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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
三章・黒炎の騎士
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二話・シド=テンペスト

 


 その部屋はひどく散らかっていた。

 絨毯の上に本やら水晶玉、羊皮紙の巻物やらが散乱している。

 だが、これでも不潔な印象は受けない。

 部屋にはいくつかの窓があり、日当たりがいいこともあってのことかもしれない。

 あとは、最低限の掃除もされているのだろうとアッシュは思う。


 そして、その部屋の奥にあるベッドの上で、寝そべったままの『魔術師』が語りかけてきた。


「……僕に用があるんだろう? 入れよ」

「では、そうしよう」


 返して、部屋に足を踏み入れるが、早速落ちていた杖を踏みそうになった。

 だからゆっくりと歩みをずらした。

 するとシドは何故か深く頷いた。

 続けて一方的に話を始める。


「アッシュ=バルディエルだな。まずは長旅ご苦労、とでも言っておこう。それから見苦しい姿ですまない。僕は寝る時服を脱ぐんだ。昼寝も例外じゃない」


 見たところ彼は十二歳ほどだろうか。

 幼い声で言いつつ、豪奢ごうしゃなベッドから身を起こす。

 そのまま寝台のへりに腰掛けた。

 アッシュは何も言わず、ただその姿を見つめる。


「…………」


 彼は、どこか浮世離れした雰囲気のある少年だった。

 身だしなみにも無頓着なのか、赤毛が伸ばされて目にかかっている。

 しかし、それでも顔立ちが整っているのは分かる。

 紫色の瞳の目は大きく、形も良かった。

 そして言葉通り上には何も着ていない。

 抜けるように白く、そして子供らしいごく貧弱な胸板を晒している。

 一応、下には黒の長ズボンを履いているため全裸ではない。

 どこか眠そうな表情を浮かべながら、彼はそばに落ちていた厚手の靴下を拾って身に着けた。


「……使徒?」


 背後で、ノインが混乱したように呟く。

 目の前の傍若無人な少年が、魔術師のイメージとどうも結びつかないのだろう。

 例の修道院で、この上なく神聖な存在である……などと聞いていたのであればなおさらだ。

 アッシュは別に驚くこともなかったが。


「さ、悪かったな。話をしようか」


 短く言って、シドは身支度を整える。

 手近な机に乗っていたマント付きの黒ローブをさっと纏った。

 同じように置かれていたつば広の黒い三角帽子をかぶる。

 それから革のローファーに足を通し、ベッドに立てかけられていた杖を手に立ち上がった。

 だがその白い杖は彼の小さな身の丈よりも長く、いかにも不釣り合いに見える。


 とはいえ、使徒である以上ただの人間と同じに考える必要はない。

 きっと少しも重くはないだろう。

 だから気にせず話を続けることにした。


「シド=テンペスト。君が魔王討伐に協力してくれると聞いて俺たちはここに来た」


 アッシュは前置き無しで本題を切り出す。

 すると、シドは感情を伺わせない瞳をこちらに向けた。

 ゆっくりと口を開いた。


「協力? もちろんだ。こちらの領内の魔王だからな。当然だろう」

「それは良かった。君たちに計画は一任していたが、段取りはついているのか?」


 続けて問いかける。

 すると彼は杖にもたれかかりながら少し考えて答えた。


「ああ、そろそろ始められるはずだ。……でもまぁ、正直そこは僕に聞かれても困るんだがな。『テンペスト』とは言え、この歳では流石にお飾りだ」


 同盟の魔術師にとって、名は地位を表すなによりの証だ。


 まず魔導塔に入る魔術師は、属する魔術の流派によって新たに姓を与えられる。

 魔道具などに用いるルーンの刻印を専門とする『レイエス』や、火炎の魔術を極める『ファルザー』。

 アッシュが知っているのは有名どころのみだが、彼らは一様にミドルネームを冠する。

 ロッド大杖スタッフクロウなどそれらも様々で、これが塔における魔術師の位階を示すのだ。


 だが唯一『テンペスト』はミドルネームを持たない。

 かの名を与えられた者は最高の魔術師であり、同盟を治める元老の中で最も強い権力を持つ。


