイェルドは特に気にした様子もなく、アリスを説き伏せにかかっていた。
ミスティアも彼に続く。
「だが神官殿、食うまでは口に合うかなぞ分からんぞ」
「クセがあるのは、事実ですが」
詰め寄る二人を前に、悲しそうな顔でアリスが俯いた。
「いえ違うんです。……ごめんなさい、ちょっとお腹の調子が悪くて」
しおらしくそんな事を言っている。
すると、イェルドは悩ましげな声を上げた。
ミスティアも残念そうにため息を吐く。
「う〜む……」
「それなら……仕方ありませんね」
しかし、そこでイェルドがなにやら思いついたようだった。
喜色満面……といった顔で微笑んで指を鳴らす。
「ではミスティア、サウスローネ謹製の薬膳フルコースを持って来い」
「ああ、それがありましたね! 失礼します!」
「ちょっ……!」
アリスは焦りを滲ませる。
が、呼び止める間もなくミスティアは扉の向こうに消えた。
不満を隠しもせずにアリスが顔をしかめる。
「えぇ……」
「きっと良くなるぞ! 神官殿!」
イェルドが騒ぐ。
シドもにやにやと笑っていた。
「良かったな。はは」
しかし答える余裕もないのか、アリスは机に突っ伏してしまう。
その様子を見て、ノインがつと声を漏らす。
「アッシュ様」
「なんだ?」
「不味いって、具体的にはどういうことなのでしょうか」
あの修道院は、質素だが食事だけはまともだった。
これまでの旅でも、アリスの空間魔術のお陰で食生活は充実していた。
もしかすると彼女は、これから未知の概念を学ぶのかも知れなかった。
「言葉にはできない」
「……そう、ですか」
それから、ひたすらに沈黙が流れる。
ただミスティアが戻ってくるのを待っていると、おもむろにシドが口を開いた。
「待っている間暇だろう。僕が面白い話をしてやる」
彼の言葉にアリスが顔を上げた。
ノインもわくわくと視線を向けた。
アッシュも一応耳を傾けて、イェルドの方も興味深そうにしている。
シドは話を続けた。
「この国の信仰はアトス教ではない。精霊信仰と言ってな。あらゆる事象にはそれを司る存在がいると仮定し、精霊と呼んで語りかける教えだ」
なにかと思えば宗教談義か。
アリスは露骨に興味を失うが、ノインの方は真面目な表情で話を聞いている。
だが、むっとしたようにシドが話を中断する。
「おい、アリス=シグルム。お前が聞かないと仕方ないんだぞ」
「はぁ……それはすみませんで」
どうやらアリスに向けて話していたらしい。
注意を引き戻し、さらに言葉を続ける。
「精霊信仰では人の死後については定義されていない。無になるという意見が多いが……大昔の人間が考えてたような、天国とか地獄だかの概念はないんだ」
天国と地獄。
太古の人間の宗教観の中で、幅を利かせていた概念だ。
今も慣用句として用いられることはあるが、アトスにおいても宗教的意味はないに等しい。
しかし、それがどうしたというのだろう。
「…………」
アッシュも興味を惹かれ、シドの方に向き直る。
すると彼はにやりと笑って言葉を続けた。
「でもな、この国にはいくつか地獄がある」
「ないって言いませんでした?」
「馬鹿。死後にないだけだ。地上にはあるんだよ」
彼が楽しげに答えた時、丁度扉が開く。
「大変お待たせしました!」
ミスティアが帰ってきた。
メイド服を纏った、どうやら召使いらしい者たちを連れている。
そして彼女らの手には、食事を載せた木の盆が握られている。
一つ一つ配膳されていくと、アリスが絶句した様子で声を漏らす。
「ひっ……」
彼女の前の美しい銀食器には、真っ赤ななにかが固めて置かれていた。
隣にいても匂い立つほどに、それは刺激的だった。
イェルドがにこにこと声をかけてくる。
「神官殿、まずは前菜だ。それはほうれん草を唐辛子に沈めてある」
「えっ、いや……あの、馬鹿じゃないんですか?」
「? 何故だ? それはそうと次は鶏肉の団子を唐辛子に沈めて焼いたものが来るから楽しみにしてくれ」
震える腕でアリスは銀のフォークを握る。
そしてアッシュに助けを求めるような視線を向けてきた。
が、あえて無視した。
これで健康にいいというのだから、別に構わないだろう。
それにこちらにも、似たようなものが置かれているのだ。
ノインとアッシュの目の前には、真っ赤なパンと真っ赤なキャベツと牛肉のスープ、おまけに魚の赤いソテーが並べられた。
正直げんなりしていたが、ノインは特に気にした様子もい。
「アッシュ様、これが外国の料理なんですねぇ」
そして、席についたミスティアが食事の挨拶をする。
「では皆さん、いただきましょう。精霊に感謝を」
ガントレットを外した彼女は、自分の盆を持ってシドの隣に座っていた。
だが、隣だと匂うのかシドが嫌そうな顔をする。
「……馬鹿舌どもが」
だがミスティアの耳には入らなかったらしい。
食事に夢中のようだ。
