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ロストキルレシオ  作者: 湿った座布団
三章・黒炎の騎士
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一話・ロスタリア来訪

 


 涙に濡れた声が一つ。


『あなた、これから……どうするの?』


 白い雪が、灰のようにひらひらと舞っていた。

 目の前にあるのは大きな門だった。

 どこかに入るその場所で、アッシュは誰かに背を向けていた。


『魔獣を、殺そうと思います』


 勇者になるとは言わなかった。

 言えなかった。


 そして、それから歩き出す。


『…………』


 心を閉ざして、最後に残った温もりを手放した。

 その人のためにならないと思ったから。


 そばにいればきっと、彼女は自分のことを責めてしまうと思ったから。


『ありがとうございます、先生。僕たちは……あなたの子供でいられてよかった』


 けれど最後に一度だけ足を止めて、別れの言葉を呟いた。




『……さようなら』




 ―――



 そこは、雪深い北の大地。

 異端の魔術師たちの国、ロスタリア魔術同盟。



 ―――



 薄く雲に覆われ、日が隠れた灰色の空。

 音もなく降りしきる雪。

 ふとそれに心を囚われ、雑踏ざっとうの中アッシュは足を止める。


「アッシュさん」


 …………。


「アッシュさん?」


 再び、呼びかけられる声。

 どうもらしくもなくほうけていたらしい。


「……すまない」

「いえ、お気になさらず」


 視線の先には、いい加減見慣れたアリスの姿がある。

 行き交う街の人々の流れに逆らって立ち止まり、訝しむような目でこちらを見ていた。


 しかし、見慣れたとは言ってもいつもとは少し格好が違う。

 ここは大陸の北に位置する国【ロスタリア】で、その上冬も手前だからだ。

 今の彼女は、黒染めにした厚手のフェルトのコートを一分の隙間もなく着込んでいる。

 それからかつてベールがかけられていた三つ編みの頭には、耳まで覆う毛皮の帽子を被っている。

 さらには毛糸のマフラーに手袋まで身につけていた。

 それは寒がりの彼女らしい、厳重な防寒装備だった。


「どうかしたのですか?」


 そのアリスの横で、やや心配そうに声をかけてきたのは小柄な少女……ノインだった。

 今は大剣もアリスに預け、本当に普通の少女のように見える。

 そして彼女もいつもの法衣の上に、聖教国の軍が支給する防寒コートを着込んでいる。

 フードや裏地に毛皮をふんだんに使ってある。

 しかしフードをかぶって、こちらを見つめているその頬はほの赤い。

 やはり少し寒いのではないだろうかとアッシュは思う。

 コートだけでは足りなかったのかもしれない。


 だがすぐに屋内に入れるはずなので、思考を打ち切って答える。


「なんでもない、行こう」


 短く答えてアッシュは歩き始める。

 するとアリスがまた言葉を重ねた。

 少し呆れた様子で、こちらをまじまじと見つめている。


「しかしあなた……寒くないんですか?」


 こんなことを言うのはきっと、アッシュが年中変わらない格好をしているからだろう。

 だがアッシュは人間ではなく、魔力を糧にする魔物だ。

 周囲の環境に合わせ、魔力により体温を変動させることができる。

 少々の外気温の変化など誤差に過ぎない。


「問題ない」


 だからそう言って、なんとなくノインに目を向ける。

 彼女は街の様子を興味深く見ているようだった。

 アリスもそれに気づいたのか、彼女に声をかけた。


「あら、珍しいですか?」


 アリスの問いに、ノインは深々と頷く。


「はい。あたしたちの国とは、ずいぶん違いますね」

「まぁ、違う国ですからね」


 二人の会話にさそわれるようにして、アッシュも街の様子に目をやる。


「…………」


 一応アッシュはこの国に来たことはあるのだが、それでも改めて見ると街並みの違いは顕著けんちょだった。

 積雪の負荷に耐えるためか、この街の建物はどれもがっしりとした煉瓦れんが造りである。

 さらに建物同士の間隔は聖教国より広くて道も広い。

 だが、石畳の道だけは見慣れたものとそう変わりのない様子ではある。

 けれど、よく見ると石畳には細かな溝が刻まれているのが分かった。

 凍結対策なのだろうか。


 また、何よりこの街には非常に橋が多い。

 これは、至るところに幅広の運河が張り巡らされているからなのだろう。

 しかし、今は凍りついているため水場には船の影もない。

 その代わりに、ぬくぬくと着込んだ子どもたちが氷の運河の上を滑っては遊んでいるようだったが。


「アッシュ様、あれはなんですか?」


 子どもたちの様子に気がついたのか、ノインが目を見開いて聞いてくる。

 アッシュは知っていたから答えた。