 つまり、彼は最高権力者であるはずなのだが……この幼さでは政治的な務めはまだ果たせていないのだろう。

 納得したからアッシュは頷いておく。


「それは分かった。しかし、良ければ分かる者のところに連れて行ってもらいたい」


 ただ使徒として力のみを振るう、彼はきっとそういう存在なのだ。

 なので作戦の責任者と会わせてくれるように口にすると、シドはふと部屋の外に視線を向けた。


「それもそうだ。だが少し待て、僕の従者が来る」

「従者?」


 黙して様子を伺っていたアリスが、初めて疑問の声を漏らす。

 彼女に一瞥をくれて、アッシュも耳を澄ました。


 金属が擦れるような音が、近づいてきている。


「シド様っ! まだ勇者来ません!! ………あれ?」


 ドタバタと駆けてきたのは一人の少女だった。

 主とは対象的に、彼女はいかにも活発そうな様子だった。

 くせのある金髪を背まで伸ばし、シドに比べて装飾の少なく、またマントもない黒ローブを纏っている。

 さらに、武器であるのか腰の左には短い杖を下げていた。

 彼女は部屋に立ち入っている見知らぬ存在……つまりはアッシュたちのことをじっと見つめていた。

 人の良さそうな翡翠の瞳だった。


「…………」


 彼女は道中ですれ違った魔術師たちとそう変わりない姿だ。

 だが、一つだけ大きな違和感がある。

 それは、両手足に装着された白銀の武具だ。

 重厚な厚みを感じさせる金属のガントレットとブーツを装備している。

 先程の金属音の正体……装甲のような武具を身に纏う姿は、魔術師としてはかなり異質だった。


「あなた方は?」


 ぱちくりと目を瞬かせて少女が言う。

 アッシュたちの中の誰かが答える前に、シドが先んじて口を開いた。


「こいつは僕の従者、ミスティア=ワンド=サウスローネだ。変わった風体だが、これでも僕の眷属だからな。わりに強いぞ」

「眷属……」


 思わずアッシュは声を漏らす。

 眷属とは、魔王にとっての眷属獣に相当する存在だ。

 使徒は任意の人間一人に神の加護を分け与えて眷属にすることができる。

 その力は使徒にこそ劣るものの、ただの人間などは及びもつかぬほどにまで高められると聞く。


 かすかな羨望を胸の隅に追いやり、アッシュは静かに口を開く。


「……そうか。では、彼女が案内してくれるのか?」


 しかしシドは首を横に振る。

 さらに少女……ミスティアへと視線を向ける。


「いや、ミスティアは少し抜けているところがある。案内は任せられない。僕が直々に案内してやるさ」

「ちょっとシド様! 状況分かんないんですが?」


 混乱した面持ちのミスティアに、シドは少し考え込む。

 帽子のつばを弄びながら静かな声で答える。


「つまりはまぁ、元老あたりを捕まえてそこの勇者に話を聞かせてやろうということさ」

「なるほど……」


 そこの勇者、と指されたアッシュは軽く会釈する。

 すると彼女も同じように会釈をした。

 しかし、シドは構わず話を続ける。


「……あと、君には悪いことをしたな。ちょうど、入れ違いになったようだから」


 ミスティアへの言葉だったが、何故かアリスが反応した。


「入れ違いとはなんでしょう?」


 そこで、シドは初めて彼女に視線を向ける。


「彼女を勇者の迎えにやったんだよ。入れ違いになった。……ところで、あんたら一体誰なんだ?」


 あんたら、というのはアリスとノインのことだ。


 今初めて気がついたとでも言うように、シドは二人を交互に見つめる。

 すると彼女らは少し顔を見合わせる。

 そしてノインは困ったような顔をした。

 アリスはため息を吐く。


「私はアリス=シグルムと申します。正八位しょうはちいの神官で、今は封印官の任を賜っています」


 お飾りとは言えテンペストだからだろうか。

 アリスはドレスのすそをつまんで恭しく礼をした。

 丁寧に自己紹介をする。


「正八位? 封印官?」


 それに、彼は訳が分からないという顔をする。

 アッシュは説明をしてやるべきなのかと悩む。


 彼女の階級は初めて聞いた……あるいはこれまで聞き流していたので知らなかった。

 だが、正八位とは都の大神殿に仕える神官に与えられる階級、『位階』を示すものだ。