そして、イェルドも大体似たような様子だった。
サウスローネの二人は食事を待ちきれないようで、手を合わせるとすぐに食べ始める。
彼らの勢いに押されるようにして手を合わせながら、こういった所作は変わらないのだとふと思った。
「……いただきます」
いつものまじないを唱えてスプーンに手を伸ばす。
けれどノインはまだ祈っているようだった。
声もなく指を組み、目を閉じたままだ。
「………………」
やがて食事は、沈黙のままに始まる。
アリスはまだ決心がつかないのか、フォークを皿の前で彷徨わせていた。
あと、お茶を濁すように何度も咳をしていた。
「…………」
腹を決めて、アッシュはスープを一口飲み下した。
それはひりつくほどに辛く、ただひたすらに辛い。
嚥下すると体の奥が熱くなるような感覚を伴う。
が、決して食べられないものではなさそうだった。
思ったよりは理性的な味だ。
見た目は最悪だが。
と、そこでシドがアリスに語りかける。
「どうした、君は食わないのか?」
彼女は、何故か魔術師に目をつけられたらしい。
理由は分からなかったが、もしかすると先ほどの陰口が聞こえていたのかもしれない。
「…………」
彼は使徒で、身体能力は高いはずだ。
素で聞こえていてもおかしくはない。
あとは、異国の来訪者に探りを入れるべく、魔術を用いて盗聴していたという可能性もあった。
しかし、それはともかくしどろもどろな口調でアリスが答える。
「た、食べますとも」
「そうか。それでな、さっきの続きだが。この国の地獄の一つはそれだ。サウスローネ薬膳フルコンボだ」
シドがまたにやにやと笑っている。
そんな彼に、ミスティアがにこりと微笑みを向ける。
「あらあら。フルコース……ですよ、シド様?」
おかしそうに笑っていた。
が、アリスの方は溜まったものではないだろう。
ようやっと一口食べて、涙目になりながらも言葉を絞り出す。
「へぇ……。そうですか。ちなみに他の地獄はどんなのがあるんです?」
その問いには、シドではなくイェルドが答えた。
「それは神官殿、罪科の塔とかだな!」
「案外ノリで生きてるとこありますよね、あなたたち」
白けた目をするアリスに、バツが悪そうにシドが口を挟んだ。
「サウスローネが変わってるだけだ。こいつら、異端なんだよ。……ちなみに、料理も他はマトモだ」
異端のロスタリアの中でもさらに異端とは。
だが彼らを見ていると、確かにそんな気がする。
「…………」
咳き込むアリスを尻目にノインの方を見ると、いつの間にか食事を始めていた。
美味しそうに、そして若干はしたなくスープをすすっていた。
彼女はどうやら、不味いという概念とは縁遠そうだった。
イェルドも嬉しそうにしている。
「いい食いっぷりだな、騎士殿」
「え? い、いや、そんなことないですよ……?」
歯を見せる彼に、少し恥ずかしそうにしてノインが皿を置く。
ミスティアも同じく、好意的に見ているようだった。
「いいと思いますよ、わたし。食べないと強くなれないですし」
やはり明るくそんなことを言った。
すると、まるで独り言のようにアリスがつぶやいた。
死んだ目をしていた。
「……そんなの嘘です」
やがて前菜を片付けた彼女の前に、宣告されていた通りのものが置かれる。
少しだけ、哀れだと思った。
多分あれは、アッシュの物より辛いのだろう。
「それにしても、騎士殿は随分長く祈っていたなぁ」
アリスの苦しみを横目に、イェルドがノインへと気軽に話しかける。
ナイフでソテーを引き裂いていた彼女は顔を上げた。
そして少しだけ考え込んだ。
「……そうでしょうか?」
「おう。俺らは精霊にちょちょっと声かけるだけだからな」
また考え込む。
だがやがておずおずと口を開いた。
「あなたたちは、その……精霊様を、敬っていないのですか?」
「ん?」
「え?」
ノインの問いに、イェルドとミスティアが間の抜けた声を漏らす。
対してシドの方は、黙って杖を抱いて視線を向けていた。
イェルドが答える。
「敬ってはいるぞ、騎士殿。しかし俺たちは精霊を上に見てもいないし、本気で信じてるわけでもないのだ」
「え?」
ノインが理解できないとばかりに目を見開く。
付け足すようにミスティアが言葉を挟んだ。
「いるかもしれないなーって、思ってるんです。で、ふとした時にいつもありがとうって。こういう感じで構わないんじゃないかなって」
かなり緩い信仰であるのが分かった。
ノインも理解したのか、少しして小さく言葉を返す。
「…………。なるほど、ありがとうございます」
彼女はこれ以上は何も問いかけなかった。
一つ礼を言って、しばらくするとまた食事に戻る。
「…………」
彼女の様子を見届けて、アッシュは円卓の中央に置かれた水差しに手を伸ばした。
そしてグラスに注いだ水を呷り、辛い料理をなんとか平らげていく。