「ああ……あれは、スケートという遊びだ」


 とはいえスケートが何かを知らないだろうから、きちんと説明をすることにした。

 文字を教えている縁からか、彼女はこうしてアッシュにものを尋ねることが多い。


「靴の裏に、動物の足の骨などを研いだものを取り付ける。それから、その靴を使って氷を滑る。やったことはないが」

「……なるほど」


 興味深そうに頷いていた。

 その彼女に、アリスがからかうように声をかける。


「ノインちゃん、してみたいんですか?」


 これに、ノインはどうやら図星を突かれたようだった。

 目を瞬かせる。

 けれどすぐに首を振って否定する。


「……いえ、あたしは騎士ですから。子供の遊びなんてしませんよ」

「この間からずっとそんな感じですね、あなた」


 還俗げんぞくしたノインは、軍から【従騎士】の地位を与えられている。

 それはグレンデルの本来の称号である『卓越騎士』などとは違い、気高い呼び名としての騎士ではない。

 あくまで役職としての騎士……つまりは士官だ。


 聖教国の軍は将、騎士、兵により指揮系統が構成されている。

 だが士官である騎士から上は、貴族により世襲される役職である。

 けれど戦役などで不足が出たり、突出して優秀な兵が功績を立てた際に例外的に平民へと与えられることがある。

 その低位の騎士職、これが従騎士というものだった。

 とはいえノインに部下はいない。

 なのでそれは形だけの役職で、教会の手から彼女を逃がすために便宜べんぎ上与えられたとさえ言えるだろう。


 だがそれでも、彼女はそこに何らかの誇りを見出したようだった。


「これからもそうですよ」

「私は神官なので、いつかスケートしますけどね」


 真面目な顔で胸を張るノインにアリスが微笑む。

 それから二人でしばらく楽しげに言葉を交わしていた、

 だが、何を思ったかアリスがアッシュに話しかけてくる。


「ねぇアッシュさん」

「なんだ?」

「ここの名産って腸詰めでしたっけ?」


 彼女の言葉に、アッシュはなんとも言えない気持ちになった。

 小さく唸る。

 ここには決して遊びに来た訳ではないのだ。


 しかし、アッシュにだって彼女がどういう人間なのか……ということは少しくらい把握できている。

 だからいさめる言葉は頭の隅に追いやり、あくまで短く答える。


「俺は知らない」


 実際知らなかったから言って、行く先に近づいてきた建物を見やる。

 その上で、一言だけ付け足しておく。


「それから、腸詰めは結構だが仕事だ」


 目的地の建物は、巨大な塔だった。

 それも、とても立派な塔だ。

 石材は遠目ではよく隙間が見えないほど丁寧に積まれている。

 さらにその塔は天を衝く威容を誇り、天と地を繋ぐ杭のようにさえ見えた。

 また、あちこちから煙突が生えて煙を吐き出す奇妙な様子は、なにやら趣のようなものを感じさせる。


 ちなみにこれは、ロスタリアの人々にとっては神殿であり、また王城にも等しい場所なのだという。


「これが魔導塔ですか……。やっぱり、すごく立派なんですね」


 ノインは感心したように息を吐く。

 彼女の瞳は観光名所でも訪れたように、隠しきれない輝きを宿している。


 それに、何故か偉ぶるようにアリスが答えた。


「そりゃあ立派ですとも。ここには使徒と、あとついでに元老がいるんですから」


 不定数の、最高の魔術師たちから選ばれる元老によってこの国は治められている。

 これは『魔術をもって導く』魔導を掲げるロスタリアならではの統治法であると聞く。


 しかし、ついでと言い放った彼女の言葉に間違いはない。

 今重要なのは元老ではない。


 ここには使徒がいる。

 そしてアッシュたちは使徒……『魔術師』シド=テンペストと合流し、共に魔王を討ち果たす。


「…………」


 と、そんなことを考えていたその時。

 噛み殺すようにして、小さくアリスが咳をした。


「……大丈夫か?」


 問いかけると、彼女は鼻をこすりつつこちらを見てくる。

 何か不思議なものでも見たような、そんな目をしていた。


「ええ、はい。……大丈夫です」


 よく分からないが、大丈夫だと言うのならいい。

 アッシュはアリスから視線を外し、また塔に向けて歩き始めた。



 ―――



 現ロスタリア領では、かつていくつもの小国が戦争を繰り広げていた。

 ここは戦役の度にいくつもの亡国が出るような、そんな弱国が何百年も争い続ける場所だった。

 けれど各国で迫害された異端の魔術師たちが、情勢の不安定なこの地を潜伏先として選んだ。

 さらに、時のロスタリア王が彼らを取り立てたことで状況は一変する。


 かの国は瞬く間に周辺国家を席巻した。

 纏め上げられた国々は、一人の王をいただき一つの同盟となった。


 そうして魔術師たちの尽力の元ロスタリアはかつてない繁栄を得る。

 だが謀略か、あるいは時の流れのなすことか。