 大神殿の正八位ともなればそこそこの立場はある。

 とはいえ彼女の場合は、あくまで勇者に同行させるために与えられた無意味な役職だろうが。


 しかし口を開こうとしたアッシュをよそに、アリスは自信満々の一言で切って捨てる。


「つまりは、そうとう偉い神官だということです」

「なるほど。そっちは?」


 シドはあっさりと納得した。

 今度はノインへ視線を向ける。

 少しおろおろしつつもノインは口を開く。


「あたしはノインです」

「あんたも偉い神官か?」


 彼女は困ったような顔で口を閉ざした。

 するとシドは短く笑った。


「まぁいい。君たちが立派な人物だということは分かった。ミスティアも中々の才女だからな。仲良くしてやってくれ。僕のことは気にしなくていいけど」


 気にしなくていいと言って、これで会話は終わりのようだ。

 彼は歩いて、アッシュたちの脇を通り抜けてしまう。

 部屋の外へと進み始めたのだ。


「じゃあ行こうか。我らがロスタリアの元老に引き合わせてやる。……ミスティア、ついて来い」

「はい、シド様!」


 ミスティアが返事をする。

 彼女は従者らしく、ごく自然に付き添って歩いて行く。

 しかし、一度だけ足を止めてこちらへと振り向いた。


「慌ただしくて失礼しました。どうぞよろしくお願いします」


 すると、少し冷たい様子でアリスが囁きかけてくる。

 声を潜めて、こそこそと耳打ちをしてきた。


「あの子、なんかイヤなニオイがします」

「ミスティアのことか?」


 先に行くシドたちはなにやら楽しげに……正確にはミスティアの方だけ楽しげに、言葉を交わしている。

 彼らの姿を見ながら問い返すと、彼女はこれみよがしに顔を歪めた。


「そうです。まぁ、あのガキもガキンチョのくせに人生悟った顔しちゃって……どうも好きになれませんが」


 わずかに驚く。

 あまりに悪しざまに吐き捨てるのが引っかかった。

 けれど、すぐに理由に思い当たる。


「そうか。お前、権力者が嫌いだったな」

「みみっちい人間みたいに言うのやめてもらえます?」


 実際彼女には小物臭い所はあるが、面倒だったので口にしなかった。

 やはり彼女の陰湿さはトカゲに通ずるものがある。


「悪かった」


 適当に謝って、シドたちの背中を追うことにする。

 しばらく歩いていると、今度はノインが不思議そうに口を開いた。


「しかし最初にドアが開いたのは……あれは一体どういうものなのでしょうか」


 シドの背中をまじまじと見つめながら聞いてきた。

 アッシュは少し考えて、彼女の疑問に答える。


「ロスタリアには、独自のルーンが多くあると聞く。あれもそのたぐいだろう」


 だがアリスが鼻を鳴らす。


「独自? 秘密がそんなにもつものですかね」


 これは、彼女の言う通りだ。

 魔術を秘密にしておくことなどそうできることではない。

 詠唱して、使うのであればどうしてもバレる。

 実際、聖教国の『教会』などは秘伝とされていたが……もう世界でもよく知られたものだ。


 だがロスタリアのルーンには、模倣を難しくする理由があった。


「いや、この国で作られたルーンのいくつか、特に基礎ルーンは使おうとしても使えない事が多いらしい」


 アッシュが言うと、ノインが首を傾げる。


「……それはどういうことなんでしょう?」


 どういうことかと聞かれたが、正直アッシュにもよく分かっていない。

 だからなんとなく頭をかいて、分からないとそのまま伝えた。


「分からない。ただ聖教国の魔術師では、ルーンがなにをするものなのか理解できないことがあるらしい。それで、上手く制御できないと聞く」

「はぁ……」


 眉を下げるノインはあまり分かってはいなさそうだった。

 そもそも魔術をどこまで理解しているのかも分からないが。

 けれど、実のところアッシュにもロスタリアのことはよく分からない。

 何故なら平時のロスタリアと聖教国は、半ば敵対しているような始末であるからだ。

 だから情報もあまり入ってこない。


 けれど、こうした魔術を抱える魔術師たちの国が今は味方なのだ。

 心強さとしては、これ以上もないだろうと思う。



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