 いつしか王の血は途絶え、ロスタリアは魔術師が治めるようになった。


 ……というのが同盟の成り立ちである。

 そして、だからこそ聖教国と同盟の関係はあまり良いとは言えない。

 異端の魔術師の流れを汲むこの国は、聖職者の国とは多く遺恨を抱えている。


 けれど、それも戦役時は別だ。

 戦役時のみは全ての遺恨を横に置く。

 聖教国と同盟、それからあらゆる国と共に魔獣の脅威に対峙する。


「ここの兵隊さんは物分りがいいようで残念です」


 塔に入ったあと、アリスが口を尖らせてつぶやいた。

 それに、ノインが首を傾げる。


「残念とはどういうことですか?」

「さぁ、どういうことでしょうね」

「?」


 塔の中では二人の呑気な会話と、あとは魔術師たちの議論の声もする。

 だがどちらも全て聞き流しつつ、アッシュは案内の兵士の背を追って進む。

 塔の廊下を歩いて行く。


「…………」


 しかしこうして塔の中を歩いていると、街並みを眺めていた時よりも強く文化の違いを感じた。


 まず、すれ違う魔術師たちの格好。

 彼らの服装は聖職者たちとは対象的だった。

 聖職者は月の光の色たる白、そして金糸きんしによる装飾を好む。

 だが同盟の魔術師たちは、一様に黒いローブを身に纏っている。

 あとは、中には時々つば広で先が尖った長帽子を被っている者もいた。

 これがどんな意味を持つのかは分からないものの、アッシュにとってそれは異質だった。


 また、建物自体にも異なる点はあった。

 一言で言えば、それは祭祀色さいししょくの薄さだ。


 大陸では、文化の殆どにアトスの宗教観が深く根付いている。

 故に細かな部分にもその影響があった。

 例えばタペストリーなどに狼や老犬が描かれていたり、白や金が好まれたりするのもこのためだ。

 だがこの塔の内部には神の気配というか、そういうものが一切存在しない。


 窓は広く数も多くて日当たりはいい。

 床には上等な絨毯じゅうたんが敷かれている。

 時折見える部屋の中で、魔術師たちが向かう散らかった机も恐らくモノは良い。

 そのように、決して文化水準が低い訳ではない。

 だが、ここでは壁はただの壁であり、床は単なる床でしかない。

 装飾が極端に少なく、削ぎ落とされたような気配すら纒っている。


 唯一余分、というより飾りが添えられているのは、広い廊下の片隅に点々と配置されている本棚だろう。

 艶のある堅木かたぎでできた棚には、草花のような美しく彫られた紋様の意匠いしょうが見られる。

 そこから、知識を重んじる同盟の魔術師の在り方が伺えた。


「しかし、言葉は我々と同じなのですね」


 ノインがぽつりと言葉を漏らす。

 周りの会話を聞いてのことだろう。

 今も、奇特なものを見るような視線を向けてくる魔術師たちをじっと見つめていた。


「…………」


 そして確かに、魔術師たちの口にする言葉はアッシュたちと同じだった。

 だが、これはある意味当然だと言えるだろう。


 事情を承知しているらしいアリスが、アッシュが言うまでもなく説明してくれた。


聖教国(うちの国)の言葉は魔術の詠唱に使われる言葉ですからね。魔術を使う人のいる場所なら、大陸中で通じると言っても過言ではありませんよ」


 すると、ノインは感心したように息を漏らす。

 彼女を一瞥して、アッシュも一言添えておいた。


「だが通じない場所もある。教育水準が低い場所では、その地域の言葉が幅を利かせているからな」


 魔術とはある意味究極の学問である。

 だから魔術を学ぶ人々が多ければ、当然言語も聖教国と近しくなるということだ。


「なるほど……」


 分かったような分からないような、判然としない表情を浮かべるノインから目を逸らす。

 そのまま歩いていると、やがてなにか他とは違う雰囲気を漂わせる扉の前に辿り着いた。


 案内の兵士も止まったので、恐らくここが目的地なのか。


「この中に彼がいるのか?」


 アッシュが兵士にそう尋ねる。

 すると、扉の脇に直立して敬礼していた彼が張りのある声で答えた。


「はい。まずはどうか、お目通りを」


 彼の言葉に頷き、扉に手をかけようとする。

 しかし、それは触れるまでもなくひとりでに開いた。


「…………」


 驚いたように目をしばたたかせるアリスと、何が起こったのかよく分かっていないノイン。

 だが二人が口を開く前に、部屋の主の声が聞こえた。

 幼さを残す、けれどどこか棘を潜ませたような少年の声だった。


「……僕に用があるんだろう? 入れよ」


 開いた扉の部屋の中は、かなり散らかっていた。

 ものが散乱してごみごみした部屋の、ベッドから彼は語りかけているようだった。


「では、そうしよう」


 シドの言葉に短く答えて、アッシュは部屋の中に足を踏み入れた。



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